須藤靖のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
哲学って何?が全くわからないので、たまに手を出したくなる哲学本。
科学視点からだとこう見えてるけど、実際どうなの?
という、理系ニンゲンが気になる所のど真ん中に豪速球を投げ込んでくれる一冊。
哲学というと「知を愛する」と訳されるように、世界についての新たな知識を得ようとする営みだと思っていた。
その点では科学とも同じ方向を向いているんだと思ってたけど、その前提からして違うらしい。
新たな知識を得てそれを積み上げる、という事から興味が無くなっている様子。
世界に対する知識というより、ヒトが世界を認識する事で生まれた「ヒトの中にある世界」を対象に「何か言う」という事をしたい、知識より議論の為の軸(ネタ)を並べる事に価値を見出している、と見えた。
※すでに世界の根源を探る営みでは無いんですね
価値観とか言葉の定義で如何様にも結論が変わる(そもそも結論なんて出ない)グラデーションの世界に、(言葉や概念を定義しないままに)俺の基準の解釈ならこう、いやいや私の基準ではこう、みたいなのを言い合うのが哲学だ、と言ってるように思える。
役に立たない物が価値がないとは考え無いけど、
これは(少なくとも説明されていた範囲の科学哲学は)学門ですらないよね。
というのが須藤先生のホンネではなかろうか。
そういった議論が大切な領域(倫理とか)もあり、今後一層重要な世界になっていくと思うが、
反実在論の話題については科学がすでに内蔵している物を見ずに、ただの俺様解釈ごっこをしてるだけに見える。(ようなご説明に終始してただけかもだが)
この本は須藤先生側から投げかける構成なので、どうしても科学哲学側が防戦というか相手のペースで答えていくスタイルになるので、
科学哲学のペースで語られるであろう本にも手を出してみたい。
そして親切な事に、本作中で良書が紹介されているので、次はソレですね。
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Posted by ブクログ
理論物理学、微生物学、幹細胞発生学、宇宙物理化学、生命流体力学、地質学・岩石学、火山学、古脊椎動物学、代数幾何学、ニュートリノ天文学など、様々な分野の19名の理系研究者が「偏愛論文」について語るアンソロジー。
自分は文系で、理系の学問についてはあまり縁がない中、いろんな研究分野のユニークな論文のエッセンスが知れてとても興味深かった。また、研究というものの面白さを改めて感じた。
中でも、川上和人「そういえば、最近ケンケンしてないな」、仲野徹「衝撃と痛恨の秘話 幹細胞の可塑性とは何だったのか」、西本昌司「スカスカ・グサグサの岩石」、小林快次「羽を生やした恐竜」、小林武彦「私の愛する論文たち 老化は突然やってくる!?」が面白く、印象に残った。
ぜひ文系の学問についても、同じような企画をしてほしいなと思った。 -
Posted by ブクログ
勉強が足らず理解出来ないところもあったけれども、とても面白く、また魅力的な着眼点に満ちたアンソロジーだと思う。
博士たちが愛してやまない論文を紹介している。
実にシンプルである。
しかし、博士たちが愛しているだけあって、その多様さは目を見張るものがある。
博士たちは論文を愛している。博士いわく……
その論文は美しい。
その論文は執筆した科学者の野心と信念が詰まっている。
その論文はこの分野においてすばらしく重要だった。
その論文は卓越した面白い他にない着眼点でもって作成された。
その論文は結果的には誤謬であったが、この論文があったからこそ反証的に研究が進み発展した。
その論文はいまは亡き仲間が遺したもので今も活きている。
その論文は自分の根幹を成すものだ。
その論文は科学者である自分を産み出し、おそらくは未来にも自分のような科学者を産み出す。
その論文は自分を含めた多くの科学者たちを結びつけている。
その論文は大きな転換期に発表され、特異点として今後も残る。
博士たちが愛する論文は、門外漢である私には容易に理解出来るものではない。しかし、素晴らしい厚みと重みを持って人類の叡智を支えているのだと思った。 -
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今までありそうで(あったかもしれないが)見つけられていなかったテーマ。いろんな分野の先頭を走る研究者が各々愛する論文を語るという、極めて興味深く面白かった本。各々の研究テーマが違うのはもちろん、各々の研究者の感性や語り口がそれぞれ全く違っていたのも面白かった。一般向けに少し噛み砕いてくれている人もいれば、専門用語もりもりで愛が溢れている人もいた。どちらも素晴らしいと思う。いわゆるオタク文化にも通ずるところがあると感じた。専門家から見た「私見を含んだ」サイエンス的エッセイは非常に面白かった。
大学時代を振り返ると、論文を読むのは嫌いではなかったし、面白かったがやはりどこかタスクの一つになっていて心の底から楽しんで読めていなかったと思った。川上先生の章の基礎研究のあり方は非常に共感できた。面白いを追求し、誰かの心を踊らせるようなものを世に出せている時点で価値はあると思う。森林分野以外にも、他分野のインパクトのある論文を読んでみたい。ぜひ続編を出してほしい。さらに言えば年に一回でもいいから定期刊行してほしい。 -
購入済み
深い話です
宇宙の果てのその先をユニバース~マルチバースで示してくれた。人間原理など我々の生きている環境の不自然さを知った。
本当に私の身体の中の大腸菌まで全コピーした宇宙があるのかしら、深く考えさせてくれる本です。 -
Posted by ブクログ
副題に「科学者、哲学者にモノ申す」とあるように、実際は宇宙物理学者が「科学哲学は科学の役に立っていない」と疑問を呈し、科学哲学者がそれに答える本。
非常に面白い一冊で発見が多かった。
須藤靖、伊勢田哲治両氏ともにそれぞれの分野ではそれなりの実力のある方だと見受けられますが、罵り合いにならないことをまずは寿ぐべきというレベルで噛み合わない。
言葉の定義が異なると話し合うことすらできない。「原因」とは何か。「因果」とは何か。それを巡って定義を合わせようとするところ、つまり議論の最初ですでに同意できない。
普段から論文や発表や講義という形で議論をこなしている学者同士であってもベースラインが違うと建設的な議論は難しいというのは、「話せばわかる」と思っている楽天的な進歩主義者には正視しにくい。
二人とも繰り返し「先ほどから何度も申し上げているのですが」と自説を展開し、「なるほど私は自分の意見を変えました」とはならない。意見を変えたら負けと思っているかのよう。
(いわんや素人のネット議論をや。)
私はどちらかというと科学哲学好きなので、主に科学哲学側にシンパシーを覚えながら読んだが、その中で気になったのは『科学を語るとはどういうことか』というタイトルにそった話し合いにならず、科学者が「科学哲学は科学にどう役に立ってくれるんですか、役に立ってくれないんなら存在意義はないから消えろください」という態度でモノ申していたこと。
普段「世の中」からよせられる「宇宙のことを研究して私たちの生活の何に役立つんですか」に感じる苛立ちをそのまま科学哲学にぶつけているかのよう。
もっとも、科学者は文中でアンリ・ポアンカレの言葉を引いている「科学者は役に立つから自然を研究するのではない。楽しいから研究するのであり、自然が美しいからこそ楽しいのである」。でも自分の物理学はそれでいいのに科学哲学はそれじゃダメというのかしっくりこなかった。(最後の方で、ほとんどの科学哲学はまともだと分かったとは書いてある)
最後まで噛み合わない、それなりのボリュームの対談が一冊の本に纏まっている。そのこと自体にとても大きな価値があると感じた。(科学哲学者はあとがきで「噛み合っていないかもしれないけど、みのりが多かった」と書いていて、それには諸手を挙げて賛成します)
これを一冊の本にまとめあげたのは、それぞれの著者の力量もさることながら、間にたった編集者の力量がものすごく大きかったのだと思う。「河出書房新社の朝田明子さん」へ最大の賛辞を贈りたい。少しでも編集的な仕事に携わったことのある方なら、本書を形にすることがいかに困難な大異形だったのか、想像しただけでお腹が痛くなるレベルでわかると思う。 -
Posted by ブクログ
科学哲学の価値に大きな疑いをいだく宇宙物理学者の須藤靖さんと,気鋭の科学哲学者の伊勢田哲治さんの科学哲学をめぐるかなり本気な対談.ずっと緊迫した会話が続き,読んでいてとても疲れた.だがとても勉強になった.
頭脳明晰な二人が,あいまいな妥協なく,とことんまで話し,お互いを理解しようと懸命に努力をする.しかし,互いの問題意識をうまく共有することができない.話し合いでわかりあうことの難しさ!お互い熱くなって論争しているが,緻密に議論をすすめているのがすごい.
私は戸田山和久「科学哲学の冒険」のレビューで「ここに出てくる(科学的実在論の)議論のほとんどは哲学者には大問題でも科学者にとってはほとんど気にもならない問題なのではないかな.」と書いた.この本で須藤さんは,日頃科学哲学に感じているこのような違和感を伊勢田さんに堂々とぶつけている.
第1章,第2章では須藤さんの疑問に答えながら,科学哲学の流れを丁寧に辛抱強く伊勢田さんが説明して行く姿が印象的.説明もわかりやすい.
第3章で哲学者の問題意識が科学者とはちがうという話をするあたりから,議論が白熱する.議論が白熱する要因はいくつかある.まず議論の基礎となる部分で,
(1) 哲学者が専門用語を無定義のまま使ってしまい,物理学者からわからない,定義の問題だと言われる.異分野の人と話をするときは,なるべく専門用語を使わない,それができないなら,それが大まかにでもどういう意味かを説明しないとうまくいかない.具体的に言えば,自由意志,マーク,メタフィジックスなど.「物理理論がメタフィジカルな部分まで正しい」って,意味が分からないのは須藤さんだけではあるまい.定義自体が問題だといわれれば確かにその通りなんだけど,それだと話しができない.「視覚情報や文字情報として我々がもっているデータというのは,ある意味非常に二次元的な色の空間配置のデータなんですよ.そこからまず,その背後にある,何か世界に関する推論をして,その世界の持っている規則性について推論する.」(p.259 )なんてのもよくわからない.須藤さんは「それを職業としているからには,自分の考えたことをわかりやすく言語に翻訳する責任はありますよね.」(p.227)と言う.
(2) 物理学者が,いろいろな状況で何度も具体例を求めるのに,十分に具体的とはいえない返答が多い.非実在論の説明を具体的に求められて,「物理理論はそのまま受け入れるし,それが観測可能な事実を良く説明することも受け入れる.ただ,その理論がうまくいっている理由がメタフィジカルな部分まで正しいからなのか別の理由によるのかについては保留する.どういう態度か,という説明としてはこれで十分具体的だと思います.」(p.202)と答えてるが,これは十分具体的だろうか.実際,後で何度も何度も説明することになる.また難しい言葉,概念が登場したとき,難しい抽象論をすすめるとき具体例が欲しくなるの当然なのだが,これはたぶん「具体例で議論する性質の問題じゃないんですよ.」(p.106)という本質的な壁があるのかも.それだったらなぜそうなのかは説明が欲しいところ.
そして,議論の本質となる部分では,
(3) 科学哲学の究極の目標は「科学とは何か」を探求することにある.そしてそのために,因果論とか,実在論・非実在論を議論している.因果論では,非常にシンプルなモデルから出発して,現象の原因を探ろうとしている.実在論・非実在論では科学の全く無いところから始めて,科学を積み上げていったときに,我々は科学をやることによって何をしていることになるのかというのが問題意識なのだそうだ.なるほど.須藤さんは,それを理解した上で,300年前ならいいかもしれないが,現在の科学,特に物理学の状況を考えれば,あまりにも問題設定がプリミティブだし,そのようなことをしていてはいつまでたっても「科学とは何か」に迫ることはできないだろうと批判する.そして,そのような思考を通じて,「具体的にどのような成果があったか?どういう新たな知見を得たのか?」と尋ねる.哲学者には酷だろうな.「もし科学の本当の姿を捉えたいのであるとすれば,方法論を考え直すべきではないでしょうか.それはプログラムとしては壮大だけど,「五感しか信じない」という出発点からそんなことが本当にできるのだろうか.」(p.204).「かつての偉大な哲学者と同じ出発点にしがみついたまま物事を考えてはいけないと思います.過去の哲学書を読むだけではなく,その後の科学による新たな知見を加えた上で,再度その問いに現代的な意味があるかを常に問い直してから出発するかどうかを判断しなければ.」(p.190)とも.
最後まで,お互いの文化をわかりあえたという感じではないのだが,この厳しい議論を通じて,科学哲学が何を問題にし,そしてそこに何が足りないかがよくわかる対談だった.
蛇足だが「クリシン」という略語がかっこわるい. -
Posted by ブクログ
科学哲学という業界に「アホがアホを再生産しているのではあるまいか」と疑念を持つ物理学者と,それを迎え撃つ気鋭の科学哲学者との対談。物理学者の須藤氏の半ば先入観に基づく(しかし科学者が科学哲学に対して抱く印象としては極めてまっとうな)疑問に対し,科学哲学の伊勢田氏が丁寧に答えていくというスタイル。対談本にしては,予定調和のないガチンコ対決という風情で非常に刺激的。だらだらしゃべって文字起こしという安易な作りではなく,事前の論点整理,事後のやりとりの反映や正確を期するための補足も入念になされていて,文章が散漫にならないのも良い。「科学を扱いながら科学界への具体的提案のない,独りよがりで内向きの学問なのでは?」,「同業の権威者の説や奇異な理論を取り上げて些細な点を執拗にあれこれし,議論が堂々巡りする不毛な業界では?」,「おかしなことを言っているか,当たり前のことをややこしく言っているだけなのでは」という素朴な疑問をぶつけていく須藤氏も,科学哲学に素人とはいえ,入門書を複数読み概要を踏まえた上で対談に臨んでいる。研究や研究室の業務に忙しいまっとうな科学者が,ある程度の興味をもって科学哲学者と率直にやりあうこういう機会は貴重だし,それがしっかりした書籍として世の中に出たのはとても有意義。科学に興味をもつ多くの人にとって示唆に富む内容。
読む人が科学にどれほど信頼を置いているかによって,この本の印象はだいぶ異なったものになりそうだ。頭の硬い科学者を,社会や人間存在というものを踏まえた大局的見地に立った哲学者がたしなめていくという風に読む人もいるだろうし,現場の科学者の常識的・合理的な感覚に対して,哲学者が役にも立たない些末な揚げ足取りを繰り返し極端な懐疑論まで擁護していると読む人もいるだろう。でも,本書から読み取るべきことは,そのどちらでもない。いくつかレビューを見ると,対談は最後まで平行線という感想が目立つけど,哲学の考え方,立ち位置に須藤氏が次第に納得していく様子も見られる。ソーカル事件の顛末を知って科学哲学に対して抱いた敵意と,ビリヤードを用いた旧態依然の因果論に対する激しい違和感で,業界全体に対する感情的な反発をもってしまっていたこともはっきり認めて反省している。その種の多くの誤解は解けたし,二人の間で意見が一致する論点が多々あることも最終的には確認できている。ただ須藤氏は最後まで「学問の目的」という点では納得いかない様子だ。問題設定が具体的で目指すべきゴールのはっきりした科学と,実用性からは幾分遊離した哲学のものの見方にはやはり大きな距離がある。科学のために科学哲学があるわけではなく,科学哲学者は自身の哲学的に興味に基づいて科学を哲学しているのだから,この差はある意味当然なのだろう。
科学の専門家でない立場から科学全体を俯瞰するという行為が,今や密接不可分となった科学と社会を考える上で意味のある営みであることは否定しがたい。仮に現在の科学哲学がそれほど意義ある内容のものでないとしても,学問の世界,特に人文系の学問にはその程度の遊びは必要だと思う。高価な実験器具や大規模な調査など要らないから,たいして金がかかるわけでもないし,大いにやればいいんじゃないかな。いくつか著書を読む限り,伊勢田氏は聡明で知的に誠実な学者だし,彼もその一員である科学哲学業界がまるごとダメダメな業界とも思えない。ただ科学者との交流が少ないのは事実と思われるので,そこは改善の余地がありそう。必ずしも良い関係である必要はなくて,立場の違いからのすれ違い,いがみ合いがあってもいい。この点現状で特に手薄なのはやはり科学者側の科学哲学に対する関心のようなのだが,科学者側になかなか余裕がなさそうなのがネックかも知れない。極端な成果主義を改めて,もっと遊びを設けることができればいいのだけれど…。 -
Posted by ブクログ
★★★★★★★くらいすごい。
これは本当に面白い!し科学的に啓発!
東大出版会発行のUPを愛読してきた者として、著者の小論はUP連載時から注目してきた。ぜひ一読あれ。
・寺田虎彦は、目は閉じることができるのに耳はそうできない、と書くまでもないことを書いた後、「なぜだろう」と問うている。そこが凡人と違う。
★全くそのとおり。
「「眉毛は何の役にたつの?いったん剃った上で、あえて手でかきいれている大人が続出しているのはなぜ?」と子供が聞いてきたらどうするか?
★ユーモラス。
・電子があるのかないのか、という問いは科学的には無意味。哲学者はこういう問いかけが大好きだからよくない。
★著者は哲学者がお嫌いらしい。
・しかし、電子とは何か、という問いかけは大いに意味があるが、答えは難しい。
・ファインマンは哲学者が嫌いで有名だった。こんなことを本に書いている。「社会学者のある発表で、『社会共同体の個々の参加者はしばしば視覚的表象的経路を通じて情報を受信する』・・・おいおい、これは「人は読む」っちゅうだけの意味やナイカイ!
★全くそのとおり。
植物が人の感情を理解する、などという感傷的な表現に感動するようでは、この先まっくら(ちょっと意訳しているが)。そもそもそんなふうにしか植物を愛でることができないほうが偏狭だ。もしそうなら、野菜を切り刻んでサラダなんか食べれるもんか。
・万物は●●だ。万物は薬缶だ!万物はキャベツだ!
★きわめてユーモラス。
・小学校でπを3.14にするか3にするかでもめたが、物理学者に言わ
せればだいたい1でおおざっぱに計算してしまうほうがはるかに賢い。
・朝永しんいちろうの「光子の裁判」を読んでみたい。
・宇宙膨張にゴム風船がよく引き合いに出されるが誤解しやすい点がある。まず、ゴムの表面だけを思い浮かべるように。風船の中身は関係ない。
・宇宙はある一点から大爆発で始まった、という場合、この宇宙は全宇宙のことではなく「観測可能な宇宙」のこと。
・宇宙ドラマの配役:元素=脇役、ダークマター=準主役、ダークエネルギー=主役。
・将来は天の川が「天の土石流」のような感じになるかも。アンドロメダ銀河がぶつかるから。
●生物学関係者からのブーイングを恐れずに言えば、進化論もまた・・・。遺伝子がどのように変化して現在の生物種を生み出してきたかを・・説明するkとには成功していないし、ましてや未来に向けて生物がどのような進化を遂げるかを予測することは不可能である。しかしながら、知られている進化の痕跡はすべて偶然ともいえる環境の変化に適応し、生存を可能にしたはずだ、という信念のもとにもっともらしい後付けの説明がなされている。むろん、進化論が間違っている、というつもりは毛頭ないが、通常の物理リオンの受け入れられ方とはかなり異なっていることだけは確かである。
●「法則」ってなに?
←この観点はとても興味深かった。宇宙には始まりがあると考えられているし、その宇宙の誕生自身もまた物理法則にしたがっていると考えられている。とすれば、法則は宇宙の誕生以前に存在していることになる。
・量子力学の多世界解釈とは、ミクロとマクロを切り分ける考え方がそもそも間違い、量子力学の世界があくまでも正解、観測行為は波動関数の収縮をもたらすのではなく、じぶんがどの世界にいるかを後で確認する行為に過ぎない、そして他の世界を知ることは絶対にできない。
●特に最後の小説は秀逸!!!!!