丘沢静也のレビュー一覧
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ネタバレ
大きなあこがれについて
おお,俺の魂よ,俺はお前に全てを与へた.俺の手は,お前に触れて空つぽになつてしまつた.ところが,いま!いまお前は俺に微笑みながら,実に憂鬱さうに云ふ.「私と貴方では,何方が感謝すべきなんでせうね?与へる側が,受け取つてもらつた事を感謝すべきなんぢやないかな?プレゼントする事は,必要に迫られてるからぢやないかな?受け取るのは,憐んでゐるからぢやないかな?」おお,俺の魂よ,俺には,お前の憂鬱が微笑んでゐるのがわかる.お前は豊かすぎるので,憧れの手を差し出してゐるのだ!
FriedrichWilhelmNietzsche
AlsosprachZarathustra -
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作者のこともこの著作のこともまったく知らなかったが、好きな『光文社古典新訳文庫』の新刊で、梗概が面白そうだったので読んでみた。
一神教三兄弟のユダヤ教、キリスト教、イスラム教、のいがみ合いに対して、キリスト教徒である作者が、キリスト教に対してもっとも厳しい視点で、宥和を説く戯曲。
デカメロン第一日第三話の『指輪の寓話』(巻末付録一)を素材に味付けが施された、第三幕第七場のメルヘンが最も有名らしいが、確かに、すごく良くできた寓話だった。自分でサマリーするまでもなく、以下Wikipedia より。
ある商人の家では代々、家宝である魔法の指輪を最愛の息子が譲り受けていた。しかしある代の商人は3人 -
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この本は難しい。なんて今さら言うまでも無いが。
まずは当時、未だ主流だったキリスト教の価値観を否定する。曰く神は死んだ、と。まあ、それは良いとして、次は世のあらゆる価値観も否定し始める。徳も善も愛も正義も、等々。まあ、それもキリスト教を元に作られた価値観だから否定の対象になるのは仕方ないかもしれない。しかし、最後はツァラトゥストラ、つまり自分自身も否定し始める。それを聞いて弟子は怒る。当然、読者も怒る。全ては一時代人に過ぎない人であり神であるツァラトゥストラを絶対化させないために、なのか。そうやってひたすら否定しながら、最後は再び孤独に帰り、思索の時間を過ごす、というところで上巻は終わり。
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名言で埋め尽くされた人生論プラス詩、といった感じ。一章は分かりやすいが、二章以降の比喩の部分があまりにも詩的で少し難解だった。
1883~1885年にかかれたものだが、「ツァラトゥストラの前口上」中の最後の人間についての件や、「教養の国について」で、現代人について予言しているが、ほとんど的中している。「教養の国について」で無信仰の人々に対し「君たちは信仰なんてできっこない!」なんて言う場面があるが、自分の価値観が否定されているみたいで恐ろしい。
こういう部分や有名な「神は死んだ!」などのイメージが強く、毒書なんていわれたりもするが、むしろ読んで励まされることのほうが多かった。 -
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"というのも、大人になりかけの人間の最初の情熱とは、ひとりの女にたいする愛ではなく、みんなにたいする憎しみなのだから。自分が理解されていないと思うこと。そして世間を理解していないこと。そのふたつのことは、最初の情熱にくっついているものではなく、最初の情熱のたったひとつの、偶然ではない原因なのだ。"
"人間が生きる人生と、人間が感じ、予感し、遠くから見る人生とのあいだには、狭い門のように、目に見えない境界線がある。できごとのイメージが人間のなかに入っていくためには、その門で圧縮される必要がある。"
"思想が沈黙しているときに、ものごとを見てい -
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社会全体の知識や価値観の土台として、神を絶対的な根拠にすることはできない。神は社会全体に通用する絶対的な権威ではなくなった。神の死(価値の崩壊)。世界には目的や終末は存在せず、あらゆる出来事は意味づけを持たないまま生成と変化を続ける。歴史に一定の方向性(目的)はなく、変化のみが存在する。いつか最後の審判で救われる者が選別される、なんてことはない(ゴールはない)▼もしこの人生が永遠に同じように繰り返されるとしても、それを肯定し尽くすこと。「いま・ここ」の現実から逃げてはいけない。何かのために生きるのではなく、生きること自体から充足を得よ。超人(価値の創造主体)▼ 仮にこの宇宙で起きるすべての出来