荒木飛呂彦のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
始めに断っておきますが私はジョジョの奇妙な冒険のメインストーリーは未読です。本編の方で岸辺露伴がどういう役回りなのかそもそも敵なのか味方なのかも知りません。
ここに書く感想は全て「岸辺露伴は動かない」の実写作品を見て感じたものです。
というわけで「岸辺露伴 ルーヴルへ行く」です。
岸辺露伴シリーズは毎年年末に流れる実写ドラマを楽しく観ていたのですが、このルーヴルは初の映画化作品ですね。
ルーヴル美術館で撮影をしたという前評判にも驚きましたが私が一番驚いたのは「えっモナ・リザ小さくない?あんな小さいの?嘘でしょ?」でした。
だって凄く大きい作品なんだと思っていたんだもの。
この話の鍵になるのは「この世で最も黒い絵」。
よく「所有者に災いをもたらす絵」なんて曰くがついた絵画の話とかがありますが、この絵はそんな可愛いレベルの話ではなく。
なんといっても所有してなくても災いをもたらす絵なんですから。
見て触れてしまったらその瞬間に災いが降りかかってくるという割と理不尽な絵なんですよね。
そのせっかち具合たるや同じように理不尽に災いを振り撒きまくる貞子が一週間待ってくれるのって割と優しい部類に入るのかもしれないと思ってしまうほど。だって貞子は一週間も待ってくれる上に救済方法も実はありますもんね。
この絵はないもん。一切の例外がないもん。いや一個だけ方法があるんだけどそれは岸辺露伴だから出来たようなチートなんで普通の人には無理だもんなぁ。
結構判定が厳しいよなそう考えると。
まぁそこまで理不尽な災いを呼ぶようになった理由はちゃんと劇中で明かされるわけですが、あのシーンは切ないよね。
劇中で「血に刻まれた罪や後悔は~」みたいなことを岸辺露伴が言うんですけどね、結局全てを解決出来るのも血だったんだよねっていう。
結局奈々瀬が一番可哀想だった気がするなぁ。
全てが終わった後、大好きな人と一緒にゆっくり過ごせているといいと思います。
だってもう全部終わったんだから。
もう奈々瀬は頑張らなくていいんだよ。
正直最初に映画を観た時は事前知識があまりなかったこともあっていまいちストーリーに乗り切れてなかった自分がいたんですけど。
ある程度知識を得て、映画のあとに捕捉としてこのノベライズを読んだら細かい部分も理解できてとても良かったです。
同時に岸辺露伴シリーズのインタビューでよく言われる「人間賛歌」という言葉も何となく分かったような気がします。
罪や後悔を抱えずに生きる人間はいない。
それでも尚、前を向いて生きようとする人間は美しくて愛おしいものなのです、きっと。 -
Posted by ブクログ
ネタバレジャイロの頬に遺体の眼球が食い込む有名な1枚絵はこの巻
さらに3rd STAGEゴール キャノン・シティあたりの表情のドアップがどれも美しく、絵に見惚れてしまい、作画見たさに#32を何周か読み返した。
今までどんなに無茶しても後ろに着いてきてくれていたジョニィに「君は勝てない」とキッパリ刺されてから、体中の水分をしぼって荷物も服も脱ぎ捨ててまで貪欲に1位を取りに行くジャイロが良い。もっと勝ちに貪欲なジャイロが見たい。
ホット・パンツのビジュアルが刺さる。肉のスプレー攻撃でジャイロとジョニィの目や口が塞がっていくシーンはマトリックスっぽい?
ぽっと出のガウチョはあご髭がドクロ型の謎男に銃殺される。
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Posted by ブクログ
前著『荒木飛呂彦の漫画術』に続く第二弾。
本書を執筆した理由を荒木先生はこう述べている。前作を読んだ人が漫画家になったとして、それでも道に迷ってしまうことがある。そのときのために前作よりももっと深く書くべきではないか。
漫画には「こう書かなければならない」というルールはない。ただセオリーはある。もちろん自由に漫画を描く権利はあるのだから、あえて王道から逸れ我が漫画道を行くのも良し。しかし進むべき道を忘れ王道への戻り方もわからなくなったとき、備えとしての地図があったほうがいい。それが前作であり今作である。
『荒木飛呂彦の漫画術』や『荒木飛呂彦の新・漫画術 悪役の作り方』は、荒木先生が漫画家生活を通じて蓄積し裏付けされた経験知と知識を、自身の作品を通じて伝授するためのものだ。そして今作は前作を補完するものと言っていいだろう。
前作では良い漫画を描くための土台が紹介されている。今回はそれの発展形で、良い漫画を描くためには「悪役」と「融合」が重要なファクターとなる。
悪役というのは言わば主人公の行手を阻む困難であり乗り換える壁である。現実世界においても、大なり小なり、トラブルはつきものだ。だからこそ悪役をいかに作り込み登場させるのかによって作品をよりいっそう深いものにできるのかが決まる。
融合はすなわち一つの世界だ。漫画を描くにあたっては、「キャラクター」「世界観」「テーマ」ストーリー」の4つが重要になるが、それぞれが独立していては読者の目を引く作品にはならない。この世界の全てはあまねく調和が取れている。漫画に対しても同様の原則を当てはめるべきで、たとえば『ドラえもん』のような世界に『ONE PIECE』のキャラを登場させるべきではない。それはフレンチに茶碗いっぱいの白米を出すようなものであり、「混ぜるなキケン!」と書かれた洗剤をあえて混ぜるようなものだ。
どんな作品であってもそこに登場するものは全て同じ性質を有している必要がある。「融合」と言うべきか「統一」と言うべきか、釣り合いの取れた舞台を用意することが漫画には欠かせない。
本書は悪役すなわち敵がテーマであるが、漫画家における「敵」とは何なのか。それは「自分の軸を捨ててしまうこと」だ。
漫画家になれば思ったように自作が売れない時期もあるだろう。そのとき「世間ではこういうのが流行ってるから」「担当編集者がこうアドバイスくれるから」と、ウケを狙いたくなる。しかしこれでは調和の取れた「世界観」を描けなくなる。つまり、世間の流行を取り入れて漫画を書けば、当初に設定した「世界観」から逸脱し「なんだかよくわからない漫画」になってしまうのだ。
誘惑に負けることなく自分の軸をしっかりと持つことが大切だ。
さて、本書は悪役の作り方がメインテーマだ。しかし別の読み方もできる。それは「漫画の構造」だ。
本書を読めば漫画という媒体がどのように設計されているのかが大方把握できる。むろん漫画すべてに共通するわけではないが、少なくとも荒木先生の作品は本書に従って読むことができるだろう。そしてこの場合、読者は作品を一段と深く味わうことができる。
たとえば、荒木先生の人気作のひとつ『岸辺露伴は動かない』だ。
主人公・露伴は、売れっ子漫画家であり、旺盛な好奇心を持っている。「ヘブンズドア」という特殊な能力を持っていて、人を「読む」ことができる。露伴はその好奇心で色々な事件と出会い、時には「ヘブンズドア」で解決し、それを漫画を描くための材料へ昇華していく。
そんな岸辺露伴の敵は一体なにか。
それは、担当編集者の泉鏡香だ。
漫画家目線であればたしかに泉鏡香が「敵」であることに納得できる。たとえば彼女は露伴の原稿にうっかりコーヒーをこぼしそうになる。膨大な労力を割いて書き上げた原稿にコーヒーをこぼすような編集者は、なるほど確かに「敵」でしかない。このシーンはさらりと描かれており、よくよく注意して読まなければ岸辺露伴vs泉鏡香の構図を見落としてしまいかねない。
また、彼女はトラブルメーカーとしての役割も果たす。
作品を読めばわかるが、岸辺露伴は好奇心旺盛だからといって何でもかんでもやるわけではない。たしかに過剰な好奇心が見て取れるシーンもある(懺悔室にて、撮影禁止なのに人の目を盗んで撮影してしまうところ)が、一定の節度は守って行動している。
しかしこれでは「ストーリー」が生まれない。かといって露伴が無茶苦茶な行為をすれば、露伴のキャラにブレが生じ、読み手は「露伴がそんなことするかな」と世界に入り込めなくなる。ようは露伴が浮いてしまうのだ。
そこで泉鏡香だ。たとえば「富豪村」のエピソードでは、彼女が持ちかけた提案で露伴は禁足地とされる富豪村へ行くことになる。そこではマナーが過度に重んじられ、一つのマナー違反につき一つの代償を払う。こうして露伴はトラブルに巻き込まれるのだが、この一件はそもそも泉鏡香が元凶である。
このように漫画は登場人物との関わりによってストーリーが「自然」と生まれていくのだ。そして本書を読めばこうしたストーリーを構造的に読み解くことができる。作者の視点に立って読むことができるのだ。
つまり、『荒木飛呂彦の新・漫画術 悪役の作り方』は描き手に対してはもちろん、読み手に対しても、漫画を読む上でとても重要な手がかりを授けてくれるだろう。
本作は、荒木飛呂彦先生はじめ、多くの漫画家の心を「読む」ことができる「ヘブンズドア」である。