朝井リョウのレビュー一覧
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効率や意味を求める薫の性質が自分に重なる。
趣味や関心事は多くあるが、いずれも私は価値を説明しやすいものを好んでいる気がする。例えばワインだって、教養になったり、テイスティング能力が向上したり、と成長や価値に紐づいている。
一方で、人からの善意だとしても効果的でないときに無駄だと感じてしまっている節もある。
土砂降りの深夜、人の家に向かっている時に、駅まで迎えに行こうかと聞いてくれることは、その人の愛だったと思うし、旅行のパッキングにやけに時間が掛かっているのだって、現地でのことを想像してその時間も含めて楽しんでいるのかもしれない。むしろ、そういった内省や感受性こそが「心の豊かさ」や「他者への想像力」に繋がっているのだと思う。
しかしこれまで積み重ねてきた性格もあり、全く意味があると思えないものも含めて愛したいと素直に思えないかもしれない。ただ、自分には価値が分からないものでも、誰かにとっては意味があることかもしれない。むしろ、自分が価値を理解できていないだけかもしれない。
誰もが同じ基準で価値の有無を判断し、説明できないものを排除していったら、世界は同質化していく。ただ実際の世界ではコントロールできないものだったり違いだったりがある中で生きていくのだ。
ままならないから、私とあなた。なのだ。 -
Posted by ブクログ
THE青春小説。
個人的に青春小説が好きだからなのか、
最後は電車の中で泣くのをメチャクチャ我慢しながら読んだ。
チアのことを全く知らなかったけれど、演技の様子を何となく想像しながら読み進めることができた。
全員が同じ価値観、モチベーションではなく、一人一人違った感情や葛藤がしっかり描かれているのが良かった。
学生時代って、自分が世界の中心で、自分が一番悩んでいるように思ってしまう。
でも、周りにいる一人一人にも、それぞれの人生やドラマがあるんだよな…
当時一緒にいた友達やクラスメイトにも、それぞれ自分には見えていなかった悩みや事情があったんだろうな…
とかそんなことを読みながら考えてしまった -
Posted by ブクログ
案外手に取るのが後回しになった朝井リョウのデビュー作。2人以上の登場人物から自分には見えない、届かない世界に対する劣等感を描くのがこの頃から本当に上手いなと思います。後作の言葉を借りれば、自分の「輪郭」と言うべきでしょうか。このメッセージを部活動のレギュラー/控え、彼氏彼女のいる/いない、運動部/文化部など高校生活の具体的な風景に完璧なまでに落とし込むのが筆者の凄いところですし、読み手にもグサッと刺さります。朝井リョウ自身がバレー部出身で小説家志望だったことを踏まえて読むと、筆者の高校生活を追体験できる気がして、より一層面白く感じました。
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Posted by ブクログ
ネタバレ桐島が「装置」に徹底している点に感銘を受けた。
同じクラスで、異なるカーストに属する登場人物たちのエピソードが展開する中、最終盤で「桐島」を主人公とした章が当然あるのだろう、そこで桐島の心情が事細かに露わにされ、それまでの物語の見え方が大きく転換するのだろうと予想していた。
しかし、桐島は本を閉じるまで登場せず、それどころか彼の人物像の全貌が浮き上がることはなかった。
与えられた情報は、クラスの一軍で、バレー部のキャプテンで、不動のリベロで、だけど部内で軋轢が生まれ去ったという客観的事実のみ。彼が日々何を思い、どのような葛藤を抱え、部活を辞めた後どのような学生生活を送っているのか、桐島の心の内はすべてが読者の想像に委ねられた。
究極、この物語は桐島がいなくとも成り立ちうる。
自分の置かれたカーストにより相手を見下し見下され、優越感に浸ったり劣等感を抱いたり、という手触りのある青春時代のほろ苦さがよく描かれていた。
群像劇として読みながら、かつての自分が受けた痛みや知らず知らずのうちに放っていたであろう「ひかり」に思いを馳せた。19歳で書いたと知り、「だからこんなに瑞々しい表現、胸がざらりとする表現ができるのか」と感心した。
この物語は、桐島がいなくとも完成度の高い群像劇として成り立ちうる。
しかし、あえてこの本の主軸に「桐島」という輪郭の見えきらない存在を置き、またタイトルに据えた点が、朝井リョウの意匠の光る点だと思う。世に溢れかえる数々の「青春群像劇」に埋もれず、『桐島』として多くの読者を惹き付けたのは、桐島を終始「装置」として描き切った点にあるのではないか。
自身の高校時代を振り返って、いわゆる「一軍」の中にも本当に浅いやつと、実は仲間の外を見て手を差し伸べようとする者がいたりとグラデーションがあったのかということに今更ながら気付かされた。
当時の私は、「一軍」は「外見やスポーツの得手不得手等で一方的に線を引き、「そうでない者」を理不尽に見下してくる者たち」と一括りにして遮断していた。実際に、映画部が受けたような冷笑にも身に覚えがある。
しかし、「一軍」と一括りにして視野の外に捨てた群れの中にも、個々の関係であれば仲良くなれる人もいたのかもしれないと考えさせられた。
また、「カオリ」のように、周りから見れば何でも持っていて恵まれた存在でも、実は周りが持っているものを持っていない、ということもあったのかもしれないと思わされた。
皆が何かを持っていなくて、代わりに人にない何かを持っている。本当は皆どこかでお互いに同じなのかもしれない。学生時代のカーストは絶対的なものに見えるが、大人になると自然と取り払われていく。あれはなぜだろう。 -
Posted by ブクログ
ゆとり三部作の三部目。
私はこういうちょっと無茶をする若い男性が好きなのかもしれない、と気付く。
そして、誰か朝井リョウ先生を精密検査に連れて行き、排泄に左右される人生から解放してあげて欲しい。マジで。
人生のスタンプラリー、私にとってそれはカフェのポストがそれにあたるかもと思った。
誰かの訪れたカフェのポストを見て、「自分も」とグーグルマップにピンを打ち、実際に訪問後Instagramにポストすることでスタンプ完了。
でもそれが楽しみでもあるので、日々SNSをチェックしながら、スタンプラリーを続けます。
そして次のエッセイ集を心待ちにしています。