丘沢静也のレビュー一覧
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ネタバレ1852年にマルクスが執筆したもの。
1852年!
多くの固有名詞を変換すれば最近の話か?と勘繰るような。
そして軽快で辛辣で芯をついているフレーズが随所に。
「財産、家族、宗教、秩序」の名においてペンは折られ法典はひきさかれる
平穏の名において荒唐無稽なアジテーションをし、革命の名において平穏をなんともおごそかに説く。
情熱に真実はなく、真実には情熱がない。英雄といっても英雄の行為がなく、歴史といっても事件がない。
革命のくせに、革命の担い手を麻痺させて、革命の敵にのみ、激しい暴力を許すのだ。
国家が市民社会を、極めて包括的な人生観からごく些細な感情に至るまで、その極めて一般的な生活様式から個人の私生活に至るまで、丸めこみ、コントロールし、処罰し監視し後見している。そして、この国家という寄生体が、異常なまでの中央集権によって、どこまでも
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1.1
世界は、事実の総体である。事物の総体ではない。
1.13
論理空間のなかにある事実が、世界である。
この言葉が哲学と心理学(科学)の違いを如実に示していると思いました。
100分de名著に刺激され、本書を手に取ってみました。
難しかったですが、アタマの中をひっくり返して、自分の偏見や、それを形作るもととなった(自分が属する)環境について思いを馳せる時を過ごせました。
人は日々動いています。他の人も日々動いています。
事の良し悪しではなく、ぶっつけ本番での即興的な化学反応が、論理空間を生じさせ、言語や行動を発せさせる。
その時捉えられる事実(と思っていること)が、世界(観)を決める。
そのように解釈しました。
正しいかどうかは分かりません。本来、分からないものかもしれません。。。
〔本の概要〕
20世紀を代表する哲学書であり、最も難解といわれる『論理哲学論考』は、シンプルなドイツ語で書かれた美しい作品だ。今回の新訳では、その微妙なスタンス、ニュアンスを、細やかな目配りで忠実に再現した。いつでも、どこでも、肩の力を抜いて読める、まったく新しい『論考』をここにお届けする。解説=「高校生のための『論考』出前講義」(野家啓一) 「語ることができないことについては、沈黙するしかない」 「私の言語の限界は、私の世界の限界を意味する」 「(倫理[学]と美[学]は、ひとつのものである)」 ――世紀転換期ウィーンの聖典、20世紀哲学の金字塔。 -
Posted by ブクログ
これはまたとんでもなく面白いものを呼んでしまったな。マルクスの文章はその茶目っ気溢れるともすると過剰すぎる演出が読みづらさにつながっているので慣れるまで大変だったが、翻訳の素晴らしさと文章に埋め込まれる形で読みやすくなった注釈や補完がとてもわかりやすくしてくれている。
頭の中ではトランプとタカイチサナエをはじめとするポピュリズム政治家たちとの溢れる共通点と、さてそれで百年以上経った現在この本の中でクソミソの扱いを受けているナポレオン三世の時代から為政者や社会がどう進化しているのかということを常に考えながら読んでいた。
結論は言わずもながむしろ劣化しているのではないかという絶望的な見解だ。いやはや。 -
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ネタバレ様々な解釈、物語性の読み解きができる作品であることは」間違いがありませんが、村上春樹氏が「フランツ・カフカ国際文学賞」授賞式で読み上げた受賞のあいさつで語ったことが、個人的には最も正鵠を射ていると思います。というか、好きです。
「そこに描かれているものがたりはきわめてリアルでありながら、同時にきわめてアンリアル」
「『分裂』感」
目的とする『城』には一向にたどり着けず、時間と距離がまったくゆがんだ世界で、登場人物たちとの堂々巡りのようなやり取りが延々と続いて続いて……そしてぶつ切りに終わります。
親友のマックス・ブロートが、カフカに聞き及んだ終結は、少なくとも部分的には名誉を回復するも、疲れ果て消耗して死ぬそうです。ちょうど、死の際に手紙が届いて……結局、村での居住権は認められないが、生活と労働は許可すると。
なんだか、らしいラストですよね。
この結末も最後までみたい気もありますが……このぶつ切りが、むしろいつ覚めるとも知らぬ「夢」感が出ていて、むしろ魅力的な側面すら備えているのが、本作の素晴らしいところだと思います。
あてどもない悪夢をみているような(Kは一応目的はあるのですが)世界観が、癖になります。
ちなみに、『城』か好きな人は、影響がバリバリに感じられるカズオ・イシグロの『充たされざる者』もおススメです。 -
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カントを読んだのは、高一の時に純粋理性批判でやられて以来である。確か100ページもしないうちに、その難解な訳文に耐えられず、結局読まずじまいに終わった。それ以来、カントのことは、頭の片隅に追いやっていた。
しかしこの偉大な作者の晩年の作品は、驚くほど読みやすく、親しみやすい文体が流れていた。軍事強国となったプロイセンのケーニヒスベルクの街で、フランス革命の動乱とナポレオンの国民軍の足音を遠くでこだまさせながら、71歳の哲学者は「永遠の平和」を問うた。それがたとえ、無意味だと揶揄されようと、彼には考えずにはいられなかったのであろう。
カントは、永遠の平和の確定条項として、①共和国制②連邦主義的国際法秩序③万人に対するもてなしの心をあげた。よく、ホッブスやロックと対比され、「世界政府」構想と言われるが、実はカントもまた人間は自然状態においては暴力的で好戦的であるという、リアリズムのアナーキー原理を大前提にして出発しているのである。そしてそのうえで、自らの生が尊重されるならば、隣人の生を当然に尊重しなければならないというリベラリズム理論を敷衍し、理性に基づいた行動を、我々に求めるのである。カントのこの論理には、良い意味でも悪い意味でも、流石哲学者と舌を巻いてしまう。
勿論当時と今の状況の違いに、注意を払う必要はある。18世紀と21世紀、この3世紀の間に、「永遠の平和」なんて訪れやしてないではないか。結局「机上の空論」でしかない「駄作」だと、そう評価したいならすれば良い。
しかし、私は、だからこそこの名著にあたる必要があると考える。我々が我々の人生を、この世界を、「善く生きたい」と願うならば、「永遠の平和」への希求を、心のうちに少しでも持っているならば。現実にどれほど絶望しようと、無関心でいようと、我々はそれでも希望を探し続け、どこかでつながろうとしているのだから。「ゆっくりとだが、ステップアップして、」(本書 90)問い続けなければならない。
昨今の情勢は、とても平和とはいえない。この国の行く末もどうなるかわからない。自分の人生など、いわんやである。自分のものででしか決してない、一度きりの人生を「我々はどう生きるか」というカントのまっすぐな問いに、今こそ真剣に向き合わねばならないのではないか。
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ドイツの思想家・古典文献学者ニーチェの思想のエッセンスが詰め込まれた本。
名前だけ借用したゾロアスター教の開祖ツァラトゥストラの口を通して、ニーチェの思想が語られる。キリスト教聖書のパロディでもあり、物語でもあり、詩でもある。
人生は無意味だ。でも、だからこそ、無意味から始めてみなくちゃあならない。あの世に意味を見出して、この世の生を弱めても、生の無意味を克服することはできない。生きていることにうんざりしているときにこの本を読めば、きっと新しい無意味を見つけられる。
ニーチェは、「神は死んだ」というフレーズが特に独り歩きして有名だけれど、「人間だったんだよ、神なんて。」(57)という表現のほうが僕は好きだ。神の過ちではなくて、人間の過ちを認められそうな気がするから。
「神を試みてはならない」とすれば、神こそ人間の試みであったからなのかもしれない。だから、ツァラトゥストラは、ツァラトゥストラなりの試みを始めようとしているんだ。人間の無意味を克服するために。
「ツァラトゥストラ」は面白い本だ。読み継がれるだけのエネルギーと危険がある。
でも、ツァラトゥストラを大事にするなら、ツァラトゥストラを大事にしてはいけない。乗り越えていかなくちゃいけないんだ。それがツァラトゥストラの忘れられるべき教えなんだと思う。
「ツァラトゥストラはこう言った、しかし…」 -
Posted by ブクログ
ネタバレ劇作家らしく、切れ味の良い文章で、短編やさらに短い文章で様々なストーリーを綴っている。小説やアフォリズム等とは違う感覚で面白い。暦物語というジャンルは初めてだが、テーマが深くて余り一般的でないような気も。
コピーにある「下から目線のいい話」というより、人間の愚かさを指摘したような話が多く、何回読んでも考えさせられる。社会の矛盾とか人の欲望の醜さに呆れつつ、それでも生きていく、という感じか。コイナーさんは作者の分身というより、問題意識の人格化という感じを受ける。
好きなのは「仏陀が語る、燃えている家のたとえ」「子供の十字軍」「ラ・シオタの兵士」「本を読んだ労働者が質問した」「分不相応な老婦人」「コイナーさんの物語」 -
Posted by ブクログ
この本は聖書のパロディーだと訳者あとがきに書いてあったけど、聖書を知らなすぎて元ネタが全くわからなかった。でも、パロディーなんだとしたら当時のキリスト教世界の人々にとって衝撃的な問題作であったことは容易に想像できる。私なら、お釈迦様とかのエピソードを色々出してきてそんでもって「釈迦は死んだ」とか言われたら、はぁ?ってなるかもしれない。いや、まぁ、釈迦は死んでるんだけど。というか、私は仏教徒ではないけど…
ニーチェの無神論は、なんとなく禅宗などの考え方とニアミスな部分がある気がする。
坂口安吾ともなんとなく通じるような。
ハッとする言葉がたくさんあった。
下巻が楽しみです。 -
Posted by ブクログ
「人生は何事もなさぬにはあまりにも長いが、 何事かをなすにはあまりにも短い」と中島敦は言っていますが、苦しみを何度味わっても自分の生を肯定的にとらえ上昇を希求すれば、何度繰り返しても足りない。学ぶことは永遠にある。って言ってる気がしました。
最後は、全てのものごとは繋がっている、喜びは苦しみが深いほど素晴らしくなる、しんどいから人生は深くなる、すべてを味わえと、どこか宇宙的な極致に到っている感じがあります。
ニーチェは苦しみの多い生だったのではないかとこの本を一冊読んだだけでも伝わってきますが、そんな中でも、今を頑張れ、過去を肯定しろ、大丈夫だ、笑うんだ、軽々とダンスをしながら、誰かの基準ではなく自らの基準の高みを目指せと言ってる。
社会の定められたレールに上手く乗れない自分のようなポンコツにはとても励まされたし。胸が熱くなりました。
晩年、ニーチェは発狂して生涯をとじますが、ある意味、この人は本当に人を超えたのかもしれないな、と思います。