萱野稔人のレビュー一覧
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自分自身、特に経済論に詳しくないんだけど
いまの多くの経済評論家の議論は、
金利引き下げがどうのとか、量的緩和がどうのとかの金融施策や
果てには「もっと、モノを買いましょう」といった
欲しくもないのに、無理矢理お金を使わせることを是とする
ような議論ばかりで、
「そんなことではいまの経済は変わらないんじゃない?」
といった漠然とした疑問がずっともやもやしていた。
例えば、野球の人気衰退についての議論に例えると
社会のなかの野球の立ち位置や環境が変化しているのに
スタジアムで起こることだけに目を凝らし、
「ネームバリューのある助っ人外人を連れてこなければならない」
「先発4本柱を育てなきゃチー -
Posted by ブクログ
中国に行く前に空港で買った本。
現代の日本を取り巻く生きづらさについて原因を探った本。解決策が十分提示されているとは言えないと思うが、とてもよく現状を捕らえていると思う。
持論では、人間の欲求はマズローの欲求段階説に従っており、これらが満たされないことに人は不満や生きづらさを感じるものだと思う。
現代の日本に生きづらさが蔓延しているのは、もっとも基本となる生存欲求が満たされない人(働きたくても働けない人)ばかりでなく、働いている人の中でも所属の欲求や承認欲求が満たされないことに原因がある。
本の中で「犠牲の累進性」という言葉が出てくる。世の中にはもっと苦しんでいる人がおり、、下を見ること -
Posted by ブクログ
私はオバサンで、正社員一筋で働いてきました。派遣の実態を正確には知りません。所詮他人事なんです。昔から、下層の労働者は搾取されるもので、じゃあ何故生活を安定させるために努力をしないのかと、思ってきました。この本を読んで、どうしようもない現在の仕組みが少し判った気がします。昔とは大きく違うのですね。特にショックだったのは、最近の人はネットで繋がっているから、そこで何らかの「承認」を得られていると思ってました。「バーチャルな承認」だけでは駄目なのですね。現実の人間関係の中での承認がやはり必要なのですね。私は年寄りなので、バーチャルな世界は二の次だから、ネットだけでは孤立していると思うのだと思ってい
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「行きづらさ」について書かれている。
この本では、精神的な「生きづらさ」と社会的・経済的な「行きづらさ」が渾然一体であるとして語られている。
そうやって押し付けられるダブルの「行きづらさ」。
どうにかしたいものです。
興味深い箇所。
P9 L4〜L5
(萱野稔人)「おそらく精神的な「行きづらさ」と社会的・経済的な「生きづらさ」って、どこかで重なってるんですよね。」
P10
空気を読んで自殺する
P13
空気を読むことの重圧
P14 L5後半〜P15 L5
(萱野稔人)「生きていくうえで、空気を読む必要がものすごくあるわけです。人間関係のなかで要求されることのレベルがとても高い。
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フーコーやドゥルーズに依拠しつつ、脱暴力が可能であるかのような政治論の欺瞞について論じている。著者の述べていることはもっともだが、そもそも著者の言う「日本の人文思想界」の人々が国民国家を否定しているかは疑問。もちろんその界隈に原始的共同体的なものへの憧れみたいなものはあるだろうが、多くの論者はそれを実現するというより、それに少しでも近づけるべく、国民国家の枠組みの中でできる限りの分権化を目指しているのではないだろうか。著者はまた、「反ナショナリズム」をグローバリズム推進と結びつけているけれども、自分の感覚では「反ナショナリズム」を論じる人々が問題にしている「ナショナリズム」とは主に民族差別や反
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《紹介と感想》
リベラリズム――他者に迷惑をかけない範囲で個人は自由であり、社会はその自由を制限してはならないという原理――の限界を哲学的に論じた本。リベラリズムは理想論的で社会に余裕がなくなると成立し得ない考え方であるということ。雑に言えば「リベラリズムを徹底すると社会がめちゃくちゃになり得る」ということだろうか。今風に言えば「持続可能性に乏しい」とも表現できるだろう。予備知識不要で素人の私でも読みやすかった。著者の読者への配慮が随所に見られる良い文章だと感じた。
《関連する書籍》
御田寺圭『ただしさに殺されないために』
御田寺圭『矛盾社会序説』
《メモ》
①リベラリズムとは「他人に迷惑 -
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最近、個人の自由を重んじる、リベラル派の人たちへの批判が高まっている。それはなぜか?彼らがよって立つ思想「リベラリズム」を考察し、その“限界”を解き明かした書籍。
「リベラリズム(自由主義)」とは、「できる限り個々人の自由を尊重すべきだ」とする考え方のことである。
リベラル派の人たちは、同性婚を認める一方で、一夫多妻婚は認めない。
その根底には「結婚とはこういうものであるべきだ」という“規範意識”がある。
リベラリズムは、この根源的な規範意識を超えてまで機能しない。ここに、リベラリズムの“限界”がある。
近年、人々が「右傾化」してきたといわれる。
その根底には、例えば、国の財源が厳しい中 -
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ナショナリズムという言葉は、太平洋戦争時に広まっていた「天皇陛下万歳」や「お国のために」と繋がっていそうで、少し忌避の気持ちがあったのだけど、本書を読んで少し変わった気がする。
しかし、昨今蔓延る保守層の「他国を貶めて自国を誇る」風潮は如何ともしがたいし、あまり耳に入れたくない論旨だ。
本書で少し変化した意識と共にYouTube等で配信している保守系番組をチラ見しつつ、現在の(マインドの質の悪い)保守層がどう変わっていくのか、それとも変わらずに行くのかを見ていたい。
追伸
とても面白く読み進めていたが、ベーシック・インカムへの基礎理解が無かったので、もう少し知恵をつけたらまた再読したい。
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Posted by ブクログ
萱野稔人(1970年~)氏は、早大文学部卒の、政治哲学、社会理論を専攻する哲学者。津田塾大学教授。
本書は、近年「リベラル」といわれる人たちへの風当たりが強くなっていることに対し、その現象の本質は何なのかを明らかにしようとしたものである。
本書のおおまかな内容は以下である。
◆「リベラリズム(自由主義)」とは、哲学史上はジョン・スチュアート・ミルが体系化した、「他人に迷惑や危害を与えない限り、たとえその行為が他人にとって不愉快なものであったとしても、社会は各人の自由を制限してはならない」という哲学的原理のことである。しかし、リベラル派と呼ばれる人びとでも、その多くが、(今日では)同性婚を認める