高校生の僕は、病院で「共病文庫」という手書きの文庫本を拾った。
それは、クラスメイト・山内咲良が自身の病と共に歩んでいく様を綴った秘密の日記帳だった。
鼻につく女だな。
読み始めてすぐにそう思った。人の都合などお構い無しに、ずかずかと踏み入ってくる。人の時間やスケジュールを軽視している振る舞いの数々は、僕が了承していたとしても不快感が募って仕方なかった。しかし、咲良の無礼な振る舞いも、読み進めていくうちに徐々に慣れていった(好きになったわけではないので、慣れたという表現が適当だろう)。きっととても若いのだ。幼いのだ。病気のあるなしに関わらず、あたりまえのように物語の中心は自分であると信じられる青さが眩しい。それは、やれやれ系を気取っている僕も、咲良の親友・恭子もそうだ。若さ故の愚かさや浅はかさが浮き彫りにされている、非常に高校生らしい登場人物。そういう意味では、とても練り上げられた人物描写。
世界が閉じている。
終始、自分の作り出した自分や恋愛未満の雰囲気に酔っぱらっている状態。咲良の試し行動のようなコミュニケーションも、それにあえて無反応を気取る僕の無関心気取りも、これもまた若い。世界に二人だけしかいないような静かな日常に思えるが、咲良の家族の事を思うと、この過ごし方で正解なのかと疑問は残る。出会って数ヶ月のクラスメイトにこんなに時間を割くのは決して普通ではないだろう。普通でない選択をあえてしたい憧れみたいなものは理解するが、それが余生の過ごし方ともなると、王道をいかない選択に対する取り返しのつかなさに足が竦む。
まあ、これはあれだ。長編の惚気話だ。
もしかして20年前に読んだら違った感想を抱けたのかな。これを読むには、自分はあまりにも年を取りすぎたのかも。色々、きっと深く考え込んではいけないのだ。こういう類の作品は。この雰囲気に飲まれて感動できないようだと、評価は奮わないかも。