佐々木敦のレビュー一覧
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「批評」とは何か? : 批評家養成ギブス
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試し読み
Posted by ブクログ
カルチャー・スクール「BRAINZ」の講義録本。「批評よくわからない」というスタンスで話が進められながら、文体、価値観、引用、ジャンルの横断/通底、語彙、相対評価など、重要な要素を多く取り上げていて気付きも多かった。
批評に限らず、文系のサブカルくさい学問界隈を楽しむための訓練にもなるような気がする。批評的にモノを見るのが好きな人ならなおさら
本書を読んで「作品:批評=大作品:小作品」の関係、さらには、「ある批評とそれに対する批評の関係で、作品性が縮小していく現象とその効果」というのに注意が行って、それから頭から離れなくなってしまった。近いうちにパラパラとめくりながら思索せやう。 -
「批評」とは何か? : 批評家養成ギブス
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Posted by ブクログ
1970年代から2000年代にかけての(増補「ボーナストラック」として2010年代以降についても触れる)、日本の音楽のとある一面「Jポップ」の歴史を、特定のミュージシャンを主人公においた“物語”として書く本。1970年代は「はっぴいえんど」、1980年代は「YMO」、1990年代は“渋谷系”(「フリッパーズ・ギター」「ピチカート・ファイヴ」)と「小室哲哉」、2000年代は「中田ヤスタカ」。
日本の“ミュージック・シーン”を席巻してきた彼等を「リスナー型ミュージシャン」と特徴づける。演奏や歌唱の技術ではなく、「耳」の肥えた、膨大な音楽情報の蓄積を武器にして、海外の音楽を取り込んだり、過去の音楽を復活させたりするミュージシャンたち。
「外」(過去・海外)から「内」(今・ここ)に取り込み、「誤訳」「変容」を経て生み出されるのがニッポンの音楽の系譜だった。経済のグローバリズムやSNSの普及により、「内」と「外」の区別が無意味になっていき、この系譜は行き詰まる(2000年代をもって、Jポップの“葬送の物語”とする)。「ボーナストラック」ではJポップの“再生”を謳うも、あまり明るい未来とは見えない。
「ボーナストラック」において、この系譜を受け継ぐミュージシャンとして「『無敵』の星野源」を出してきたのは納得。むしろ、「これは今ならさしずめ星野源だな」と思いながら読んでいたくらいだ。星野源に「無敵」の形容がついている所以は、「リスナー型」のミュージシャンであると同時に、テレビドラマで主役を演じる役者でもあることに基づいている。ということは、これまでの「内」(今・ここ)-「外」(過去・海外)の区別が消えた後のJポップの活路は、「内」(音楽)×「外」(音楽以外の“ニッポン”の何か)の掛け合わせに見出されるということか? AKB48の握手券商法や、アニメ主題歌からのヒット曲量産といったことを思い浮かべて、それも妥当な線かなあ…と考えるも、この線を検討するならば、ニッポンの音楽の歴史は、1970年代からさらに遡り、加山雄三あたりから見直す必要が出てくるのでは? なんてことを思った。 -
Posted by ブクログ
諸手を挙げて飛びついた本は、私にはまだ難しかった。
哲学とロジックの宝庫。
私にとっての課題図書になりました。
✾書くことの哲学ことばの再履修
✾佐々木敦
✾講談社現代新書
“読み終えると、なぜか『書ける自分』に変わっている!”
“より自由に書くための基礎理論。”
“何度も読み返すことになるだろう。”
帯に惹かれて読んでみました。
2月中旬くらいには読み終わっていたのですが、これまた『???』と感想がかけずにいました。
いやまさに、“あなたはなぜ「書けない」のか?”状態です。(この文言、帯に書いてあるんです。)
哲学とロジックの宝庫。
情報が『密』でぎゅっとしてる。
それを理解しきれていない私。
私にとっては落とし込むのに時間と読み込みが必要なんだなと思いました。再再読して今後内容理解をしていきたいと思います。 -
Posted by ブクログ
佐々木さんのゴダール論なんて、何冊も出てると思ってましたが、これとあともう一冊ぐらいだったんですね。
最近ゴダールのドキュメンタリーでけっこういいのを見て、自分の中のゴダール観がちょっと変わったので、読んでみました。
一章のソニマージュ、ジガ・ヴェルトフ集団についての論考、解説はとても参考になりましたが、まさか二章からずっと『さらば愛の言葉よ』の小刻みな解説になるとは笑
公開当時劇場で見たきりで、しかも2D版。内容もなにも覚えていなかったのですが、ちょうどアマプラ見放題になっていたので助かりました。
佐々木さんの解説には納得できる部分もありましたが、本当に監督がそのような思考を辿ったかどうかはまあ分かりません、よね。
最終章で、自身が20代のころに書いた未完の論考を、時を隔てて続きを書くというなかなかエモいことをやっています。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ<目次>
序章 「日本/文化」の条件
第1部 日本文化はどのように輸出されてきたか
第1章 「英語」の乗り越え方~K-popは世界を目指す
第2章 日本文化と英語化~ニッポンの音楽は「世界」を目指す
第3章 ニッポン人になるか?ガイジンになるか?~XG vs Idol
第4章 「輸出可能」な日本らしさ~GAKKO!・白塗り・ノスタルジー
第5章 外から見出される「日本らしさ」~テクノ・ジャポニズム
補論 「洋楽離れ」から遠く離れて
第2部 日本文化はどう世界に根づくのか
第6章 日本文化の「あいまい」さ~川端康成 vs 大江健三郎
第7章 日本文学が海を越えるには~村上春樹がノーベル文学賞を獲る日
第8章 ローカルな普遍性はどう生まれるのか~是枝裕和と濱口竜介
第9章 ローカルから「世界」を描く~チェルフィッチュの「日本」
第10章 言語の越え方~チェルフィッチュの「日本語」
とりあえずの終章 日本文化はどこにいくのか?
<内容>
タイトルの提案よりも日本文化の分析に中心がある。「青春と読書」連載記事を加筆訂正したもの。日本文化も音楽と小説と演劇に絞っている。演劇の岡田利規の発想は気づきもしないものだった。演劇のセリフは上演される国の言語、もしくは作者の自国語(字幕で翻訳する)なのだが、それでいいのか?と言うこと。
日本という国の特殊性と汎用性。でもグローバルで考えると、どこのものがどうのこうのは関係ないような…。 -
Posted by ブクログ
色気ってのは腹が据わった覚悟の有る人間が醸し出すもんだ 知る事の、大切さも無意味さも素晴らしさも恐ろしさも全てこの作品が描いています。 娘ヨレンタがノヴァクの感情の部分に触れる唯一の存在であるのにも関わらず 以降は信念というよりは最早執着 それこそ「アポリア」(相反する二つの見解が等しく成立する場合、解決の糸口を見出せない難問)だと思うんですけど。 ある意味、完全オリジナルを作るという欲望は幻想だったり。もう流石にこの世界には蓄積が有り過ぎるから、どういう組み合わせで更に新しい事があるかなって事を皆探求していると思います。 文化は大きな川の流れであるという事を良く言っているんですけど、文章、文節ってその流れの一部でしかないですよね。 何かにグッと偏ってる 僕には山口さんの世代が、個人と世界を接続する「社会」という中間項を成立させていたように見えるんですよ。 社会性を持つには自分自身のオリジナルな状態を維持しないといけないっていう 人間は結局、回顧主義だから未来のものを懐かしく感じて、過去のものを新しく感じるようなサイクルがずっと続いていく気がする。 地動説への強い憎悪を露わにするノヴァク 自分が『チ。』の物語の悪役だったと気付くところもメタフィクション(フィクションの中のフィクション)的で面白いですよね 『バッハの旋律を夜に聴いたせいです。』という曲を作った時は、サブカルチャーとハイカルチャーを融合させて、日本の詩吟とダンスミュージックとクラシックの三角関係を曲にしようと考えたんだけど、純粋にメロディを作ったり歌詞を書いてる時は、ほぼ「無」でやっていたかも。 尖っている個性の手前にある普遍性をどれだけ腑に落とせているかで その行為を「考古学のようで楽しい」と表現していました 僕の二十代の屈辱が疼くのを感じた 感動させる作品には個々の挫折や劣等感と繋がる瞬間がある気がする 今後の僕等には『チ。』が有る。彼等は僕等が前進する意志と共に戦ってくれる。 今でも多くの国が、天体を国旗のシンボルとして採用し続けているのは、その名残だ。 宗教が信徒に求めるのは教義への「信」だが、科学に必要なのは「信」では無い。寧ろ逆である。科学が求めるのは「疑い」だ。だから『チ。』は「信念」の物語であると同時に、いや、寧ろそれ以上に、「疑念」の大切さについての物語でもある。 叶う方法を探せば道筋は立てられる 昨日礼賛されていた言葉が今日は禁句になっているような毎日なのに 私が変化したという事実からあなたは今何かを受け取ったんです γはその紙資料を所定の位置に戻すと 教会が説く善に従う事は、私達自身の生を断念し、道徳的命令に従う「畜群」として生きる事を暗に意味するからである。 重罰になる可能性をも考慮にいれて 「何故人を殺してはいけないのか」という問いに対して、それを予め封印するような動きを見せる「僧侶」達が私達の周りには今も尚存在しているからである。『チ。』は、フィクションの形をとりながら、現代人がどのような〈嘘〉に隷従を強いられているかを私達に改めて問いただすのだ。 時には手厳しい論駁等も珍しく無かった 〈真理〉は、誤りを無慈悲に宣告する。〈真理〉の正しさは、思いや努力等の人間的な事情とは関係ないところにあるからだ。 朽ちる事の無い静かな衝動を指す事を暗示している 迷いは、変化の兆しがそこにある事を意味している。
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Posted by ブクログ
文章を書くことについて書かれているが、人生観にも通じるところがあるなと思いながら読んでいた。
「地図が用意できるなら、それを片手に迷路へと旅立ちましょう。地図がないならそれはそれでなんとかなります。道に迷うことが、定められた出口とまったく別の世界にあなたを誘ってくれるかもしれない。」
設計図をつくって効率的に、それ通り書くのではなく、設計図はぼやっとありながらも、別の方向に進んだり、時間をかけて吟味したりすることの重要性を語っている。この言葉に、人生も似ているのかなと思った。思い描いた理想や、成功にたどり着くのが全てではなく、それ以外の悩んだ過程や迷いが、自分の可能性を広げていくという考え方はいいなと思った。