あらすじ
●明治日本はなぜ成功できたのか? ●ナチス・ドイツと昭和の日本は何が違うのか? ●「戦争廃止」によって、なぜ残虐な紛争が続発するようになったのか? 世界の歴史を通観すると多くの疑問に出会う。しかし実は「国際法」を理解すれば、たちまち疑問は氷解する。そして、日本がなぜ「侵略国」などではありえないのかも、すぐにわかる。「国際法」は、すべての謎を解く、最強の武器なのである。では、国際法とは何か。それを知るために重要なのは、ヨーロッパで戦われた最後の宗教戦争=“30年戦争”である。この戦争のあまりに悲惨な殺戮に直面した法学者グロチウスは、戦争を「無法で残忍な殺し合い」から「ルールに基づく決闘」に変えようと考えた。「戦争に善いも悪いもない。だからこそ戦争にも守るべき法がある」――国際法は、このような思考から生みだされてきたのであった。「国際法に基づく『決闘としての戦争』が許されたのは文明国だけ」「戦争に善いも悪いもない」「国際法に違反するとはどういうことか」……。これらがわかれば、これまで見えなかった「歴史の構図」が見えてくる。世界史の本質を解き明かし、日本人を賢くする驚愕の一冊。【目次より】●第1章:国際法で読む国別「傾向と対策」 ●第2章:武器使用マニュアルとしての「用語集」 ●第3章:国際法はいかに成立し、進化したか ●第4章:国際法を使いこなした明治日本、破壊したウィルソン ●第5章:満洲事変とナチス・ドイツを一緒くたにする愚 ●第6章:「戦争がない世界」は夢か欺瞞か
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Posted by ブクログ
あまり頭使わずに読めるやつが読みたい、という理由で書店に行きうっかり手にとってしまいましたとさ。
「法は守るものでなく使うもの」とか「安全保障の力のない国は主権国家としての地位を守れない」という当たり前のことを歴史を紐解きつつ、雑かつ丁寧に解説してある。
読む前の期待では「そもそも国際法とは」というあたりをじっくりやるのかと思ってたのだけど、そのあたりの解説もしっかりやりつつどちらかというと「国際法は過去どう使われてきたか」に重点が置かれている。
Posted by ブクログ
この本を、読んだあとに「帝国憲法物語」、「歴史問題は解決しない」を読むと、おそろしいほど理解が深くなる。
倉山氏の思考や分析の基本となるエッセンスがふんだんに盛り込まれている。大学で講義を聴いているような感覚になった。
Posted by ブクログ
【インターナショナリズムとコスモポリタニズム】
ここで二つの概念を考える必要があります。
国際主義と訳されるインターナショナリズムと、世界主義と訳されるコスモポリタニズムです。
コスモポリタニズムというのは、全人類が一つにまとまれるという前提です。
コスモポリタンのことを地球市民といいます。
コスモ(世界)がポリス(都市)であって、そこのアン(市民)、つまり、地球という都市の民という意味です。
一方、インターナショナリズムというのは、地球には一つのまとまった人類の政府などというものはないという前提です。
だから、いろいろな主権国家が並立している中で、知恵を出しあい、国際慣習に立脚して、仲良くしあおうと考えますが、これこそ国際法の発想です。
インターナショナリズムは、それぞれの国のナショナリズムを前提としています。
コスモポリタニズムはそれぞれの国のナショナリズムを否定して一つのコスモ、地球市民になろうというところがある、そういう違いがあるわけです。
インターナショナリズムの人たちも、もちろん「仲良くしよう」とは考えています。
しかし現実として、いろいろな主権国家が並立しているので、対立も起きるだろうし、世界政府などというものは到底実現しないだろうというリアリズムも持っています。
だから、せめて、それぞれの国が自国の国益を追求するためには「国際法を武器としてやるしかない」と考えるわけです。
それがまっとうな国際法学者なのです。
ところが、困ったことに、コスモポリタニズムの人たちの多くは、自分の考えるコスモポリタニズムとインターナショナリズムが違うということが理解できません。
なぜかというと、インターナショナリズムが理解できないからです。
日本の国際法学者の多くはコスモポリタニズムです。
コスモポリタニズムでは国際法を理解することはできません。
たとえばEU(欧州連合)は、単純にいうと神聖ローマ帝国を復活させて、主権国家体系を中世に戻そうとしているようなものです。
EU加盟国の共通点は、「白人」の「キリスト教国」の二つだけです。その域内ではコスモポリタニズムができます。
しかしその一方で、暗黙のうちに、その外の世界に対してはエクスクルージング(排外的)になりインターナショナリズムを主張するという二重基準になっています。
トルコのEU加盟を認めないのは、その象徴的な現われです。
コスモポリタニズムだけでは、国際法、インターナショナリズムがわかりませんし、ここがわかっていないとEUのような今の国際社会の問題もわかりません。
逆にいえば、本書をお読みになって、コスモポリタニズムとインターナショナリズムの違いを知って、国際法を武器にできたなら、世界史の真実をすっきりと見通すこともできますし、複雑でわかりにくいと感じる現代の国際社会の議論にもついていけるようになれます。
Posted by ブクログ
倉山満は現代人に必要な事実・知識を、幾度も繰り返し、同じ事柄も常に現代抱える問題を例示しながら伝える。言論人として、自分の考えを布教するわけでもなく、自分で考える力を身に着けさせるために・・・。なぜなら、無知が日本を無間地獄に落としたため、また、さらなる国難が迫っているから
Posted by ブクログ
解説では以下のように書かれている。
ヨーロッパで戦われた最後の宗教戦争である“30年戦争”。
そのあまりに悲惨な略奪と殺戮に直面した法学者グロチウスは、戦争を「無法で残忍な殺し合い」から「ルールに基づく決闘」に変えようと考える。
「戦争に善いも悪いもない。だからこそ戦争にも守るべき法がある」
――この思考から生みだされてきたものこそ国際法であった。
この国際法を「ものさし」いして歴史を読み解くと、これまで見えなかった構図が手に取るように見えてくる。
世界史のすべての謎を解き明かす「最強の武器」としての国際法をわかりやすく解説。
日本人を賢くする驚愕の一冊。
となっている。
私の場合、法学部出身で、法解釈学より、法社会学のアプローチに親近感を覚えていた。
また、社会人になり、経済書も読むようになったが、合理的判断すると言われる「ホモエコノミクス」なんぞには、違和感を感じていた。
人間社会というものは、正しいか正しくないかは置いておいて、その時々に発生した事案を、ある程度の人間が納得したようにして一定の決着を積み重ね、それを慣習化しながら、日々、一応安定的に見えるかたちで、暮しているわけだ。
どつかれたら、どつきかえす、バカにされたら、やり返す。でも、むやみやたらと殺人はできませんよ、と。
ウエストファリア体制後の国際法遵守、これを堂々と、実行出来たかであるが、アメリカ、ソ連、ナチスドイツなんぞは、そんなことはへっちゃら。
変におりこうさんみたいな自虐史観、バカたれが(笑)。
堂々と、国家間で積み上げてきた最低限のルールを守りながら、堂々と論戦を張ればいいわけだ。
そのための経済力、軍事力は必須ですが。
いつもながら、倉山先生の論理は、単純明快で結構です(拍手)。
Posted by ブクログ
一冊で随分と勉強になった。
先の大戦に至る歴史、何が起こって、当時どう評価されるべきであったかということが、新書と思えない分量で展開される。
日本は優等生ゆえに、ボコられた。
決して正しかったわけではないのだろうが、正しくあろうとして、踏み外した。いや、はめられた。
そうした視点を持ち直した上で、もう一度歴史を評価する必要もあるだろう。
確かに、倉山満の過去の著書で述べられていることが、この本を読むことで一層はっきりするような気がした。
Posted by ブクログ
倉山氏の主張だけが真実とは思えない。主張を正当化するために断片的に真実を述べているところもあるだろう。
しかしこの本は、間違いなく今までの常識を大きく変えてくれる良書だと思う。
日本人はなぜ、戦争へ突き進んでいったのか。
単に個人名を挙げて悪役にする今の日本史の解釈では、また同じ過ちを繰り返すかもしれない。
過去の研究にとどまらず、これから日本がどうあるべきか、考えさせられる本だった。
Posted by ブクログ
何冊も読んでいる倉山氏の新作だと思って、昨年(2016)の末頃に購入してたのですが、最初を少し読んだままになっていることを、GWの部屋の大掃除で発見しました。新書にしては大部(300頁超)で読むのに時間がかかりました、でもとても楽しく読めたGW明けの一週間でした。
今年(2017)になって世界史(特に西洋が活躍し始める15世紀以降)を勉強したく思っていたのですが、「国際法」と言う切り口、という点と「真実」という単語がタイトルについているのが気になりました。
この本の解説で初めて「国際法」とは文明国と認められていた国にしか通用されなかった、だから以前には不平等条約があった理由とか、国と国の間の紛争解決は、国内法では違法とされる「自力救済」しかない、そのためには様々な国に舐められないように軍備も必要であることが理解できました。
また「中立」というのは、戦争が起きている場合、両者とも味方しないので、火の粉が降りかかってきたら、自国で撃退しなければならない、つまり「非武装中立」はあり得ない、という事実も理解できました。残念なことではありますが、現状認識することができた本でした。
以下は気になったポイントです。
・人類史で最も重要な年号は1648年の、ウェストファリア条約=1618年から欧州全土を巻き込んで戦われた30年戦争の講和条約がなされた。国際法はこの条約から始まり今に至る。ポイントは、戦争を無残な殺し合いから、ルールに基づく決闘(貴族にだけ許された特権)に変えたこと。この会議で使用言語が、ラテン語から各国の自国語になった(p24、26、69、125)
・3つの法則、1)戦争と平和の区別がある、2)戦時において味方・敵・中立の区別がある、3)戦時において、戦闘員と非戦闘員の区別がある(p25)
・戦争に負けたことは悪ではない、1)疑わしきは自国に有利に、2)本当に悪いことをしたら自己正当化、3)やってもいないことを謝らない、これが国際法の常識(p29)
・アメリカの独立は1783年のパリ条約で承認されたが、当時のアメリカの実態はEUのような「国家連合」南北戦争は、内戦であり南部は犯罪者に過ぎないので国際法は適用しなくてよいと考えている(p33)
・ミランダ警告とは、1)黙秘権がある、2)供述が法廷で不利な証拠に用いられる、3)弁護士の立ち合いを求める権利がある、4)公選弁護人をつけることができる、これを行っていないと公判で証拠として使えない(p36)
・賠償は違法性を前提とした過失責任で発生する(ご迷惑をかけましたと言って払う)、補償は違法性がなく過失がなくても社会的な責任として損失を補償する(お悔やみ申し上げますと言って払う)(p56)
・国際仲裁裁判所が下すのは判決でなく、裁定(判断)、和解案、勧告なので、国内法のような強制力を持たない(p64)
・国際法とは、仁義、もともと王様同志の約束(仁義)として成立したので、実際に守るかどうかの仁義、信頼関係のほうが大事。弱い相手との仁義は守らなくてよい、正確に言えば、弱い相手との仁義を破って、他のだれからも因縁をつけられない仁義は守らなくてよい(p68)
・慣習国際法とは、憲法98条2項で、確立された国際法規のことである(p73)
・世界的な軍縮を話し合ったワシントン会議、欧州の領土問題を話し合ったミュンヘン会談が失敗したのは、すべて大国であるソ連を読んでいなかったから(p89)
・非武装中立で失敗したのが、デンマークとベルギー、非武装中立を宣言したが自国を守る能力がなかったのでつぶされた(p91)
・上海協力機構とは、実質的には、中露同盟。(p93)
・民事裁判は、双方が納得する決着点を判断する、一方で刑事裁判は、被告人の有罪無罪を争うもの(p105)
・東京裁判における最大の問題は、戦争という決闘、すなわち民事裁判を、刑事裁判で裁こうとしたところにある。裁判官が中立国でない時点で裁判と呼べない(p105)
・西暦212年には、ローマ帝国内の全自由民に市民権が与えられた、それまでの市民だけでは軍隊を賄いきれなくなったから(p115)
・800年、ローマ教皇のレオ三世はフランク国王のカールに西ローマ皇帝の帝冠を授けた、これ以後、世俗の王位は教皇によって承認されることになった(p119)
・中世で教皇に苦しめられたことを、国王が自国内でやり始めると、貴族や平民が革命で国王を倒す、市民革命がおきた、イギリス・フランス・アメリカ(p140)
・1856年にクリミア戦争講和条約のパリ条約に調印したトルコは、このとき欧州公法体系に屈して、ここから「国際法」と言われるようになった。それまで欧州には、文明国か非文明国の2つしかなかったが、トルコは非文明国の植民地ではなく、アフリカや中南米の国々とは異なり「半文明国」という概念が生まれる。トルコに続き、ペルシア、ムガール、清と侵攻を続け、不平等条約を押し付けて「半文明国」に落としていった、最後に来たのが日本(p147)
・日米和親条約には、アメリカに対する一方的最恵国待遇が入っており、後から条約を結ぶ他の国に対しても、アメリカと同じ条件で納得してください、といえる思惑があった(p150)
・戊辰戦争では、それまでの政府である幕府と、天皇の錦の御旗の下に結集した新政府側が、それぞれに一定の地域を支配しつつ戦っているので、諸外国から「交戦団体」として認められると、両勢力には戦時国際法が適用されて、諸外国は中立義務が生じる。なので諸外国からの介入を食い止めることができる(p153)
・朝鮮は清国の属国である時点で非文明国、日本が朝鮮と対等の条約を結ぶということは、清朝と同じ非文明国として認めることになるので、清朝にとって格下の朝鮮と同じ扱いをされたというだけで宣戦布告の理由となる(p159)
・1894年7月にイギリスとの間で治外法権の撤廃ができた理由、清国と日本が戦争になった場合、イギリスも居留民保護の必票がでてくる。そのためにロイヤルネイビーを派遣して戦争をやめさせるよりも、日本が国際法を守って居留民保護をしてくれるほうが好都合であるから(p167)
・日清戦争時に、帝国海軍が豊島沖で衝突したときの巡洋艦「浪速」の艦長は、日露戦争を勝利に導いた東郷平八郎であった(p168)
・フランスは、日英同盟とまったく同じ内容の同盟をロシアとの間に結んだ(露仏同盟)、一騎打ちなら中立を守るが、敵に誰か来たら加勢する、世界大戦になってしまうので、イギリスとフランスはそれを嫌って、日露戦争直前から交渉を始めて、日露戦争後に英仏協商を結んだ(p185)
・当時の大使館は、主要国・大国か、もしかしたらその国と戦争をするかもしれないくらい重要な国にしか置かないものであった、日露戦争に勝利した1907年、大国に名を連ねる国々が、日本にある公使館を大使館に格上げした。日本が大国として認知された(p187)
・真珠湾攻撃と同じ日に起きたマレー沖海戦について、イギリスは「宣戦布告前に攻撃した日本は卑怯だ」とは言っていない(p190)
・銃後への攻撃が可能になることは、場所を決めて国家と国家の軍隊が決闘するという、ウェストファリア型の戦争が変貌することを意味する(p198)
・フランス・ベルギー同盟軍が賠償金の代わりにルール地方を占領したが、デモとゼネストに対応できずに占領をあきらめた(p202)
・日本が建国した満州国を傀儡国家というならば、アメリカがイラク・アフガニスタンに、インドがバングラディッシュへ、イギリスがベルギーへ行ったことも同類(p247)
・地政学的には、オランダ領インドネシアを保障占領するのがベストな選択であった(p297)
・日本と本当に戦っていた国は10か国もないが、気が付いたら国際連合の現加盟国50数か国と戦争状態になっていた、国際連合に入るための条件が、「対日宣戦布告」であるから(p305)
・真の意味での線背負うは、1648年から1945年までのあだ花であったかもしれない(p310)
2017年5月25日作成