萱野稔人のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
中国に行く前に空港で買った本。
現代の日本を取り巻く生きづらさについて原因を探った本。解決策が十分提示されているとは言えないと思うが、とてもよく現状を捕らえていると思う。
持論では、人間の欲求はマズローの欲求段階説に従っており、これらが満たされないことに人は不満や生きづらさを感じるものだと思う。
現代の日本に生きづらさが蔓延しているのは、もっとも基本となる生存欲求が満たされない人(働きたくても働けない人)ばかりでなく、働いている人の中でも所属の欲求や承認欲求が満たされないことに原因がある。
本の中で「犠牲の累進性」という言葉が出てくる。世の中にはもっと苦しんでいる人がおり、、下を見ることで現状に満足させるエクスキュースの言葉として否定的に使われているが、様々なレベルで不満が渦巻いているというのは事実だろうと思う。
生存のレベルで苦しむ人と承認のレベルで苦しむ人の課題はそれぞれ解決されなくてはならないと思うが、問題はこれらがトレードオフではないかということである。
本にも書いてあったが、我々は生まれてすぐに他人と競争する主体として存在し、誰かを犠牲にすることでしか我々の社会や暮らしは成り立たないのではないか。
実際自分はそういう会社で働いているし、多くの同僚は同じ感情を抱いているのではないかと思う(実際にそういう発言をした上司はいた)。
もちろん生存の欲求は承認の欲求より優先されるべきだと考えているが、これが社会全体の問題である以上、トレードオフ・合成の誤謬・囚人のジレンマが生じ、個人の努力によっては解決されない問題だと考える。知恵と合意によってルールとして社会が選択しなくてはならない。
知恵として個人的に魅力を感じているのは、ベーシック・インカムという仕組みである。最低限の生存欲求を満たすことですぐに救える命があると思うし、生存欲求を離れて人がよりリスクをとって生きることのできる社会で、人はゼロサムではなくよりwin-winな関係を築けるのではないだろうか。 -
Posted by ブクログ
私はオバサンで、正社員一筋で働いてきました。派遣の実態を正確には知りません。所詮他人事なんです。昔から、下層の労働者は搾取されるもので、じゃあ何故生活を安定させるために努力をしないのかと、思ってきました。この本を読んで、どうしようもない現在の仕組みが少し判った気がします。昔とは大きく違うのですね。特にショックだったのは、最近の人はネットで繋がっているから、そこで何らかの「承認」を得られていると思ってました。「バーチャルな承認」だけでは駄目なのですね。現実の人間関係の中での承認がやはり必要なのですね。私は年寄りなので、バーチャルな世界は二の次だから、ネットだけでは孤立していると思うのだと思っていたのです。所属する場所がないのはキツイことです。私は今の職を失えば、清掃か介護の仕事にありつけるかどうかという立場ですが、あえて言えば、「正社員」を失くし、新しい雇用形態を全体で考えるべきではないでしょうか。「希望は、戦争」しかないでしょうか。
-
Posted by ブクログ
「行きづらさ」について書かれている。
この本では、精神的な「生きづらさ」と社会的・経済的な「行きづらさ」が渾然一体であるとして語られている。
そうやって押し付けられるダブルの「行きづらさ」。
どうにかしたいものです。
興味深い箇所。
P9 L4〜L5
(萱野稔人)「おそらく精神的な「行きづらさ」と社会的・経済的な「生きづらさ」って、どこかで重なってるんですよね。」
P10
空気を読んで自殺する
P13
空気を読むことの重圧
P14 L5後半〜P15 L5
(萱野稔人)「生きていくうえで、空気を読む必要がものすごくあるわけです。人間関係のなかで要求されることのレベルがとても高い。
いまの社会では、場の空気を読んで、相手の感情や行動を先回りして、互いにコンフリクトがけっしてあらわれないようにふつまえっていう要請がすごくあるじゃないですか。そうしないと、自分のことをまわりから認めてもらえないし、自分の居場所もつくれない。そういうハードルの高い人間関係のかたちがあるから、一度それにつまずいてしまうとなかなか立ち直れない。つまり、コミュニケーションのあり方が行きづらさのもともとの原因にある。
コミュニケーションのなかで要求されるスキルや繊細さって、時代のなかでどんどん高度になっているんですよね。だから勝ち組の年長者は、いまの行きづらさのリアリティがまったくわからなかったりする。いまでは小学生でさえ、相手の期待や場の空気を壊さないようにするにはどうふるまったらいいかを、すごく考えています。でも、要求されるレベルが高いから、それがちょってでも狂うと―たとえば友達の機嫌をそこねてちょっとでも無視されたりすると―学校へ行けなくなる。そして、一度不登校になると、コミュニケーションのハードルが高いから復帰がすごく難しい。引きこもりになりやすいんです。」
P36 L8〜P37 L2
他者からの承認
(萱野稔人)「空気を読んで、まわりに過剰に同調するというコミュニケーションのあり方って、いいかえるなら、それだけ人びとが他者との関係に依存しないと自分を維持できないってことをあらわしていますよね。他者から否定されたら自分の存在を支えられなくなるからこそ、空気を読んで、まわりに自分の存在を受け入れてもらおうとするわけです。自分の存在が他者からの承認に依存している度合いがとても高い。他者とのあいだにズレやコンフリクトが生まれて、他者からうっとうしがられたり見切られたりすることを極度に恐れて、無理にでも他者に同調してしまうんです。」
P37 L6〜L14
(萱野稔人)「やっぱり、人から認められることが、自分の存在価値を証明する一番の回路だと思いますよ。もともと人間って、自分の存在価値を自分では証明できないから、他者にそれを認めてもらうしかないんです。どうしても他者からの承認を求めてしまうんですよ。
ただ、どれくらい他者からの承認を必要とするかという度合いは、人によっても時代によっても違ってきます。おそらく、高いコミュニケーション能力が要求されるいまの社会って、その度合いが強い社会なんでしょう。そうした社会では、他者とのコミュニケーションのなかでそのつど自分の能力や価値を認めてもらわないといけないという圧力がものすごくあって、そうした社会の圧力にあわせて、個人のほうも「自分の価値を証明しなきゃいけない」、「他者に認められないといけない」っていう衝動に強く駆られてしまうんです。」
P39 L3〜L14
(萱野稔人)「いまニートの話がでましたが、こうして見てくると、精神的な「行きづらさ」のなかに、すでに社会的な「行きづらさ」の要素が一通りあることがわかります。
たとえば、貧困や不安定労働における「行きづらさ」って、たんにお金がないから行きづらい、ということだけにはとどまりませんよね。そこには、社会からまともに扱われないとか、居場所がないといった行きづらさも含まれています。そういった生きづらさの原型は。すでに精神的な生きづらさのなかに見いだされるものです。
もともと、要求されるコミュニケーション能力がどんどん高くなり、他者からの承認を得るためのハードルもどんどん高くなるなかで、多くの人が生きづらさを抱えるという状況があって、さらにそのうえで、ある時期からいきなり就職が厳しくなり、労働条件も厳しくなっていったということでしょう。それによって「行きづらさ」が、もっと社会的な問題まで広がってきたわけです。」
P65 L5〜L7
(萱野稔人)「おそらく左翼の陥りがちな誤りはそのへんにありますよね。左翼はどうしても「こっちが正しいんだ」という態度で、相手のいうことを否定し、説得することに向かってしまいがちですから。で、相手が直面している実存的な問題やリアリティを見落としてしまう。」
P85 L5〜P86 L14
フリーター、アイデンティティ、承認―なぜアカデミズムはフリーターの問題に対応できないか
(萱野稔人)「フリーターこそ実は自立させられていると言う話は、本当にそうだと思います。
ここで「所属」の問題をもう少し考えてみたいのですが、「所属」というのは、一方で、いざというときに頼りになって生活を保障してくれるものであるのと同時に、他方で、「私はここに所属している」というかたちでアイデンティティを保障するものでもあると思うんですよ。
たとえばフリーターは、どこにも所属していないアルバイターとして、社会的には何者でもありません。これに対し、学生のアルバイトなら、大学という所属する場所があるわけですよね。だから少なくとも社会的には何者かとして認知される。「フリー」の人間はそれがありません。もちろん有名人なら、どこに所属していなくても自分の名前だけは社会的に認知してもらえますが、しかし、普通の人にはそれは無理です。実際、有名人だって、自分の名前が知られていないところでは、「日本人」だとか、職業だとか、どこどこの会社(組織)の人間だとか、役職とか、そういうところで認知されるほかありません。要するに、所属というのは、物質的なレベルにおける社会の保障と、精神的なレベルにおけるアイデンティティの保障の、両方にかかわっているのです。
僕の属しているアカデミックな思想の世界では、これまでずっと「所属がないことはいいことだ」といわれてきました。「あらゆる所属をふりはらって、所属先のさまざまなしがらみとか、共同体的な縛りから逃れるのが自由なんだ」、と。ラディカルぶりたい研究者ほど、そういうことを得意げにいっていたわけです。でも、自分は大学の研究者として確固とした所属先をもっているのに、口先では「所属やアイデンティティをふりはらえ」なんていうのは、ちょっとおかしいですよね。実際、彼らはいまの流動化した社会の状況やフリーターの問題にはぜんぜん対応できていません。」
P90 L5〜L8
(萱野稔人)「「おまえなんていてもいなくても同じ」という立場におかれるのは、ひじょうにつらいことです。人は誰でも自分の存在価値を認めてもらいたいわけですから。「おまえじゃないとダメだ」とか「おまえのおかげだ」って誰でもいってほしいものですよね。自分が存在している価値なんてないんじゃないかという状況に人間は耐えられません。」
P104 L4〜P108 L9
(萱野稔人)「・・・・・。雨宮さんは、最初に左翼の集会へいったものの、ここは自分のくるところではないと思って、右にいった。しかしその後「プレカリアート」という言葉に出会って、フリーターの労働運動や反貧困の運動にどんどんコミットするようになった。このように、左右両方の世界に身をおいた人間から見ると、右と左はどう違うんですか?」
(雨宮処凛)「「ミニスカ右翼からゴスロリ左翼へ」とよくいわれるんですが(笑)、自分としてはあまり変わっていません。『右翼と左翼はどうちがう?」という本にも書きましたが、右翼と左翼の人たち何人かにお話を聞いた結果、違いは、憲法と天皇しかないように思いました。その二つ以外は、ものすごく入り組んでいる。その団体によってまったく違うし、極左と極右が同じことをいってたりする。憲法と東大以外で違いを見つけられませんでした。
あとはファッションセンスの違いでしょうか(笑)。右翼はベルサーチとかが好きで、左翼はラフなというか、貧乏くさい格好していますよね(笑)。だから、憲法、天皇、あとちょっと服も違うみたいな。・・・・・」
P163 L9〜L12
(萱野稔人)「つねにシノギを削り、そのつどのコミュニケーションをつうじて自分の能力や価値を認めさせる、というのが、いまの人間関係の基礎になっているんですよね。なかなか安住できる人間関係がない。」
(雨宮処凛)「やはり最悪の出会い方しかできないのが、行きづらさの根本問題だと思いますね。」
P165 L9〜L12
(萱野稔人)「リストカットをしている子に話を聞くと、やっぱり自分を責めているんですよね。自分を責めて、否定して、その結果として自傷行為に走る。たとえば自分への罰としてリストカットをして、罪滅ぼしするという子がいました。自分の手首から流れる血が見ていると、罪悪感が消え、心が安らぐ、と。」
P177
メンヘラーが労働運動で自己を回復する
P180 L11〜P183 L6
自己を肯定する二つの宣言 -
Posted by ブクログ
ネタバレ死刑制度の是非を、道徳、機能性、政治哲学、リスク、そして感情から考察した一冊。非常に秀逸で面白かった。
私が同意できた本書の内容や考えを列挙する。
「道徳」
道徳というのは文化や個々人によって様々(EX捕鯨を文化とみなす日本と、野蛮とみなす欧米諸国)。
道徳という相対的なものによって、死刑制度の是非を結論付けるのは困難。
「機能性」
死刑制度の犯罪抑止力は不明。
抑止力があると主張する研究もあれば、逆もある。
また、死刑を望んでの連続殺人事件が2000年〜2015年の間で4件発生した。死刑制度は殺人を誘発した実績すらある。また、欧州では終身刑受刑者が死刑を望む嘆願書提出が複数回発生。
死刑よりも終身刑の方が極刑に相応しいのではないか。
「政治哲学」
何が合法かを決め、違法行為には処罰を下す、国家という協力な同一主体に殺人の権利を与えるのは危険。
また、殺人事件のみならず、国家転覆に関わる罪も死刑の対象となる。仮に日本政府が暴走しても、彼らを倒すのは死刑となるのは、民衆にとって危険。
「リスク」
冤罪によって死刑が執行されたら取り返しがつかない。なお、冤罪は単なるミスでは済まされない、国家の恣意や人々の使命感が絡む。
「感情」
凶悪犯には厳しい処罰を課すべき、という人々の処罰感情は、誰しもが持つ当然の応報感情である。
死刑制度は本当にその処罰感情に応えられているのか疑問。
終身刑受刑者が死刑を望んだり、死刑を望んでの殺人もあるから。
よって、極刑は死刑ではなく、終身刑の方が望ましい。 -
Posted by ブクログ
《紹介と感想》
リベラリズム――他者に迷惑をかけない範囲で個人は自由であり、社会はその自由を制限してはならないという原理――の限界を哲学的に論じた本。リベラリズムは理想論的で社会に余裕がなくなると成立し得ない考え方であるということ。雑に言えば「リベラリズムを徹底すると社会がめちゃくちゃになり得る」ということだろうか。今風に言えば「持続可能性に乏しい」とも表現できるだろう。予備知識不要で素人の私でも読みやすかった。著者の読者への配慮が随所に見られる良い文章だと感じた。
《関連する書籍》
御田寺圭『ただしさに殺されないために』
御田寺圭『矛盾社会序説』
《メモ》
①リベラリズムとは「他人に迷惑や危害を加えない限り、たとえその行為が他人にとって不愉快であったとしても、社会は個人の自由を制限してはならない」という哲学的原理。
②もし「先天異常の子どもが生まれるリスクが高まる」という理由で近親婚を禁止するのであれば、同じ理由で一定年齢以上の結婚も禁止すべきということになりかねない。
③インセスト・タブー(近親相姦の禁忌)は、家族を成り立たせ、結婚を成り立たせ、人間集団のあいだで協力関係を構築することも可能にしている。
④我々の社会には、リベラリズムの原理を適用すべき要件を満たしていても、それを適用することがどうしてもはばかられる事柄がたしかにある。そしてそうした事柄ほどより根源的な秩序原理として社会を成り立たせている。
⑤リベラリズムの限界とは、パイの配分を手厚くすべきというリベラリズムの考えはパイが拡大しているときにしか説得力をもたない、という限界。 -
Posted by ブクログ
最近、個人の自由を重んじる、リベラル派の人たちへの批判が高まっている。それはなぜか?彼らがよって立つ思想「リベラリズム」を考察し、その“限界”を解き明かした書籍。
「リベラリズム(自由主義)」とは、「できる限り個々人の自由を尊重すべきだ」とする考え方のことである。
リベラル派の人たちは、同性婚を認める一方で、一夫多妻婚は認めない。
その根底には「結婚とはこういうものであるべきだ」という“規範意識”がある。
リベラリズムは、この根源的な規範意識を超えてまで機能しない。ここに、リベラリズムの“限界”がある。
近年、人々が「右傾化」してきたといわれる。
その根底には、例えば、国の財源が厳しい中で、法的に受給資格のない外国人が生活保護費を受給することなどに対する問題意識がある。
つまり、パイの縮小に対する危機意識が広がっている。
現代の右傾化現象は、政治哲学的には「功利主義」の拡大・激化として捉えられる。
功利主義とは、全体的な利益を考慮して、その全体的な利益が最大になるよう行為すべきと考える立場のこと。
人々の間に、パイの縮小に対する危機意識が広がるのに伴い、リベラル派に対する批判も高まっている。なぜならリベラル派は、パイの分配を手厚くすべきだという立場に立つから。その考えが、パイの縮小に対する危機意識と対立するのは明らか。
パイの分配を手厚くすべきというリベラリズムの考え方は、経済が成長していて、パイが潤沢にある時にしか説得力を持たない。ここに、現代のリベラリズムの大きな限界がある。 -
Posted by ブクログ
ナショナリズムという言葉は、太平洋戦争時に広まっていた「天皇陛下万歳」や「お国のために」と繋がっていそうで、少し忌避の気持ちがあったのだけど、本書を読んで少し変わった気がする。
しかし、昨今蔓延る保守層の「他国を貶めて自国を誇る」風潮は如何ともしがたいし、あまり耳に入れたくない論旨だ。
本書で少し変化した意識と共にYouTube等で配信している保守系番組をチラ見しつつ、現在の(マインドの質の悪い)保守層がどう変わっていくのか、それとも変わらずに行くのかを見ていたい。
追伸
とても面白く読み進めていたが、ベーシック・インカムへの基礎理解が無かったので、もう少し知恵をつけたらまた再読したい。
-
Posted by ブクログ
萱野稔人(1970年~)氏は、早大文学部卒の、政治哲学、社会理論を専攻する哲学者。津田塾大学教授。
本書は、近年「リベラル」といわれる人たちへの風当たりが強くなっていることに対し、その現象の本質は何なのかを明らかにしようとしたものである。
本書のおおまかな内容は以下である。
◆「リベラリズム(自由主義)」とは、哲学史上はジョン・スチュアート・ミルが体系化した、「他人に迷惑や危害を与えない限り、たとえその行為が他人にとって不愉快なものであったとしても、社会は各人の自由を制限してはならない」という哲学的原理のことである。しかし、リベラル派と呼ばれる人びとでも、その多くが、(今日では)同性婚を認めることはできても、一夫多妻婚を認めることができないように、どの範囲までリベラリズムの原理を適用するかを決める規範意識が、リベラリズムの原理よりも先にあるという点において、リベラリズムには「限界」がある。
◆リベラル派が批判されるのは、人びとが右傾化したためだと一般に言われるが、リベラル派への批判が高まってきたことと人びとが右傾化してきたことは、同一の事態における表裏の現象であり、因果関係にはない。右傾化といわれる現象のもとにあるのは、経済成長が鈍化してパイが縮小するという危機意識で、その言動は限られたパイを死守しようとするものであり、右・左という政治的立場の選択というより、功利主義(全体的な利益を考慮して、その全体的な利益が最大になるよう行動するべきだと考える立場で、ジェレミ・ベンサムが体系化した)の拡大と捉えるべき。一方、現代におけるリベラリズムはパイの配分を手厚くするべきだという立場(ジョン・ロールズが理論化した)に立つ。よって、現代の右傾化といわれる現象と、その周りで生じている対立は、(現代の)リベラリズムと功利主義の対立というべきである。
◆ただし、ロールズのリベラリズムには、パイの分配には「経済が持続的に発展する」という条件・前提がついており、パイの拡大が見込めない現代において、リベラル派の主張には根本的な欠陥があり、人びともそれを見抜いている。
◆また、そもそもなぜ現代の(ロールズの)リベラリズムはパイの分配を手厚くすべきだと考えるのかを突き詰めると、パイの配分を(ミルの)リベラリズムによって正当化することは実は極めて難しい(むしろ、功利主義などで説明する方が容易)のだが、リベラル派はその「限界」を自覚できていない。
上記の通り、著者は、現代リベラリズムの限界を二つ挙げており、その論旨は明快である。前者は、おそらくリベラリズムの本質に係る問題であり、本当にリベラリズムを主張するなら乗り越えていかなければならない問題といえる。一方、後者については、パイの再分配をどう考えるか、即ち、経済的格差をどう考え、どう手を打つかということであり、理論的根拠をリベラリズムに求めるか否かにかかわらず、現代世界の究極の課題のひとつである。
そして、後者の問題について、著者は、日本の歳入・歳出の統計等を示して、拡大しないパイの配分を厚くすることは現実にはできないと述べているのだが、私は疑問に思っている。事実、米国では、上位1%が持つ資産は下位90%が持つ資産の総量よりも多いというし、米国の株価指数は、今でも史上最高値を更新し続けている。世界全体で見た場合の、様々なレベル(国の中、国々の間など)での格差は歴然としているし、再分配するだけの原資はいくらでも存在するはずだ。私は、世界中で進む内向きの風潮は言うに及ばず、宗教・民族間の対立の根本的な原因さえも「格差」にあると考えている。格差を縮小する政策は、地球温暖化を止める対策と同じくらいに、われわれの将来を左右する重要テーマである。それは、リベラル派であろうとなかろうと真剣に考えなければならないことなのだ。
(2020年1月了) -
Posted by ブクログ
死刑に関して正面からかつ丁寧に論じた一冊。1、2章と死刑の実情と課題を挙げての3章からが本題。道徳で決着がつかないことには肯首できるし、冤罪に関する論は余り意識したことがなく興味深かった。
ただ冤罪の賞はやや急ぎすぎで以下の点などは納得するに至らなかった。
・死刑は取り返しがつかないことに依っているが、他の刑は本当に取り返しがつくのか。確かに終身刑や無期懲役の場合は冤罪が認められた際に社会復帰することも可能だが、それまで拘束されていた期間は本当に償うができるのか。不可逆な時間を戻すことが出来ない以上、経済的もしくはその他補償で取り返しがついたと言えるのか。それを考えるには生や時間の価値にまで踏み込まなければならなくなるが、もし取り返しがつくと言えないのであればこの問題は死刑の是非に閉じなくなるのではないだろうか。
・足利事件を例に挙げて刑確定後の再審のハードルの高さを論じているが、初めのDNA再鑑定の請求は上告のタイミングである。再審の請求が中々飲まれなかったのは、上告棄却時に判断済であったことも一因ではないのか。この事件に立脚して語る以上、裁判所の判断理由は詳細に語られるべきではないか。
以下、雑感。
元々死刑制度支持派だけれども、このように感情や道徳のみに頼らず廃止や代替手段を検討するのならば廃止論にも耳を傾けたいと思う。
ただ何となく終身刑は死刑より人道に悖るように感じられる。この感覚はどこから来るのか判然としていないが、もし導入するにしても国民の合意形成が難しいようにも感じる。
個人的に極刑は、先天的か後天的かはともかく所属する社会規範の埒外となってしまった人を、その社会を維持する為に隔離する機能ではないかと時々思う。どの時代のどこに産まれるかは選べないがこの不条理は解消しようがない不幸もある。そうすると極刑は必ずしも死刑でも終身刑でもある必要はないのかなあ。もう少し考えてみたい。 -
Posted by ブクログ
資本主義経済について、経済学者と国際関係学者との対談をまとめたもの。現在の資本主義体制は、マクロ的に転換点にあり、金融緩和(ゼロ金利政策)を継続してもデフレ脱却はできないことを中心に、説得力ある発言が多かった。わかりやすい。
「新興国の台頭によって、エネルギーをタダ同然で手に入れることを前提になりたっていた近代社会の根底が揺さぶられている」p18
「基軸通貨だからこそ、アメリカの財政赤字や経常収支赤字がいくら膨らんでも、各国はドルを買い支えてくれる」p52
「どのヘゲモニーの段階においても、実物経済がうまくいかなくなると金融化が起こる。そしてその金融化が進むと、同時に、(バブル経済が起き)その国のヘゲモニーも終わりに向かう」p69
「中国やインドが成長してしまうと、もう世界には経済成長を牽引できるような地域がなくなってしまう。それこそ資本主義の根本的な危機が訪れる」p112
「資本主義は民主主義と一体化するといわれていますけど、一体化するのは市民革命以降(以前は国王=資本家)」p124
「先進国はこれ以上市場が拡大しないところに直面しており、世界資本主義は大きな転換点を迎えつつある」p175
「(財政赤字削減について)公共投資は削れるところまで削っています。これ以上削ったら、そもそも雇用も維持できないし、国土の維持もできなくなります。公務員の人件費だって、日本はすでにOECD加盟国のなかでもっとも「小さな政府」のひとつになっています。そうなると、ありうるオプションは増税と社会保障費の削減ぐらいしかないでしょう」p212