倉本一宏のレビュー一覧
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本書は、古代日本の「戦争」を単発の事件としてではなく、国際秩序(冊封・承認・序列)と国内統治(動員・防衛・政治対立)の連動として追いかける概説。好太王碑に現れる東アジアの緊張の中で「倭」がどう記述されるかから始まり、白村江敗戦を契機とした防衛体制の整備、安史の乱後の情勢変化に呼応した仲麻呂の新羅征討計画(巨大動員が国内政争で挫折する構図が鮮烈)、9〜10世紀に進む「敵国観」の硬化と神国思想・王土王民思想の喧伝、そして刀伊の入寇で露呈する"現場の切迫"と"中央の温度差"へと展開していく。
特に刺激的だったのは、外部ショックが制度整備を経て思想化(神国化)へ至るまでを一続きで見せる構成。白村江後の防人・烽・水城といった具体的な防衛装置は、「恐怖が制度を生む」局面として描きやすく、対外危機が政争の言い訳にも切実な懸念にもなる両義性が人物の動機づけに使える。また、刀伊での隆家の奮戦と公卿の無関心という温度差は、そのまま人物関係の火種になる。
終章では蒙古襲来や秀吉の朝鮮侵攻にも接続し、後世の語り(神風・神国化)による戦争記憶の加工にも目配りがある。史料批判を一点突破で深掘るタイプではないが、全体像を掴んで創作へ落とすには非常に扱いやすい。古代の外交・軍事・制度の"つながり"を物語に落としたい創作者に、確実に届く一冊。 -
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「内戦=国内の権力闘争」という見取り図に、対外環境という電流を流し直す本だった。倭国大乱や邪馬台国・狗奴国戦の段階から、鉄資源や流通、そして魏・呉の勢力関係が陰に差し込み、以後の争乱も"内側だけで完結しない"ことを丁寧に配置していく。
丁未の乱(物部戦争)を宗教対立の物語だけで終わらせず、百済を介した先進文化導入と外交路線の衝突として見る整理は、通説を壊すというより、動機の層を厚くする方向で効く。
とりわけ壬申の乱は、皇位継承の争いに「白村江後の軍国体制」という圧を重ね、天智朝の強権化への反発として描ける点が刺激的だった。さらに不破道・鈴鹿山道の封鎖が勝敗を決めたという戦略面は、政治と軍事を"道・関・兵站"で接続する創作の手がかりになる。
概説ゆえ個別事件の一次史料深掘りは目的外だが、古代から中世黎明までの争乱を、外交・制度・動員の視点で縦に貫く補助線として、創作者にも研究読書の入口にも使いやすい一冊。権力闘争の「なぜ」に、外からの圧と内なる利害を同時に重ねたい人に届く。 -
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2024年は大河ドラマ「光る君へ」にどハマりした1年だった。歴史の方も知っておきたく、大河の時代考証をしている倉本先生の本としてこちらを読んでみた。
ドラマのスピードと同じペースで読んだので結局1年かかってしまった。このタイプの本を読むのはおもしろいけどけっこう疲れる。
とはいえ、おもしろかったなー。実資様の小右記の偉大さよ。平安貴族みんな、公にする前提の日記を書いていて、そして実資が緻密に記録していたからこそ千年前の暮らしや人間の姿、性格までもわかる。すごいな。
他にも平安貴族のことがもっとわかる本を読みたい!
ゆっくりと読み進めたいと思いました -
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紫式部と藤原道長
著:倉本 一宏
紙版
講談社現代新書2721
おもしろかった
紫式部は、藤原為時の女(娘)として、確かに存在したそれは、藤原実資が書いた、小右記という資料に、そのように書かれているからであるしかも、彼女は、後世の人から紫式部と呼ばれることになるとは、死ぬまでしらなかったとある本名は不明、彼女の正式な呼称は藤原為時の女であるからだ
そういった意味からは、枕草子を書いた清少納言がほんとうにいたかは定かではないそれは、同時代の文献に記載がないからである
源氏物語や、紫式部日記が成立したことも、藤原道長がいなければ成り立たなかったと本書は語る
ただ、彼女の詠んだ歌が、いたることにあり、教養の高い女性であったことをうかがわせる
気になったのは、以下です
■生い立ち
父は、学者であり、歌人でもあった母は早くになくなった父は後妻を娶ったが、紫式部は同居しなかったそれは、通い婚であったからだ生年もわかっていないわかっているのは、為時二女であり、貧乏学者の娘ということだ摂関家の子息であった道長とは幼少期にであった可能性はほぼゼロをいっている
紫式部が作った歌の分析があり、そこには恋の影はないが、他人を思いやる彼女の優しさはある
一方道長は、目立った消費はなかったようである
■父為時の出世
花山天皇が即位すると、六位蔵人として、宮中に召され殿上人の一人となるこのとき、後に夫となる、藤原宣孝も同じく六位蔵人に補されている
このころ、弟が漢籍を習うにあたって、紫式部の理解が早く、彼女が男だったと、父が言っていたことが、紫式部日記に残っている希代の天才少女であったことを自ら語っているのであるこのことは、源氏物語で引用している文献が、広範な史書漢籍に及ぶことと一致している
■一条天皇の即位
花山天皇が退位し、一条天皇の時代になると、為時は、一気に不遇となる一方で、道長は昇進を始める
21歳にして、父の全盛期を迎えることができ、末子であることが有利にはたらいた
そして、道長は、宇多天皇の三世孫にあたる倫子と結婚しているこのことが、道長をさらに出世と、宇多源氏の血と、後見を得ることができた
この時期、妻問い婚などで、複数の妻をもっているように伝わっているが、実際は、妻とは同居であり、一人であった人がほとんどである道長には2人の妻がいたが、いずれも同格に扱っている男子が生まれれば、一族の拡大につながり、女子であれば天皇家とめあわせてその勢力を拡大していった
為時は、越前守に任ずるという措置がとられた
為時一家が下向するとき、宮中では刃傷沙汰があった
このことで、道長は、運よく政敵を退けることができた
越前からは1年でもどることになるが、今、紫式部公園が、越前市につくられている
■紫式部の結婚と夫の死
越前からもどって、紫式部は宣孝から求婚あったのだろう、26前後と考えられるが、46の宣孝を結婚する
夫婦喧嘩を含めて、二人は、歌のやりとりをしている
紫式部の才女たるゆえんである二人の間には、賢子が生まれ、後に、関白家に嫁ぎ、大弐の三位とよばれる女性である
その後、父為時は帰国するも、夫宣孝ははやり病で死去、その後数年は無為にすごしていたようである
■源氏物語
紫式部は、浄土信仰への傾倒、そして、絶望的な男性観の到達について、源氏物語末尾を評してこう語っている
では、いったい、いつから源氏物語を書き始めたのであろうかここでは、夫の死後で、出仕以前ではないかといっている当時紫式部は29歳(推定)
源氏物語について中世以降の写本しか存在せず、増補や改作を除いた、紫式部が執筆した原文わからないという根本的な問題がある加えて、源氏物語を記した紙について、2355枚という膨大なものになると予想している
当時紙は非常に高価であろう後年紫式部日記には、道長から、紙、筆、墨、硯の提供があったとの記載がある道長が各所へ紙を差し入れていることは、他にも記載があるこうしたことから、実は源氏物語とは、道長の依頼で紫式部が起筆したものであるという可能性も捨てきれない
また、源氏物語とは、恋愛小説でもあるとともに、宮廷を描いていることにも注目される宮廷を描き得るためには、自邸にもどった寡婦の察知できるものではなく、現実の宮廷社会の姿の反映ではないかとも思われるのである
■紫式部の出仕
中宮彰子の下にいつ出仕したかは、記録にはない
1008年12月29日には、出仕の記録があるので、それ以前である
紫式部が出仕したのは、一条院内裏である夫が亡くなってから5年半あまりのことである
その採用にあたっては、彼女の文才であったようである
道長のねらいとは、彰子を通じて、物語好きな一条天皇を彰子のもとに頻繁に通わせ、皇子懐妊の機会をうかがったのではないだろうか
しかし、紫式部にとっては、宮中はどうも居心地がわるかったようで、なげくような歌が残っている
また、彼女には、清少納言がライバル視してあった
定子サロン+清少納言+枕草子であるが、彰子に出仕していたころは、既に定子はなくなっており、清少納言とは顔を合わせることはなかった
彰子は、懐妊し、その様子を、紫式部日記に記載がある宮内庁の写本がのこっているが、誤字誤脱が著しく原日記としての信用性も低いし、彼女に手ではないかもしれないただ道長としては、彰子の懐妊の儀式について詳細な記録を残したかったようで、その結果である
結果、彰子は国母となる彰子は、後一条、後朱雀二人の天皇の母となったのである
彰子は、源氏物語の書写を用意、一条天皇へのお土産にする当時すでに、源氏物語には、草稿本、中書本、清書本という3つの親本が存在していた
三条天皇の代にかわり、彰子は皇太后となり、紫式部は彰子との取次役となる紫式部はその任を十分に果たしたようである
しばらくは、宮廷に紫式部(女房)の名はみえる以後は、その任を離れたとおもわれる没年は、諸説あるが、
1014年説等々があるが、さだかではない
最後に、本書は、道長なくして紫式部なし、紫式部なくして道長なし といって、千年の後に伝わる源氏物語という名作の存在を歴史上の奇蹟と称している
目次
はじめに
第1章 紫式部と道長の生い立ち
第2章 紫式部と道長の少女・少年時代
第3章 花山天皇の時代
第4章 一条天皇の即位
第5章 それぞれの転機
第6章 紫式部の結婚・出産と夫との死別
第7章 『源氏物語』と道長
第8章 紫式部と宮中
第9章 御産記『紫式部日記』
第10章 三条天皇の時代へ
第11章 道長の世
第12章 浄土への道
おわりに
関係地図(平安京北半・北辺)
関係地図(平安京外)
平安京内裏図
一条院内裏図
土御門第図
略年表
参考文献
ISBN:9784065332542
出版社:講談社
判型:新書
ページ数:336ページ
定価:1200円(本体)
2023年09月21日 -
Posted by ブクログ
藤原鎌足・不比等に始まる藤原一族。まさに日本の歴史を動かしてきた一族。
不比等から脈々と続く家系をとてもわかりやすく丁寧に説明してあり、知識が整理できる。
不比等の息子たち四家の分立で時代によって勢力も異なり、いかに政治のトップに立ち、また落ちていったかもよくわかる。
北家が中枢になってからも、他の式家、南家、京家のあゆみも書かれているのも良い。
藤は他のものに絡みつき脈々と受け継がれてきた。
そして近代まで続くこの藤原氏はこの国の中枢を支えてきていることに気づかされる。
奈良、平安時代だけのの一族ではない。
自分が思っていた以上に大きな一族だった。
この国の政治を考える上で、藤原氏は重要な鍵であることは間違いない。
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ネタバレ今年の大河ドラマ『光る君へ』のおかげで紫式部と藤原道長、平安文学や平安時代に注目が集まっていて、今、書店では関連書籍が沢山平積みされています。
源氏物語や平安時代が大好きなのでこのチャンスを逃す手はない!と書店巡りが特に楽しい今日この頃です。
さて、本書はそんなドラマの時代考証を担当されている方が書かれた研究本です。
いろいろ勉強になって、フセンを貼った箇所が多すぎてこちらには書ききれないほどですが、特に印象に残ったところだけでも書いときます。。
式部の父である為時の話。
10年ぶりに官位を得、淡路守に任命されるも、それを嘆いた為時の詩を読んだ一条天皇が涙を流し、その姿を見た道長が最上国の越前守に変更したという有名な説話に対しての解説が面白かったです。
変更があったのは事実だけど、実際には、前年から宋の国の人が交易を求めていて、漢詩文に堪能な為時を折衝に当たらせるために淡路守から越前守に変更されたものだそう。
こちらは、一条天皇が詩文を好んだこと、文人を出世させるという聖代感から後世に作られた説話だということです。
「この世をば我が世とぞ思う望月の欠けたる事も無しと思へば」
この有名な望月の和歌は、一般的には驕り高ぶった道長の心情をあらわしていると言われているがそうではなく、たんなる座興の歌であって、深い意味はなかったんじゃないかって。
道長みずから栄華の陰り(十六夜の月夜だったから)を予測したという説も却下されていました。
座興の歌だったのに、私でも暗記してるくらい有名になってしまって、そのせいで後世に生きる私たちは、道長をイヤな奴扱いをしてしまって申し訳ない気持ちに(笑)
なんて思ったりもしたけれど、
道長は、相手の意向が自分の意に沿わない場合に、自分の主催する行事を後からダブルブッキングさせ、それぞれの出席者を確認するという政治手法を何度も使っていたそうで、やっぱりイヤな奴でした。
他人を追い落としたり圧力をかけたりしながら最高権力を手に入れたけど、お陰でほとんどの人に不信感を持ち、常に怨霊におびえてる彼は、現代の私の感覚からすると全然楽しそうじゃなさそうでした。
怨霊って結局は後ろめたさに呪われていたってことでしょう。
そんな道長ですが、彼がずっと信用して好きだったのは身内の他は意外にも実資でした(笑)。
小右記(実資の日記)には陰口もあるけど、御堂関白記(道長の日記)には実資への信頼感で溢れていた。。とても意外でした。
あとは、倫子は90歳まで生きたというのにも驚きました!
そして最後に。。
(引退した)無位無官の臣下が退位後も政治に関与しつづけるなんて今まではありえなかったのに、道長‐頼道、道長-彰子、道長-後一条の関係を通じて、それが無理なく世の中に浸透し、この前例がのちの院政につながったというのは、なんだかとても複雑な気持ちになると同時に得心しました。いやー面白かった!
あ。倉本先生、本書では道長と紫式部の恋愛関係は否定していたのに、大河ではそれ前提ですからね。。複雑な心境をお察しします。 -
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平安時代は決して平安ではなかった。そのことを痛感することができる本である。それも摂関政治の絶頂期と言える藤原道長や頼道の時代でもかなりの乱行が幾つもあった。本書は歴史学の立場で文学作品は一等資料としては用いず、公家日記の類を根拠にして論じられている。しかも対象は地下と呼ばれた下級官人なのである。
貴族にとってこうした下人はまさに卑しき人なのであって、人権の配慮はほとんどない。下人が死傷したとき彼らが気にしたのは穢れのために公的行事が中止にならないかということであった。下人から見た記録がないのだから、偏光グラスを通して時代を伺うしかない。
本書は歴史学者らしく文献の紹介をしながらも、しばしば現代人の視点で人物評価がなされるところが面白い。平安時代の一般的な通念を見事に崩してくれた。和泉式部や紫式部の生きていた時代が実はワイルドであったことを確認できた。文学の描く世界と現実とは当たり前だが乖離しているかもしれないと考えることができた。 -
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「栄花物語」を読んでみたいと思っていたらこの本の中に沢山でていて、嬉しかったが・・・。
平城天皇、陽成天皇、冷泉天皇、花山天皇
この4人の若い皇統の天皇様は、成し遂げたかったこともできず、貴族の権力者から皇位継承を狙わられて 「暴虐や狂気」に仕立てられる。
正当な皇統を、嘘で歪曲し天皇を退位させられる。
この本は、古文書を照らし合わせることで、
史実はどうだったのか?が 書かれています。
まだ若い少年・青年期に精神疾患を患っているように古文書に残され、上皇として長い時間過ごされた。歴史を歪曲され後世に読みつがれてきたなんて たまらないですね。
王統が断絶しかけたときに、越後から大男迹王を探しだして前皇統の王女と結婚させた時など随分と年月をかけたことなど、疑わしいな?と思った。しかも後にその名を継体天皇として、そのままの天皇のお名前だったので笑ってしまった。 「本当の系統なのかな?」と怪しく感じたことを思い出した。
おそらく、それも史実ではないのだろうな、と思う。
歴史好きな人には是非読んでみて欲しいですね。 -
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倉本一宏先生の「平安貴族とは何か」を読んでから、藤原行成が書いた日記である「権記」も読んでみたいと思い手に取った。面白かった!
三蹟の一人に数えられるほど能筆の藤原行成の日記が綴られている。奈良のお寺にお参りに行って観光したこと、ピクニックに行って藤原公任のかの有名な「滝の音は耐えて久しくなりぬれど名こそ流れてなお聞こえけれ」の和歌が詠まれたその場に立ち会ったことから、一条天皇に一帝二后を迫り、一条天皇の臨終に合わせて「皇后定子が産んだ敦康親王ではなく中宮彰子が産んだ敦成親王を東宮に」と進言するところまで、とても勤勉に記録が残されている。
一条天皇が定子を失った悲しみを理解していても、自分の家を守るために時の権力者藤原道長について行かなければならない忸怩たる思いも少しずつ見えてくる。一条天皇の辞世の句は彰子ではなく定子に捧げられたものであるとすら書く彼一個人のゆれる気持ちが表されていた。
藤原行成といえばその能書ぶりと佐倉にある歴史博物館の展示の「ブラックすぎる務め方」のイメージだったのだが、歳をとって出世していくたびにおやすみももらえるようになったようでそこにほっとした。
また、十代から連れ添った妻をお産で亡くした時の悲しみも身に迫る。大変に有能なんだれけども人間らしいところがある人なんだなと。
平安貴族は喧嘩もする。結構殴り合うし怒るとボコボコにする。行成も燭台で同僚の顔を殴る夢を見ており、喧嘩相手のことを「甚だ愚か」とか書き残しちゃう。夢の中とはいえ結構行成も喧嘩っ早い方なのかもしれない。
人の日記を読むのは面白いし、それが千年以上残っているのもロマンがある。
ビギナーズクラシックスの例に漏れず現代語訳、書き下し文、漢文がそれぞれ収録され、そこに倉本先生が解説を加えるという構成。漢文、古文それぞれの読み方がわかるので勉強にもなる。
倉本先生は「権記」を全て現代語訳しているらしい。そっちも読みたくなってきた。
ここまで自分の子孫のために詳細に日記を残した行成だが、息子たちが問題ばかり起こすので結局その家系は没落してしまったという結末が何とも言えず切ない。しかし倉本先生に「こいつ」呼ばわりされてしまう行成の息子たちは確かに「こいつ」呼ばわりされても仕方がないかな……という不祥事ばかり起こしている。そうした背景について解説されているコラムも面白かった。 -
Posted by ブクログ
あんまり難しかったら…と迷ったけど、結果読んで良かったです。
とっかかり、平安時代を説明するに、日記から紐解くことで親近感も持てたし、ちゃんと重なっていくのが楽しかったです。
摂関政治と習った藤原一族の同行や、その職責がどんなかなどそうだったのかと腑に落ちます。
この時代も、一族のために婚姻が利用される、女性はその道具だったことがありありとわかる。
それと、男性は「waoh!」というピンク色の夢を見ると言うが、この時代にもその夢があった(ある意味当然?)それが書き付けてあるというのも驚いた。
ただ、その夢は旅立ってしまう妻との夢で、このときに不謹慎なと自分を責める気持ち、そしてやはり旅立ってしまう妻を想う気持ちが切なかった。
この本の語り口で一気に平安時代が身近になったけど、これは著者倉本一宏さんだからかなと思う。
この面白さ是非体験して欲しい。 -
Posted by ブクログ
大河ドラマ「光る君へ」の時代考証を担当されている倉本一宏先生の本。先生の専門である平安時代の日記「御堂関白記」「権記」「小右記」について解説されている。
大河ドラマはドラマとして楽しんでいるので、こうして実際の平安時代にはどんな記録が残されているのかということを知りたかった。最初の本として読んで本当に良かった。
今までは平安時代と言ったらその風俗や女流文学から切り込んだ文献を読んでいた。こうして政治の中枢にいた権力者たちの日記から見えてくるリアルな時代も面白いなと。日記を残すことで子孫が権威を保てるようにしたという、なんとも政治的な理由も面白いが、普通にその内容が興味深かった。
ハイパーウルトラブラック官僚として有名な藤原行成の実際の業務は文字で読むだけでも胃が痛くなる。一条天皇を脅して一帝二后を認めさせたりとか、危篤の一条天皇を脅して定子が産んだ敦康親王ではなく彰子が産んだ敦成親王を東宮にするよう迫ったりとか……夜中まで彼が仕事をしていたことは知っていたがその内容もエクストリームだ。こんなブラック業務をこなしながらあんなに美しい字を書く藤原行成、推せる。
倉本先生の語り口もとても軽妙で入門としてとても楽しく読ませていただいた。
"NHKの大河ドラマ「光る君へ」が、紫式部と藤原道長を主人公にするという発表があり、(中略)面倒な仕事だなと思いながらも、これは平安貴族の実像を世間に知らせる最後のチャンスかもしれないと心を奮い立たせ、大河ドラマの仕事を引き受け、この本も出版していただくことにした次第です"
という「はじめに」に書かれている先生の文に惹かれたら是非読んでいただきたい。
私自身平安時代の文化や文学が好きすぎて「私が考えた最強の平安時代」というものを若い頃に新書や国語便覧のカラーページを読んで作り上げてしまったところがある。だからこそもう一度この平安時代という時代に対してどんな研究がなされているのか詳しく知りたいという気持ちになった。倉本先生の他の本は勿論、他の研究者の本も読んでみたい。服藤早苗先生の本も読み返したい。
最後の章が藤原実資の「小右記」について書かれていることも納得。中世の武家社会に繋がる歴史の流れは、当たり前に平安時代の摂関政治にあったのだな。