倉本一宏のレビュー一覧
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ネタバレ白村江の戦いと民衆:ではなぜ、倭国軍は敗れたのか。答えは明らかです唐の軍勢は国家軍であり、訓練されて統制のとれた軍隊ですが、倭国軍は豪族軍の寄せ集めであり、国家軍ではありません
戦いにおいて最も重要なのは、実は戦意を支える忠誠心とモチベーションです。国家軍にはそれがありますが、豪族軍にはありません
応仁の乱と足軽:民衆が必ずしも反権力の動きをしていたわけではないと言う事実です。民衆は、その時の状況に応じて本権力的な動きを見せることもあれば、権力の手先として動くこともあった
私が不思議でならないのは、例えば新選組の視点に立って京都の幕末を見る人は極めて多いのに、先ほどご紹介したような、夏の暑い盛 -
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大化の改新で功績があったとされる藤原鎌足に始まり、天皇家とのミウチ的結合を基本戦略として日本古代・中世政治史の中で中心的役割を果たしてきた(その後近代史に至る中での時々政治の表舞台に顔を覗かせる)氏族である「藤原氏」について、主に古代国家の成立過程から院政期、そして中世の成立までを舞台として、どのようにして権力をつかみ、それを形を変えながらも後世にまで伝えていったのかを描く。
本書を読んでいて、藤原氏の歴史をたどることは、まさに日本古代・中世政治史をたどるのとほぼ同義であると感じた。日本古代・中世史の良い復習になった。一方で、同じ「藤原氏」といってもそれぞれの家系や人物により、悲喜こもごも、そ -
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島国である日本は地政学的に外部からの攻撃を受けにくく、また外部への攻撃もしにくいという特色がある。加えて、天孫降臨以降の天皇を中心とした統治がなされ、ある意味絶対的な存在に歯向かう輩も現れにく状況でもあった。そのため、意外に思うが日本では内戦は少なく、あっても規模は小さく穏やかであったという。なるほどと思いながら読んだのだが、分かったのはここまで。専門的過ぎてついていけなった。自分の中で、古代の内戦(外部との戦争も含めて)は穏やかなものだったというが、明治以降の戦争は規模は大きいし、残虐性も増しているのはなぜかという疑問がわいた。著者も同じようなことを考えたようで、あとがきに書かれていたことに
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蘇我氏と言えば歴史上では、蝦夷・入鹿親子が大化の改新(今は乙巳の変というようです)で権勢の極みから没落し、一族は歴史の表舞台から姿を消した印象が強かったのですが、本書ではそれが意外なほど長く存続していた史実を知りました。
蘇我氏が渡来人の先進技術を取り入れたり、仏教の導入を後押ししたりと当時開明的であったのと同時に、豪族間の権力争いを一族に有利に進めていき、隆盛を得ると同時に、大王と姻戚関係を結んで権力の中枢での地歩を固めます。
以降、馬子、蝦夷、入鹿と親子三代で権力を一層固めて行くのですが、乙巳の変で中大兄皇子と中臣鎌足を中心とするグループによる権力奪取により、蘇我本宗家は滅亡します。
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ネタバレ7世紀の東アジアでは、地域覇権国唐が、朝鮮半島において新羅を援け、高句麗と百済と対立する展開を見せていました。
ここに、かねてより百済と関係の深い倭国(日本)が、百済の救援要請にこたえる形で半島に出兵し、唐・新羅連合軍と一戦を交えることとなるのが、白村江の戦い(663年)です。
百済・倭連合軍は敗れ、中大兄皇子や藤原鎌足は倭国の中央集権国家としての求心力を強化することに尽力し、唐からの脅威に備えるため、各地に防衛施設を整備します。
この過程で、地方豪族の力が削がれ、中央権力が地方に行き届く律令国家成立の素地が作られたようです。これを最終的に完成させたのが、天武天皇です。
白村江の一戦は