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Posted by ブクログ
1.1
世界は、事実の総体である。事物の総体ではない。
1.13
論理空間のなかにある事実が、世界である。
この言葉が哲学と心理学(科学)の違いを如実に示していると思いました。
100分de名著に刺激され、本書を手に取ってみました。
難しかったですが、アタマの中をひっくり返して、自分の偏見や、それを形作るもととなった(自分が属する)環境について思いを馳せる時を過ごせました。
人は日々動いています。他の人も日々動いています。
事の良し悪しではなく、ぶっつけ本番での即興的な化学反応が、論理空間を生じさせ、言語や行動を発せさせる。
その時捉えられる事実(と思っていること)が、世界(観)を決める。
そのように解釈しました。
正しいかどうかは分かりません。本来、分からないものかもしれません。。。
〔本の概要〕
20世紀を代表する哲学書であり、最も難解といわれる『論理哲学論考』は、シンプルなドイツ語で書かれた美しい作品だ。今回の新訳では、その微妙なスタンス、ニュアンスを、細やかな目配りで忠実に再現した。いつでも、どこでも、肩の力を抜いて読める、まったく新しい『論考』をここにお届けする。解説=「高校生のための『論考』出前講義」(野家啓一) 「語ることができないことについては、沈黙するしかない」 「私の言語の限界は、私の世界の限界を意味する」 「(倫理[学]と美[学]は、ひとつのものである)」 ――世紀転換期ウィーンの聖典、20世紀哲学の金字塔。
Posted by ブクログ
最後のことばは「語ることができないことについては、沈黙するしかない」と訳されている。従前これは「語りえぬものについては、沈黙せねばならない」などと訳されてきた。
「せねばならない」は禁欲的でありそれゆえ戒律的で「自己」が見えるが、「するしかない」は事実を端的に述べている。ウィトゲンシュタインの本来はこっちではないのだろうか。淡々と事実を述べ、そうであるしかない結論に至る。もう否定しようがない事実が「示されている」のに、「せねばならない」などとご託宣を述べて屋上屋を架す理由はないわけだ。
「世界は、私の意思に依存していない」「倫理の命題も存在することができない」「倫理を言葉にすることはできない」「意思を倫理的なものの担い手として語ることはできない」などという人が「せねばならない」とは語らないと思う。
確かに英訳で読むウィトゲンシュタインにはご託宣めいたところがある。が、彼のネイティブはドイツ語だし、ドイツ語でところどころ読んでみる限りはこの丘沢訳のニュアンスに近い。
単なる印象だが、日本では芥川のイメージが重ねられているんじゃなかろうか。ウィトゲンシュタインの叙述スタイルはアフォリズムとはまったく異なるものなのではないだろうか。少なくとも「論考」ではまったく異なるものだとしか考えられない。
いろいろ考えさせられる貴重な翻訳だと思う。冒頭の野家啓一による解説も簡にして要を得たもので、ラッセルの序文なんか載せるよりよっぽどこの本の用途に適っている。
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