萱野稔人のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
2023/12/22
気になっている萱野稔人さんの著作ということで購入してみたが、読み進めている今の段階では論理の飛躍や意味不明な説明が目立つ。
いたずらに残虐な殺人事件の詳細を述べたりするワイドショー的なノリ。
「宅間」という特殊な事例を一般的な事例に適用しようとしている。演繹法にしてもあまりにお粗末過ぎる。
「国家とはなにか」「カネと暴力の系譜学」で見せていた強烈な論理的流れはこの中には見られない。
まだ1/4(78/318)ほど読んだだけだが非常に残念な気分である。
今後の展開に期待して⭐️2個に。
2023/12/29
前半の非論理的に見える部分が前振り。論理の流れを優先したために非論理的になっていたということらしい。
道徳論の展開を読んで少し納得。⭐️は3個に。
2024/01/01
読み終えた感想を。
中盤カントの定言命法の説明あたりから冤罪を問題として取り上げている部分は説得力があるし惹きつけられる。
公権力の下では冤罪が必然であるから死刑を廃止すべきという論理も良くわかる。
ただ、宅間守にこだわり過ぎた感あり。
著者も説明する通りの人物であるこの死刑囚が言うことを全て真に受けるのはどうかと思う。死刑になるため。自分以外の人間を苦しめるため…本当に事件前からここまで考えてから犯行に及んだのか?
『死刑になりたいが故に殺人を犯す者が相当数存在する』という前提で話の骨格が形成されているが、そこに違和感を感じる。罪を犯した本人にしか分からない動機。全面的にその本人の弁を信じて良いのか大いに疑問に思う。可能性としては存在することではあるが。
統計データの引用も逆に説得力が無い。この時たまたまこういうデータが出ただけかも知れない。一般化するには無理がある。
勉強になった部分も多々あったので⭐️は3個のままにします。
著者のデリダ嫌いはよく分かった^^;
2024/01/02追記
「責任という虚構」(小坂井敏晶)をもう一度読もうと思った。 -
Posted by ブクログ
テーマと前書きはめっちゃくちゃいい(そこだけに星3つあげたい)けど大学生の論文なのでリアリティがないというか、ニーズにあってないというか。
私個人の好みの影響もあるかなとは思う。
このタイトルの本を読むのはおそらく「女子力」にもやってる人で、それがゆえに結婚とか出産にももやってる人もいて、そんな人が読むであろう本の最初の章が「早期出産のすすめ」(意訳)て!!!喧嘩売ってる?!?!晩婚や閉経を動物と比べるなよ!!!失礼だろ!!もう笑っちゃったよ。
早く生むことも遅く生むこともできる大学生にはわからないでしょう、この気持ち。
社会にでてないからデータでしか語れないのもなんか足りない感じがしてもやもや。仕方ないけどね!わかってるけどね!
同じテーマでちゃんとした研究者やエッセイストがかいたらめちゃくちゃ面白かっただろうな… -
Posted by ブクログ
死刑制度について、廃止と存続、双方の立場の議論をざっと俯瞰した本。
コンパクトにまとまってる感じ? 著者の独善がやや気になるけど。それに死刑の歴史的経緯についてまったく触れられてなくて現在だけを論ってるのは物足りなくもある…けど、それでは紙幅が足りなくなるかな。
著者は大衆の処罰感情を尊重しろという。でも感情論を正当化すると、政治テロや私刑だって、正当化されちゃわない? 特に、「相手を殺して自分も死ぬ」タイプの殺人とかさ?
著者は、死刑の存続の論拠に、遺族の復讐感情を挙げるのは難色を示す。殺人事件の被害者遺族(死刑判決出るのはまあ殺人事件に決まってるし)といっても皆が皆同じように死刑を望むわけでもない。むしろ「遺族感情」が体よく利用されてる、てのは、ワカル。(被害者遺族でありながら死刑に反対する人の意見…「被害者の死と犯人の死ではとても釣り合わない」というのも重い)
一方で、人道的見地、温情主義からの廃止論を無意味と切り捨てるあたり、身内に厳しいインテリの所以だろか?
著者は、死刑廃止の唯一の論拠を、冤罪の可能性とする。それは単に手続き上のミスではなく、司法制度そのものに起因するので、完全に無くすことはできない、と。確かにそれは正論だ。現にイギリスでは冤罪事件を契機に死刑制度が廃止されたのだし。(「冤罪の余地のない現行犯ならどうなんだ」って意見にもちゃんと反論されてるのでご安心を)
ちょっと疑問なのが、著者は、「人を殺したくない」という人間の本能を丸っと無視してる点。大衆の処罰感情を肯定するなら、逆に、殺人の忌避という本能だって尊重されるべきじゃなかろか? 兵士や犯罪者や司法関係者など、実際に人を殺した経験のある人たちの意見では、「人を殺したくない」という本能はとても強烈なものだというけれど。(このへんはデーヴ・グロスマンの研究が興味深い。彼が参照しているマーシャルのデータは胡散臭いにしても、彼は現代の人たちからも意見を聞いてる)
そして、「なぜ人を殺していけないのか?」という命題について、カントまで持ち出して「合理的な理由はない、ダメなものはダメ」という。このへん読んでふと気付いたのは、この命題になかなかスッキリした答えが出されない理由は、そもそもこれは順序が逆なんじゃないかと。「人を殺してはいけない」のではなくて、「殺していい動物」と区別するために、「人」が定義されてきたのではないだろか? 特に西洋では伝統的に、動物は魂がないから殺して食ってもいい、人間は魂があるので殺してはいけない、とするしね? ニュアンスの違いはあってもどこの文化圏でも同じ。だから「なぜ人を殺していけないのか?」という問いはトートロジーになるのではなかろか? -
Posted by ブクログ
国家と暴力、国家と資本の関係について、著者みずからの思想をわかりやすい文体で展開している本です。
国家は唯一、正当な暴力を行使することのできる主体として存在しています。著者は、人びとの公共性にもとづいて正当性が担保されるという発想をしりぞけ、国家が暴力を独占し、暴力の合法性を独占することが根本にあると主張します。さらに、上部構造である国家は下部構造である生産様式によって決定づけられているというマルクス主義の立場を批判し、国家による暴力の独占によって、資本が身分制度から解放され、資本主義の全面化が生じたと論じています。
著者の議論の背景にはドゥルーズ=ガタリの思想がありますが、著者自身はポストモダン左派の国家観に同調することはなく、暴力と資本を支える国家の機能をクールな観点で把握することに努めているような印象を受けました。 -
Posted by ブクログ
借りたもの。
現代女性の生き方、働き方を考える一冊。論文と座談会。
特に明確な答え、方法論などがあるはずも無いが、今後のライフスタイルを考えるにあたっての判断材料になる。
おひとりさまのライフスタイル、そして同性婚についてまで。
結婚、出産に関する年齢的限界、更年期障害…あらゆることに身体的にタイムリミットのような節目があり、女性にとっては怖いことばかり書いてあるような……
結婚する相手――自分に合ったいい人――を見つける奔走はいつの時代もあったり(戦後、メディアの発達に伴い、それが明るみになっただけだろう)、医学が発達しても必ずしも授かる訳ではない不妊治療、ホルモンバランスの崩れからくる精神的な不安定さ……
それらを加味した上で、どういう人生設計をするか。
悲観的なことばかりではないだろうけれど、考えることが多すぎる……
仕事もプライベートも、現代社会が個人に対して求めることが相対的に高くなりつつあるのを踏まえてみても、それらを両立することが必要で、その難しさ、慎重にならざるをえないことを思う。
私が義務教育を受けていた時は、出産・子育てに専念するか、キャリア形成をとるかの二者択一だった。
社会人になるちょっと前くらいには、共働きが増え始め女性の社会進出の重要性が叫ばれ、子育てとの両立の課題と支援がさかんに叫ばれたが…産休をとったあと復帰する難しさなど、課題が山積していた。それは今、どれだけ解消できたであろうか?
仕事も子育ても、バランスをとって両立できたなら……これ程幸福なことは無いと思う。 -
Posted by ブクログ
歴史的な観点から資本主義の終焉を語るエコノミストの水野和夫と、気鋭の政治哲学者である萱野稔人の対談が収録されています。
水野の本では、彼の資本主義の見方が簡潔に説明されている『資本主義の終焉と歴史の危機』(集英社新書)だけしか読んでいなかったのですが、本書でもそれとおなじ見解が語られています。ただし、萱野が国家と資本主義の関係という問題設定を持ち込むことで、上の本では抽象的にしか語られていなかった、ポスト資本主義に向けた日本の課題が、現代の日本が国家として直面している課題にいっそう具体的に結び付けられるかたちで説明されており、水野の立場についてもうすこしくわしく知ることができたように感じています。
ただ、日本のバブルにかんしてアメリカがすでにその見通しをもっていたという主張については、かなりできすぎた話のように感じてしまいますが。 -
Posted by ブクログ
ネタバレまだ加筆・編集すると思うけど、とりあえずメモ。
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非常に明快でわかりやすい。
道徳について、定言命法からのアプローチはとてもおもしろかった。
確かに根拠がないからこそ絶対といえるのかもしれない。
そして著者は、「道徳は論証されなくても力を持つ」との結論に落ち着き(その道徳ってそれ自体が思い込みやご都合主義なんじゃないの?という疑問が残るけど)、カントの「同等性の原理」を根拠に死刑を肯定する。
デリダの議論をありがたがる人々を痛々しいとハッキリ述べているのは痛快だった。
ところで、本書の中盤では死刑制度の是非の根幹である「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いについて長く語られているが、私は本当に死にたいと思う人は希望通り死ねばよいと考えているので、もちろんそういう人は一人で死ぬべきであるとは思いつつ、どうしても一人で死ねない場合(最近の話題でいえば、ちょうど西部邁さんのような)それに対する幇助を罪に問わせなければ、もっとシンプルにわかりやすくなるのではと思っている。大抵の人間はできる限り生きていたいと思うし、仮に不慮の死因以外で死ななくてはならないのならば、その死に方や死期くらい自分で選びたい。だから大抵の人間は他人なんかに「殺されたくない」と思っている。他人の死に方や死期を、勝手な都合でコントロールできる権利はないだろう。でももし、明確に本人が死を望むのであれば、それに従って他人が行動を起こす、というのは何ら悪いことではない気がする。だから答えとしては「人を殺してはいけない(条件付き)」という感じなのかな。その条件が普遍的なものではあるのだけど。
例えば、「あなたが死にたいと思った今日は昨日死んでしまった人が生きたいと願った明日」という言葉があるが、もちろん素敵な言葉でもあるとは思うけど、死にたいと思った人に対してちょっと酷である。彼らを勇気づける言葉としてよく紹介されるが、逆に、これは彼らを「死にたいと思うことすらいけないのか…」と、ますます追い込んでしまう言葉である気がする。一人一人の状況は違うのだから、やはり死にたいと思う権利も死ぬ権利も当然あるのだと思う。
だからやはり、死にたくない人を死刑にするのは極刑といえるだろう。