桐野夏生のレビュー一覧
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谷崎潤一郎没後50年・中央公論新社130周年を記念して書かれた、オマージュの内の一冊。
2017年は本当に豪華な作家達が谷崎へ傑作を寄せていた。
本書は『細雪』に登場する姉妹の中でも主要人物であった「雪子」のモデルとなりながら、手記や書簡と言った声を残さなかった「重子」に語らせる。
重子(あくまで本書に登場する彼女の意で)は義兄の芸術に自らが採用された事を生涯、精神の拠り所としていた。
しかし、その愉悦と義兄に守られた平穏はある日、突然に破られてしまう。
義理の娘・千萬子の登場である。
浮世と一線を引く様な姉妹にとって千萬子は新時代の象徴であるのみでなく、芸術のミューズの座を奪う脅威と捉えられていた。
画家の祖父を持つ千萬子は文学にも造詣が深く、谷崎と同等に渡り合う。
更には離れて暮らす谷崎と一日に何通もの速達を送り合う事で、周囲に憚る様子も次第に無くなっていった。
本書には谷崎晩年の隆盛と芸術の源泉、それに翻弄される人間模様をねっとりと描く。
谷崎と桐野氏の共通点は正に、この粘度と言えようか。
谷崎が作中で発する言葉は極めて少ないながら、逆に存在感が強調される様でもある。
幾ら虚実綯い交ぜの創作と言え、最愛の妻・松子さんさえ脅かした(可能性の高い)人物が居た。
それに驚く読者も多い事だろう。
彼女は平成13年に、何を思って200通を超える往復書簡を公開したか。
谷崎の死後に出版された松子さんの随筆『倚松庵の夢』とは恐らく意味合いも、思惑も違っているだろう。
一冊の本がまた次の本を呼ぶ、読書の佳味である。 -
Posted by ブクログ
読んでいる間ずっとヒリヒリとした辛さがある小説だった。親や社会に見捨てられ、搾取する大人に集られながら生きるしかない少女たちの現実を小説に結晶化させている。
真由やリオナ、ミトを「愚かしい」「少しくらい我慢したらどうだ?」と責めることはとても簡単だ。実際この小説を読んでもその程度の感想しか抱けない大人はゴマンといるだろう。だが、作者の筆はそんな大人こそ愚かで説教したい気持ちを我慢できないだけと巧みに逃げ道を塞いでいるーー「説教しかしない大人より金をくれる男のほうがマシ」とはある人物の言葉だ。何と言っても、彼女たちはまだせいぜい17歳の子どもなのだ。作中彼女らの年齢が何度も具体的に表されるのは、ただの状況説明ではないだろう。
真由やリオナが事あるごとに心中で吐き捨てる男への呪詛が身に迫らない女が一人でもいるだろうか。男は嫌い、怖い、何をするか分からない、蔑みながら買い叩こうとする、力ずくで言いなりにできると足元を見てくる……学校で、満員電車で、人混みで、職場で、飲み会で何度も体験させられる性被害を思い起こす人も多いだろう。果たして「普通の女」と彼女らと一体どれほどの違いがあるだろう。作中、彼女らをほんの僅かでも助けようとするのは全て女という目配りの細やかさに胸を抉られる。
真由やリオナのような家出少女への支援を行う社団法人Colaboを取材した作者は「現実は小説より残酷ね」と嘆息したという。そのエピソードを綴った、代表の仁藤夢乃さんの解説も是非読んでほしい。そして、そのColaboが誹謗中傷に晒されている現実をよく考えてほしい。真由やリオナを面倒そうに睨みつけ厄介者と蔑んだ作中の大人たちのようになるか、弱い者に少しでも連帯するか、この小説を読んだ人はやるべきことが分かるはずだ。 -
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ネタバレ面白いという表現は違うのかもしれないが、すごく引き込まれてあっという間に読み終わった。
私はその時代のことも、この事件のことも名前しか知らず、初めて知ることも多かった。
あの時代変革を掲げて自分たちの子どもさえ新な時代の戦士として育てたいという理由もあって山岳ベースにはいった女性たち。
その掲げたことさえもどこにいってしまったのか総括の対象になった妊婦の女性の亡くなり方が切なく苦しかった。
その山岳ベースに入ったうちの1人の女性のその後に焦点をあてたこの物語。
服役した後待っていたのは両親の死、親戚の絶縁、孤独。唯一妹と姪っ子と関係はあるが、そことも溝はある。終始彼女と関わる人との場面は言い争いが絶えない。主人公自身、自分の主張がすごく強いし正しいと思ってる節があるような。元闘争の時の夫婦となっていた男性が前に現れるがそこの場面もなかなか切ない。
彼女が服役後もずっと人の目を気にして、世の中に許しを求めているのは、やはりそれだけ惨殺で残酷で残忍な事件だったから。
ライターという古市。彼だけは彼女に対して穏やかに話す。なぜなのだろうと思いながら最後、啓子は出産して里子にだして、その子が古市だということがわかる。これは希望なのか?それとも新な風穴なのか、それは分からないが。生まれたことを後悔してないという場面はぐっときた。 -
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ネタバレ今から3年前2019年、当時の首相による日本学術会議の会員任命拒否問題は、政府による自由・学術・教育に対する介入であると大変な危機感をつのらせることになった出来事でしたが、自分の周りでこの件について同じようなことを考えていたり意見を交換したりということがあったのは、小学校教員である友人ただ一人との間でした。
そこにあるものの不穏さを感じ取った人が自分の周りにはあまりにも少なかった、と思います。
それから現在までを振り返ってみるとたった3年の間に自由というものがとても堅苦しく緊張の伴うものになってしまっており今なお進行形であると感じます。
気づいたら周りから固められてて自分は奇特な意見を述べる少数派になってる…という状況がたまに起きるようになり、うかうかと思ってることを言いづらくなりました。(例えばマイナンバーカードを持つことについてとか…)
組織の中でできる活動として、教育に関するおかしな介入や締め付けに抵抗している友人の姿を目の当たりにすると、自分も黙っていてはいけないと思うものの一個人でどんな風に「おかしいぞ!」とか「ふざけたことしてんじゃないよ」と世の中に問えばいいのか、問えるのかと無力感が正直あります。
大きな声を発することができなくても、周りがみんな朱くなっても自分が白だと思ったら白という意見を曲げない強さをせめて維持し続けたいと思います。
本書は、これからまた数年過ぎたところから本書が著された当時を振り返る、そしてその時の現実・現状を見直すという、考え続けるための一つの標となる一冊だと思います。
編集部によるあとがきにも勇気をもらいました。今後もこのような良書を出版し続けてほしいです。 -
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久々に桐生夏生作品が読みたいと思って
手に取った本。
リアルフィクション。
行き場のない女子高生たちの現実。
親に捨てられた(そう思っている)女の子たちの現状。
自分の体をお金に変えるしか生きる術がない彼女たち。
ずっと苦しい話が続くんだけど
読む手が止まらなかった。
それは桐生さんの文才。
最後の真由の荒れ方が1番苦しかった。
怒りの裏にあるのは
どうしようもない寂しさや、苦しさ。
「落とし前をつけなよ」
この全てを悟っているリオナのセリフも、
リオナのこれまでの経験を物語っていて
切なかった。
どうしても家庭環境が良くないと
子どもは荒れる傾向にある。
だって
1番身近な大人に傷つけられたり
信じられなかったりするんだから。
もっと事前に
手を差し伸べてあげられる瞬間を
なるべく見逃さない様に
愛情だけは忘れずに。
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一部ネットで嫌われてそうな論客たちからのメッセージ集。みなさん、日本から少しずつ自由が奪われていると危惧している。
ある一面の行動・発言が切り取られて批判されることが多い方々だが、その考えに直に触れると、国の在り方や自由について真剣に考えているのが分かる。
例えば表現の不自由展に携わった津田大介氏。近年、アートの世界では政権の意向に沿った展示しかできなくなってきたと言う。意向に反せば、補助金が下りないなど不自由を強いられるそうだ。
詳しく知らないが、おそらく、この展示は慰安婦像などを展示するのが目的ではなく、賛否両論のものを公の場で示すこと自体が目的だったのではないか。こうした国の動きに対する挑戦というか。
個人的には反日思想の展示など不愉快だし、する必要はないと思うが、一方で表現に規制がかかる危うさには怖さを感じる。こうした規制を許せば今後、反日的なものでなくとも、政府や権力者が、言論や表現に制約をかけられる世界になっていくわけだから。
アートの世界だけでなく、科学技術なども国の意向に沿わなければ補助金がなくなり、活動できなくなってしまう模様だ。それは果たして国民にとって健全な、豊かなことなのだろうか。賛否両論のものに対して全員が自由に発言できる世界、何事にも反対意見を出して議論できる社会、多面的に物事を考えられる世の中、そうしたものを守らなければ。などと思いました。 -
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福祉システムが崩壊した近未来の東京で生きる身寄りのない少年イオンの物語。東京は中流や金持ちが住む世界と、そこからはみ出したまま一生を終えるホームレスの人々が住む世界に分かれており、さらにその地下に陽の目を避けて生きる地下住民たちの世界がある。ホームレスは毎日がサバイバルで、女子供はかたまって派閥のようにして身を守りながら生きている。少年は守られたい気持ちと自由になりたい気持ちの両方を持ち、生き延びつつ成長もしているという、危ういながら伸びやかな存在として描かれている。最期の最後で両親を思う気持ちが切なく、人はみな、愛を注がれて育ちたいものなんだなと思った。いくつになっても、「優しいおとな」を求めている。
登場人物がそれほど印象に残ってないのは、主人公の設定が少年だからかもしれない。そして、桐野さんが性格の良い人(イオンの支援者モガミなど)を描くと、どうもリアリティに欠ける、つまらない人間に見えたりするのは、普通の人というのはつまらないものだからなんだろうか? -
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1994年刊。『顔に降りかかる雨』(1993)に続く、桐野夏生さん初期の女探偵ミロ・シリーズの2作目に当たる。
やはり、面白かった。やはり現代のエンタメ系文学は非常にスイスイ読めるし、物語の展開にはまって先へ先へと駆り立てられる。
本作でミロは、むしろ敵側と思われるようなダ男性に性的に惹き付けられて寝てしまい、それが原因となって失敗を招くなど、「アラアラ」と悔しくなるような弱さを露呈しており、それもあって、非常にリアルでなまなましい女性像を確立している。
ミロが探し求める女性リナも、極めて不幸な幼少期を送って情緒面で発達障害的になってしまった人間として、後半リアルに描き出される。
その一方で、矢代のような男性は奇妙にデフォルメされ、リアルさを欠いているように見える。桐野さんはリアルな男性心理を書けないわけではないので、どうやら、女性にとって強い性的対象となった男性は、その欲望のためにファンタジックな、戯画化されたイメージになってしまうようなのだ。この点、我々男性も性的対象として女性を見ると妙に都合良く戯画化して捉えようとしてしまうことと同じなのかもしれない。欲望の地平に開かれる<神話>的シンボル化、ということなのだろうか。
全体に面白く読めて満足感を得られる小説だった。このシリーズはこの後短編集が1冊あって、その後最後の作品である長編『ダーク』が来るようだが、どうもこの最終巻は、読者にとってショッキングなまでにミロが変転してしまうらしく、読むのがちょっと怖いような、楽しみなような気がしている。