高橋哲哉のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレ現在の沖縄の基地問題をはじめ、沖縄戦での犠牲、琉球王国の歴史と遡るにつれて、本土側の問題点が多々炙り出されていった。物事のつながりが非常に分かりやすくまとめられていて、どれも最低限知っておくべきことばかりだった。
文脈というか物事の背景を知っておくことは日本人として必須のことのはずなのに、これまで断片的にしか捉えられていなかったことに気付かされた。
沖縄は戦後になっていないし、本土の平和を維持するために沖縄が利用されているという指摘に胸が痛む。私も沖縄に甘えている1人だったのだ。
何年もかけて沖縄で軍事の下地作りが行われていることに本土は無関心で、沖縄の叫びは無視されてきた。このたびの沖縄県知事選で不可解に思ったことの答えがここにすべて書いてあるような気がする。 -
Posted by ブクログ
ちくまプリマー新書(分かりやすい言葉で伝えてくれる入門書)なので、難解な言葉が控えられており非常に読みやすい。
これを読みながら、自分がこの歳になるまで、沖縄のこれまでの歴史や置かれた状況について無関心·無知でいたことを恥じました。教科書で習ったようなふわっとした知識やたまに見聞きするニュースでぼんやり認識しているだけで、大して感情移入することをせず、そのまま知らぬ存ぜぬの態度でいました。そうやって差別や抑圧に加担し続けていたことに気付き、そのことについて深く考えるきっかけをもらえたので、こちらの本を読んで良かったです。
本土(日本)が沖縄に強いてきた負担も加害してきた歴史も、当事者である沖縄の人からすれば「この本だけでは足りない」「まだまだこんなもんじゃない、不十分なくらいだ」と思われるのだろう…。入門書のようなこの本を読むだけでも、罪悪感や申し訳ない気持ちで落ち込むが、これでもまだ易しくて、手心が加えられているのだろうなと感じる。
自分の中にある差別意識や薄情さを突きつけられるので、本書を読んでいて気持ちが上向くことなんて一度もない。けれど「責められているようで気分が落ち込むから……」とこれを読まずに沖縄の過去や今を知らないままでいるよりは、事実を知って落ち込んで相手の置かれた立場に感情移入して、考える方がずっと良いだろう。
沖縄の歴史や問題に向き合うことのない日常が私たちにとって“普通のこと“になってしまっているからこそ、感じた罪悪感や「これは私たちの問題であり、私たちに責任がある」という気持ちを大事にしたいと思います。
本書で指摘しているように、本土の人が一人一人関心を持って動かない限り、いつまでも沖縄の土地やそこに住む沖縄人を踏みにじって危険に晒して苦しめる現状は変わらない。
能動的に情報を取りに行き、SNSで発信する話題や社会運動、選挙を通して出来ることなど、本土にいながらでも自分に何が出来るのか考えて行動したい。「偽善的だと冷笑されるかも」「私一人で何か大きく変えることは出来ないから…」と、また無関心な状態に戻ることはしたくないです…。
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Posted by ブクログ
まず著者群の面子を見て、少なくとも既知の名前において、それぞれの発信することばを追いかけている人が多いことを確認。演繹的に、その他の著者についても、かけ離れた立場にはないであろうと判断。あわよくば、今後の人生指針になり得る存在と出会えることも期待。前置き長いけど、そんな考えの下、発売前から気にかけていた本書。日本学術会議任命拒否問題についても、どこかでちゃんと読まなきゃと思っていたけど、その欲求も本書で満たされた。中曽根時代から綿々と受け継がれて今に至るってのも、何とも根深くて嫌な感じ。そのあたりまで遡って、ちゃんと勉強しなきゃ。あとは、己でさえままならない自由の取り扱いを、更に次世代に伝えることの困難も、改めて実感。自分も不断の努力を続けることにしか、それに対する答えはないですわな。
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Posted by ブクログ
2025年8月2日に東京大学で開催されたシンポジウム「戦後50年+30年としての現在から、世界に言葉を与える」での報告と討議を記録したもの。当日は会場で参加していたが、高橋氏・三牧氏の報告に対して、そのときは何を言いたいのかよくわからなかった須藤氏の報告が活字になって、やっと少し内容を理解できた気がする。
日本社会にとっての「ポスト冷戦」の論壇の画期の一つとなった加藤典洋と高橋哲哉による論争をめぐって、「ポスト冷戦」の終焉を強く意識させられる現在から改めて振り返ろうというコンセプトのイベントだったが、(そこにつながる萌芽はいくつか感じられたものの)1995年の論争で結局は何が問われたのかを掘り下げる時間にはならなかった。おそらくそれは、司会の伊達聖伸の力不足(勉強不足?)によるものだろう。加藤の議論が「ポスト冷戦」期の日本に突きつけられていた戦後補償裁判に冷水をかけるものだったという高橋氏の指摘は成るほどと思ったが、高橋氏が加藤を「ネオ・ナショナリスト」と意味づけてしまったことで、議論の土俵がどう変わってしまったか、そのことでどんな論点が見えなくなってしまったかは改めて検証されるべきと思う。
加藤の議論は「歴史修正主義」でも、「新しいナショナリズム」でもなかった。むしろ彼の議論は「戦後民主主義」主流の国民共同体のイメージを更新するものだった。だから日本社会の右傾化・軍事化の中で、政治的な立ち位置として相対的に左、リベラルの側に見えるようになった、ということなのだろう。彼の議論には「ポストコロニアル」という観点はない。1995年の加藤の議論は、その意味で政治的な議論の場の選択肢を狭めることに貢献したわけだ。 -
Posted by ブクログ
沖縄の歴史と、そこで生きる人々が被る構造的差別について、記述している。
沖縄の歴史は主に日本史で学ぶだろうけれども、そこではあまり沖縄人に対する差別は取り扱われない。本書の第1章を読むと、沖縄に差別はこれまでなかった、という無邪気な態度は取れなくなる。また、なぜ沖縄に基地が割合的に多く置かれることになったのかを考える上で、最低限の歴史に関する知識は知る必要がある。
発展して、基地や原発等の問題は、その問題を抱える地域だけでなく、日本全体で議論していくべきで、それをしないとなると、不利益を無視して利益のみを享受する社会構造に加担することになる。これは一種の搾取だと思う。