倉山満のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
【インターナショナリズムとコスモポリタニズム】
ここで二つの概念を考える必要があります。
国際主義と訳されるインターナショナリズムと、世界主義と訳されるコスモポリタニズムです。
コスモポリタニズムというのは、全人類が一つにまとまれるという前提です。
コスモポリタンのことを地球市民といいます。
コスモ(世界)がポリス(都市)であって、そこのアン(市民)、つまり、地球という都市の民という意味です。
一方、インターナショナリズムというのは、地球には一つのまとまった人類の政府などというものはないという前提です。
だから、いろいろな主権国家が並立している中で、知恵を出しあい、国際慣習に立脚して、仲良くしあおうと考えますが、これこそ国際法の発想です。
インターナショナリズムは、それぞれの国のナショナリズムを前提としています。
コスモポリタニズムはそれぞれの国のナショナリズムを否定して一つのコスモ、地球市民になろうというところがある、そういう違いがあるわけです。
インターナショナリズムの人たちも、もちろん「仲良くしよう」とは考えています。
しかし現実として、いろいろな主権国家が並立しているので、対立も起きるだろうし、世界政府などというものは到底実現しないだろうというリアリズムも持っています。
だから、せめて、それぞれの国が自国の国益を追求するためには「国際法を武器としてやるしかない」と考えるわけです。
それがまっとうな国際法学者なのです。
ところが、困ったことに、コスモポリタニズムの人たちの多くは、自分の考えるコスモポリタニズムとインターナショナリズムが違うということが理解できません。
なぜかというと、インターナショナリズムが理解できないからです。
日本の国際法学者の多くはコスモポリタニズムです。
コスモポリタニズムでは国際法を理解することはできません。
たとえばEU(欧州連合)は、単純にいうと神聖ローマ帝国を復活させて、主権国家体系を中世に戻そうとしているようなものです。
EU加盟国の共通点は、「白人」の「キリスト教国」の二つだけです。その域内ではコスモポリタニズムができます。
しかしその一方で、暗黙のうちに、その外の世界に対してはエクスクルージング(排外的)になりインターナショナリズムを主張するという二重基準になっています。
トルコのEU加盟を認めないのは、その象徴的な現われです。
コスモポリタニズムだけでは、国際法、インターナショナリズムがわかりませんし、ここがわかっていないとEUのような今の国際社会の問題もわかりません。
逆にいえば、本書をお読みになって、コスモポリタニズムとインターナショナリズムの違いを知って、国際法を武器にできたなら、世界史の真実をすっきりと見通すこともできますし、複雑でわかりにくいと感じる現代の国際社会の議論にもついていけるようになれます。 -
Posted by ブクログ
以下、本書より。
【本能寺の変の黒幕は誰か】
最近の学界では、長曽我部元親黒幕説が有力視されています。
本能寺の変は、黒幕がいたのか否かの他に、光秀の動機が謎とされています。
その有力な動機として、信長の四国政策の変更を多くの人が主張しています。
曰く、それまで信長は明智光秀を取次とし、長曽我部との連携で「四国切り取り次第」としてきた。
ところが、羽柴秀吉の仲介で敵であった三好を重視するようになり、遂には長曽我部打倒作戦を発動するに至る。
ここに光秀の面目は丸つぶれ、秀吉に出世競争で抜かれると思った光秀は将来を不安視し、謀反を起こすに至った。
さらに念入りに、光秀の年齢は通説の五十五歳ではなく、六十七歳だった。
人生の終焉を前にして、子孫の将来に不安を抱いていた、と付け加えられたりします。
申し訳ないですが、こんな動機で殺されたなら、信長に同情します。
これでは戦国時代どころか、現代日本のサラリーマンも勤まらないでしょう。
私自身がこの目で見聞した話ですが、「二秒で経営方針を変える会長」も、「十二時間に一回、敵と味方が入れ替わる社長」も実在します。
信長のみならず光秀だって、あの世から名誉棄損訴訟を起こしたいでしょう。
「俺は、そんなにヤワな人間ではない」と。
戦国時代なのですから、強くなりすぎた長曽我部を叩く方針に切り替えるなど、不思議でもなんでもありません。
それで、いちいち謀反など起こしていては、それこそお家が守れません。
長曽我部の為に、なんでそんなリスクを取るのか。
対四国政策が光秀にとってどれほど大きいか。
一族の総力をあげて戦わねばならないとしたら、それに値するしがらみの証明が必要です。
それは同時に、明智一族に食い込んでいた長曽我部のインテリジェンス能力の証明も必要でしょう。
そもそも、光秀が秀吉に抜かれたのか?
いわゆる〝方面軍〟の実態はさておき、北陸に柴田、関東に滝川、四国に丹羽、中国に羽柴と五大幹部のうち四人は地方に飛ばされています。
いわば、「地方本社社長」です。
それと比べ光秀は、信長の本領の美濃と京都の中間に位置する近江に所領を持ち、丹波(京都西北部)も本拠地です。
「近畿管領」と呼ばれることもあります。
つまり、「近衛師団長」なのです。
「本社副社長」です。
もっと言ってしまえば、他の有力者四人の誰か、あるいは複数が裏切って攻めてきた場合に、信長を体を張って守るのが光秀です。
なんで、「本社副社長」が「地方本社社長」に嫉妬して、身の危険を感じなければならないのか。 -
Posted by ブクログ
タイトルが面白そうだなと思って購入。
読んだら確かに面白かったというよりも、ああそうか~!!!
っていう改めて気付きのほうが大きかった。
分かりやすく書いてあるので初心者の方でも読めると思う。
日本って(日本人)みんなのんきなんだけど、確かに昔(昔といえど大昔)は
いざという緊急時はちゃんと団結してたのだなーとかも含め
今この現代とは雲泥の差…とはいえ、先の大戦から大きな紛争がないのはいいことだと思う。
筆者が書いていた内容の中で、思わず頷いたことが多々あって
「何事も、何が書かれてあるかよりも何が書かれていないかのほうが大事」
「人を騙す時は、うそをつくよりも本当のことを隠すのが効果的。書かれてある嘘は時に理論で見破られるが、書いていない本当のことは知識がないと見抜けない」
確かに。
史実はどうだったとか、●●先生はこう言っていたとかそういうのも
結局は都合の悪いことは後世の歴史家や権力者が改ざんしまくったものなのにな、とか。
色々読んでいてもそう思わずにはいられないので
趣味程度に留めておくのがいちばんいいなと思った。 -
Posted by ブクログ
以下、本書より。
【麻生内閣は自民党の遺産をすべて食い潰した】
自民党の存在意義は「国民を食わせること」でした。
池田勇人政権がその意味での自民党の絶頂期です。
経済政策を大失敗して国民を食わせられなくなったら、もう終わりです。
ただでさえ賞味期限が切れているのに、ここまで国民をデフレで苦しめ、リーマン・ショックの対応を間違えて、失業、就職超氷河期、円高、自殺の増加を引き起こしたら、国民の多くが
「もう鳩山由紀夫でもいいから自民党は嫌だ」
と思うのは当たり前です。
麻生を支持する人はよく
「史上最悪の民主党政権」
と簡単に言ってくれますが、はっきり言います。
麻生よりは鳩山のほうがマシです。
麻生太郎、鳩山由紀夫、菅直人、野田佳彦の四代の内閣の中で、実は私は鳩山が一番マシだったと思っています。
菅は東日本大震災の対応がひどかったのでそれは大きいのですが、もし震災がなければ、菅と鳩山のほうが麻生よりマシなのです。
なぜか。
菅と鳩山は日本を滅ぼす「能力」がありませんでした。
「意志」はあったかどうか知りませんが、結果は掛け算なので、どれか一つがゼロならゼロになります。
能力がゼロだったので、結局は何もやっていません。
もし東日本大震災がなかったら、やったことが一番悪辣だったのは野田です。
震災の傷が癒えず、デフレで景気が悪い中で増税をしたらどうなるか。
子供でもわかります。
その上、まったく有害無益な増税法案を優先して、事実上予算の一部である特例公債法案を潰そうとしています。
予算が成立しないのは、良くて行政麻痺、悪ければ国家崩壊です。
その次がリーマン・ショックという100年に一度の危機に有効な手を打たず、日銀のデフレ維持政策を事実上支持していた麻生です。
史上最悪の民主党政権三代と言うのなら、麻生もつけて「史上最悪の四代」にしなければ不公平でしょう。
麻生内閣は自民党の遺産をすべて食い潰しました。
賞味期限切れの自民党でも、社会党に入れるわけにいかないからなんとか生きながらえてきたのです。
まじめに政権奪取しそうな政党が出てきたら、国民がそちらを選ぶのは当然でしょう。
福田内閣のときには、総選挙で自民党が負けることが目に見えていました。
しかし、あれほどの大敗になったのは、即座に解散をして負けを最小にすることをせずに居座った麻生の責任です。
ここまで自民党の悪口を思い切り言ってきましたが、もちろん褒めるべき人はいます。
丸川珠代さんの演説を聞いて、本当に彼女は偉いと思いました。
丸川さんは都議選の応援演説で
「もう最悪の民主党政権に戻してはいけません。
でも、それをつくってしまったのは我々自民党です。
それを反省しなかったら、もう一回、あの最悪の政権になるんです。
私たちはもう増長してはいけません」
と言っていました。
当たり前のことですが、自民党にはおバカな人もいればまともな人もいます。
民主党ほどではありませんが、右から左まで、上から下まで、幅広く人がいます。
民主党との違いは、民主党が上下左右の四隅にいる人が多いのに、自民党はだいたい真ん中を中心にして幅広くいることです。 -
Posted by ブクログ
高校時代に歴史の授業がありました、二年生のときに世界史を、受験期である三年生のときに日本史を習いました。日本史を勉強しているときには、世界史の知識は殆どなくなっています。まあ、定期試験の直前に詰め込むだけだったので仕方ありませんが。。。
そんな私ですが、試験で良い点数を取るためではなく、自分の好奇心を満たすために歴史に関する本を読み始めた社会人から、おぼろげながら、日本で重要な事件が起きている時に、世界は(これも西洋と東洋がありますが)どうなっているのだろうと思うようになりました。
これを自分で調べるのは大変な作業だと思います。そんな私にとって、倉山氏の書かれたこの本、並べて学べば面白すぎる世界史と日本史、は今の私には最適の本でした。
2019.11の最後の週にかかて読みましたが、本当に楽しい通勤時間でした。また類書も読んでみたいと思いました。
以下は気になったポイントです。
・当初、ムハンマドはユダヤ教・キリスト教共通の聖地であるエルサレムを礼拝の方向としていた、ユダヤ人に好感を与えるため、しかし624年に礼拝の方向をカーバ神殿に統一して独立した路線を歩もうとした(p21)
・聖徳太子は622年の死後、一族は蘇我蝦夷・入鹿親子に全滅させられた、その蘇我一族も中大兄皇子(天智天皇)に滅ぼされた、その側近であった中臣鎌足は藤原の姓を賜り、近代まで日本最高の貴族として君臨した(p30)
・当初存在した言葉を使うなら、幕府・将軍は使えない、幕府は「柳宮」、将軍は「御所様」「上様」「大樹」である、鎌倉幕府は「関東」(p32)
・ルネサンスは、人間だって自由意志をもってよいのだ、とする思想(人文主義=ヒューマニズム)である。そうなる前の暗黒の時代が8世紀の欧州に展開した、聖像禁止令に象徴されている(p41)
・ネストリウス派は、現在ではカトリック、プロテスタントの双方に「異端」認定され絶滅させられている、ネストリウス派は奈良時代(736年)に来ている(p41)
・イスラム帝国は698年にはカルタゴを占領し、瞬く間に北アフリカのビザンチン帝国領のすべてを奪った、これは先進地域である地中海アフリカを失ったことを意味する(p43)
・現在のポルトガルとスペインはイスラム教徒に占領されたまま、カトリックの信仰を守った。異教徒の占領下で信仰を守るのは大変である、これができたのは裏切り者を殺し続けたから、このために異端審問が行なわれた、この頃、日本では文武天皇により701年、大宝律令が制定され国の根本法とした。この正式廃止は、1885年の内閣制度創設である(p49、50)
・日本では軍隊の過半数をおさえたくらいでは、クーデターは成功しない文化がある。それより大切なのは、天皇の御璽(天皇の印章)を握ること(p52)
・フランク王国は分割相続が常であった、カール大帝は、弟のカールマンと共同統治であり、カールマンの死後は一人で支配した。仏・独・伊、それにベルギー、オランダ、ルクセンブルク(EUの原型)は、カール大帝の栄光を再現しようとする試みである(p63)
・カール大帝は、800年にサン・ピエトロ大聖堂にて戴冠式を行っている、これでフランク王国は西ローマ帝国の後継国家となった、この時、東ローマ皇帝の冠は、ビザンチン帝国が得ている。カール大帝の死後は、再び分割相続された(p85)
・7世紀の天智天皇から天武天皇にかけて、日本は完全に朝鮮半島から引き揚げて、対馬が西の国境線となった、東北の事業を完成させたのが桓武天皇で、青森県までが日本になった(p65)
・聖武天皇は、生涯に3回も遷都して、恭仁京→難波京→紫香楽宮と移ったあげくに、結局、平城京に戻ってきている(p66)
・京都の遷都の16年後、810年の薬子の変において平安京は確定した、桓武天皇の長男、51代平城上皇が旧都・平城京に戻ることで、二所朝廷と呼ばれる政治状態となる。現職の嵯峨天皇が平安京に、先代の天皇である上皇が平城京にあったが、これを嵯峨天皇が鎮圧した(p67)
・カール大帝は、イスラムには穏健に和を乞うてキリスト教徒の聖地巡礼を認めてもらっている、ヴェネツィアを割譲して皇帝の名前を認めてもらった、ヴェネツィアを通じてビザンチン帝国の陰謀に関与する足掛かりとした(p72)
・843年のヴェルダン条約で東フランク王国(ドイツ)、西フランク王国(フランス)、中フランク王国(イタリア)に三等分された。このドイツの部分に、のちの神聖ローマ帝国(正式名称は帝国)と呼ばれる国(神聖ローマ帝国という国号が使われ始めるのは1274年から)をつくったのが、オットー一世である(p76、78)しかし、この場合のドイツは、今のドイツ共和国でなく、オーストリア、今のドイツは、1866年の普墺戦争で、プロイセン王国がオーストリア帝国を追い出し強引に名乗った(p78)
・十字軍は、しかけられたアラブから見れば性懲りもない侵略者である、アラブから見れば現代の欧米が中東に行っているのは十字軍にしか見えない、イスラエルとは十字軍が作った傀儡国家の再現である(p97)
・本来は一番偉いはずの天皇の上に、院政を敷く上皇(出家したら法皇)がいて院政ができるのは、「治天の君」という皇室の家長の地位にあるから(p102)
・キリスト教世界には「五大管区」があった、西から、ローマ・コンスタンティノープル・アレキサンドリア・エルサレム・アンティオキア(トルコ)、インノケンティウス3世は、ローマ教皇こそキリストの後継者としての首位権であるとした功績がある、彼は「マグナカルタ1215年」に無効の勅令を発し、以後数百年、イングランド人は忘れた(p118,122)
・インノケンティウス3世は、カタリ派を異端認定した、カタリ派は、「父(神)」と「子(キリスト)」と「聖霊」が一体とする、三位一体説を認めないから。古代グノーシス派(景教)も三位一体説を否定して、殲滅された。(p123)
・源平合戦とは言うが、平家討伐を命じた黒幕の後白河法皇とて源氏が力をつけすぎるのは快く思っていない、頼朝よりも実力が上だと思っている、新田氏・武田氏を頼朝は好まずに、忠誠心の高かった足利氏を重用した(p131)
・皇室、貴族、寺社を合わせて「権門」というが、頼朝がやろうとしたのは、権門に対して武士の権利を認めさせること(p132)
・ロシアが成立するのは1721年、モンゴルが攻めてきたときには、ロシアという国はない。モスクワ・キエフ・ノヴゴルドの三国があるのみ、後にこの国がまとまってロシアとなる。この三国はモンゴルの支配下におかれた(=タタールのくびき)であり、これを断ち切ったのが、モスクワ大公国のイヴァン大帝である、モスクワ帝国と名乗っていたロシアが欧州と認められたのは、1683年の第二次ウィーン包囲のとき、ポーランドのお陰(p139)
・北条氏は当初、政所(財政)の長官であったが、1213年の和田合戦により、侍所(軍部)を取り仕切る和田義盛を滅ぼし、両方の長官を兼ねるようになり、執権と呼ばれた(p143)
・北条泰時は1232年、頼朝以来の判例をまとめ法体系化して、御成敗式目を定めた、これにより専制政治をやめて合議制とした。これは江戸時幕府が滅びるまで武士の基本法典として重用された立派な内容である(p145)
・四代条軍の藤原頼経が権力を奪おうとした、この時息子の頼嗣が将軍に就いていたので先代将軍は京都に帰るのが約束であったが、居続けた。これを北条時頼は追い出した、さらに翌年に三浦泰村を滅ぼした、頼朝以来の御家人で北条に対抗できると目されていた。これにより、大江広元の息子の毛利季光も自刃した、これにより毛利一族は中国地方へ落ち延びていく、毛利元就の先祖である(p146)
・モンゴル一族は家族一族まるごと家畜とともに移動するので補給が要らない、これが強みである。外国を侵略したらそのまま住みつき、もとからいた兵士にさらに遠くまで攻めさせて人減らしをする。これがモンゴル帝国の拡大パターンである(p150)
・鎌倉幕府は、文永・弘安の役では主力を温存している、元軍は大宰府での戦い(前哨戦)すら突破できなかった。勝てたのは、対馬と壱岐のみ。鎌倉幕府は本州から援軍を送ろうとしたら到着する前に勝っていた。決戦局面まで温存する兵力を「戦略予備」というが、10万人単位の動員をかけたが実戦投入するまでもなかった(p151)
・鎌倉時代は親の財産は子供たちに平等に分割相続された、100年の間にそれを繰り返してきて、社会的な矛盾が元寇の戦後処理により一気に噴出した(p156)
・スペイン、ポルトガルが支配したのは、アフリカ、アメリカの弱い人たちで、ユーラシアでは騎馬民族のモンゴル、トルコに負け続けている、陸のユーラシアには自分より強いアジア人がいたので、避けて通って海から遠回りした(p163)
・1538年、プレヴェザの海戦で、欧州連合軍は、オスマン帝国に完膚なきまで叩き潰されている、千年の伝統をもつヴェネツィア海軍、スペイン艦隊も歯が立たなかった(p164)
・15世紀、日本の人口は1500万人、オスマン帝国は1800万人である、欧州全体が7000万人なので、日本は十分な大国である(p167)
・百年戦争の真っ最中に、イングランド・オックスフォード大学のウィクリフ教授が唱えた説はバチカンを戦慄させた、パンがキリストの肉で、ワインが血であるとは聖書のどこにも書いていないと論難しはじめた。最初に声を上げたのは1376年であるが、30年後くらいから急速に学説が支持された(p188)
・イングランドは、ヘンリー八世のときにカトリックから離脱して、のちの英国教会という独自のプロテスタントをつくることになった、しかし独自の教義を編み出したわけではない。(p204)
・アルマダの海戦は、暴風雨の神風が吹いてスペイン艦隊が難破しただけ、なのでその後もイングランドは苦戦を続ける。ポルトガル攻撃失敗、フランス出兵もうまくいかない、スコットランドは制圧できず、スペイン海軍は健在のため(p207)
・織田信長は、1568年に上洛したが、大義名分は「故・足利義輝の弟の義昭を将軍につけて、室町幕府を再興する」である、最大動員兵力2万人のところ、借金をして6万の兵力を率いた(p232)
・1559年にアウクスブルクの和議が結ばれて、カトリックはルター派を和睦した、その条件は「存在を認める」これは殺し合いを止めることを意味する。これにより、同じプロテスタントでも、カルバン派はルター派を激しく憎んだ。これにより、カルバン(オランダ)派は、カトリックよりもルター派を激しく攻撃する(p221)
・1648年、欧州のほとんどすべての国が参加した会議(参加しなかったのは、革命中のイングランド)によって決めたのは、1)主権国家の宗教勢力からの独立、2)主権国家の神聖ローマ帝国からの独立、3)主権国家の対等、これにより宗教戦争が終わった、欧州は1300年遅れで聖徳太子に追いついた、日本では天皇がアンパイア、欧州では教皇はプレーヤー(p127)
・1623年、アンボイナ事件でオランダと抗争して敗れたイングランドは、日本から引き揚げていった、なので幕府はオランダに傾斜していく(p232)
・モスクワ帝国は1700年からの大北方戦争でスウェーデンに勝ち、大国にのしあがった、1721年ピョートル一世はロシア帝国の建国宣言を行い初代皇帝となった、かつての東欧の大国(スウェーデン、デンマーク、ポーランド)が勝てなくなるのは18世紀のこと(p147)
・18世紀の欧州戦争は、別名「第二次英仏百年戦争」という、スペイン継承戦争、オーストリア継承戦争、七年戦争(世界中で行われたので、事実上の世界大戦)、アメリカ独立戦争、ナポレオン戦争の5つの戦争の総称である。明確にイギリスがフランスに負けたのは、アメリカ独立戦争のみ、最終的にはナポレオン戦争に勝利したことで、イギリスは大英帝国として覇を唱えることになる(p248,252)
2019年12月1日作成 -
Posted by ブクログ
以下、本書より。
【絶望的に知性が欠如した自民党議員】
本書では財務省に対してかなり厳しいことを書いていますが、もともとは愛国官庁です。
多くの官僚が仕事熱心で、自由闊達な議論が許される気風に溢れていました。
つい最近でも確認できたことですが、上司に対して部下が対等に議論して構わない官庁だそうです。
ただし条件(ルール)があって、最終的な結論には従う。
決定に反対意見でも、自分の本音を外部に漏らさない、です。
だから、政治家のところに「御説明」と称して増税の必要性を訴えている財務官僚が、実は省内では増税反対の急先鋒ということが多々ありうるのです。
そういう時、「この主張に反対してください」というニュアンスを説明に混ぜることがあります。
昔の自民党政治家は、そういうのを見抜けたものでした。
ところが最近の自民党政治家は劣化していますから、「東大を出た財務官僚の言うことだから信じてよいのだろう」と、まともに経済を勉強したことが無い人が一瞬にして増税派になった、という笑えない喜劇が生じます。
なぜ自民党には絶望的に知性が欠落しているのか。
官僚の話を聞くことだけが勉強だと思っているからです。
真面目な官僚が、「それでは困る!」と嘆いている理由は、本節の説明を読めばおわかりでしょう。 -
Posted by ブクログ
近代日本がいかに成り立ったか、そして何故いまだに敗戦国のままでいる(それはどんなに国連への貢献度が高いとは言え)のかを十分に理解させていただいた。
やはり先ずは日本人が歴史を知る必要があり、それを踏まえての行動と言動をしていかないと、ただでさえルールを守れないアメリカや中国などに喰い物にされていくだけであることを思わざるを得ない。
すでに西欧中心の歴史教育を受けて、自然と(潜在的に)そういった考えが脳内に意識されている人には是非とも読んでいただきたいものである。
そして戦後レジームからの脱却には、戦争に勝たなければならないということは、表面上は平和である今においていかに戦争を想定して備えておかなければならないということであり、果たして今の日本が充分と言えるのかは疑問である。
-
Posted by ブクログ
世界史の中の日本史、日本史の中の世界史について。
以下、本書より。
【世界史教科書風の年表がいかに罪深いか】
日本の歴史に鑑みると、白人がやってきた事はつくづく傲慢です。
と書くと反発を覚える人もいるかと思いますので、世界史教科書風に事実だけを並べてみます。
1492年
コロンブス、アメリカ大陸を発見。
1493年
ローマ教皇アレクサンドル6世、新大陸における紛争を解決すべく教皇子午線を設定。
1494年
トルデシリャス条約。
教皇子午線に従い、東をポルトガル、西をスペインの勢力圏と決める。
気の利いた先生なら、
「ポルトガルはアフリカに、スペインはアメリカ大陸に植民地をつくっていった」と解説してくれるでしょう。
生真面目な生徒は、解説ごと丸暗記します。
かくして、自虐的な子供の出来上がりです。
なぜでしょうか。
特に日本を貶めるような記述はありません。
だから問題なのです。
世の中、何が書いてあるかよりも何が書いていないかの方が大事なのですから。
人を騙す時には、嘘をつくよりも、大事な事を隠して教えない方が、より効果的なのですから。
世界史教科書風の年表に、その道の研究者ならば誰でも知っている事実を足してみましょう。
1492年
海賊にして奴隷商人のクリストファー・コロンブス、キューバに到達。
住民を大虐殺し、略奪の限りを尽くす。
本人は現地を死ぬまでインドだと信じていたが、アメリカ大陸を「発見」したとの功績で讃えられる。
1493年
ローマ教皇アレクサンドル6世、地図上に線を引き、「東はポルトガル、西はスペイン」と植民地獲得競争の縄張りを決める。
当然、現地人の許可などとるはずがない。
1494年
トルデシリャス条約。
教皇子午線の境界となる。
ポルトガルもスペインも日本を植民地にする事などできず、最後は追い返される。
世界史教科書風の年表が、いかに罪深いかおわかりでしょうか。
さも客観的に事実を伝えているかのようで、真実を何も伝えていないのです。
大航海時代と称するヨーロッパ諸国の植民地獲得競争など、侵略以外の何ものでもない事、そんな白人を日本は戦うまでもなく追い返した事。
こうした事実を抜きに、何の「世界史」を語るのでしょうか。