椹木野衣のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
922円
307P
★再読
2026/09/04
美術本150冊目ぐらいから内容の重複が出てきたけど、これは初めて知ることばかりで斬新で面白かった。
めっちゃ面白かった。知らない事が多くて超良い本だった
椹木野衣さんの『アウトサイダー・アート入門』で、昭和新山の誕生を観察し続けた三松正夫が紹介されていた。彼は同じ場所から山の輪郭を描き、それを一枚に重ねることで、目には見えない地殻の時間を可視化した。科学的な観測記録でありながら、そのまま時間を描いたドローイングでもある。美術と科学は、世界を観察し、まだ見えていないものに形を与えるという点で、本当に同じと言っていいほど近いのではないかと思った。
第1章「老人たちの内なる城」
1. フェルディナン・シュヴァル
2. サイモン・ロディア
3. ヘンリー・ダーガー
第2章「極限に置かれた者たち」
4. 渡辺金蔵
5. 三松正夫みまつまさお
6. 出口なお
7. 出口王仁三郎
第3章「権威からの逸脱」
★8. ルイーズ・ブルジョワ
9. ジャン=ピエール・レイノー
10. 田中一村
終章「アウトサイダー・アートの真実」
11. 山下清
+八幡学園の子どもたち
椹木野衣(さわらぎ のい)
1962年埼玉県生まれ。故郷の秩父で音楽と出会い、京都の同志社で哲学を学んだ盆地主義者。美術批評家として会田誠、村上隆、ヤノベケンジら現在のアート界を牽引する才能をいち早く見抜き、発掘してきた。既存のジャンルを破壊する批評スタイルで知られ、蓄積なしに悪しき反復を繰り返す戦後日本を評した「悪い場所」(『日本・現代・美術』新潮社)という概念は、日本の批評界に大きな波紋を投げかけた。ほかにも読売新聞(2010-2011)、朝日新聞(2017-)の書評委員としてあらゆる分野にわたる書評多数。多摩美術大学教授にして岡本太郎「芸術は爆発だ!」の精神的継承者。芸術人類学研究所所員も務める。1児の父。 おもな著書に、『シミュレーショニズム』(増補版はちくま学芸文庫)、『反アート入門』『アウトサイダー・アート入門』(ともに幻冬舎)、『太郎と爆発』(河出書房新社)、『後美術論』(美術出版社、第25回吉田秀和賞)、『震美術論』(美術出版社、平成29年度芸術選奨文部科学大臣賞)。
「コリン・ウィルソンは 1931年、イングランドのレスターに生まれた。生涯にわたり多大な数の著作を残したが、まともな教育は受けていない。父親は典型的な労働者階級で、たいした収入も得られない靴工場で働いていた。ウィルソンも 16歳のときにはすでに公教育から外れ、肉体労働、屍体の埋葬、税の徴収、皿洗いなどを転々としながら食いつないでいく。定職がなく宿無しだったウィルソンは、しかしながら猛烈な知識への渇望の持ち主で、夜は野宿という過酷な境遇にもかかわらず、大英博物館が開くと昼間は図書室に籠って読書と執筆に明け暮れ、閉館と同時に夜の街をさすらう日々を送った。彼の著作は引用が多く、その活用が舌を巻くほど巧みな一方、原典との異同が目立つといわれるが、それは改竄ではなく、蔵書も書斎も持たなかったウィルソンが、図書室で文献をノートに書き写すことで知識を蓄えたことに由来する単純な転記ミスと考えられる。彼にとって本とは姿勢を正しくして読解するものなどではなく、限られた時間のなかでガツガツと貪るように脳味噌のなかに貯め込むものだったのだ。こうして書き上げ、世に出た最初の著作が『アウトサイダー』であった。いわば『アウトサイダー』という著作そのものが、文字によるアウトサイダー・アートのような産物であったのだ。 この著作を皮切りに、まるで怒濤のように溢れ出たウィルソンの厖大な博識と猛烈な筆力は、かれを一気に 20世紀を代表する書き手にまで押し上げた。他方、アカデミズムといっさいの縁がなく、ウィルソンの原点となるアウトサイダー像の延長線上に、次々と宗教的カリスマ、連続殺人鬼、オカルティスト、超能力者などを取り上げ、さらにはファンタジー文学や SFの執筆にも手を出したことから、世にいう大学人・知識人(ようは知のインサイダー)たちからの毀誉褒貶に晒されることもしばしばだった。が、もとよりかれがアウトサイダーなのであれば、それもとうぜんであろう。それどころか後年のウィルソンは、ますますアウトサイダー・アートの担い手に近いところへと歩み寄っていたのである。その後、晩年まで旺盛な執筆活動を続けていたが、 2012年に脳卒中で倒れると闘病生活に入り、翌 2013年の 12月に死去した。 82年の生涯であった。」
—『アウトサイダー・アート入門 (幻冬舎新書)』椹木野衣著
「さて、最後にひとつの問題提起をすることで、本書の導入となる序章を終えたいと思う。私たちは、とかくアウトサイダー・アートを他人事のように捉えがちだが、実はほかでもない私たち自身がアウトサイダーかもしれないという可能性についてだ。そもそもこの領域に新しい光を当てたのは、デュビュッフェがそうであったように、あくまで欧米からの視点にほかならない。欧米は美術の内輪そのものであり、だからこそおのれを刷新し続けるための自己拡張の媒介として外部性を必要としたのだ。すると原理的にいって日本を含む非西欧圏はおのずと、かれらインサイダーに対してアウトサイダーということになりはしないか。ゆえにアウトサイダーとはなによりもまず、私たちそのものかもしれない、ということになる。」
—『アウトサイダー・アート入門 (幻冬舎新書)』椹木野衣著
「こうした外部的な視点を得にくいアール・ブリュットも含め、日本でアウトサイダー・アートについて考えるとき、この視点は絶対に外してはならない。ほかでもない私たちこそがアウトサイダーかもしれないのに、そのことに気付くことなく、まるで自分たちが欧米と同じインサイダーであるかのように振る舞い、アウトサイダーを自分から切り離された研究対象のように扱うことは、アジアにおける日本の立ち位置という過去の歴史に照らしても、私たちの自己認識をひどく歪めてしまうことになる。たとえば、先の戦争で日本がアジアを非西欧圏とみなし、自身は西欧と同じ権利を持つ准白人として侵略という帝国主義的な暴力を振るったり、他の国に先駆けてアジアの盟主たりうると独善的に決めつけた自己 =国家像は、日本が実際にはアウトサイダーであるにもかかわらず、そのことを隠蔽して、無理矢理インサイダーであるかのように装ったことに多く由来するからだ。近代以降、やがて「大東亜戦争作戦記録画」へと至ることになる日本の近代美術も、この点では同罪だろう。」
—『アウトサイダー・アート入門 (幻冬舎新書)』椹木野衣著
「ただし実現したとはいうものの、さすがのシュヴァルも宮殿の排水までは考えていなかった。そうでなくてもオートリーヴは季節ごとの雨風が激しい。嵐のときに容赦なく宮殿へと吹き付ける雨水は逃れる路を持たず、そのまま地盤に染み込み、かんたんには乾いてくれない。やがて水たまりは基礎らしい基礎のない宮殿の足下に留まるようになった。加えて、もろくなった宮殿の表面を風が少しずつだが容赦なく削り取っていった。おのれの命に代えても宮殿の造営に情熱を注いだ主は、もうこの世にいない。そんななかでも理想宮はついにはパリにまで名を馳せ、おのずとパブロ・ピカソやアンドレ・ブルトンの耳にまで届くところとなり、かれらからの絶賛を受けるに至ったのである。 こうして「シュヴァルの理想宮」の保存運動が始まった。だが、それもすんなり筋の通るような話ではなかった。宮殿は方々で話題になりつつも、結局珍しいもの見たさの冷やかしに近いことも少なくなく、立派な文化財として真剣に保存を考える者など皆無だったからだ。それどころか、カソリックにつらなるフランスを代表する歴史的建造物と比べたとき、シュヴァルの宮殿はあまりにも異教的であった。世界中のありとあらゆる様式を折衷して無理矢理繫げたかのようなスタイルは、伝統的なキリスト教の側から見たとき、悪魔の所業にさえ思えたであろう。誹謗中傷もあとを絶たなかった。成り立ちからして当然といえば当然なのだが、そうこうするうちにも刻一刻とシュヴァルの宮殿は雨風に浸食され、建造物としての深刻な危機に直面していた。」
—『アウトサイダー・アート入門 (幻冬舎新書)』椹木野衣著
「ここでマルローは、シュヴァルの宮殿の芸術性を高く評価しつつ、併せて自身の芸術観を巧みに披露している。その考えが、驚くほど今日のアウトサイダー・アートに近いのである。むろん、マルローは戦後のフランスを代表する知識人にほかならない。アール・ブリュット発祥の地で多くの文化人・芸術家との親密な交流があり、そのなかにはブルトンの盟友、ルイ・アラゴンも含まれていた。著作には『空想の美術館』と呼ばれる架空の美術館構想まであった。したがってマルローには、最初からシュヴァルの理想宮に理解を示す素養は十分に備わっていた。加えてマルローには、若い頃から非西欧圏の文化や風土への根強い関心が備わっていた。東洋の言語について学び、結婚すると妻とともにカンボジアへと出かけ、考古学への情熱からほかにもベトナム、ラオスといった仏領インドシナを旅し、その足はアフガニスタン、さらにはイランにまで及んだ。シャルル・ド・ゴール政権のもとで文化相を務めた在任期間には毛沢東と中国で面談したり、来日して寺社への訪問も行っている。アジア諸国の古くからの文物を好み、帝国主義時代のフランスによる一方的な近代化をともなう植民地政策には、かねてから批判的であった。」
—『アウトサイダー・アート入門 (幻冬舎新書)』椹木野衣著
「さて、ワッツがどんな街か頭に入れたうえで、肝心のタワーの話に入ることにしよう。これを作った男の名はサイモン・ロディアといって、ヨーロッパから米国に渡ってきたイタリア系の移民である。身の丈はわずか 1メートル 47センチ。まったくの小柄だ。あの立派な塔を誰の手助けも借りず、たったひとりで作り上げたとはとうてい想像できない。けれども、塔の建造に着手する前から長きにわたって肉体労働に身をやつし、家族の生活を支えてきた身体は屈強で、褐色に日焼けした顔には、どこか野生の匂いさえ漂っている。なるほどこの男なら成し遂げるかもしれない──見る者をそう納得させるだけの説得力を持っている。」
—『アウトサイダー・アート入門 (幻冬舎新書)』椹木野衣著
「父とふたり暮らしになったダーガーであったが、かれが 8歳のとき父はすっかり体調を崩してしまい、のちにダーガーが息を引き取るシカゴの救貧院に移ることになる。ひとりぼっちになったダーガーはやむなくカソリックの少年施設に送られたが、シスターたちは規則にひどく厳しく、ことあるごとにかれにつらくあたったという。それでも、すでに父から読み書きを教えられ、無類の読書好きになっていたダーガーは学校への入学前から本を読み漁り、たちまち 1年から 3年へと飛び級してしまう。とりわけ南北戦争の物語を好み、教師と南北戦争の死者数について予期せぬ口論になったダーガーは厳しい叱責を受けたが、決して持説を曲げなかったという。のちに全面展開することになる「大人たちの世界」への徹底した反抗精神は、すでにこの頃から芽生えていたのかもしれない。」
—『アウトサイダー・アート入門 (幻冬舎新書)』椹木野衣著
「ひと一倍強情で、おまけに癇癪持ちであったダーガーは、とうぜん周囲とも馴染めないままでいた。そんななか、自分の存在をアピールしようと考え出した、口を鳴らす芸にいら立った同級生たちから、ついに袋叩きに遭ってしまう。が、ダーガーはこれに屈せず棒で応戦するくらいだったから、ついにはまわり中が敵だらけとなった。そんなダーガーをかねてからよく思わず、ダーガーをからかう生徒たちの側についた教師は、感情障害の疑いがあるとして無理矢理ダーガーに医師の診断を受けさせ、知的な障害の徴候が見られるとして、かれをイリノイ州のリンカーン知的障害児施設へと送り出してしまう。けれどもひと一倍読書に励んだことからもあきらかなように、ダーガーには、なんらの知的な遅延は認められない。知識への関心はむしろ人並み以上であった可能性のほうが高い。ダーガー研究の第一人者でもある精神医学者、クリス・マグレガー博士の所見でもダーガーに特段の知的な障害は認められず、あえて今のことばで診断するならアスペルガー症候群であろうという。にもかかわらず、かれはもといた場所から 160キロも離れた施設で、 1500人にも及ぶ知的障害児たちと一緒に暮らすことになったのである。」
—『アウトサイダー・アート入門 (幻冬舎新書)』椹木野衣著
「また、ダーガーはあいかわらずの読書家だった。といっても金はないので、日頃から手にして読んだのは屑カゴから拾ってきたものばかりだった。が、その日のうちに捨てられる新聞は朝夕刊各紙すべてに目を通していたし、『オズの魔法使い』『ハイジ』『グリム童話集』『不思議の国のアリス』などはきちんとした蔵書を備え、とくに『オズ』のシリーズは全巻を初版で揃えていた。カソリックの敬虔なクリスチャンでもあり、教会への礼拝は欠かさず、映画にも関心を示した。なかでもハリウッドの歴史に残る美少女リリアン・ギッシュが主演を務める D・ W・グリフィス監督『國民の創生』は南北戦争を扱っていることもあり、全 165分と当時としては長大であったものの、南北戦争の伝記と並んでダーガーの物語や絵の構想に少なからぬ影を落としていると思われる。」
—『アウトサイダー・アート入門 (幻冬舎新書)』椹木野衣著
「ふと、ダーガーは本当に実在したのだろうかと、つい疑いたくなるときがある。残された写真はわずか 3枚しかない。先立たれた友人と家の前に座る場面、いかにも不味そうに食事をしているところ、そして庭先で不機嫌に座り込む老け込んだ顔のアップだけだ。にもかかわらず、自分がアーティストであるという自覚だけはあったらしい。ラーナーの夫人で音楽家の日本人、キヨコさんが電球を換えに部屋に入ったとき、丸テーブルに載せてある薄汚れた絵を見て、お世辞で「あなたもアーティストね」と声を掛けると、ダーガーは即座に「イエス、アイアム」と断言したという。けれども、かれが自分のことを「アーティスト」と呼ぶとき、それは私たちが知る「アーティスト」とはまったくの別ものだった可能性が高い。逆にいえば、もしもダーガーがアーティストなら、私たちの知るアーティストのすべてはもうアーティストではありえない。」
—『アウトサイダー・アート入門 (幻冬舎新書)』椹木野衣著
「もともと学業に秀で、手先が器用であったらしい金蔵は、この店でメキメキと頭角をあらわす。その頃までには、渡辺家にはすでに 5人の子女がいた。よりによって戸主にあたる娘「とめ」と恋に落ちた金蔵は、 24歳のとき未婚のまま長子をもうける。老舗にとってはたいへんな騒動であったはずだが、渡辺家も金蔵の才覚を認めぬわけにいかなかったのであろう。結局ふたりは 1903年(明治 36年)に入籍。金蔵は 26歳にして店をひとりで切り盛りする主の身となる。」
—『アウトサイダー・アート入門 (幻冬舎新書)』椹木野衣著
「けれども、その直後から金蔵の奇行が始まる。これほどたいへんな時期に、突如として世界一周旅行に出かけるというのである。時代が時代だから、むろん飛行機でさっと移動というわけにはいかない。周航自体が稀な大型貨客船での数箇月にわたる長旅である。海上でなにかあっても連絡ひとつすぐにはできない。だからだろうか。金蔵には合わせて 5人の息子、娘がいたが、よりによって家族を全員連れていくという。留守のことなどまったく気に掛ける様子もない。」
—『アウトサイダー・アート入門 (幻冬舎新書)』椹木野衣著
「金蔵は財産持ちであった。しかし地震は資産家であろうが貧乏人であろうがまったく区別などしてくれない。どのくらいひどい目に遭うかはそのひとの運しだいだ。もしも同じ程度に被災をしたなら、いっそのこと、持たぬ者のほうが強いかもしれない。最初から失うものがないからだ。逆に多くを持つ者であったならどうだろう。とうぜん喪失も多い。金蔵は土地持ちでもあったから、資産の多くは地積であらわされていた。実際、金蔵の道楽を支えたのも地代であった。ところが、その財を生んでくれる土地の境界が黒く焼け焦げた瓦礫の山で埋まり、忽然と姿を消してしまった。ショックでないはずがない。いや、ショックはひと一倍であったにちがいない。」
—『アウトサイダー・アート入門 (幻冬舎新書)』椹木野衣著
「正夫の父、三松禮太郎は、もと延岡藩(現在の宮崎県にあたる)の内藤家に仕える武士であった。明治維新後、武士の特権を失うと職を得るため上京。慶應義塾で福沢諭吉の教えを得たが、その直後に西南戦争が勃発。西郷方について応戦するも敗北。北海道の開拓民として政府に協力することを条件に一命を取り留め、山麓の有珠紋 村へと流れ着いた。この地で官製の製糖工場の職に就いた禮太郎は順調に工場長となり、東京から家族を呼んで一家をなす。正夫が生まれたのもこのときのことであった。しかし原材料となるビートが黒斑病で壊滅。仕事に失敗した禮太郎は廃業を決意して隣の壮瞥に土地を得て移り住むと、やがて当地の郵便局長を務めるようになる。といっても有珠山の麓に位置する田舎の郵便局のこと。格付けでいうと「三等」にあたり、事業も請負で局員には身内を動員するしかない。しかも禮太郎にはすでに子がおり、進学・上京が続く家計は火の車であった。 当時、請負の郵便局は世襲が当たり前であったので、禮太郎も局長の座を継がせるためすべての息子を手放すわけにはいかなかった。おのずと「貧乏くじ」は 6男 2女のうち五男にあたる正夫にまわってくる。意気揚々と札幌の中学校に入学し、身を立てるため勉学に意欲を燃やしていた正夫は 1903年(明治 36年)、わずか 1年足らずで一転してなにもない郷里の田舎へと呼び戻されることになる。勉学は学校の教師に代わって父がみずから教えることとなった。そのとき正夫が身につけた父の慶應義塾ゆずりの漢学、珠算、書道、理科は、のちに大きな意味を持つことになる。だが、ひとり家業を継がされることを悟った正夫の失望たるや、いかほどのものであっただろう。数年の従軍を経て、やがて 1912年(明治 45年)、引退した父に代わり、弱冠 23歳にして壮瞥の郵便局長に収まることになる。結局、正夫の最終学歴は小卒(補修科修了)。決して本意ではなかったはずだ。」
—『アウトサイダー・アート入門 (幻冬舎新書)』椹木野衣著
「軽蔑する母の子である自分を殺すことにも失敗し、結局はその母よりも長く生き続けることになったブルジョワは、残された父のもとで数学から美術へと専門を変える。彼女の心のうちに、いったいなにが起こったのだろう。それを推し測ることは不可能だ。が、なにより安定していると思われた数学や幾何学の世界も、たび重なる死の試練のもとでは、なんら力を持ちえなかった。私にはそのことが、彼女の美術への転科と深く結びついているように思えてならない。少なくともブルジョワがこのとき、抽象化された数学的秩序へと逃避するのではなく、逆に手垢にまみれたこの世の物質をこねくりまわすことで、目の前に立ち塞がる世界と格闘していこうと決意したことだけはたしかなことのように思われる。加えて幼い頃から画廊に並ぶタペストリーに囲まれ、お針子たちに交じってその修復や型紙作りを手伝うなかで、筆を持ったりデッサンをしたりする機会に恵まれていたブルジョワには、十分にその資質が備わっていた。」
—『アウトサイダー・アート入門 (幻冬舎新書)』椹木野衣著
「軽蔑する母の子である自分を殺すことにも失敗し、結局はその母よりも長く生き続けることになったブルジョワは、残された父のもとで数学から美術へと専門を変える。彼女の心のうちに、いったいなにが起こったのだろう。それを推し測ることは不可能だ。が、なにより安定していると思われた数学や幾何学の世界も、たび重なる死の試練のもとでは、なんら力を持ちえなかった。私にはそのことが、彼女の美術への転科と深く結びついているように思えてならない。少なくともブルジョワがこのとき、抽象化された数学的秩序へと逃避するのではなく、逆に手垢にまみれたこの世の物質をこねくりまわすことで、目の前に立ち塞がる世界と格闘していこうと決意したことだけはたしかなことのように思われる。加えて幼い頃から画廊に並ぶタペストリーに囲まれ、お針子たちに交じってその修復や型紙作りを手伝うなかで、筆を持ったりデッサンをしたりする機会に恵まれていたブルジョワには、十分にその資質が備わっていた。」
—『アウトサイダー・アート入門 (幻冬舎新書)』椹木野衣著
「また、この家には鏡がない。ブルジョワが自分自身を決して受け入れないからである。年齢こそ老いても、彼女にとって自己像とは父親によって蹂躙され、愛人によって無視され、母から捨てられた幼く惨めなルイーズのままなのである。自己認識のための鏡がないことで、この住居はあのショワジーの屈辱的な家から直接エネルギーを引くことができる。言い換えれば彼女はこの住まいで日夜、弱く力のなかった過去の彼女を責め、苛み、父に攻撃を仕掛け、愛人を愚弄し、母を憐れみ続けなければならない。ブルジョワにとって作品の制作とは、氷のように危うく静止したこの時間を何度でも反芻し、異化し続けるための、長く終わりのない工程にほかならない。」
—『アウトサイダー・アート入門 (幻冬舎新書)』椹木野衣著
「感情が高まってくると、彼女は部屋のなかに父親や愛人の存在を生々しく感じ取り、それが限界を超えると、作りかけの作品を床に落として粉々に破壊してしまう(このインタビューの際にも 1点、立派な作品を壊し、その破片を踏みつけ続けた)。にもかかわらず、私の制作には何年も何年も恐ろしいほどの時間がかかります──彼女がそういうのは、この作家にとって作るとは、決して消えることのないこの恐ろしい破壊衝動や、自己を破壊しかねない怒りの爆発との闘いの連続だからだ。それに打ち勝つことができれば、このうえなく高価な値で取り引きできる作品が完成する。しかしそうでなければ、壊されて無意味な瓦礫と化す。展覧会というのはその偶発的な結果にすぎず、彼女にとってはなんら特別な意味はない。彼女が「どんな展覧会も重要ではありません」というのはそういうことだ。男だらけの美術の世界から身勝手な賞讃の声を届けようとする「鼻持ちならない」専門家やファンの存在などには、一時たりとも闘いを「邪魔されたくない」だけなのだ。」
—『アウトサイダー・アート入門 (幻冬舎新書)』椹木野衣著
「が、一村の行く手はすぐに暗雲で遮られる。まず、わずか 3箇月で学校をやめてしまう。その原因には諸説があり、たしかなことはわからない。が、一村が修めてきた南画の世界が、新しい日本画の台頭によって急速に時代から取り残され、それに代わる近代日本画の新派の俊英を揃えた教授陣のなかにあって居場所がなかったこと、その頃から父が体調を崩し、多くのきょうだいを抱え、家計が逼迫していたのもたしかなようだ。また、一村自身が持病を抱えていたという説もある。そんな一村を助けようとただちに賛助会が結成されても、すぐには気も晴れなかったにちがいない。」
—『アウトサイダー・アート入門 (幻冬舎新書)』椹木野衣著
「あいつぐ肉親の死と極度の困窮、そしてたび重なる中央画壇からの拒絶は、一村の心に終生癒えることのない深い傷を刻み付けたことだろう。言い換えれば、この絶望なくして、のちの一村はなかったのではないか。すんなりと画壇に居場所を与えられ、画家として順調に伸びていったとしたら、はたしてどうだっただろう。とうぜん奄美に移ることはなかっただろうし、見るものを圧倒するほど鬼気迫る晩年の命懸けの探究もなかったはずだ。身に染み付いた観察の目こそ揺るがなかったかもしれないが、その発露の仕方はまったく違ったものとなっていただろう。決して裏切ることのない自然への深い愛情と、それとは裏腹の社会から受けたたび重なる拒絶は、一村にとって容易には解決できぬ両輪のようなものだったのではあるまいか。とりわけ奄美に渡ってからの一村の絵は、本土とは様変わりした南の島の植生をつぶさに目の当たりにして画布へと定着させながらも、画面から発せられる気はどこまでも醒めている。その様は南島の熱気を帯びるどころか、むしろ冷徹すぎて怖いくらいだ。けれども、この一見して矛盾した画調こそが一村の絵の最大の魅力であり、他を寄せ付けぬ魔力の出所なのだろう。」
—『アウトサイダー・アート入門 (幻冬舎新書)』椹木野衣著
「あいつぐ肉親の死と極度の困窮、そしてたび重なる中央画壇からの拒絶は、一村の心に終生癒えることのない深い傷を刻み付けたことだろう。言い換えれば、この絶望なくして、のちの一村はなかったのではないか。すんなりと画壇に居場所を与えられ、画家として順調に伸びていったとしたら、はたしてどうだっただろう。とうぜん奄美に移ることはなかっただろうし、見るものを圧倒するほど鬼気迫る晩年の命懸けの探究もなかったはずだ。身に染み付いた観察の目こそ揺るがなかったかもしれないが、その発露の仕方はまったく違ったものとなっていただろう。決して裏切ることのない自然への深い愛情と、それとは裏腹の社会から受けたたび重なる拒絶は、一村にとって容易には解決できぬ両輪のようなものだったのではあるまいか。とりわけ奄美に渡ってからの一村の絵は、本土とは様変わりした南の島の植生をつぶさに目の当たりにして画布へと定着させながらも、画面から発せられる気はどこまでも醒めている。その様は南島の熱気を帯びるどころか、むしろ冷徹すぎて怖いくらいだ。けれども、この一見して矛盾した画調こそが一村の絵の最大の魅力であり、他を寄せ付けぬ魔力の出所なのだろう。」
—『アウトサイダー・アート入門 (幻冬舎新書)』椹木野衣著
「それにしても一村は、いったいどのような経緯で本国への復帰まもない奄美へ渡ることを決意したのか。そのきっかけとなったと考えられるのが、一村にとっては珍しい旅行の機会であった。身を一箇所に落ち着けて、地に根を張るように絵を描いてきた一村にはめったにないことだ。あるとき、能登の大きな宗教施設に草花の絵を納めるよう頼まれた一村は、現地で絵を仕上げると、そのまま九州まで足を延ばす。各地を一周すると次には四国に渡り、さらに淡路島を経由して紀伊半島にまで旅路を重ね、行く先々で写生を重ねた。絵描きとしての、いわばグランド・ツアーである。このときに着想を得た各地での風景画の数々は、一村に特有の神経質すぎる目の酷使とはだいぶ趣の異なる、むしろそこから解放されたかのような伸びやかな構図と鮮やかな色彩を持ち、これはこれでたいへん魅力的である。」
—『アウトサイダー・アート入門 (幻冬舎新書)』椹木野衣著
「そこには、たび重なる落選という失意を旅情にまぎらわしたいという気持ちも、どこかにあったはずだ。その証拠に、実は一村は能登での仕事が終わったあと、ぶらりと方々へと足を延ばしたわけではなく、もとよりこれを人生の一大転機とするべく、事前に念入りな金銭の工面や行く先で渡す紹介状まで準備して旅に出ている。まっさらな土地で、初めて出会う風物から得られる体験を通じ、画家としての新たな再出発の契機にしたいと考えていたとしても不思議はない。 このときに南九州から海を越えて渡ったトカラ列島で出会った目新しい南方の自然が、のちの一村の奄美行きに強い影響を及ぼしたと従来は考えられていた。しかしこの説は、先の大矢による綿密な検証で、すでに事実でないことがわかっている。なぜなら、実はこのとき一村はトカラまでは足を踏み入れていなかったのである。」
—『アウトサイダー・アート入門 (幻冬舎新書)』椹木野衣著
「地震といえば、第 2章で取り上げ、清と同じ東京の下町の出で、やはり関東大震災の被害が大きかった門前仲町に住んでいた渡辺金蔵が、同じく震災に直面してから唐突な世界一周旅行を思い立ち、帰国後は自邸「二笑亭」をめぐって執拗な改造や奇怪な普請に明け暮れ始めたことを想い起こしてほしい。興味深いことに、渡辺金蔵と山下清をともに世に知らしめたのは、美術評論でも名をなし多方面で活躍した精神科医、式場隆三郎であった。震災というと、とかく家屋の損壊戸数や死者・行方不明者数といったわかりやすい指標で語られやすいが、たとえ無傷であったとしても、遭遇したすべてのひとの精神に著しく大きな影を落としたはずだ。その抑圧に耐えかねて、正気を保てなくなる者が出てきてもおかしくはない。 PTSD(心的外傷後ストレス障害)という語など影もかたちもなかった時代の話である。が、阪神・淡路大震災や東日本大震災を経て今に至る私たちなら、容易に想像がつくだろう。心の奥底に刻み込まれた震災の悪夢を払拭しようと、常軌を逸した奇行に走る者が出てこないほうが不思議なくらいだ。なかには「表現」と呼ぶしかないものも少なからずあっただろう。もの作りとも精神の病ともつかぬこうした異様な行動から生み落とされた産物を、すんなり芸術と呼んで片付けられるはずがない。美術の教育を受けてすくすくと育ち、世に出てからは画壇に守られ、これ以上ない恵まれた環境のなかで順調に佳作・秀作をものしていくような「評価」の尺度からは、最初から外れているのだ。」
—『アウトサイダー・アート入門 (幻冬舎新書)』椹木野衣著
「思うに、子どももアウトサイダーといえばアウトサイダーなのだろう。社会から完全にはじかれているわけではないが、いまだその一員にもなれず、物心つかぬままその境界線上に置かれて、社会ではなく地べたにしゃがんで地面の虫をじっと見つめている。そしてその延長線上で、毎日通っている学校生活を通じて、ひそかに大人たちの世界を観察している。私には、子どもたちが小さな手のひらに豆のような虫を載せ、めまぐるしく動く体節や足の動きを見つめる様を眺めていると、かれらが虫という人間社会の「外部」を通じて、これから自分が参入させられようとしている大人の社会との違いを、じっと眺めているように感じられるのだ。社会のなかではまったくの無力で、生きていくすべを持たない子どもたちにとって、虫は人間より遥かに近しい存在なのかもしれない。そう考えたとき、山下清やヴォイナロヴィッチが家庭内の虐待や義務教育からの疎遠を逃れ、あるいは守一のような認知された画家が強い意志のもと世間からの距離を取って自庭に留まろうとしたとき、おのずとそのまなざしの先に虫が姿をあらわしていたのを、単に偶然と呼んで済ますわけにはいかなくなる。かれらは、たしかに「虫の目」を持っていた。」
—『アウトサイダー・アート入門 (幻冬舎新書)』椹木野衣著
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Posted by ブクログ
良き。すごく。
●芸術は、個が全責任を負って観ることができる
・観る人の心を動かすもの、が良い芸術であること。
・どんな絵に心が揺さぶられるかは、その人にしかわからない。誰にもわかってもらえない。ましてや共有などできるはずがない。
・上手なだけの絵は、知識や技の痕跡は垣間見えても、直接、感性を呼び覚ます力、絵を観ることの喜びや哀しみ、怒りや晴れやかさがない作品も多くある。無残である。
・本当は、感性を通じて自分の心のなかを覗き込んでいるだけなのに、そのことに気づかないづかない。気づこうとしない。結局、怖いからだろう。誰でも、自分の心の中身を知るのは怖い。
●ストーリーと共感の罠
・感性の根拠が自分のなかではなく、作られた作品や、それを作った作者の側にあるように思い込んでしまう。しかし、芸術体験にとってこれほど不幸なことはない。
・作品を見るのに、オーディオガイドや、はなからストーリーを知りすぎる、なんてことは、本当に作品を観ていることになるのか。
・うまい絵、きれいな絵、ここちよい絵ほど、パッと観に判断しやすく、みなで価値を共有したって仕方がない。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ「神なき世界で、美術はいかにあるべきか」
これを読んでいて、村上春樹を解説した本を思い出しました。
「聖なる天蓋のない世界で、それでも我々は「よきもの」としてあることはできるか」
当面、自分の手の届く範囲の「ローカルなルール」を打ち出していくこと以外に方法はない、というような話だった気がする。
芸術の世界に置き換えるとどうなんだろうなぁ。
「神に代わる何か」という考え方自体が、旧体制のシステムを引きずっていて、「神」の面影が消えない。でも多分、西洋の美術を理解していくためには、このシステムの踏襲は必要不可欠、なのだろう。
でも、そうではない方法だってあるのではないか、というのが、多分この本の核となるようなところなのだと思う。
でも、ちょっとまだ、分かりにくくて、どうしたら良いのかしらと、わたし自身も読み取り切れていない。
もう一度読んで、理解を深めたい。 -
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最近受験生の我が息子は、少し遠くの塾に
日曜日の夜間に通っています。(そんなに必死に
受験勉強しているわけではないのですが)
そこで、夫婦も揃って息子を送り届けて
塾が終わるまで二人でスタバに行って2時間
くらい待っています。私はじっくり本を読める時間
なので割と気に入っています。そこで読み終わった
今回のこの本。
川崎の桐光学園高校に様々な
論客(日本のトップクラス)が特別の授業をする
らしいのですがその授業の内容が本になっている内容。
こんな高校生はとても幸せだと思いますが
多分自分が高校生だったときはあまり興味を
覚えなかっただろうなあと思います。
でも、それでもそういうことを言っていた人が
いたなあとかすかに覚えていたり、そのうちの誰かの
話す内容に衝撃を受けたりすることが少ない確立でも
あったら、それって素晴らしいことなのではないかと
思います。
内容的には、とても知的な好奇心や問題提起がなされて
いてとても面白い内容です。おっさんがよんでも
とても勉強になり、感動し、納得し、面白いと
思える本です。
ぜひともいろいろな人に読んでほしいと思います。
やっぱりとりわけ若い人に読んでほしいと思います。
高校生でなくても、大学生や社会人でも。 -
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ネタバレ岡本太郎の著作を5つのテーマに編集した著作集の第一部。テーマは対極と爆発だ。芸術はどうあるべきか、彼の芸術家としての立場はどのようなものか、芸術に対してどのような心構えや想いで望むか、そういったことについて綴られている。対極という考え方は、青年期から10年あまり過ごしたパリで生まれた。当時、アブストラクトアートとシュールレアリスムがパリの画壇でもてはやされていた。これらの絵はそれぞれ抽象と具体を突き詰めていったもので、芸術史上まさに対極に位置する。この相反する立場を、弁証法的に捉え直したのが、岡本太郎の対極主義だ。しかし、ただ合わせるのではない。片方に極端にかけることによって、はじめて激しいぶつかりが生まれ、新しいものが生み出されると太郎は言う。彼の爆発の概念は、戦後生まれたようだ。日本人は原爆を落とされた被害者だという認識が、彼には強い。その主体者意識が大事だと言う。ごっそり、えぐりとられたあの瞬間を問い、考える。そして、新しい日本を作る意志と情熱の中にあの瞬間が爆発し続けなければならないと述べる。この爆発は生き方ひいては芸術のあり方について突いている。芸術は爆発だという言葉は有名だが、岡本太郎は対極にかけることを通して生命を爆発させるような生き方をしたのだ。
なにかにかける、その瞬間に、私は二の足を踏みがちだ。仕事を引き受けること、他人に関わること、日常の些事のなかにも小さな選択がある。これをしたらどうなるだろうと、リスクが頭をよぎり思考停止状態に陥る。そして、そのことは後回しにし、そのまま日常の中で忙殺され、いつしかそんなアイディアがあったことすら忘れてしまう。たしかに、岡本太郎の生き方には憧れる。だが、その方向に進むのは怖い。彼のような生き方をしようとしても、できる自信がない。果たして、この怯えはどこから来るのだろうか。方や、岡本太郎は、ダメでいいと開き直っている。この開き直りはどこからくるのか。上手い必要はない、美しくあればいいと芸術論の中で彼は言っている。当時ではへっぽこ絵描きと見なされていたセザンヌを例に出し、絵画の歴史は職人的な技巧を極めることを志向するところから、たとえ下手であっても芸術的な感性やセンスがあればいいという時代に入ったと言っている。会社人間という言葉に象徴されるように、仕事もその組織で評価される技巧を極めることが求められたりする。そして、それが巧くできない人は使えないと言われ、白眼視される。しかし、実は芸術も仕事も同じではないか。経済が行き詰まり創造性が求められる時代に、巧くある必要があるのか。むしろ、美しくあることの方が大事だ。美しさは新しさであり、人間性に根付くものだ。人間性に根付くものは普遍性がある。そこから出てくるものは、人の心を打つ。巧く生きる必要はない、美しく生きればいいのだ。
ところで、美しさという時に第一に思い起こすのは、容姿の美しさだ。百田直樹さんがモンスターという小説で美を追求する女性を描いたが、現代は美に対する執着が強い。人は見た目が9割という人もいる。しかし、ここで言われている美しさは、その時代が決定した基準をもとに言われている。自分自身もその美しさを目指して、髪型を整えたり、洋服を買ったりしている。これは、岡本太郎の言う、上手に書こうという意識と共通するものがある。どちらも、他人の期待に応えようという意思が働いている。本当の美しさは整えら形作られたものではなく、うちから溢れだすものだ。
しかし、どうしてうまくあろうという思い込みがあるのだろうか。これは、他人の期待に応えようという刷り込みだと思う。たとえば、学校教育の中で、与えられた課題を忠実にこなす訓練をするうちに、それが思考の習性になってしまったのだ。問題意識を持ち、自分の頭で考えることが足りない。容姿もモデルや俳優の綺麗さやかっこよさが流行りになり、人々はそれを追いかける。作られた基準、答えに正確に答えることが正しいとされる。模倣能力が価値とされているのだ。
しかし、
この行き詰まりを見せる社会で、大事なのは個々の創造性だ。そして、創造的に生きている人は、美しい。創造的に生きるということは、伝統と対決し、新しさを作るということだ。だから、美しさは、実は思考能力と表裏一体の関係にあるのではないだろうか。課題を見つけ、本質を見極め、自分の考えを持つという、小さい頃には誰しも持っていた素直な感覚も持つべきだ。ただ、子供が手にしている保証された自由と、大人が手に入れるべき獲得くる自由は違う。 -
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批評ってなんだろう?の答えを美術分野に求めて読んでみた本。
「アート」、「美術」、「芸術」の言葉の意味から、キリスト教、貨幣価値、冷戦など(西洋の)歴史の流れのなかでのアートの変遷。
「入門」というだけあって、非常に読みやすく理解しやすい。
(ん?でも理解できているのか?わたし)
「批評」については、作品と双子の関係とのこと。
神様や権力者の手から離れた美は、その存在を自ら保証しないといけない。
ルールから外れた作品はなかったことになってしまう旨の記述も、なるほどそうか、と納得。
一番の肝は最終章「最後の門 アートの行方」。
近代以降の日本(列島)人にとってアート的な価値とは何か。
キリスト教の神の絶対性と関わる西洋的な「美」とは当然異なる、「あらわれ」と「消え去り」。
岡本太郎の「呪術」、柳宗悦の「民藝」。
(21世紀を迎えても、インテリ的な「美術」というのは西洋から不自由なのだなあ。)
P302から引用---
わたしたちの人生で最大の強度は、けっして芸術作品からかたちづくられているわけではないのです。…紡ぎ出された体験にとって作品とはいわば媒体にすぎないのであって、作品そのものが体験を超えて普遍的な価値がある、などということはありえない。強くそう思います。
---引用終わり
カメラで撮った月と、人が脳内で見ている月の大きさはすごく違う。
コンピューターグラフィックスで、
人の視点と同じようにカメラと対象を動かしても、
見えている対象の見え方は違う。
(だから舞台の映像化が難しいのじゃないかと思う。)
私は、以前からそれが人間のすごいところだと思っているのだけど、
そういうことを思い出した。
あと、これを読み終わったときに原研哉さんと阿部雅世さんの対談をまとめた「なぜデザインなのか。」のことも思い出した。
多分、西と東とかの話があるからだと思うのだけど。
「なぜデザインなのか。」P84から引用---
阿部 …柳宗悦さんが、昭和5年に、ハーバード大学で「日本における美の標準」という講義をしたのちに、日本は文化で世界に貢献するべきだと痛切に思った、というようなことを書いておられますが、それから八十年近くもたったいま、孫、ひ孫のような世代の私たちが、いまだに手土産持って、教えていただきにあがるばかりだとしたら、恥ずかしいことだと思います。
---引用終わり
とか。 -
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村上隆さんを発掘した人として
椹木野衣さんのお名前は聞いたことがあったが、
タイトルにある『感性は感動しない』いう評論で、一躍美術批評家として有名になったらしい。
感性は感動しないについて
芸術は、自分がなにものであるかを映し出す鏡。
綺麗だ、心地よい、といった感動が感性では
なく、絵を見て自分の心の中を覗きこんでいる。絵は自分を写す鏡という考えはいいな思った。
また絵と音楽について語られていて、
彼が唱えたシミュレーショニズムについて
の思考の流れや分析が面白かった。
ハウスミュージックは、編集行為のみが、
特化しているが、美術の世界、現代アートも
フィルムの繋ぎ合わせで盗用芸術だと。
ハウスミュージックは、あまり聴かないが、
これを機に聴いてみようかな。
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芸術新潮に「気まぐれ美術館」という人気エッセイが連載されていることは当時耳にしたことはあったものの、その頃は美術方面にあまり関心がなく読むこともなかったが、文庫本として刊行されたので読んでみた。
”気まぐれ”というタイトルのため軽妙洒脱な文章・内容なのかと先入観を持っていたのだが、実際読んでみたら勝手が違った。もちろん「どんな絵がいい絵かと訊かれて、ひと言で答えなければならないとしたら、私はこう答える。―買えなければ盗んでも自分のものにしたくなるような絵なら、まちがいなくいい絵である、と。」とあるように、自分がいいと思った絵についてのその熱い気持ちは分かるのだが、この本に選ばれた文章全体からは、好き嫌いが激しく、ちょっと狷介で、心の奥底に曰く言い難い暗いものを持っていた人という印象を受けた。その辺りは、若い時代の転向や戦中の北支での共産軍の調査活動といった体験も何かしら影響しているのかもしれない。
「芸術新潮」に連載されていたくらいだから、もちろん絵のことには触れられているのだが、普通に言う絵画評論ではなく、絵との関わりに仮託して自らの人生を語る私小説的なエッセイと言えば良いだろうか。編者のセレクションによりほぼ時代順に各篇が配列されているので、著者の生活や人生観、芸術に対する考え方などの変化や推移が窺われるようになっている。
本書で取り上げられている画家の中では松本竣介、中村彜、林倭衛、鳥海清児、村山槐多といった人たちの絵は見たことはあるが、佐藤哲三、海老原喜之助、森田英二、小野幸吉、加藤太郎、佐藤渓、島村洋二郎といった人たちは名前も知らなかった。著者が文章にし、画廊で展覧会を開催したりしたことで、忘却から甦った人たちもいるらしい。
カバー画に使われているのは、海老原喜之助「ポアソニエール」という作品で、戦時中山西省太原にいた著者は同地でこの作品を画集で見て感動、戦後引き揚
げてきて、あるひょんなことから現物を目にして、力ずくと言っていいほどの熱意で手に入れる。確かに、頭に魚の入ったカゴを乗せた女性の眼差しは美しいし、簡素な服の色合い、瑞々しくイキの良い魚の描写も見事だ。
洲之内コレクションは現在宮城県美術館に引き取られているとのこと。同美術館は2026年6月にリニューアルオープンだそうなので、一度観に行ってみたい。