宮内悠介のレビュー一覧
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非常に魅力的なタイトルの本作ですが、連載時は「疑似科学シリーズ」と銘打たれていたそうです。はて「疑似科学」とは何ぞや?と思ってWikipediaを見ると、日本語の意味としては「科学性をうたっているが実際には非科学的であるもの」を、本来の意味としては「うわべだけの科学や、誤った科学のこと」を指しているようです。
本作では放火猿、共時性、スプーン曲げ等の非科学的な題材が扱われますが、それらに対する科学的真贋についてはほとんど触れられていません。一方で、非科学的な事象をもとに起こる様々な事件については論理的な解が導かれるようになっており、言い換えるとミステリを読む際に構えるであろう「論理性」およびそ -
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ミステリではなく、文学でもない。これがSFかぁ、と感心した。面白かったね。芥川賞の候補にもなったそうな。三篇が収められていた。どの話も良かった。表題作はディレイというSF的な現象を扱っているんだけど、読後感はむしろ家族とか夫婦間の心の交流が残ったと思う。俺としては。真ん中の『空蝉』が一番ひきこまれたかな。しばらく小説の熱心な読者ではなく、新しい作家さんって手に取っていなかった。伊坂幸太郎や恩田陸といった、学生時代から読んでいる作家さんは今でも好きだけど、こういう今まで読んでいなかった作家さんにも、もっと触れるべきだと思った。この人の本はまた読みたいね。
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Posted by ブクログ
短編集であるが、DX9という歌うロボットが共通なガジェットとして登場する。DX9は日本が開発した楽器扱いの玩具ロボットである。本来の目的は人を楽しませるものだが、この作品では、高性能であるがゆえに、兵器として使われたりする。さらに、DX9は高所から落とされることを運命つけられたように扱われる。この落ちるDX9をどう解釈するか、どう共感するのか、読み手は自由である。ただし、明るい結論は出てこない気がする。本作は直木賞候補だったようだ。ただし、人を楽しませるエンタテインメントではなく、読者に考えさせるエンタテインメントである。純文学に近いかもしれない。
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Posted by ブクログ
火星に人類が移住した近未来を舞台とした作品です。今回のテーマは精神疾患。
と、その設定だけみるとバリバリのハードSFで、最初は随分敷居が高そうに思えたのですが、実際読んでみるとそんなことはなくて、前2作よりずっと分かりやすくなっていました。
その一方で『ヨハネスブルグの天使たち』でみられた不穏さというか、ある種とんがった感じの魅力が減じられたような印象も受けました。
まあ、前作は戦場に初音ミクが落ちてくる話でしたからね。比べるのもどうかという気もしますが。
読む人の好みにもよるでしょうし。
それにしてもよく考えて作られた作品だと思います。
何度か読み返しましたが、決定的な矛盾や不整合は見つか -
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ネタバレ若木先生のブログでショート・ショートを書かれたと知り手に取りました。
どのショート・ショートも非常に面白かったです。
このショート・ショートは人工知能学会の学会誌「人工知能」に掲載されたもので、日本SF作家クラブ協力の元ショートショートを依頼したのだそうです。
そうした背景かつ掲載誌なので、人工知能に関するSFショート・ショートばかりでとても読み応えがあります。
ショート・ショート部分のみでなく、テーマごとに分類されそのテーマのショート・ショートが終わると解説文が挟んであるのですが
これがまた面白い。
普段AIといってもなんとなくの理解しかしていない分野なので
大変勉強になりました。
人間 -
Posted by ブクログ
文章が詩的過ぎるな、というのが気にかかっていたが、それは自分がSFとして期待をしていたからであって、意図していたのはSFチックな設定を借りた文学だったのだろうなと、読み終える段になって気付く。
DX9に仮託されているものは明記されないが、いずれの短編でも死後の永遠性と、肉体と現実を超越した普遍的な「意識」の世界の象徴として描かれている。宮内が描きたかったのは911以後の血生臭い世界において、脱臭された世界を目指す人々の思いと、それを実現し得る技術の存在であり、ここで数々描かれるその他ガジェットや設定は、そのための装置でしか無いように感じる。
そしてDX9を経て人々が得るものは、そのモデルた