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今、なぜナショナリズムを考察するべきなのか? 格差・貧困問題から経済復興までの喫緊の課題は、「国家」「民族」などのナショナルな意識に訴えかけることなくしては、もはや解決しえない。ナショナリズムを否定するだけの従来の議論を徹底的に批判し、ドゥルーズ=ガタリやフーコーなど現代思想のキーテキストを読み解きながら、ナショナリズムの社会的・政治的な可能性を考える。
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Posted by ブクログ
ナショナリズムは戦前の軍国主義の原因とされ日本では口にしてはいけない忌み言葉化している。このタブーにあえて踏み込んで、ナショナリズムについて正面から分析してる。ナショナリズムや国民国家の否定は、結果として過激なナショナリズムを引き起こす。いまこそ日本のナショナリズムを高め、国民国家のビジョンを定義す...続きを読むる必要がある。その作業抜きには国益を定義することはできない。国益とは既得権益の現状維持ということではない。国民の幸福度を高めるためことが国益であり、不幸を最小にすることではない。 雇用問題、少子化問題、移民問題、社会保障等についてきちんとした議論を行うべきであろう。グローバル化のなかで、昔に戻ることはできない以上、新しいビジョンが必要である。ビジョンなしに個別分野の専門家に判断を任せることは非常に危険だ。
フーコーやドゥルーズに依拠しつつ、脱暴力が可能であるかのような政治論の欺瞞について論じている。著者の述べていることはもっともだが、そもそも著者の言う「日本の人文思想界」の人々が国民国家を否定しているかは疑問。もちろんその界隈に原始的共同体的なものへの憧れみたいなものはあるだろうが、多くの論者はそれを...続きを読む実現するというより、それに少しでも近づけるべく、国民国家の枠組みの中でできる限りの分権化を目指しているのではないだろうか。著者はまた、「反ナショナリズム」をグローバリズム推進と結びつけているけれども、自分の感覚では「反ナショナリズム」を論じる人々が問題にしている「ナショナリズム」とは主に民族差別や反移民、あるいは権力の濫用を問題にしているのであって、政治権力自体の解体を目指しているわけではないように思う。そうした意味で、著者は自身の思う「人文思想界」を相手に一人相撲をとっているように見える。(特に前半の第1、2章のあたり)。
ナショナリズムと国家。この二つに共通していることは、言語と暴力である。これは統治していく上で切り離せないという考えは確かに頷ける。また、グローバルになればなるほど、海外の安い労働力を利用することになり、経済格差がおこるという矛盾。それが巻き起こすナショナリズム。現在の不安定な世界を観ると、国内経済崩...続きを読む壊による外部経済への拡張。すなわち戦争という暴力による侵略が実際に起こってもおかしくない不安定な状況。そこはかとなく怖さを感じるのは自分だけだろうか?
「ナショナリズム批判」を批判する立場をとる萱野氏のナショナリズム論。 アーネスト・ゲルナーのナショナリズム論を軸としながら、アンダーソン「創造の共同体」やネグリ、ハートの「マルチチュード」などを批判しつつ、それらが国民国家、ナショナリズムの亜流や変形でしかないことを指摘している。またグローバリゼーシ...続きを読むョンが、国民国家を不要とするリベラル派の予想通りには進んでおらず、むしろナショナリズムの高揚につながることを指摘している。
アーネスト・ゲルナーが定義するナショナリズムを基本に,その歴史的な意義と機能を明らかにする書籍。 ウヨクやホシュハを擁護するものではない。 そのことは、以下によく表れている。 「私がナショナリズムを肯定するのは,基本的に『国家は国民のために存在すべきであり,国民の生活を保障すべきである』と考える...続きを読むところまでだ。もしナショナリズムが『日本人』というアイデンティティのシェーマ(図式)を活性化させて『非日本人』を差別したり『日本的でないもの』を排除しようとするなら,私はそのナショナリズムを明確に否定する。」(29頁)
日本の人文思想界に蔓延するナショナリズムを悪と捉える批評者たちのふるまいを、ナショナリズムに依存しつつ反発するのは思春期の反抗とほとんど変わらないと評して、バッサバッサと著名論者たちを斬っていく。面白い。
もともと政治には興味がない。 右翼、左翼の意味も分からない。 韓国に対して、なぜ一部の人が噛みつくのか意味不明 とはいえ、さすがにいつまでも無視するわけには いかないだろうと、少しでも勉強しようと、なぜか この本を手に取った。 結論から言うと「予備知識無しでは意味不明」だった 最大の問題は、この...続きを読む本で語られる「ナショナリズム」 とは、何なのかがさっぱり分からなかったということだ。 著者にとっては明確に存在しているのは確かで、 「それ」に対して非常に攻撃的ではある。しかし 「何」に攻撃しているのか、予備知識がないと さっぱり分からない。 でも、困ったことに面白いのだ。 そういう困った本である メモ) ・自分たちの利権を奪う存在、日本の責任ばかりを 騒ぎ立て、保証金を奪う外国人というイメージ 若者の被害者意識がナショナリズムへ駆り立てる ・日本人というアイデンティティ。それだけで 自分が認められるという感覚。社会から除外された 存在でないという安心感。それに飛びつく ・日本の若者の右傾化。単純否定しても抑えれない 原因をおさえなければならない ・リベラル知識人は政治よりも道徳に重きを置いている ただ他者を抑圧することはよくない、という理由で ナショナリズムを否定している。分析していない ・言語の共通性がネーションの基盤 ・国家とは何か。国境をなくすことが本当によいのか それは可能なのか。国家廃絶は国家反復につながる ・国家なき社会。強制的な権力はなくなるかもしれない だが内面同質化の凄まじい圧力が生まれる それは宗教に近いものがある。問題はそれを 受けいることができない人々だ。どうなるか ・いま、世界規模で世界を支配しているのは「資本g 主義」という装置だ。多国籍がこれに従う ・産業社会が人々の同質化を促す 様々な仕事へ移る(利益が得られる) そのための技術を学ぶ(学校) 国の利益。軍隊も同じこと ・ ・
フランス現代思想を参照しながら、日本におけるポストモダン思想の「反ナショナリズム」の議論の底の浅さを指摘しています。 著者はまず、反ナショナリズムを標榜しているはずの左派知識人が格差問題について積極的に発言をしていることに疑問を投げかけます。著者によれば、格差問題はどこまでもナショナルな問題であり...続きを読む、ナショナリズムに依拠することなく格差問題に対する対応を政府に求めることは矛盾していると論じます。その上で、「ナショナリズムとは、第一義的には、政治的な単位と民族的な単一が一致しなければならないと主張する一つの政治的原理である」というゲルナーの定義に基づきながら、国民主権の達成へ向けてのプロセスをナショナリズムの歩みとして捉えなおそうとしています。 また本書の最後には、国民国家がファシズムへ向かわないようにするためには、ナショナリズムを否定するのではなく、国外市場の拡大を重視することで国内経済の脆弱化を招来するような経済政策を改め、国内経済を保全するというナショナルな経済政策こそが重要だという主張が示されています。以前から、保守系の知識人たちが「戦後民主主義」をこの国の「伝統」から放擲しようとしていることに疑問を感じており、たとえば大塚久雄の国民経済論を保守の立場から読みなおすような試みがあってもよいのではないかと思っていたので、著者の提言はうなずけるところがあると感じました。 ただ、ポストモダン左派の反ナショナリズムに対する批判には、わら人形を叩いているのではないかという気がしないでもありません。著者の論じているように、彼らが何をナショナリズムに負っているかということについて無自覚なのであれば当然批判されるべきでしょうが、それはむしろ「脱構築」とは何であったのかを忘却しているという点で、批判されるべきだと考えます。
著者の前著「国家とはなにか」を読んでいる人にとっては内容が薄い。最新動向としてフランス大統領選時の極右の台頭が、グローバリゼーションによる格差社会を前に生まれたという事象を、彼の国家論に取り込んでいる。この本が言いたいことを一言で言うと「グローバリゼーションは格差を生み、低所得層はネーションとしての...続きを読む「国民」アイデンティティが強くなるため、ナショナリズムが大きくなる。よってグローバリゼーションは国民国家を消滅させることはない」というもの。また、野心的なタイトルではあるが、書の冒頭で彼も主張しているように、彼は排外的なナショナリズムは否定し、あくまで国民国家を成立させているナショナリズムのみを肯定している。
今ままで表層的な日本の人文系論壇の、更に表層しかなぞっていなかったので、ナショナリズムに関して深く考えたことが無かったが、萱野氏の論はわかりやすく、納得しました。自明性を解明されました。 社会の産業化の過程で、意思決定とそれの完遂のための共通言語というナショナリズムの条件が基盤となり、国民的暴力装...続きを読む置としての国民国家が成立した歴史を踏まえると、国境無きグローバル社会は夢想でしかない。 ナショナリズムを(可能ならば、相互調和的に?)改変または、拡張していくしか道はない。 共通言語といえば、英語?と考える人は多いでしょうが、大多数の日本人にとっても英語など不要のまま実生活を送っているのだし、 世界中にも、英語がわからない人が圧倒的に多いのでは? 「自分は『地球人』だ!」などとグローバルを気取った知識人は、本当にいるのですかね?本気なのかな? グローバルな視点で見れば、フラット化しつつあるのだから、国内的な貧困問題など、世界的には貧困ではないとか思えますか? ナショナリズムに煽られなくても、自分の周りの様々な問題においては、ナショナルに解決していくしかないですよね。 そこのところは、私も歯痒く考えていました。 表層的なナショナリズムに煽られたくはないけど、ナショナリストであることは、大袈裟に表明することでもない…というところかな。 ネグリ=ハート『帝国論』と、ドゥルーズ=ガタリ『千のプラトー』も読まなきゃなぁ~…フーコー『監獄の誕生』もね…う~む… 姜尚中『愛国の作法』は、途中で放棄しました。 E・ウォーラスティンは、普通に面白いですよ。 如何せん、フォントが大きくて行間が広い…私はもっとみっしりとした本が好き。
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