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池上正樹
(いけがみ・まさき)1962年、神奈川県生まれ。大学卒業後、通信社勤務を経て、フリーのジャーナリストに。おもな著書に『ダメダメな人生を変えたいM君と生活保護』(ポプラ新書)、『ドキュメントひきこもり』(宝島社新書)、『痴漢「冤罪裁判」』(小学館文庫)、『ふたたび、ここから 東日本大震災・石巻の人たちの50日間』(ポプラ社)、共著書に『石巻市立大川小学校「事故検証委員会」を検証する』(同)がある。現在、ダイヤモンド・オンラインにて「「引きこもり」するオトナたち」を連載中。
大人のひきこもり 本当は「外に出る理由」を探している人たち (講談社現代新書)
by 池上正樹
「ひきこもり」という言葉の響きには、さまざまなイメージがまとわりついている。 いまだに「裕福な家庭だから」とか「怠けている」「親が甘やかしている」などといった誤解や偏見が根強く残る一方、「働きたくないから」と仕事をしないで友人と遊び歩いている人や、治療が必要な非ひきこもりタイプの人格障害が疑われる人まで含めてしまう見方もある。
ひきこもる当事者たちの多くは、本当は仕事をしたいと思っている。社会とつながりたい、自立したいとも思っている。しかし、長い沈黙の期間、空白の履歴を経て、どうすれば仕事に就けるのか、どうすれば社会に出られるのか、どのように自立すればいいのかがわからず誰にも相談できないまま、一人思い悩む。 中には、何とか現状を打破しなければいけないと思っているのに、仕事などに行こうとすると、身体が動かなくなったり、おかしくなったり、痛くなったりするなど、 傍目 からはわからない問題を内に抱えていて、社会に出ることができない人たちも少なくない。
そして、ひきこもりの中核にいる人たちは、一般の人が気づかないようなことでも全身で感じ取れるくらい、感性が研ぎ澄まされている。だから、他人を気遣うあまり、人一倍疲れやすい。 そうした周りの空気を読め過ぎてしまうくらい心やさしい感性の持ち主だからこそ、ひきこもってしまうのだ。逆に言うと、他人を傷つけたり迷惑をかけたりすることも厭わないくらいモノを言える無神経なタイプであれば、ひきこもりにはならないし、なれないともいえる。
また、島根県が二〇一四年三月に公表した「ひきこもり等に関する実態調査報告書」によると、地域の中でひきこもっている人の年齢は、四〇歳代が最も多いことがわかった。しかも、ひきこもっている人のうち、四〇歳以上の中高年層の比率はなんと半数を超えて五三%にも上り、本人とその親の年代は、ますます高齢化が進んでいるという現実が明らかになったのだ。
「昨年、山形県が行った調査結果を見たら、ひきこもる人の中高年の割合が、半数近くを占めていることを知りました。四〇代、五〇代の方は、ひきこもり状態にあっても放置されていることが多く、生活保護予備軍にもなる。山形県と同じような形で年齢の上限を設けずに調査して、実態を探る必要がありました」
男性の割合が七一%で、女性の二四%に比べて三倍近くに上った。男性のほうが外からのプレッシャーで顕在化しやすいのは、全国的な傾向でもある。 家族構成については、ほとんどが家族と同居。複数回答で聞いたところ、「母」「父」「兄弟姉妹」「祖母」「祖父」の順に多かった。一方で、孤立が懸念される「ひとり暮らし」も約一五%いた。
〈他人に頼るべきではないという風潮が、この結果を招いている〉といったツイートも紹介されていた。第二章でも詳しく触れるが、自己責任論が声高に叫ばれる昨今、他者に迷惑をかけてはいけないという規範性の中で、気のやさしい人たちがいつのまにか社会の隅に追いやられている。それゆえに、〈世間こそが鬼です〉というツイートには胸が痛くなる。〈家にいるのは結果でしかない。ある程度は他者の手が必要。根性論を捨てれば多くの人を「救済」できる〉というツイートも見られた。このような価値観が、これからの社会には求められているのである。
〈私もうつ病で、ひきこもっています。主婦です。長男が、やはりひきこもりです。高校に行けず、3月に中退予定です。中卒で、病気で、この先どうなってしまうのだろうという不安でいっぱいです〉 そう明かすHさんは一五年ほど前、職場でのパワハラが原因でうつを発病し、ずっとひきこもっているという。
そんなHさんは、いまの若い世代に対して、進学校から一流大学、一流企業へと進めるくらい勉強ができれば、人生は安泰だと感じられた自分たち四〇歳代の価値観を押し付けてはいけないと考えている。たとえその〝コース〟から外れようとも、いまの時代、就職できるだけでも立派なものだと評価する。
いまの社会の不幸は、誰もが、何が幸せかわからなくなっていることに起因しているのではないでしょうか。お金や物質的には、ほとんどの家計が苦しくなっていると思います。総中流時代から、総下流時代になっているように感じています。希望が見えない時代では、うつ・ひきこもり・自殺は、増える一方なのではないでしょうか〉
筆者の印象では、ひきこもり状態にある人たちの三分の二くらいは、就職の失敗や、再就職できなくなるなどの理由から、〝空白期間〟を続ける人たちだ。
「私は、履歴書の資格の欄が立派に埋まるんです。ところが、ほとんどの資格は、自分で開業している人か、企業で必要に迫られて取得した人以外、まったく役に立ちません。にもかかわらず、資格の学校はその必要性を盛んに煽ります。社団法人や財団法人、NPOなどが、ものすごい数の資格を作っている。でも、資格を取っても、就職活動にプラスになるわけではありません。資格に幻想を持っている人がいますけど、公認会計士が早期退職を迫られたり、生活保護を受けている弁護士もいたりするのが現状です」
「日本人って、誰かから相談をされたり、誰かの困りごとが自分に降りかかってきたりすると、家族でも『迷惑をかけるな』っていう風潮がありますよね」 「迷惑」という言葉のもつ響きには、日本独特の文化や美徳に根ざした意識が影響しているのだろう。しかし、そのことがかえって、コミュニケーションの大きな阻害要因になっていると横山さんは言う。
そもそも、電気やガスが止まった家庭には、見回りに行かなければいけないと指摘するのは、都内で発達障害などの当事者による「ネッコカフェ」を運営し、自らも当事者である金子磨矢子さん。 「ライフラインの会社は、ただ止めるだけでなく、確認する必要がある。とくに水道は最後に止まる。水がなくなったら、人は死にます。生活保護の窓口担当者も、一度相談に来た人には、気をつけなければいけない。ただ、追い返すだけではダメです。Nさんはちょうど(生活保護) バッシングが激しくなっていた影響で窓口に行けなくなったのか。前に窓口に相談に行ったとき二度と来たくないと思ったのか。三一歳で、本当に気の毒です」
神奈川県に住む四〇代男性Qさんは、トータルで一五年ほどひきこもり状態にあった。 「子どもの頃から、ずっと私は(世の中の) 対象外でした。高校へ進学してしまうと義務教育ではなくなり、当時はサポートやケアがなかったんです。二〇代の段階で、どこに相談していいかわからず、四〇代になったいまもまた、公的な支援対象から外れ、最後の生活保護も受けられそうもない。常に、はじかれてきたんです」
中学時代に発症した「神経症」で通学が困難となり、高校を一年で退学。その後、六年間ひきこもった。 「私がひきこもった頃はバブル期だったため、親もそれなりに羽振りは良かったようです。経済的なサポートは、十分受けています。ひきこもった最初の一年くらいは、ある病院の相談機関に通っています。しかし〝この先どうしたら〟という悩みに対して、誰も導いてはくれませんでした」 自力で動こうとしては空回りの繰り返し。次第に両親からは放置状態となり、六年もの時間を棒に振った。
「私の両親は、一言でいえば幼稚な人たちでした。社会というものに対し、高をくくったようないい加減さがありました。教育にも熱心ではなく、私にとってはあてにならない身近な大人でした」 「父親は、決して社会的地位の高い人間ではありませんでした。性格は陰湿なのですが、極度のええ格好しいでもあったため、理想と現実が嚙み合わず、常にイライラしていました。酒癖も悪く、何時間も母親に絡むさまに辟易したものです」
私は家族がとある新興宗教の熱心な信者という家庭で育ち、その宗教の学校に通って、宗教の考え方にがちがちに染められてきました。 自分のアイデンティティが確立する頃に、宗教に対して違和感を覚えましたが、その宗教を否定することは、他者から自分を否定されることを覚悟しなくてはなりません。私の周囲は、この宗教に対して万歳という人ばかりで、否定でもしようものなら全方位から糾弾されますから、違和感を覚える自分自身を否定しなくてはならない状況でした。 大学生の時に、その宗教とは無関係の大学に入り、一人暮らしをし、周りが宗教の信者だらけという状況からは脱することができました。それでも、生き辛いという感覚は抜け落ちることがありませんし、今でもその感覚をもてあましながらもがいているように思います〉
〈「安全基地」を体験してこなかったことに、原因があるのかもしれません。ただ、思うのは、ひきこもりである方の多くは本当に信頼の置ける相手、安心できる相手を持っていないように思います。そんな相手を作るのは、ひきこもりを経験されていない方でも難しいでしょうが、安心と安全が保障される場所というのが本当にないのです。
「元気な人でさえ、なかなか社会や人とつながりをつくっていけない時代なのに、人間関係がもともと苦手な人で、一旦社会から離脱した人がもう一度社会に戻るには、大きな壁がある。消えた高齢者の話も、人がつながっていけないところでは、同じだと思いますね」
どこにも行き場がない。純粋な「ひきこもり」関係の家族会のようなものに参加したい。でも、どこに相談したらいいのかわからない──。そんな声が毎日、筆者のもとには数多く寄せられてくる。 「自分の住む近隣に、同じような悩みを共有できる空間があったらいいのに」 しかし、地域の中で孤立している「ひきこもり」の人たちやその家族が、個々の意向に添うような集まりを探そうと思っても、なかなか情報すらないのが現実だ。そんな彼らに手を差し伸べようとする民間の支援者の側は、個別に正面から向き合って選択肢を提示し、長くサポートし続けようとすれば資金面が厳しくなり、なかなか採算が合わないといわれている。そんな支援の動きの中にも、少しずつだが、新たな模索も始まっている。
ひきこもるにしても、お金は必要だ。株は五〇〇円くらいから始められる。投資はスタイルや性格を踏まえて合うものを選ぶ。時間があることを前提に、投資を通じて社会、経済を学べることにつながる。無理のない範囲内の投資なら、部屋にいながら世の中とつながることができる。詐欺もあるので、こういう怪しい手口については要注意という紹介もあったという。