あらすじ
『言語の本質』(中公新書)で
「新書大賞2024」大賞を受賞した
今井むつみ氏の書き下ろし最新刊!
間違っているのは、
「言い方」ではなく「心の読み方」
ビジネスで 学校で 家庭で ……
「うまく伝わらない」という悩みの多くは、
「言い方を工夫しましょう」「言い換えてみましょう」
「わかってもらえるまで何度も繰り返し説明しましょう」では解決しません。
人は、自分の都合がいいように、いかようにも誤解する生き物です。
では、都合よく誤解されないためにどうするか?
自分の考えを“正しく伝える”方法は?
「伝えること」「わかり合うこと」を真面目に考え、
実践したい人のための1冊です。
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Posted by ブクログ
認知科学、言語の心理学の著者が、コミュニケーションの齟齬が起きる理由、言ったつもり、聞いたつもりで、理解していない、されない理由を、誰しもが持っている思い込みやバイアスといったものを解説しながら、主にビジネスパーソン向けに書いたもの。
言語学とかに興味があると著者はとても有名な人で、よく岩波新書とかで名前を見る気がするし、昔おれが生成文法とか勉強したりしてたので、なんか前から名前見たことある人だったけど、著作を読んだのは初めてだった。
それこそ伝わりにくさ、コミュニケーションについて説いている本なので、この本が読みにくいというはずはなく、それこそ著者が読者を想定しながら易しく、かつ本書でも述べられているように具体と抽象を行き来しつつ述べられている。とても読みやすいので、読むのも時間がかからず読める。でも結論は、「人はそれぞれに考え方が違うし、人間特有の認知のエラーもあるから、説明したから分かるということにはならないし、相手を責めるわけにもいかないということをまず理解しましょう」ということだと思う。だから、どこかにも書いてあったが、こうすればいい、みたいな安易なハウツー本でもなく、人間の認知の性質を分かりやすく一般向けに説明した本、という感じ。おまけとして、「生成AIは人の直観を育てない」という話が挟まる。
あとは気になったところのメモ。おれは英語の教員なので、それこそ何度教えても伝わらない、出来ないというのは山ほど経験しているが、それにしても本当におれが中高生だった頃だったらもうちょっと出来ないヤツでも出来た気がするけど、と常に思っている(のだけど、これもバイアスなのだろう)。でも最近本当にその傾向が強いと思ってしまっているが、平面図形を教えるという話のところで、「あることを覚え、使おうとする強い意志がない限りは、教えられてもなかなか記憶には残りません。自分にとって重要でない物事が記憶に残らないのは当然です」(p.41)という、もちろん当たり前なのだけど、でもスマホとゲームと生成AIで面白くて便利なコンテンツが昔より溢れている今の時代、相対的に学問に興味を持ちにくい環境なのではないかと思う。まして英語なんて生成AIでいくらでも翻訳してくれるし、なおさら面倒な英語をやる重要性、って昔より感じにくいのではないだろうか。とすれば、英語を教えるというのは昔より遥かにチャレンジングなことなんじゃないか、と思う。あとは記憶や認知の歪みについて。「銃口をつきつけられたとき、人は、銃を凝視することがわかっています。それも、犯人の顔はいっさい記憶に残らないくらい、銃だけをひたすら見続ける」(p.54)ということで、だから犯人の顔は記憶に全然残らない、というのはすごい理解できた。他にも認知の歪みを引き起こす現象として、「エコーチェンバー現象」というのがあるらしく、「SNSなどで同じような意見を見聞きすることで、自分の意見や思い込みが強化される」(p.99)、つまり「さまざまな情報の中から、自分に都合のいいものだけを無意識にピックアップして、それがすべてだと思い込んでしまう」(p.100)ような現象のこと。じゃあ、これは危険だからもっといろんなことを相対化しないといけません、と教養ある感じのことを言ったとしても、そこには「相対主義の認知バイアス」というものがあって、「相対主義の考え方を突き詰めると、独裁者の存在や戦争も、『それなりに理由がある』として受け入れることになってしまうことになりかねません。自分にとっても、社会にとっても非常に重要な課題に対してこのようなアプローチを取ると、『多様性の中でどれが合理的か』と考えることを放棄してしまう」(p.163)ということで、「一見理にかなっているように見える相対主義的な言説を披露する人はけっこういます。このような相対主義の罠には気をつけなければなりません」(同)ということも考えないといけないので、やっぱりそんな単純なことではない、ということが分かる。あとは自分の考え方のスキームというのがあって、これに縛られるので、あとは聞く耳を持たない、というのも、コミュニケーションの基本だなと思った。似たようなやつで「英語学習のビリーフ」というのがあるけど、ここでは「神聖な価値観」として説明されている。さらに「『神聖な価値観』による物事の単純化を、私たちは日常生活の中で、頻繁に、無自覚に行なっています」(p.141)というのも、何というか、興味深い。だから話は通じない。要するに色々理屈をつけたとしても、最終的には「好き嫌いの話」として、おれは諦めることもよくあるんだけど。でもこの感情に合理性を見出している養老孟司の話(pp.193-4)も面白いと思った。
あとおまけで時々出てくる生成AI、Chat GPT関連の話は、やっぱり自分も生徒も周りの人もいっぱい使っているから、いくら当たり前のことだと思ってもやっぱり興味を持って読んでしまう。「Sさんはクライアントから委託を受けて特許や商標登録を国内・海外に出願する業務をしていますが、最近、クライアントから法的に間違った主張を堂々とされることが増えた」(p.64)ということで、「生成AIの返事の『もっともらしさ』」(p.65)に騙される、「『言い切った者勝ち』のような現象」(同)って本当に恐ろしい。これが罷り通るなら、生成AIに支配される世の中、というのはSFじゃなくなってくる。そしてこの裏にあるのが、「流暢性バイアス」。「誰かがスムーズにわかりやすく説明をしていると、その内容を信じやすくなる」(p.165)ということで、テレビショッピングとか、これもあるんじゃないかな、と思う。確かにChat GPTって何でもスラスラ答えてくれるよな。おれなんかは、授業ではとにかく流れるようにテンポよくやってナンボ、という面もあると思っているんだけど、おれ自身の流暢性バイアスをおれが活かした結果、ということになるのかも。「相手が流暢に話していると、内容が薄くても、ときには間違っていても、信用してしまうというバイアス」(p.296)ということで、おれの汚い考えでは、教員もとりあえずスラスラベラベラ喋ったらある程度「良い授業」として認識されやすいということだよな、とか思った。あと関係ないけど、p.223に分数の大小比較がChat GPTは2023年の時点では出来ない、って書いてあったから、Chat GPTに聞いてみたら、そんなことはなかった。今はできるらしい。
ということで、読みやすいビジネス本にもなりうる本で、認知のバイアスについて自覚されてくれる良い本だと思う。でもやっぱり結局相手の気持ちに立って、あるいは自分の気持ちをもっと相対化して相手と接するしかない、という、コミュニケーションの達人と言われる人はものすごい高度な能力を持っているんだな、と思った。でもたぶん、こういうことに加えて非言語コミュニケーションの力も大いにあると思うので、とにかくコミュニケーションが総合的に難しく、その中でおれは何が出来るんだろう、何が苦手なんだろう、ということを自覚することが出来た。(25/08/22)
Posted by ブクログ
なんというか、いろいろとショックでした。
先ずもって、『話せばわかる』は幻想、と、私の思い込みを一刀両断(泣)。
氏によると、(完全なる不可知論とまではいいませんが)人間は違った「スキーマ」(思考システムのようなもの)を持っており、そもそもが話をしても伝わっているのかどうは分からない、と。違う色メガネをそれぞれかけて同じものについて語るようなイメージでしょうか。
例えば、外国語というのはまさに全く異なったスキーマであり、当然日本人は外国人と素では会話はできない。あるいは世代間ギャップなんて言いますが、同じ日本人でも話がかみ合わない。あるいは男子と女子でも話がかみ合わないことがある。これらはすべて「スキーマ」の違い、ということができる。
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もう、粗々に結論をまとめると、コミュニケーションにおいて必勝法はなく、手探りで工夫と努力を重ねるしかない、と。
スキーマがキーなので、相手の立場(スキーマ)に配慮して話す、また相手にも我々(ないしカウンターパート)の立場(スキーマ)に立って話してもらう、とのことでした。
なお、外国で働いたことのある方の経験談として、間違えようのない明確・明白なマニュアル(やチェックシート・手順書)を用意する、というのがありました(移民が多くて多様なレベルの方が職場にいらっしゃったら確かにそうですね)。まあそうですけど。。。
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でまあ、これを読んで、仕事そっちのけで自分のプライベートで頭くらくら。
うちは国際結婚、家庭内言語は日本語です。
まあ、家内の日本語はうまくないし、外国在住でどんどん劣化していきます。うすうす分かってはいましたが、一生理解しあえないかもしれない、というのを専門家から言われ改めてガーン、と。
多分風邪だろうなと、ごまかしながら頑張ってきたけど、熱を測ったらやっぱり風邪だった。それが分かったらもう頑張る気が失せた、みたいな。
ただ、これは言語もさることながら、個々人でスキーマが違うというのだから、正確には言語の違いによらないはず。言語の違いは一番分かりやすい例ですがね。
家内とは知り合ってもう30年も経とうというのに、やっぱり日々ぶつかることがあり、これが今後一生続くと思うと、昔流にいうとorz。
逆に、未だにこじれた母親との関係も、スキーマの違いに私は全く配慮しなかったと考えればこれもまた納得。
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あと、絶賛くすぶり中の部下。
彼女とは、これまで禅問答のような会話ばっかりして、結果として結構イジメてしまいました。
私も同じ局面を経験し苦しかったのですが、その苦しみの先に「悟り」ではないですが、やっぱり経験と思考・試行を経て分かったものをメンターに与えて貰えたと今でも感じるのです。私も彼女には「悟」ってほしい。故の、考えてほしいがための禅問答。
でも、本作のミスコニュニケーションへの回答の一例は「明白なマニュアル」。
そうかあ…。
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先ずもって、そういうものを作る手間。めんどくさ、と、ため息がとまりません。
また、部下さんの考えないで指示に従えばOKというメンタリティが気に食わないのですが、これだと一生彼女の成長が見込めません。
スキーマの違いを克服するために、敢えて成長を促さない(けど意味が通じる)やりかたをするべきなのか。
確かにそれも考えていました。もっとプロセスを細分化して、明確な手順を設定し、考えなくてもミスしない。そういう方法。
ただ、これだと「何故手順が変わったか」「イレギュラー事項の意味合いは?」みたいなものに極端に弱くなります。そしてきっと、仕事は断然詰まらなくなると想像しています。
それとも、言われたことをやるだけの詰まらない立場に追い込み、奮起を促すとか?
もう、どうすればいいんだよー。
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とういことで、認知心理学ついての今井氏の著作でした。
科学的知見の最前線の内容を当然のごとく提示されたのですが、救いを求めていた私は、その結論に失望を隠せませんでした。
同じような不可知論的な議論をウイトゲンシュタインやフッサールがやっていたと思いますが、哲学者は「分かり合える」希望・理論を捨てていないようにも見えました。科学は厳然としておりますね。とほほ。
あと、家族なら、それでも頑張って分かり合いたい。会社だけの関係でどこまで力を尽くすべきか、悩ましいところです。
Posted by ブクログ
とても学ぶことも多かった
そうしているつもりがなくてもなってしまっていることがあるんだろうなあって反省することもあったり…
ただ、色々得るものはあったし実践できることもあったのだけど、結局こう、気がついた側だけが改善の余地があって、問題となっている人も自分を変えないと成り立たないこともあるのでは?と思ってしまった
双方か相手の立場に立てないと進まないこともあるのかなあ、と。
現に職場ではこちらが譲歩したらしただけ相手は我儘になってる…
相手の成長とか、気遣いとか、一方的じゃとうしようもないこともあるんよなあってただ思う。
Posted by ブクログ
・理由を添えることで相手の納得を得られやすくする
・相手の感情に寄り添う
・具体と抽象を行き来する
・コントロールせずに相手を動かすには
関係性を築く、相手の成長を意識する