落合陽一のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレ1時間くらいでサクッと読めました。
p102に全てが詰まっていると思います。
以下、引用
テーマの価値があるかを考えるには
•それによって誰が幸せになるのか
•なぜいま、その問題なのか。なぜ先人たちはそれができなかったのか。
•過去の何を受け継いでそのアイディアに到達したのか。
•どこに行けばそれができるのか。
•実現のためのスキルはほかの人が到達しにくいものか。
引用ここまで
自分の仕事のこと、夢のことで、引用部分のことを考えても良いかも。
頭が良い人が書いた本は新しい発見を教えてくれて、理論整然としていて、読んでいて楽しいです。
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Posted by ブクログ
豊富なデータで世界の実態を概観できる。個人的には世界を知りたい欲求に刺激を与えてくれて、その後の読書熱を高める原動力になった本。
キーとなる学びとしては、以下3つのことを頭に入れて、これを軸に世界を見ると何が起きているのか、何が起きるのかを理解しやすい。
1.2030年の世界に影響を与える5つの破壊的テクノロジー
①AI、②5G、③自動運転、④量子コンピューティング、⑤ブロックチェーン
2.これらテクノロジーにより変わる未来
①食糧、②健康(医学)、③資源、④都市、⑤労働
3.2020年代を牽引する4つのデジタルイデオロギー
①アメリカン・デジタル=シリコンバレーを中心としたエコシステム
②チャイニーズ・デジタル=国家の強力な情報統制下、庇護された市場で急成長を遂げたBATH等、GAFAMと別種の生態系
③ヨーロピアン・デジタル=ITテクノロジー以外の分野に関する純粋な技術力の勝負。ヨーロッパの伝統と文化を背景としたブランド力によるエンパワーメント
④サードウェーブ・デジタル=開発途上国の中から飛躍的発展を遂げている国々(インド、アフリカ諸国等)が、20世紀までの経済発展とは異なる開発の道筋を辿るあり方 -
Posted by ブクログ
ネタバレこの本が発売されることは知らなかったですし、「老い」というものがテーマであまり積極的に読もうと思わなかったのですが手にとって読んでみました。すると普段自分がもやもやと感じていることに対して解決の方策が書かれていることに気が付きました。
落合陽一さんは最近"民藝"というワードを使って「手触りのあるもの」「一回性」のようなものをどう感じていくかを語っていることが多いように思います。本書で取り上げられている介護の世界では人と人との関係が密で、介助する側の負担が大きいわけですが、テクノロジーによって緩和させなくてはいけないし、それができるということが書かれています。
自分の友人や親戚にも介護福祉職の人がいるのでこの職の負担が大きいということは理解しているつもりですが、状況を改善させるには給与水準の低さや重労働がどうしても足かせになります。以前どのようなことが大変か友人にきいたら、仕事が終わった後に「利用者のヒヤリング状況を報告書にまとめないといけないが、紙に書いてあるものをPCから入力する」といった作業を行っているそうで、テキストマイニングのアプリなどを教えてあげましたが、なかなか福祉業務用に使える状態にはないのですぐには使えなかったようです。現場の人は慣れたやり方で半ば根性で乗り切っているのです。しかしそれは介護される人、利用者の人口が増えれば立ち行かなくなってしまい、介助する側が疲弊してしまうでしょう。
落合さんはこれまで試験導入された様々なプロダクトを紹介しながら、これからは「現場で必要なものをITの力で生み出していくようになる」と予想しています。2010年代はSaaSが流行り、どちらかというとカスタマイズのない画一的なサービスを提供するモデルが浸透しました。しかしこれからはそれ以前のカスタマイズともいえるサービス提供が始まるということなのでしょうか。少なくとも1990年代~2000年代前半と違うのは、低コスト、短期間で現場で必要なものを作ることができるようになる、ということなのでしょう。この予想については自分としては少し意外で、しかし普段感じていたもやもやを解消してくれるものでした。今のSaaSによるサービスはユーザーの要望を取り入れているとは言え、結局本当に現場が必要とするものは十分には提供できていないのです。そして現場でカスタマイズするための手段は提供していても、現場の技術的スキルの不足により結局実現できないのです。しかしこれからは必要となる技術的スキルがさらに低いものとなるということなのでしょう。
一番共感したのは、現場の介助する側(支援する側)が介助される側(支援される側)の状況に深く入り込みすぎて精神的な負担が大きすぎる、という点です。これは医療の現場でも似たような状況なのかもしれませんが、もう少し精神的な負担を減らす仕組みをITで実現できると思います。例えば認知症患者との会話はロボットがある程度対応するといったことです。人間よりもロボットとの会話によって患者が流暢になった、反応があったという事例も紹介されていました。
少し話が変わりますが、真夏の工事現場で作業員の身体を冷やすような作業着が導入されたり、重いものをもちあげるときに腰を補助する機械が導入されたりしています。ああいったものを見ると、まだまだ作業者を支援する仕組みは作れるし、根性に頼らない仕組みを作っていかなくてはいけません。介護や福祉の世界でも同じことだと思います。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ落合陽一さんの随筆のような形式の本となっています。落合さんについてはどちらかというとネットの討論番組というか何かの議題についてディスカッションしているところを見ることが多いのですが、いつもすごいと思うのは議論における具体性です。何かの課題についていい、悪いを伝えたり、こうなったらいいと思う(逆にこうだからだめだと思う)ということを伝えるときには、常に理由が求められるわけですが、その付加的に伝えられる情報密度が高い。基本的に一言が長いのですが、その際自分にとっては理解できない単語がひとつ、ふたつ含まれていることが多いです。
この本でも当然自分の知らない単語や組織の名前がいくつかでてきていました。
おおよそ2019年から2021年の間における内容となっているのですが、コロナ前後で書かれている内容が違うなということは感じました。具体的に言うと、コロナ前のほうがおもしろいことを書いています。コロナ後はどうしても課題が内向きになるというか、自由とは逆の監視社会、自粛の方向の議論になるため、それを避けるためにどうしたらよいかというアイディアはもちろん書かれてはいるのですが答えに限界があるので読んでいてなかなか難しい課題だなと感じて終わってしまいました。
人は祝祭を求めている、祝祭とはある意味人が集まるところで発生する、今、人が集まることは難しいとなると、祝祭のない日常がずっと続いていて、人はこの1年半ずっとディスプレイと向き合うしかなかったという状況です。
いくつか素敵な考え方だと感じたところをメモしておきます。
20191220
-発信者として心掛けているシンプルなことがある。コアメッセージを疲れさせないことだと思う。手法論やレトリックは疲れる。体も疲れるし精神も疲弊する。しかし体や精神から切り離されてたメッセージ、つまりアーティストステートメントやコアメッセージは磨かれるほど輝きを増すし、新しい側面が見えてくることも多い。それは接するコミュニティの粒度や密度をいくつか掛け合わせてみて改めて発見することもある。つまり自分の中の光らせておきたいものをちゃんと疲弊する体から切り離して愛でておくということが大切なのかもしれないな、と思うようになった-
落合陽一さんは多忙なので、身体や心が疲れることを前提にこの考え方を持たれているのだと思います。人に疲労はつきものだが、理念のようなものはそういうところから切り離して疲れを帯びてしまわないように気をつけること、それが大事だと言っています。これはなかなか難しいことで、疲れていると自分の考えが揺らぐことは往々にしてあると思うのですが、理念はそことは一段違うところにおいてキラキラと輝かせておかないといけないということだと思います。素晴らしいメッセージというものは、一度発してしまえば輝き続けることができるものと言い換えることもできるでしょう。
20191013
-「社会批評性を持つことのダサさ」に息ができなくなって、「疲弊で眼に映るすべてのものに興味がなくなってから」がモノづくりの時間の始まりだと思い始めた話-
ここは社会批評性を含んだアート作品に対する忌避のようなことが言われていました。ソーシャルアクション風アートという言い方もしています。テクノロジーを濫用したらGAFAのようなものが生まれて多くの人は不幸になったみたいなことをアートで表現するとかそういうのが嫌みたいで、そういうものに興味がなくなってからがスタートだと言っています。
自分はアートを生み出せるタイプではないのでアートの世界で否定される内容なのかどうかは正直わかりませんでしたが、テクノロジーの濫用を非難する次のステージにわくわくするものが待っているような気はします。わくわくしないから人は批判的になってしまうようなところはあると思います。テクノロジーだけに執着するのはよくないですが、テクノロジーとの距離を狭めてよく見て考えて見えてくるものを待つというのは空虚な論争にふけったりろくに理解しないで批判するよりは正しいあり方だと思います。
コロナ後の内容は面白くないと書きましたがそれはコロナ前に比べてということであってつまらないという意味ではないです。どのように表現していったらいいかということについて具体的に考えている以下の部分はとても秀逸です。
20200419
-マスが動けない社内をどう考えるか。ーーー
クラスタ型でいることのメリットは、密密密な一体感やエンターテインメント感を楽しめることだったと思う。流行に乗っている感覚とか待ち行列やムーブメントの一部になっている感覚にも近いかもしれない。グリッド型の社会は時空間分割されているので一体感はないが、カスタム性の高い社会だ。このグリッド型社会にデジタルが偏在するのが今の状態かもしれない。
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抜粋が難しかったのだがコロナ社会においては以下のように分類されるはずですが、移動に関する大きな制限を課されたエコノミークラス(マス)向けとなる2,3の在り方はもっと改善の余地があるということを言っていいます。
1.ファーストクラス向けに超少人数のリアルなサービス
2.エコノミークラス向けの仕切り壁、マスク必須のグリッド型サービス
3.オンライン(デジタル)を使った不特定多数・リビング向けサービス
そしてコロナ後、世の中は一斉に3へ舵を切りましたが、それによりイベントは祝祭性を失い、日常の一部に組み込まれてしまったということが納得の分析でした。逆にいうと3のようなイベントにおいて祝祭性を演出できれば大きな成功となるということでしょう。自分はそこについては「参加している感覚」が重要だと思っています。ホストが話し続けるタイプのイベントはホストに希少性があれば成り立つがそれはもはやイベントではないでしょう。参加者はイベントに一体感を求めます。オンラインの空間であってもそこに皆が集まってきたという感覚を得られるような仕掛けがあれば祝祭そのものとならなくても特別な感情を起こさせることができるはずです。 -
Posted by ブクログ
50代に近づいており、気がつけば未来よりも経験値の方が多くなってきたと改めて感じる。周りは定年後も再雇用され変わらない環境に身を置き、今は返上した過去の肩書にすがっておられるのを見ていると、自分はああはなりたくない。どうせ生きるなら縛られない、私と出会った人たちを幸せにできる、そんな働き方をしたいと考えている。それなら、今何ができる?そう自問する日々だ。この本は私の普段考えている事をより具体的に示してくれた。
意外な時期に与えられた肩書に、うんざりした事もある。自分を卑屈に思ったことも。でも、今はそんな事言ってられない。私はこれからも知らない事を知りたい。そのためには学び続けなければならないし、沢山の方の考えにもっともっと触れなければならない。