一般教養として読んで損はない とくに言語学に興味があったわけではないが、ネットの書評でべた褒めされていたので興味が出て読んでみた。
結論として、とくにおもしろい!というものでは無かったが、言語について考えるきっかけにはななったし、一般教養としては読んで損はなく、学びはあった。
人が人たる所以に関し、キーはオノマトペにあるとのこと。
それをきっかけに記号接地、身体との繋がりを持ち、あとは帰納・アブダクション推論をエンジンとして、ブーストラッピングサイクルにより、知識の幅をどんどん拡大していく。
これに必要な、対称性推論の能力は、人間特有のもの。
(一部のチンパンジーもこの能力があるため、進化の過程で徐々に獲得、強化してきたものと思われる)
〈以下、備忘メモ〉
1.演繹法(えんえきほう)では必ず正しい答えが導けるが、帰納法とアブダクション推論は絶対正しい正解が決まらないが、だから仮説により新しな知識を創造できる。
2.ブーストラッピングサイクルとは、既存の知識から、推論を用いて知識を更新し、それを既存の知識としてさらに洗練された推論を行うというサイクルで、どんどん知識を拡充していくサイクルであり、筆者提案のもの。
3.対称性推論は、逆認識するということであり、詳細は以下のとおり。
帰納法とは
帰納法とは、複数の事象をもとに1つの結論を導き出す手法です。
イギリスの哲学者であるフランシス=ベーコンが唱えた論理展開法で、経験論的思考から学問や科学を正しく認知する方法として唱えました。
以下の例文を見てください。
例:ソクラテスは死んだ。アリストテレスも死んだ。織田信長も死んだ。だから人間は死ぬ。
この文章を帰納法に沿って分解すると、以下のようになります。
ソクラテスは死んだ→事象1
アリストテレスも死んだ→事象2
織田信長も死んだ→事象3
だから人間は死ぬ→結論
「帰納法」というと難しく考えがちですが、このように様々な事象を先に述べ、最後に結論を述べるのが帰納法です。
ただし帰納法で導かれる結論は、推論の域を超えません。そのため、不確定要素の多いビジネスの現場ではよく使用される論理展開方でもあるのです。
演繹法とは
演繹法とは、一般的に正しいとされることとある事象から、妥当と考えられる結論を導き出す手法です。フランスの哲学者であるルネ・デカルトが唱えた論理展開法で、人間の持つ普遍的な理性を原点とし、様々な事象を懐疑的に見ながら論理的に結論を導き出す方法として唱えました。
まずは以下の例文を見てください。
例:人間は皆死ぬ。ソクラテスは人間だ。よってソクラテスは死ぬ。
この文章を演繹法に沿って分解すると、以下のようになります。
人間は皆死ぬ→大前提(普遍的事象)
ソクラテスは人間だ→小前提(理由)
よってソクラテスは死ぬ→結論
先にご紹介した帰納法とは、論理展開の順番が逆になります。普遍的原理に従って論理を展開するため、ある提案に対して反論したい際などにも使用できます。
アブダクション
アブダクションとは、仮説形成とも訳されるもので結果から原因を推測し、観測事実に対して説明を見つける手法です。アメリカの哲学者であるチャールズ・パースが、アリストテレスの論理学を基にして提唱した論理展開法で、起きた現象に対して仮説を構築して論理的に説明していく論法として唱えました。
まず以下の例文を見てください。
例:朝起きると庭の芝生が濡れていた。雨が降ると芝生は濡れる。だから昨晩は雨が降ったのだろう。
この文章をアブダクションに沿って分解すると、以下のようになります。
朝起きると庭の芝生が濡れていた→目の前の現象
雨が降ると芝生は濡れる→普遍的事象
だから昨晩は雨が降ったのだろう→仮説
芝生が濡れていた理由は、雨が降ったこと以外にも「朝早くに誰かが水をまいた」「夜露で濡れた」など複数考えられます。そのため「普遍的事象」が正しくても「仮説」に何を当てはめるのかは推論者自身の閃きにかかっていると言えます。
これまでにご紹介した帰納法・演繹法とは異なり想像力が必要となる論法ですが、ある事象をもとに複数のアイデアを出してプレゼンなどの資料にまとめる際には有効な手段です。
対称性推論とは
逆の推論をすること、すなわち、推論における「対称性」の成立は、人間以外の動物においては極めて困難であることが知られている。それは、行動分析学者シドマンらが確立した方法を用いて調べられてきた。その手続きは複雑であるが、単純化するとこうなる。リンゴが「リンゴ」と呼ばれることを学んだ後、「リンゴ」と言われてリンゴを選べるかテストするというものだ。
当たり前すぎて、どこがテストなのかわからないかもしれない。まず、リンゴが「リンゴ」と呼ばれることを学ぶのは、「実物→ラベル」という方向の対応付けの学習である。それに対して、「リンゴ」と聞いてリンゴを選択するのは、「ラベル→実物」という逆方向の対応付けができていることを示すのである。人間の場合、一方の対応付けを学習すれば逆向きを学習しなくてもよいが、他の動物にはこれができない。
チンパンジーでも対称性が成立しないという事実は、二つの意味で驚きである。一つは、こんな当たり前のことが、われわれと最も近縁の霊長類にできないという素朴な驚きである。対称性の獲得が人間に特有なことと、人間だけが複雑な言語を操ることの間に、どれほど深い関係があるのかはわからないが、対称性が言語と密接に関係していることは明らかである。対象・ラベル間の対称性推論能力は、効率的な語意獲得のために必須である。また、二つのものごとの間の関係の対称性は、条件文や因果文の解釈や生成と切り離すことはできない。もちろん、象徴機能を含む抽象化の能力や、相手の発話や行為を模倣する能力も前提となるが、同様の能力を前提とする推移性は他の動物でも獲得可能であることを考えると、対称性の特異性は際立っている。対称性推論、抽象化能力、言語の三者は、相互依存的に複雑に関係していることは間違いない。
もう一つの驚きは、人間だけが論理的誤謬を犯すということである。対称性推論は論理的に偽りである。たとえば、人間は動物であるが、動物は人間に限らない。「逆は真ならず」である。最も知的なはずの人間だけが、このような非論理的な推論をしてしまうとは、一体どういうことであろうか。これは、対称性推論が人間の創造性と深く関係していると考えるとつじつまが合う。演繹に発見はない。すなわち、論理的な結論は、本質的には前提の中に既に含まれていると言える。それに対して、対称性推論は、論理的には誤っているが発見的特性を秘めている。