須藤靖のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
SFの世界でしかあり得ないと思っていた「マルチバース」という概念が、私たちの住むこの宇宙が持つ「できすぎた」とも言える不自然さを説明するかもしれない。その発想自体が、非常に面白いと感じた。
鍵となるのが「人間原理」という考え方である。私たちの宇宙は、人間の存在を可能にするために必要な、精密で確率的には起こりそうもない条件、いわゆる「都合の良い性質」をいくつも持っている。もし宇宙がたった一つしかなかったとしたら、これほど都合の良い条件が偶然揃ったことは、まさに奇跡としか思えない。
しかし、もし宇宙が無数に存在するとしたら、その中のたった一つが、たまたま人間が存在できるような条件を備えていたとしても、何ら不思議はない。マルチバースは、この「できすぎた」宇宙の謎を、確率論的に説明する一つの可能性を提示している。
マルチバースの定義上、そのような別の宇宙の存在を直接確かめる手段ないが、絶対に観測できない場所に、自分たちのいる世界とは別の世界が存在するかもしれない。そう想像するだけで、なんとも言えないワクワクした気持ちになる。 -
Posted by ブクログ
もし機会があるならば、何の役に立つのかは分からないけど、深淵なる「数学」を学び直したいと思っている。
難しいことは理解できないが、たまに数学パズル的なものをやったり、中学受験の図形の問題を解きたくなったりして、取り組んだりしている。
(それでも当然、解けない問題が多いのだが)
論理立てて考えるという思考そのものが面白いし、その過程の中で発想力を駆使しないと解けない問題もあったりして、そこが非常に奥深いと感じている。
私自身は高校1年の「数I」で挫折した人間だし、結局大学も文系に進んだので、決して数学が得意とは言えない。
しかしながら「数」というものに対して、すごく不思議な気持ちが沸き上がるのはどういうことかと思ってしまう。
正直「よく分からないけど、熱くなる」という感情が存在している。
そしてそれが自分でも心地よい。
本書では数式をほとんど出さずに数学の楽しさ美しさを説いている訳であるが、これは本当にありがたい。
数学というのは、存在そのものが本当に不思議だと思う。
数学の新しい定理や数々の理論は、あくまでも「発見」であって、「発明」では無いという。
こういう考え方も実は気に入っている。
数学とは「地球に(宇宙に?)最初からすでにあるもの」だから、人間が発明するものではなく、存在を発見されるものなのだという。
これだけでも文系であろうがなかろうが、十分に熱くなる。
そして、数学と宇宙とは密接につながっているという。
宇宙の秘密を解こうとすれば、それは数学という技術を使用しなければ決して解けないだろう。
それでも、宇宙の95%がいまだ解明されていないのだという。
数学と物理を厳密に分ける必要があるのかどうかは、私には理解できない所であるが、とにかく奥深くて神秘的だ。
数々の物理法則が、なぜシンプルな数式の記述だけで表現できてしまうのか。
(本書ではできるだけ数式での説明を省略するとしているが)
私に理解できる頭脳があるならば、本当に知りたいと思う。
ニュートンはリンゴが木から落ちるのを見て、それが「天体が地球を回っている(落ちている)」と同じことだと気が付いた。
ケプラーは、惑星が太陽の周囲を回るのは、正円ではなく、楕円だと気が付いた。
アインシュタインは、時間と空間が重力によって相対的に変化することに気が付いた。
数々の天才たちがとんでもない発想力で、宇宙の理を解いていく訳であるが、数学を理解していない私でもワクワクしてしまう。
物理学は量子力学に発展して、超ミクロの世界と超マクロの世界が同じ法則で成り立っていることの証明を試みているのだという。
宇宙がほんの1点(超弦)から始まったとすれば、確かに始まりは同じなのだから、現在のミクロとマクロも元は同じとなる。
そもそも極小の世界と極大の世界が同じだなんて、普通に日常生活を送っている凡人には考えつかないだろう。
ニュースで見たり、勉強したりしたから「宇宙は極小の点からビックバンで始まった」と知識として知っているが、当然その内容を理解している訳ではない。
普段我々は、目の前の仕事をこなすだけで精一杯だ。
そんな中で、宇宙の始まりについて思いを馳せてみると、自分の悩みも小さなものに感じてしまう。
しかもそれが、なぜなのかは理解できないが、すべて数学(数式)という技術を使って説明が出来てしまう。
(当然、まだまだ説明できない未解明なことも多い)
これを神秘的と言わずして、何に神秘を感じるのかと思ってしまう。
数字が永遠に続くという「無限」という概念もよく分からないし、「素数」だって考え出したら不思議でしょうがない。
なぜ正円の直径と円周の比は割り切れないのだろうか。
その他にも様々な不思議な数学の世界が、我々が気が付いていないだけで、この宇宙に広がっている。
それらが時代も宇宙も超えて、ある一つの正しさを証明しようとしている点にとてもロマンを感じてしまう。
もし宇宙の片隅に文明を持った宇宙人が存在していたとしたら、人間(地球人)と同じようにこの宇宙の問いに対して、同じように数学を使って説明するのだろうか。
そんなどうでもいいことまで想像してしまう。
未来を考えると、人類は地球を飛び出して、活動の範囲を宇宙に広げていくのだろうか。
活動領域を広げるため、冒険の旅に出ることが遺伝的にプログラムされているならば、人類が地球を飛び出すことは必然なのだろう。
現実的に考えると人類が月まで行くこともやっとである。
イーロン・マスクは本気で火星まで行こうとしているが、実現するかどうかは分からない。
その先を超えていくのは更に大変ということであるが、人間の際限のない好奇心はきっと、壁を超えていくのだろう。
こういうことを考えるだけで面白い。
普段はどっぷりと仕事に毒されているが、こうして数学や宇宙に思いを馳せることは無駄ではない。
心を豊かにするためにも、必要なことなのだと思う。
(2024/4/29月) -
Posted by ブクログ
物理学者と科学哲学者が平行線の対談を繰り広げ「あー、そうなっちゃうよね」と思わせる本。
「実学」志向者が、もうちょっと他人にも伝わるように嚙み砕いた話し方をしたら? と言い、哲学の人が「それだと正確じゃない」と返す感じ…。
大学生とかのうちにこういう議論をしておく価値はあると思う。大半の人はその後は実学方面に向かうのだけど。
そういうすれ違い、簡単には決着のつかない議論を楽しむ本である。
そういう楽しみ方(?)を想定してか、両者の意見がすれ違うような話題をあえて選んだという。また、物理学者も意図的に挑発的な言い方をしているような印象を受ける。
なお、そもそも科学哲学は一枚岩ではなく
「科学哲学には、大きく分けて、少なくとも三つは違う興味の持ち方があって、形而上学的な議論(そもそも世界がどうあるのかということについて議論したい人)と、認識論的な議論(我々は世界についてどうやって知るのか、我々の知り方について議論したい人)と、そして、概念的な議論(言葉の意味について議論したい人)がいる。」
ということなので、1人の科学哲学者がそれらを代表して発言していると思って読むとわかりにくい(本人は代表という意識はないという)。
そんなわけで
「もっとバランスのとれた初学者向けの解説書としては、戸田山和久『科学哲学の冒険』(NHKブックス、2005年)、森田邦久『理系人に役立つ科学哲学』(科学同人、2010年)、伊勢田哲治『疑似科学と科学の哲学』(名古屋大学出版会、2002年)などを読んでいただければと思う。」とのこと。 -
Posted by ブクログ
昔から人は自然現象を解明しようと、多大な時間をかけてきた。有名な所だとガリレイ、ケプラー、ニュートン、アインシュタインらだが、彼らがいくつもの法則を発見(発明ではない)した。それらの法則はとても高い精度で自然現象を表している。しかも美しく。
この本では、数式によって高い精度で表される自然現象の例が幾つも挙げられている。しかし、副題でもある「なぜ世界は物理法則に支配されているのか」についてがわからないままだ。物理法則はいつ生まれたのだろうか?宇宙が誕生したのと同時だろうか?しかし宇宙の誕生も物理法則に従っているだろうし…。謎は深まるばかりだが、自分に謎を探求する力がないのがもどかしいが、誰かが解明してくれる日が来るのだろうか? -
Posted by ブクログ
ズバリ核心を突いたタイトルで、読者を誘い込む。
数式と見ただけで敬遠する人もいるかもしれないが、本書は数式の厳密性や細部の説明には踏み込まず、数式で表されるという驚きを提供する。
過去の偉人たちが見出した偉業は、発明ととらえず、発見とくくる。宇宙は数学的関係で満たされており、その関係性を法則という形で見出している。
そもそも、なぜ法則に従うのか、光速度が一定なのはなぜか、様々な物理定数がその値をとるのはなぜなのか。根源的な問いは明かされることなく、その関係性があるから、それを考えれる知的生命体が育まれ、宇宙の存在証明になる。最近、こうした宇宙は無数に誕生しているという、パラレルワールドという考えがあるが、真理はそれに近いものと感じさせられる。現在の宇宙は拡大していってるが、過去に遡って収斂していくと、プランク時間という宇宙創生から10のマイナス44乗秒後という時刻で、現在の物理法則は壁にぶつかり、その先を説明できない。万能と思われる法則に適用限界がある。この謎をブレークスルーした先には、どんな世界観が待っているのか、人智を超えて神秘に包まれる宇宙、この先、どこまで謎のベールを剥いでいけるのか、興味は尽きない。 -
Posted by ブクログ
科学も哲学もよく知らずに読んだ上、ふだんからさして役に立たないことをぼんやり考えがちなので、読んでいるうちにだんだん辛くなってきたような…。 ここ数年大きな顔をますます大きくしてきた感のある「役に立たない学問」軽視は、これから先も本当に「役に立つこと」を得続けるのに不可欠な基礎部分をリスペクトしないので、薄っぺらで先細りの住みにくい世を招きそうです(で、もともと気持ちが沈みがちです)。とはいえ一方で「今すぐに役に立つ」以外の分野に社会性が少なくなりがちなことも確かにありそうで、それはそれで「だから余計大きな顔がどんどん大きくなっちゃうんじゃん!」と苛立ちたくなります(この本のことではないです)。
新聞に掲載される須藤先生の書評を楽しみにしているので、あの須藤先生から見ても「何だかなあ」的なものなのか…?、と、哲学者の先生にももっと頑張ってほしかった、というのが読んでいるときの正直な気持ちでしたが、それはもちろん本当は頑張りの問題じゃなくて、何か深いところまで行ってしまうとそこにいない人には伝える方法がなかなか見つからない、というようなことなのかもしれないです。基礎的な物理学というのもすぐに役に立つ分野じゃない、という点で世間の成り行きと闘っていらっしゃるのかな、と思いますが、まだしも哲学よりは世間に受け入れられやすいかもしれず、「科学哲学」という分野さえ初めて知った素人は混乱しながらも、でもそこのところ、せめて理系基礎分野の方々に対してもう少し伝わる幅が広がれば心強いのかな、と(誰がよ、ですが)思いました。
それはそれとして…。私にとっては言葉で他のひとと理解し合うための努力の、ある意味究極のあり方を一緒に体験させてもらえる本でした。この「解りあえなさ」を単純な解釈や結論に落とし込んで多少でも安易にすっきりする(その一番の見本が陰謀論かも…)ことをせず、どこまでもちゃんと解ろうとする、というこのストレスフルな諦めない強靭さこそ尊い、と感じます。とりわけコロナ禍とウクライナ侵攻の世の中で。