はやみねかおるの代表作で、知ってはいたが、読んだことはなかった。現役中一の子が面白いとおすすめしてきたので、いまさらながら読んだ。
読んでみて一番感じたのは、いたるところで顔を出す、中学生の趣味や感覚の時代感だ。
物語のキーアイテムになっているコンピュータゲームや、「六番めのゲーム」を作りたいという登場人物の夢。まだ、ゲームやパソコンといったものが、一部のコアなオタクたちだけのものだった平成の時代の匂いを感じさせる。
そういった時代感を思わせつつも、物語の中核にあるのは、やっぱりマンホールの下と、テレビ局の冒険だ。暗い下水道、不気味なねずみの群れ。普段は入れないスタジオや倉庫。そこには、小学生の頃、初めて学校探検をするときのような、行ったことのない場所に足を踏み入れる、純粋なワクワク感が詰まっている。
主人公の二人のバランスも面白い。
学校では、もの静かで成績優秀な優等生「竜王創也」は、憧れのゲームクリエイター栗井栄太に会いたいというだけで、危険な下水道に行き、テレビ局を勝手に歩き回る。それに付き合わされる「内藤内人」は、頭がいいにも関わらず無計画な「創也」に振り回されながらも、おばあちゃん譲りの生きる知恵でピンチを乗り越えていく。
物語の中で一貫しているのは、「お勉強ができること」と「生き抜く知恵があること」の違いで、「冒険に向かう好奇心」と、「冒険と乗り越える力」の違いだ。それぞれの違いが、二人の中学生に割り振られて、二人は名コンビになる。塾通いに追われる「内人」が、ピンチを乗り越えていくところが、個人的には好きだ。
好奇心さえあれば、見慣れた都会も冒険の舞台になる。
何の変哲もない場所で、冒険の夢を諦めた子たちに読んでもらいたい本だった。物語の初めに書かれた、次の言葉が、すごく印象に残る。
ミシシッピ川がないから、トム・ソーヤになれなかった……。
ぼくは、そう思っていた。
だけど、ぼくのまわりには宮川と徳川山があり、楽しい友だちがいた。
だから、ぼくは、いつだって冒険していたんだ。
大人になったいまだってー。
もし、トム・ソーヤになりたかったら、きみのまわりを見わたしてごらん。
そうすれば、いろんなものが見えてくる。
そして気がつくはずだ。
ぼくたちは、いつだってトム・ソーヤだってことに。