池永陽のレビュー一覧
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賑わってるけど乾いた場所。コンビニ。
オーナーは珈琲店を開きたかったが、妻の希望でコンビニを始める。しかし、その矢先、子供が轢き逃げに遭い他界。間も無くして、まるで後を追うように妻も交通事故で鬼籍に入る。
生きる意味を見失い、なりやげな経営のコンビニに人々は集う。七篇の物語。
コンビニで働くバツイチのパートに恋に落ちた極道。「ユビ、ゼニ、ケジメ」本気ならまず堅気になりなさいと言われ...
女優を夢見て上京し、舞台監督に体を許すが失声症に...
博打打ちの天性のクズ男に、これじゃいけないと分かっていながらも別れられない水商売の自分。そんな中生真面目な中年に結婚を申し込まれるが、クズ男が刺し殺さ -
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老人たちの静かな喜び
鋳物職人として働いてきた作次が退職をして毎日家で過ごすようになると、果たして何をして過ごせばいいのかと戸惑い、悩みそしていらだちすら感じるようになった。普段の生活の中でだんだん彼は独り言が多くなっていった。その内、猿が彼の頭に座っているのに気付いた。作次だけに見えるこの猿は彼の独り言の聞き役なのだろうか。
作次が住む地域に「ちゃちゃ」という喫茶店があり、そこでほぼ毎日午前中は近所の仲間二人とおしゃべりで暇を潰している。彼らは皆、老人特有のひがみや被害者意識いわゆる疎外感を抱いているから、おしゃべりといってもほとんどが愚痴り合いだ…
作次が喫茶店の娘の悩み相談に乗っているところでは、娘の一途 -
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珈琲屋の人々第三弾。
以前の第二弾を読んだのが3年前だったので内容をよく覚えていないが、“昭和の夜のドラマ”という雰囲気は、やはり色濃く感じる。
前科のある珈琲屋のマスター、宗田行介(そうだこうすけ)、幼馴染で想いあう関係の辻井冬子(つじいふゆこ)、同じく幼馴染の島木。
悩める人々は迷える子羊のように珈琲店へと足を運ぶ。
口の重い行介にかわって、商店街一のプレイボーイで話術の巧みな島木が話を聞き出し、冬子が思い切ったアドバイスや審判(!?)を下すこともある。
良いトリオかもしれない。
結果として行介の人殺しは商店街を救ったため、英雄視される一面もあり、子供の頃から住み続けた町でもあるので、 -
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>頭頂部だ。
>頭の上に猿がいる。いくぶん・・・・
表題と言い、このふざけた様な書き出と言い、最初はユーモア小説かと思ったのですが。。。
先日読んだ「コンビニ・ララバイ」の池永陽のデビュー作。第11回小説すばる新人賞受賞作です。
主人公は息子と二人暮しの老人。息子が結婚して嫁さんと同居することになるのです。主人公は、突然家庭に入り込んできたこの若い女性が常に気になって仕方ない。そして、一方で自分が片隅に追いやられたような気もしてる。暇つぶしに行く喫茶店で会う友人は熟年離婚の危機にあったり、仲の良い夫婦ながら妙に訳有りそうだったり。
「コンビニ・ララバイ」と同じように、ちっ -
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1作目は違和感なく
珈琲屋の物語のとして、うまく作り方だねと思ったが。
2作目の『ちっぽけな恋』篇は、話によってかなり
ムラがあるような 気がした。
行介が 節くれ立った大きな右手を アルコールランプで
焼く描写が 何ともなくせつない。
『人を殺した手』とシンボライズされるが、その手だけが人を殺したわけではないだろう。
と思う。そして、それが贖罪なのか。罪を忘れないようにしているのか?
また、おとづれるヒトが、その手を見て、何らかの感慨を抱く。
そのシーンが たびたび、くり返されることが 読んでいて怖いのだね。
ここに出てくる人は、離婚歴があり、何らかのトラウマがあり、
それが、子供に -
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淹れ立ての熱いコーヒー。
それが ごつごつした手で出される。
なぜか、そのヒーヒーのあったかさが、手を通じて伝わる。
口の中にはいり、身体も 『ほっと』する。
この珈琲屋に来る人は、何らかの悩みを持っている。
それぞれが 善良で、善良であるが故に悩み、
想いもつかないことを考えてしまう。
この珈琲屋のマスターは、行介。
インターハイにでたことがあるが、地上げ屋のヤクザの
横暴に 我慢できず、殺してしまった。
服役して もどってきたのだ。それで、オヤジのあとを継いで
珈琲屋をやっている。
幼なじみの冬子が、離婚して、もどってきて、
珈琲屋の片隅で 凛として 珈琲を飲んでいる。
実に、いろんな