あらすじ
『言語の本質』(中公新書)で
「新書大賞2024」大賞を受賞した
今井むつみ氏の書き下ろし最新刊!
間違っているのは、
「言い方」ではなく「心の読み方」
ビジネスで 学校で 家庭で ……
「うまく伝わらない」という悩みの多くは、
「言い方を工夫しましょう」「言い換えてみましょう」
「わかってもらえるまで何度も繰り返し説明しましょう」では解決しません。
人は、自分の都合がいいように、いかようにも誤解する生き物です。
では、都合よく誤解されないためにどうするか?
自分の考えを“正しく伝える”方法は?
「伝えること」「わかり合うこと」を真面目に考え、
実践したい人のための1冊です。
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
仕事や家庭でタイトルのとおり何回説明したにもかかわらず伝わらないことがしばしばあり、何か解決策はないかと思い読みました。
言葉というものは、具体的に思えるが曖昧さも含んでいるため意図がしばしば伝わらないことがおきます。
この本を読むことでなぜこの伝わらないことが発生するのか理解できました。
この本を読んで、相手へ伝える=相手に伝わったという考え方は、持たずに相手へ伝える≒相手に伝わっただと認識し、可能な限り=に近づけていけるように、例示、日々のコミュニケーションを意識して、お互いに気持ち良い環境になるように努めたいです。
Posted by ブクログ
日常でよくある“伝わらなさ問題”を、認知科学の視点から驚くほどクリアに解説してくれる一冊です。
この本のおもしろさは、単なる「伝え方テクニック本」ではなく、“なぜ人はそもそも理解し合えないのか”という根本原因に切り込んでいる点にあります。
著者は、私たちの頭の中にはそれぞれ固有の“概念の地図(認知地図)”があり、同じ言葉を使っていても、その地図の違いによって認識がズレる、と説明します。
つまり「伝わらない」のは能力不足ではなく、脳がそういう仕組みになっているから起こる現象だということ。
さらに面白いのは、「説明」と「学び」が最初から噛み合わない理由を、言語習得研究や子どもの学習過程の事例を交えて示しているところ。
相手の背景知識、経験、前提の違いを想定せずに話すと、いくら説明しても届かない──という認知科学的な“当たり前”を、誰にでも分かりやすく言語化しています。
そして本書は、解決策も実用的。
相手の認知地図を推測しながら話す、例えや具体例を段階的に変える、自分と相手の「理解のズレ」を先に確認する、など、今日から使える方法が満載です。
「なんで分かってもらえないんだろう?」と悩む人に、原因と対処法をセットで教えてくれる、コミュニケーションに悩む人必読の一冊です。
Posted by ブクログ
複雑な現代を理解するためのライトを渡してくれる一冊。
”スキルよりもファンダメンタル(基礎)が大事でなのではないか”
“では、「ビジネスにおけるファンダメンタル」とは何か。 そう考えたとき、本書でテーマにしている「コミュニケーション」こそが、まさに、「ファンダメンタル」なのではないかと思いました。”
「うっすらと感じていたこと」が、的確に言語化されている。おそらく読書という行為はメタ認知やスキーマを強化する行為であり、作品をきちんと「鑑賞」することはファンダメンタルの強化につながるのだろう。三宅香帆さんとの読書論とも響き合っていた。
今井先生のあとがきがめちゃくちゃ沁みた。現代を自分の力で読み解こうとする読者のために光の当て方を教えてくれてる。もちろんズバリ答えが書かれているわけではない。なぜなら我々は多くのことを俎上に載せてうなりながら、自分の結論を出していくしかないのだから。
素晴らしい本だった。ぜひ今井先生の他の本も読んでいきたい。
Posted by ブクログ
とても読みやすい。そして、例えがわかりやすい。
認知科学に興味が湧いた。
相手に何かを伝えたい時、受け取る側の枠組み(スキーマ)が違うから同じように説明しても受け取り方はそれぞれ。
枠組み(スキーマ)は学びや経験、育ってきた環境、興味関心で変わる。
それを踏まえた上で、相手を知り相手の心に耳を傾けて、相手の思考に辿り着いた上で、伝える努力が必要だと感じた。
なかなか難しいですね。でも頭の片隅に置いて意識はしていこうと思う。
あと、人の記憶は曖昧だと。頭に残っている記憶が「事実」とは限らないと。本人ですら気づかず記憶がすり替わることはあるということ。
ここで突然ですが、私の気になる子どもの頃の記憶が蘇りました(笑)どーでもいい話です。
私は子どもの頃、何かを食べて「ほっぺが落ちる経験」をした記憶があります。何を食べたかは思い出せない。でもほっぺが落ち、頬が重力に逆らえず地面に引っ張られるぐらい落ちてとっても痛かったのです。本当にほっぺが落ちたのです。ほっぺの筋肉が強く下方にひっぱられたのです。そしてほっぺを落ちないように抑えてたという、まんが日本昔ばなしのようなことがあったと記憶しています。でもいま、みんなにそのことを話すと「そんなことないない〜」「比喩」だと言われて終わります。そうだよね、そうなりますよね。
でも私の中では本当にあった話なのです(笑)私の記憶は嘘ものなのかなぁ〜。どこかのタイミングで記憶がすり替わってる?そんなことを考えてしまった。
Posted by ブクログ
人は、育ったバックボーンは異なるし、時代や文化が異なる。でも、互いに同じと考えてしまうことによって、伝わらない、という現象か発生してしまう。
そう理解することによって、コミュニケーションが円滑に進められるといいな。
Posted by ブクログ
「話せばわかる」とはどういうことか?
そもそも「話せばわかる」というとき、私たちは何をもって「わかった」としているのでしょう。
「相手の話がわかる」ということを、段階を踏んで表現すると、
①相手の考えていることが
②言語によってあなたに伝えられ
③あなたが理解をすること
といえます。
ここで問題となるのは、それぞれの頭の中をそっくりそのまま見せ合ったり、共有したりすることはできない、ということです。
それは単に「言葉によってすべての情報をもれなく伝えることはできない」というだけではありません。
言葉を発している人と、受け取っている人とでは、「知識の枠組み」も違えば「思考の枠組み」も異なるため、仮にすべての情報をもれなく伝えたとしても、頭の中を共有することはできない、という話です。
記憶は曖昧・・・ならば「言い切った者勝ち」なのか
このように、「記憶は非常に頼りないものだ」ということを知っていると、役に立つことがあります。なぜなら、相手の言うことがあやふやでも、ときに間違っていても仕方ないと許すことができますし、それでイライラすることも減るからです。
また自分の記憶に頼らず、様々なことをダブルチェックするようになりますから、 ミスも減ります。自分が間違っていたかもしれないと、素直に非を認めて歩み寄ることもできます。
私たちが知識や情報を受け取り、理解し、記憶する際、何かしらの偏りが必ず生じています。自分に合わない情報は、そもそも頭に入ってきません。また、スキーマによって、捉えているものは人によって変わります。だから、指摘されるまで気づかないのです。
その点では、マーケティングの担当者が、同業他社がまだやっていない、高い効果が見込める施策を提案したときに、別の部署の人が、
Aさん「今すぐやりましょう」
Bさん「準備に1カ月は必要ですね」
Cさん「できませんね」
などまったく美なる意見を出し、平行線をたどってしまうのは仕方のないことといえます。
視点が違う状態でただ同じ議論を繰り返していても、お互いまったく相容れないことになります。何かを信じれば信じるほど、自分が論理的であると思っていれば思っでいるほど、他の人の意見が「間違っている」と思えてしまう。相手を攻撃してしまうこともあるでしょう。「なぜそのように考えるのか、まったく理解できない!」ということになってしまうからです。
このときに必要なのは、新しい施策を、手を変え品を変え魅力的に、あるいは丁寧に説明することではなく、それぞれがどんな視点からその意見を言っているのかを考え、聞き取り、それぞれの懸念を払拭していくことです。
まずは自分がマーケティング担当者として、何を目的に提案をしているのかを明確にすることです。そして一歩踏み出して、「相手の視点の偏りはどこにあるのか」を考える。 そうすることで違う考えに対して寛容であることができますし、今より少し自分の枠組みから距離を取って、相手の意見に耳を傾けることができるようになるはずです。
こうしたプロセスによって、Bさんの発言が物流面での懸念を踏まえたものであり、 Cさんの発言がコストへの懸念によるものである、など、それぞれの考えがわかれば、「言っても伝わらない」「話してもわからない」を越えていけるのではないでしょうか。
意図を読むとはどういうことか
「意図を読む」ということを辞書的に解釈すると、「相手の、こうしようという考えや思惑、狙いをくみ取ること」となります。視点はあくまで、「相手」です。
つまり、これまでお話ししてきた「(非認知能力や性格の問題ではなく、心の理論やメタ認知に基づいて)相手の立場で考えること」が、意図を読むためには必須といえます。
また、こうしようという考えや思惑、狙いは、直接は教えてはくれませんから、推測したり推論したりする能力も求められるでしょう。
さらに、そうした考えや思惑、狙いの背景にある感情もまた、意図に影響を与えているはずです。
つまり、意図を読むためには、「相手がどういう視点で、どういうスキーマを持って状況を捉え、状況に対してどういう感情を持っているのかを推論すること」が求められ、それには相手の感情も大きく関わっているといえるでしょう。
「コミュニケーションの達人」の特徴
①達人は失敗を成長の糧にしている
②説明の手間を惜しまない
③コントロールしようと思わない
コントロールせず相手を動かすポイント
・関係性
・相手の成長を意識する
④「聞く耳」をいつも持つ
おわりに
本書をここまで読んでくださった皆さんは、向上したい、成長したいという気持ちが強い方だと思います。そしてその気持ちは、人が働く上で、大きくいえば生きていく上でとても大切なものです。
強い思いを持ち続けられることは、それだけでひとつの大事な能力です。「明日は今日よりもっとよくなりたい」「今やっている仕事より次の仕事はいい仕事にしたい」。 そう思えること自体が才能なのです。
本書では、「話せばわかる」「言えば伝わる」を切り口に、人の認知や記憶の仕組みについて、幅広くお話ししてきました。また、直観についても考察し、失敗の意義についても紙幅を割きました。日常の生活の中で私たちの認知機能がどのように働いているかについて、その一端をつかんでいただけたのではないでしょうか。
私自身、本書を書き終えた今、理解し合うことの難しさを改めて感じています。世の中にこれだけの対立があるのには、理由があるのです。
この世界で生きていくということは、自分の芯を持ち続けながら、別のスキーマを持った人々の立場や考え方を理解し、折り合いながら暮らしていくことです。相手の中にも自分の中にも存在する認知バイアスに注意しながら、物事を一面的ではなく様々な観点から評価し、判断する。自分の所属する、帰属する集団の価値観を、一歩引いて見つめてみる。メタ認知をしっかりと働かせることを意識していく。しかし自分の芯はぶれさせない。
これは決して簡単な生き方ではありませんし、ぼんやりとしてつかみどころのない生き方のように思われるかもしれません。
そんなときは、逆の生き方を想像してみるとわかりやすいかもしれません。
自分の芯を持たず、様々な立場の人を許容することなく、物事を自分の考えのみで判断し、所属する集団の中の価値観を正しいと信じて発言する。そういう人があなたの周りや言論空間にもいるかもしれません。
思い込みにとらわれたそのような生き方は、実はラクな生き方でもあります。
相手の意図を考える必要も、情報を精査することも、知識や教養を得ることも、自分を外から見つめ直すこともないからです。自身を見つめ直し、自己を批判することで痛みを感じることもありません。自分が思ったことが正しいし、情報は自分が思ったように解釈すればいいからです。
自分の認知のバイアスに埋没し、心地よいところだけで生きるのは、とてもラクな生き方でもあるのです。
その道を選ばなかった皆さんは、これからの日々も探究しながら生きていくことになるでしょう。1つの問題だけを取り出しても、相手の立場や信念に思いを巡らせ、 それにまつわる知識を学び、自分が持つ偏見を見つめ、その背景を探り・・・・・・。多くのことを俎上に載せてうなりながら、自分なりの結論を出していくのだと思います。
自分とは相容れない相手に対しても、「許せない」と切り捨てたり、「人それぞれ」と突き放したりするのではなく、「そういう考え方もあるのか」「そういう捉え方もできるかもしれない」と建設的にすり合わせをしていくことでしょう。
大変な世の中です。
自分のこと、家族のこと、仕事のこと、社会のこと。考えなければならないことはたくさんあります。そのような中、人の認知について知るためにこの本を手に取り、 その知識を持って物事をより深く考えようとする皆さんの前には、長く果てしない道がのびていることでしょう。決してラクな道ではありませんが、その探究の道のりがよりよいものであることを、心から願っています。
Posted by ブクログ
人間に抱いていた一切の甘えや期待を捨てることができる本。結果、コミュニケーションのもどかしさは激減した。人間の脳みそって適当なんだ。みんな適当なんだ。細かいとこにネチネチこだわるのはやめよう。1GBに私のことを保存していてくれてありがとうの気持ちでいよう。
似たような経験を積んできた人と関わるのはとても楽だし安心する。ただ、「何となくみんな伝わってるし、分からない少数派が合わせにくればいい」という考え方でやっていると自分の成長も止まるし相手も組織も確実に腐っていく気がした。
“空気を読む”以前に、考えを伝える力というか責任のようなものを教わって世に出ていかないといけない気がした。受け取る脳みそは適当なんだから、せめて伝える方になった時は頑張ろう。
Posted by ブクログ
「スキーマ」ってIT用語かと思ってたけど、心理学の用語でもあるんですね。伝わらない理由がスキーマを使って分かりやすく説明されています。
その他、様々なバイアス、直感による意思決定、記憶における具体と抽象など興味深い内容が続き、いろいろと納得できました。
一人ひとりスキーマが異なるから伝わらないんですね。でも日本のようなハイコンテクストな世界だと、そのことを常に意識していないと、「話せばわかる」とつい期待しちゃいますよね。
ラスト50ページくらいはちょっとハウツー本のようになってしまうけど、主題はそれまでの分析部分だと思います。面白かったです。
Posted by ブクログ
悩みの尽きないコミュニケーションを認知科学の視点から。
分かりやすかった。
当たり前のことなんだけど、だからこそ難しい内容。
私は専門家でも大した立場でもないけれど、たまに思い出して過ごしてみたい。
悩みすぎない程度に。
Posted by ブクログ
直観を磨くために日々研鑽していかなければならないなぁと思わされました。
そしてやっかいなことに、ねじ曲げられた記憶に関して話しているときには、真実を述べていないにもかかわらず、本人に嘘をついているという自覚はありません。その記憶は本人にとっては「真実」なのです。
この部分、その通りですね。
Posted by ブクログ
「うまく伝わらない」というコミュニケーションの悩みに対して、認知科学の観点からなぜそのようなことが起こるのか、どのようにすればより良いコミュニケーションが取れるのかが書かれている。
「結論から先に伝えましょう」みたいな説明の仕方を解説したものとは、また違う気づきがあった。「うまく伝わらない」のが当たり前だという意識を持って、今後はコミュニケーションを試みてみたいと思う。
Posted by ブクログ
ビジネス書のようなタイトルだけど、認知科学の本。
こうしたら伝わるという蘊蓄より、「伝わらないのは、どうしようもないことだから」ということが強調されている。
Posted by ブクログ
自分と相手が持っている言語や文化、認知の「スキーマ」(枠組み)は異なっていると言うことを前提に生きていこう、と言うお話。
例えば「丁寧にやろう」と言う発言で、どこまでが丁寧なのか?何が丁寧の定義なのか?曖昧さがあることはもちろん、人によって認識にばらつきが出るのは当然。家族でも認識が異なっており時たまアンジャッシュのコントのようなすれ違いが起きたり、重大なコミュニケーションエラーがおきるのだから、いわんや職場でをや。
マニュアルからは一切の曖昧さを排除すべきだし、指示を出す時は「これくらいわかるだろう」を取っ払って発信しなければならない。
また、専門性があるがゆえに発信できる内容が異なってくると言う尾身会長のエピソードもなかなか面白かった。確かに経済のプロ、感染症のプロ、政治のプロと色んな立場があって、責任を持って発信できる内容と「発信すべき」内容はそれぞれ異なっている。これらを調整していた当時の厚労大臣の加藤さんは大変な心労だったろう…
語り口調が優しいので、サクサク1時間くらいで読めます。
様々なバイアスが紹介されていたが中でも「信念バイアス」には大きく頷けた。
ネトウヨの両親を持つが、彼らにどんな反論をしたところで信念を曲げることはないし、信念を相手にも押し付けようとしてくる。こういった手合いと議論することはそもそも無駄なのだとよく分かった笑
色々あるけれど、相手の立場になって聴く・伝える、が結局大切ってこと。
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コミュニケーションの齟齬が生まれる原因を正しく理解することを促す本。
人は事実を自分のスキーマ(枠組み)を通して認識することから、自分にとっての重要性と相手にとっての重要性が異なることや、印象が変わることが起きるのは当然である。
また、記憶を保持するためにも忘れることや、無意識なバイアスによって判断する可能性が十分にあると正しく認識することが意思疎通をはかるうえで、大切である。
日本人のようなハイコンテキストの文化で育った者にとって、他国に居住した際、どこまでが共有すべきコンテキストなのか(相手と比べてコンテキストの認識が違うのか)は分かりにくく、それによって意思疎通に齟齬が生まれることがある。それだけではなく、上記のようにそもそも人間は自分のスキーマを通じて事実を認識する上で違いがあることは当然であると理解した上でコミュニケーションを取ることが必要だと教えてくれる。
Posted by ブクログ
職場に何回説明しても噛み合わない人がいて読んでみた。まさに、だった。
ものすごく簡単にまとめると「人それぞれモノの捉え方(スキーマ)は違うから相手の立場に立って考えよう」ってことなんだけど、その困った職場の人は自分のスキーマしか見えていないのだ。
こちらも相手の立場や前提知識、常識、大事にしているものを想像して歩み寄った説明をすることが必要だが、頭の中を丸っと見れるわけではないので、完璧にすることは難しい。説明される側にも人それぞれモノの捉え方が違うということを知ってもらいお互いが歩み寄り合うことが、この問題には必要だと非常に感じた。
その他にも、記憶やバイアスなど認識が人によってズレてしまう原因など専門的な事柄について、初心者にも非常に分かりやすく書かれているので、「なんでアイツはいくら言っても通じないんだ?」と感じている人は読んでみると原因が解明されてスッキリするかも。性格が悪いんじゃなくて、認知の仕方がズレていると分かれば腹立たしさも少しはマシになりますしね。
そこから本当に解決に向かうのは中々骨が折れそうだけれど…
Posted by ブクログ
分かりやすい 『メタ認知』=自分自身の意志決定を客観視すること
典型的なものがテストの見直し。子ども、特に幼い子どもからすれば、「自分の思考の過程や、出した答えを振り返る」というのは、自然にできることではない。
これ結構重要じゃない?なぜ見直しが必要なのか、それを理解してしっかり見直しをする習慣をつけて大人になっていけばよいのではないか。
合わせて、自分はもう大人だけど、読み終わった本をレビューを書くために改めて振り返るのもすごくいい作業のような気がしてきた。
Posted by ブクログ
認知科学、言語の心理学の著者が、コミュニケーションの齟齬が起きる理由、言ったつもり、聞いたつもりで、理解していない、されない理由を、誰しもが持っている思い込みやバイアスといったものを解説しながら、主にビジネスパーソン向けに書いたもの。
言語学とかに興味があると著者はとても有名な人で、よく岩波新書とかで名前を見る気がするし、昔おれが生成文法とか勉強したりしてたので、なんか前から名前見たことある人だったけど、著作を読んだのは初めてだった。
それこそ伝わりにくさ、コミュニケーションについて説いている本なので、この本が読みにくいというはずはなく、それこそ著者が読者を想定しながら易しく、かつ本書でも述べられているように具体と抽象を行き来しつつ述べられている。とても読みやすいので、読むのも時間がかからず読める。でも結論は、「人はそれぞれに考え方が違うし、人間特有の認知のエラーもあるから、説明したから分かるということにはならないし、相手を責めるわけにもいかないということをまず理解しましょう」ということだと思う。だから、どこかにも書いてあったが、こうすればいい、みたいな安易なハウツー本でもなく、人間の認知の性質を分かりやすく一般向けに説明した本、という感じ。おまけとして、「生成AIは人の直観を育てない」という話が挟まる。
あとは気になったところのメモ。おれは英語の教員なので、それこそ何度教えても伝わらない、出来ないというのは山ほど経験しているが、それにしても本当におれが中高生だった頃だったらもうちょっと出来ないヤツでも出来た気がするけど、と常に思っている(のだけど、これもバイアスなのだろう)。でも最近本当にその傾向が強いと思ってしまっているが、平面図形を教えるという話のところで、「あることを覚え、使おうとする強い意志がない限りは、教えられてもなかなか記憶には残りません。自分にとって重要でない物事が記憶に残らないのは当然です」(p.41)という、もちろん当たり前なのだけど、でもスマホとゲームと生成AIで面白くて便利なコンテンツが昔より溢れている今の時代、相対的に学問に興味を持ちにくい環境なのではないかと思う。まして英語なんて生成AIでいくらでも翻訳してくれるし、なおさら面倒な英語をやる重要性、って昔より感じにくいのではないだろうか。とすれば、英語を教えるというのは昔より遥かにチャレンジングなことなんじゃないか、と思う。あとは記憶や認知の歪みについて。「銃口をつきつけられたとき、人は、銃を凝視することがわかっています。それも、犯人の顔はいっさい記憶に残らないくらい、銃だけをひたすら見続ける」(p.54)ということで、だから犯人の顔は記憶に全然残らない、というのはすごい理解できた。他にも認知の歪みを引き起こす現象として、「エコーチェンバー現象」というのがあるらしく、「SNSなどで同じような意見を見聞きすることで、自分の意見や思い込みが強化される」(p.99)、つまり「さまざまな情報の中から、自分に都合のいいものだけを無意識にピックアップして、それがすべてだと思い込んでしまう」(p.100)ような現象のこと。じゃあ、これは危険だからもっといろんなことを相対化しないといけません、と教養ある感じのことを言ったとしても、そこには「相対主義の認知バイアス」というものがあって、「相対主義の考え方を突き詰めると、独裁者の存在や戦争も、『それなりに理由がある』として受け入れることになってしまうことになりかねません。自分にとっても、社会にとっても非常に重要な課題に対してこのようなアプローチを取ると、『多様性の中でどれが合理的か』と考えることを放棄してしまう」(p.163)ということで、「一見理にかなっているように見える相対主義的な言説を披露する人はけっこういます。このような相対主義の罠には気をつけなければなりません」(同)ということも考えないといけないので、やっぱりそんな単純なことではない、ということが分かる。あとは自分の考え方のスキームというのがあって、これに縛られるので、あとは聞く耳を持たない、というのも、コミュニケーションの基本だなと思った。似たようなやつで「英語学習のビリーフ」というのがあるけど、ここでは「神聖な価値観」として説明されている。さらに「『神聖な価値観』による物事の単純化を、私たちは日常生活の中で、頻繁に、無自覚に行なっています」(p.141)というのも、何というか、興味深い。だから話は通じない。要するに色々理屈をつけたとしても、最終的には「好き嫌いの話」として、おれは諦めることもよくあるんだけど。でもこの感情に合理性を見出している養老孟司の話(pp.193-4)も面白いと思った。
あとおまけで時々出てくる生成AI、Chat GPT関連の話は、やっぱり自分も生徒も周りの人もいっぱい使っているから、いくら当たり前のことだと思ってもやっぱり興味を持って読んでしまう。「Sさんはクライアントから委託を受けて特許や商標登録を国内・海外に出願する業務をしていますが、最近、クライアントから法的に間違った主張を堂々とされることが増えた」(p.64)ということで、「生成AIの返事の『もっともらしさ』」(p.65)に騙される、「『言い切った者勝ち』のような現象」(同)って本当に恐ろしい。これが罷り通るなら、生成AIに支配される世の中、というのはSFじゃなくなってくる。そしてこの裏にあるのが、「流暢性バイアス」。「誰かがスムーズにわかりやすく説明をしていると、その内容を信じやすくなる」(p.165)ということで、テレビショッピングとか、これもあるんじゃないかな、と思う。確かにChat GPTって何でもスラスラ答えてくれるよな。おれなんかは、授業ではとにかく流れるようにテンポよくやってナンボ、という面もあると思っているんだけど、おれ自身の流暢性バイアスをおれが活かした結果、ということになるのかも。「相手が流暢に話していると、内容が薄くても、ときには間違っていても、信用してしまうというバイアス」(p.296)ということで、おれの汚い考えでは、教員もとりあえずスラスラベラベラ喋ったらある程度「良い授業」として認識されやすいということだよな、とか思った。あと関係ないけど、p.223に分数の大小比較がChat GPTは2023年の時点では出来ない、って書いてあったから、Chat GPTに聞いてみたら、そんなことはなかった。今はできるらしい。
ということで、読みやすいビジネス本にもなりうる本で、認知のバイアスについて自覚されてくれる良い本だと思う。でもやっぱり結局相手の気持ちに立って、あるいは自分の気持ちをもっと相対化して相手と接するしかない、という、コミュニケーションの達人と言われる人はものすごい高度な能力を持っているんだな、と思った。でもたぶん、こういうことに加えて非言語コミュニケーションの力も大いにあると思うので、とにかくコミュニケーションが総合的に難しく、その中でおれは何が出来るんだろう、何が苦手なんだろう、ということを自覚することが出来た。(25/08/22)
Posted by ブクログ
なんというか、いろいろとショックでした。
先ずもって、『話せばわかる』は幻想、と、私の思い込みを一刀両断(泣)。
氏によると、(完全なる不可知論とまではいいませんが)人間は違った「スキーマ」(思考システムのようなもの)を持っており、そもそもが話をしても伝わっているのかどうは分からない、と。違う色メガネをそれぞれかけて同じものについて語るようなイメージでしょうか。
例えば、外国語というのはまさに全く異なったスキーマであり、当然日本人は外国人と素では会話はできない。あるいは世代間ギャップなんて言いますが、同じ日本人でも話がかみ合わない。あるいは男子と女子でも話がかみ合わないことがある。これらはすべて「スキーマ」の違い、ということができる。
・・・
もう、粗々に結論をまとめると、コミュニケーションにおいて必勝法はなく、手探りで工夫と努力を重ねるしかない、と。
スキーマがキーなので、相手の立場(スキーマ)に配慮して話す、また相手にも我々(ないしカウンターパート)の立場(スキーマ)に立って話してもらう、とのことでした。
なお、外国で働いたことのある方の経験談として、間違えようのない明確・明白なマニュアル(やチェックシート・手順書)を用意する、というのがありました(移民が多くて多様なレベルの方が職場にいらっしゃったら確かにそうですね)。まあそうですけど。。。
・・・
でまあ、これを読んで、仕事そっちのけで自分のプライベートで頭くらくら。
うちは国際結婚、家庭内言語は日本語です。
まあ、家内の日本語はうまくないし、外国在住でどんどん劣化していきます。うすうす分かってはいましたが、一生理解しあえないかもしれない、というのを専門家から言われ改めてガーン、と。
多分風邪だろうなと、ごまかしながら頑張ってきたけど、熱を測ったらやっぱり風邪だった。それが分かったらもう頑張る気が失せた、みたいな。
ただ、これは言語もさることながら、個々人でスキーマが違うというのだから、正確には言語の違いによらないはず。言語の違いは一番分かりやすい例ですがね。
家内とは知り合ってもう30年も経とうというのに、やっぱり日々ぶつかることがあり、これが今後一生続くと思うと、昔流にいうとorz。
逆に、未だにこじれた母親との関係も、スキーマの違いに私は全く配慮しなかったと考えればこれもまた納得。
・・・
あと、絶賛くすぶり中の部下。
彼女とは、これまで禅問答のような会話ばっかりして、結果として結構イジメてしまいました。
私も同じ局面を経験し苦しかったのですが、その苦しみの先に「悟り」ではないですが、やっぱり経験と思考・試行を経て分かったものをメンターに与えて貰えたと今でも感じるのです。私も彼女には「悟」ってほしい。故の、考えてほしいがための禅問答。
でも、本作のミスコニュニケーションへの回答の一例は「明白なマニュアル」。
そうかあ…。
・・・
先ずもって、そういうものを作る手間。めんどくさ、と、ため息がとまりません。
また、部下さんの考えないで指示に従えばOKというメンタリティが気に食わないのですが、これだと一生彼女の成長が見込めません。
スキーマの違いを克服するために、敢えて成長を促さない(けど意味が通じる)やりかたをするべきなのか。
確かにそれも考えていました。もっとプロセスを細分化して、明確な手順を設定し、考えなくてもミスしない。そういう方法。
ただ、これだと「何故手順が変わったか」「イレギュラー事項の意味合いは?」みたいなものに極端に弱くなります。そしてきっと、仕事は断然詰まらなくなると想像しています。
それとも、言われたことをやるだけの詰まらない立場に追い込み、奮起を促すとか?
もう、どうすればいいんだよー。
・・・
とういことで、認知心理学ついての今井氏の著作でした。
科学的知見の最前線の内容を当然のごとく提示されたのですが、救いを求めていた私は、その結論に失望を隠せませんでした。
同じような不可知論的な議論をウイトゲンシュタインやフッサールがやっていたと思いますが、哲学者は「分かり合える」希望・理論を捨てていないようにも見えました。科学は厳然としておりますね。とほほ。
あと、家族なら、それでも頑張って分かり合いたい。会社だけの関係でどこまで力を尽くすべきか、悩ましいところです。
Posted by ブクログ
とても学ぶことも多かった
そうしているつもりがなくてもなってしまっていることがあるんだろうなあって反省することもあったり…
ただ、色々得るものはあったし実践できることもあったのだけど、結局こう、気がついた側だけが改善の余地があって、問題となっている人も自分を変えないと成り立たないこともあるのでは?と思ってしまった
双方か相手の立場に立てないと進まないこともあるのかなあ、と。
現に職場ではこちらが譲歩したらしただけ相手は我儘になってる…
相手の成長とか、気遣いとか、一方的じゃとうしようもないこともあるんよなあってただ思う。
Posted by ブクログ
認知科学の観点から、自分と他者との物事の捉え方や考え方の違い、意思疎通の難しさについて書かれていた。
基本的に人は理解し合えない。
そのことを前提に関わらないといけない。
内容としては面白さもありいろいろ考えさせられた。
いろんな側面から『何回説明しても伝わらない』はなぜ起こるのか?について書かれていたのだと思う。
が、タイトルから想像していた内容とは違ったため星3。
Posted by ブクログ
何故相手に伝わらないかを説明している本。
凄く整理されている本だとは思うが、自分にとってはあまり新しい情報が少なかった。
基本的にスキーマが違うから伝わらない、だからそれを整えるためにどうするかという話。
人は見たいものしか認知できないのと同じかな。
相手の立場にどう立ち想像するか、それに基づいて攻略する必要があると。
Posted by ブクログ
・理由を添えることで相手の納得を得られやすくする
・相手の感情に寄り添う
・具体と抽象を行き来する
・コントロールせずに相手を動かすには
関係性を築く、相手の成長を意識する
Posted by ブクログ
話し手と聞き手は、それぞれ異なる**常識や思考の枠組み(フレームワーク)を持っているため、コミュニケーションの際に「わかりづらさ」**が生じる。
このギャップを埋めるためには、双方の歩み寄りが必要となる。
• 話し手:聞き手がどのように内容を理解するかをシミュレーションしながら話す必要がある。
• 聞き手:話し手の意図を汲み取る努力をすることで、コミュニケーションの行き違いを防ぐことができる。
Posted by ブクログ
今井先生の本や認知科学の本を読んだことがない方、「スキーマ」という言葉を聞いたことがない方にオススメ。
言語コミュニケーションですれ違いがなぜ起こるのか、その理由を認知科学の専門家がこれ以上なく平易な言葉で説明してくれる。
「相手の立場に立って考えよう」と子供の頃からよく言われたが、それは倫理や優しさの問題じゃなくて、異なるスキーマを持つ相手とコミュニケーションするために必要だからなんだな。
生成AIと、人間の「流暢性バイアス」が、僕たちから「生き生きとした直感」を奪う説は、リアリティがあって怖い。
タイトル最高。
Posted by ブクログ
「同じものを見たり聞いたりしても、誰もが同じような理解をするわけではない」。なぜなら、思考において無意識に使われる枠組み=スキーマは、それを形成する学びや経験、育ってきた環境、興味関心が1人ひとり皆異なるから。
全体的に斬新な感じはなく、そうそうという納得感。
元より、仕事でコミュニケーションを取るにあたり、相手は伝えたい事の半分も分かってない、と思ってこちらは対応すべきとはこれまでも考えてたし、会社でさんざん言われたのは「コミュニケーションの問題は伝える側の責任」という事。相手が理解納得して行動して貰える迄伝える側が確認対応すべき、という事だった。
直感に基づく判断に救われた事例でハドソン湾の奇跡や羽田空港の奇跡(JAL機と自衛隊機接触事故でのJAL機乗員乗客全員脱出)が出され、そこで「達人の直観」を育てるのは「長期間に及ぶ『真剣で工夫を凝らした訓練』で、ここは生成AIには代替出来ない、との説明にはどこか安心した。
外国人との共生社会において、「代表性バイアス」「過剰一般化」は要注意だ。
Posted by ブクログ
例に出てきている記憶の中の犯人は、まったく別人というのに驚いた。
人間の記憶って簡単に変わってしまう。
けれど、それがあたかも正しいと感じてしまう。
本当に恐ろしいと思った、
また、言葉として伝えられたことでも
一人一人の映像としての捉えが異なることによって
伝わらないということが起こり得ると思った
こう言ってるんだから伝わって当たり前だよね
っていう自分の考えの押し付けにならないように
違う捉えもあるかもしれないと考えられるようにしたいと思った。
Posted by ブクログ
なんか当たり前のことを、いかにも、って感じで書いてある。いろんなバイアスがあるので、気をつけましょう。って感じ。正解がある話ではないから、こういう書き方しかできないっていうことかもしれない。いろんなケースを知っておくことは役には立つ。