佐々木敦のレビュー一覧
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佐々木敦の本をまとめて読んでみることにした第一弾。
彼は音楽批評・文芸批評・演劇批評をする人、というイメージがあったため、「ニッポンの思想」というタイトルに思わずみじろぎしてしまった。
しかし、ふと考えれば東浩紀の批評学校にも講師として参加しているわけだし、そもそも批評は文芸誌がルーツであるらしいし、親しいのも当たり前なのですね。
ニューアカ世代の親を持つ自分としては、読んだことは無いけど本棚にある浅田彰から、宮台真司、東浩紀まで一体日本の批評がどのような流れ、対立構造等で成立してきたのか、読みやすい文章で書かれているので面白く読んだ。勿論、思想の解説本ではないので、いちいちデてくる用語の -
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プロローグの6ページ目に突如登場する「東浩紀もの」(厳密に言えば5ページ目のゼロアカが東浩紀を暗示しているが)から、 ニューアカ、蓮實と柄谷、福田/大塚/宮台、途中に村上隆や大塚英志を挟みながらその全てがゼロ年代一人勝ちの東浩紀に繋がるという佐々木敦の東浩紀好き好き本。「東浩紀もの」の言説を追うにはよいし、視点設定はとても面白いけど、日本の思想史なら仲正昌樹の方が良い。
終章、「東浩紀はメタのふりをしたネタのふりをしたベタ」という指摘、いい歳したオタクを拗らせたオッさんがマジになって社会を語るナイーヴな振る舞いは、『存在論的、郵便的』で指摘したパフォーマンスに自然と接続される。 -
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1960年代末から現在に至るまでのJポップの大きな潮流を語った本です。ただしとりあげられているアーティストは、はっぴいえんど、YMO、シブヤ系と小室系、中田ヤスタカと非常に限られており、著者自身の観点からJポップの大きな流れをえがきだすことがめざされています。
選択が偏っているという印象もたしかにあるのですが、Jポップの半世紀近くの歴史を現在から振り返ってそこに大きな流れのようなものを見いだそうとしたとき、著者の選択もまったく恣意的なものとはいえないのではないか、という気もします。ただ、ハロプロやPerfumeはむろん「ニッポンの音楽」であるとはいえ、アイドル史の観点から考察するべき対象で、 -
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『邦楽』から『Jポップ』へといつの間にか名前を変えたニッポンの音楽について、Jポップが生まれ落ちたメルクマールを軸にそれ以前と以後に分けて45年間を通覧するという本である。
その手法として本書では45年間にわたる国内の音楽史を紐解くという通史的な手法は取っていない。
主に60年代末から70年代。70年代末から80年代。80年代末から90年代。90年代末からゼロ年代、そしてテン年代とされる現在まで、それぞれの10年間(ディケイド)において、『ニッポンの音楽』に少なからぬ影響を与えたであろう『主人公の物語』として、各年代における『ニッポンの音楽』の在り様、変容を通覧するという作りとなっている。
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私が投稿した論文が返却されてきていろんな要求があるなか,それの対応としてふと思いついて購入した本。著者の佐々木 敦氏は音楽批評家で以前から名前は知っていたし,講談社現代新書として出版された本書のことも知っていた。
そんなことで,初めて佐々木 敦氏の著作を読んだわけだが,期待した以上の得るものがあった読書だった。
プロローグ 「ゼロ年代の思想」の風景
第一章 「ニューアカ」とは何だったのか?
第二章 浅田彰と中沢新一――「差異化」の果て
第三章 蓮實重彦と柄谷行人――「テクスト」と「作品」
第四章 「ポストモダン」という「問題」
第五章 「九○年代」の三人――福田和也,大塚英志,宮台真司
第六 -
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J-POPの歴史についての本。
はっぴぃえんど/YMOの細野晴臣がいて、小沢健二や小山田圭吾など渋谷系がいて、小室が新時代を作り、ナカタヤスタカがまた新しい時代を作った。
特に渋谷系のあたりと、自分がリアルタイムで聴いていた小室時代以降は面白かった。
渋谷系のサウンドを掘ってみたい。
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memo
119
音楽的な影響は日本ではそれほど大きくなかった。キャラクターで売れてくる国だな、と言う感想持ったことがありますね。(YMO 細野晴臣)
168
二人(小山田圭吾と小沢健二)が音楽性とはまた別の次元で魅力的な「キャラクター」を持っていなかったら、おそらくあれほど売れる事はなかった -
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それぞれに主人公をたてて、1970年代から2000年代以降までのJポップを解き明かす、という発想とテーマはすごく面白いと思いました。
内容も、かなり駆け足での解説にはなっているものの、年代ごとのアーティストたちの動向をさらって考察するスタイルで読みやすかったです。
「です」「ます」調の丁寧な文章も、好感を持てました。
ただ、詳しく掘り下げて知りたい部分なのに、文章が足りなかったり、ニュアンスしか書かれていなかったりすることがいくつもありました。
特に、本を通して重要なファクターである「内」と「外」の部分は、感覚的な話でありながらひねりが入った解釈になっているので少しわかりずらく、もう少し丁寧 -
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1980年代からゼロ年代までの、日本の現代思想を分かりやすく整理した本です。
「ニュー・アカデミズム」と呼ばれた、浅田彰と中沢新一の活躍から説き起こし、理論的な補強をおこなった蓮實重彦と柄谷行人、90年代をリードした福田和也、大塚英志、宮台真司、そしてゼロ年代に「一人勝ち」を収めた東浩紀の仕事を総覧しています。
現代思想の担い手たちを、「思想市場」におけるパフォーマティヴな振舞いという面から、次々と主役が交代する一幕の劇のように描き出しており、たいへん分かりやすいのですが、同時にそうした現代思想という「場」に対するある程度の批評性も担保されているように思います。
著者は、思想と呼ばれる営 -
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平坂書房で購入する。読みやすい本でした。登場人物を絞ったことは、いいことです。前半の主人公は、浅田、中沢、柄谷、蓮実の4人です。後半の主人公は、福田、宮台、大塚、東の4人です。そんなに間違った人選ではないと思います。1980年代前半、浅田彰ブームがありました。僕のような思想に無縁な者ですら、その名前を知っていました。残念ながら、その本を読むことはありませんでした。別に、今も、昔も、分かりもしない難しい本を読むのは嫌いではありません。にもかかわらずです。正直、理由は分かりません。この本も、多くの読者がつくような本ではないと指摘しています。基本的に、読むことではなく、購入するだけで、多くの読者の知
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これはすべて「文学」の話でもあったのではないか……という話とは別に、「批評時空間」を続けながら、いま自分が書いているものが、限りなく一種の「フィクション=虚構」に近づいている、ほとんど「小説」に似たものになつつある、そう感じる瞬間が何度かあった。勘違いかもしれないし、そんな感触が他者にとって意味があるのかどうかもよくわからない。だがひとつ言えるのは、批評は表現ではないが創造ではあり得るということは、批評が批評のままで一編の虚構としても成立し得るということ、それが批評でありながら同時に小説のようなものとしても読まれ得るということ、そう出来なくて、それぐらいできなくて、どこが批評か、ということだ。
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[ 内容 ]
クラインの壺、脱領土化、天皇論、「悪い場所」論、物語消費、郵便的、動物化―この30年の論壇を読み直す試み。
[ 目次 ]
プロローグ 「ゼロ年代の思想」の風景
第1章 「ニューアカ」とは何だったのか?
第2章 浅田彰と中沢新一―「差異化」の果て
第3章 蓮實重彦と柄谷行人―「テクスト」と「作品」
第4章 「ポストモダン」という「問題」
第5章 「九〇年代」の三人―福田和也、大塚英志、宮台真司
第6章 ニッポンという「悪い場所」
第7章 東浩紀の登場
第8章 「動物化」する「ゼロ年代」
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
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80年代の浅田彰から0年代の東浩紀までの日本の思想シーンを紹介。主な登場人物を極限まで絞り込んだせいで、相当おおざっぱで、海外との関連もわからなくなってるけど、かわりにかなり見通しがよくなってる。たったこれだけの人物で、ここ30年の思想の流れが何となくわか(ったような気にな)ってしまうのはすごい構成力。実はそれだけ思想ってものが限られたプレーヤーによるものだったということなんだろうか。
やはり読んでいて思ったのは、浅田彰はやっぱりスーパースターだったんだな、ということ。浅田彰の考えや立ち位置が良いのか悪いのかという判断は抜きにしても、80年代以降の思想界では別格だったことは間違いない。なにし