倉本一宏のレビュー一覧
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著者は「光る君へ」の時代考証を担当されている方。ドラマを意識して、紫式部と道長の人生を並行して記述しているが、あくまで一次資料を基にした史実の記述だけあって、「前半生で2人が交流していた可能性は低い」とつれない。一方で、源氏物語の著作活動は初期から道長の庇護によるものという説を唱えられていて、そのあたりがドラマのベースとなっているんだろうね。
あくまで史実ベースであるが、道長はもちろん紫式部の人間臭さも垣間見れてなかなか面白い。
それにもまして、超有能で代々の支配者に重宝されつつも、やたらと愚痴をこぼす藤原実資がキャラ立ちしている。読んでいると、ロバート秋山の顔が浮かんできて、どうしてもニヤニヤしてしまう。 -
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1000年以上も前とは信じられないほど高レベルの文化を保った平安時代、それを支えた平安貴族に興味を持ち、本書を手に取った。
本題は道長、行成、実資の3名が各々記述した日記を読み解くことにあるが、古記録に疎いため序章の日記(にき、と読むそう)に書かれる事柄、日本で日記が多く書かれた理由などもとても興味深かった。
一通り平安時代の政上の事件を知っている読者に対して、「日記を通してその裏側を伝える」ことが本書の主な狙いだと感じたので、日本史を復習後に再読したい。
本書はラジオ収録を文字起こししたものということで、何度か既出の説明が見られることがある。人名や記録名がわからなくなってしまうことがあったので、却って、随所で説明がなされていて有り難かった。 -
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ネタバレ倉本一宏先生は帝国主義がアジア諸国を侵略した歴史を嘆く、平安貴族を怠惰で情けなく思う心が武力に囚われた日本人となった事をおかしいと感じたのだろう「日本は戦争をしない国である(小規模な内戦のみ)」「外国で起きた民族同士の戦争のような徹底的な殲滅戦はなかった」武士の出現で儒教的で和平や懐柔による解決を・敵にも穏便に対応していた筈が前九年・後三年の役の様になった事に衝撃を受けた著者は国内の主だった戦いが内戦で小規模で犠牲者も少なかったことを古代史の内戦全般を詳らかに描く・・・月並みだが「中国大陸や朝鮮半島から離れた島国であったために海外勢力からの侵略を想定せずにすみ、強力な中央集権国家建設の必要性をそれほど感じなくても良かったこと、逆に日本列島からも海外へ武力進出する可能性も低かったために、強力な軍事国家建設の意思を持つこともなかったのであろう。また、周辺にほんとうの意味での異民族が存在しなかったために、国土が侵攻されるという危機感も薄かったはずである。さらには、易姓革命を否定して世襲を支配の根拠とした王権を作ったために、本気で王権を倒す勢力も登場せず、王権側も革命に対応する武力を用意していなかった事も大きな要因である。加えて、王権を囲繞する支配者層も、その中枢部のほとんどは王権を擁護することを旨とした藤原氏によって占められ、軍事をになった氏族も王権から分かれた源氏と平氏、そして藤原氏の末裔によって占められたために、武力行使勢力さえも世襲された」というまとめを得た
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紫式部と藤原道長がこんなにも互いの力を必要とする関係にあったというのは、初めて知った。他の方の感想を読むと、「だいたい知っていることが多い」と書かれているので、この時代にくわしい方にはほぼ常識なんだろう。自分はなんも知らないのねとあらためて思った(^_^;)
大弐三位が紫式部の娘だということも知らなかったし。
こまかいことは読むそばから忘れていってしまったけど、三男の道長が思いがけず藤原家の筆頭になる過程や、そのあともろもろの駆け引きでのぼりつめていく過程など、淡々と描かれているにもかかわらず生々しかった。
あ、あと、病気をするたびに「調伏」して、だれかの怨霊が出たことになっていて、そういう時代ってけっこうしんどいなとなった。……もっとも、現代でもそういう文化の中で生きている人たちもいるみたいだから、人間はあまり進歩してないのかも。 -
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本書は同著者の『増補版 藤原道長の権力と欲望 「御堂関白記」を読む』(文春新書、2023)と内容もかぶっている部分が多いのだが、より紫式部と道長の関係性に焦点を当てたものである。
帯の惹句には『源氏物語』なくして道長の栄華もなかったとあるが、逆もまた然りであり、道長のサポートがなけらば『源氏物語』もなかった。
たとえば本書で述べられているように『源氏物語』に必要と思われる紙の量を確保できたのは最高権力者であった道長あってこそのことであった。こうした著者の歴史実証主義にこだわったアプローチは実に面白い。逆にところどころで国文学系の先生たちの説を「理解しがたい」と退けているが、この新書でも歌の解釈などはそうした国文学系の研究を参考にもしているのだろうから、あまり敵に回さない方が良いんじゃないかな〜といらぬ心配をしてしまった。歌の解釈を通じて紫式部と夫の宣孝とのやり取りを分析してもいるのだし。
個人的には貴族間での権力闘争に対しても紫式部が天性の感性+後宮での経験から鋭く理解をしていたとの話が興味深かった。『源氏物語』もそうした観点から読むことができたら一層楽しいだろうと思う。著者は漫画(ただし良質のもの)でも良いから『源氏物語』は読んで欲しいと述べられている。 -
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平安時代の古記録であり、一次史料とも言える『御堂関白記』、
『権記』、『小右記』から解き明かす、平安貴族の実像とは。
・はじめに 序章 古記録とは何か
第一部 道長は常に未来を見ていた
――藤原道長『御堂関白記』を読む
第一章 「自筆本」の価値
第二章 「一帝二后」成立の裏側
第三章 書き方や消し方からわかること
第四章 女の懐妊祈願に決死の参詣
第五章 権力を恐れない者・伊周
第六章 常に未来を見据えて
第二部 子孫繁栄のための苦悩――藤原行成『権記』を読む
第七章 赤裸々な記録の意図
第八章 次期東宮をめぐる苦悩と策謀
第九章 平安貴族は何の夢を見たか
第三部 共有財産としての日記――藤原実資『小右記』を読む
第十章 日記に見る実資の大望
第十一章 出世レースに敗れても
第十二章 「驕れる道長」という虚像
・おわりに 参考文献有り。
平安中期、摂関政治の最盛期に書かれた3つの日記は、
個人のためではなく、儀式のためであったという。
その書き方や記録から分かる、3人の人物像と朝廷の様子。
自筆本『御堂関白記』の藤原道長は、疫病の流行により、
兄弟や有力者が消えたことから、30歳で権力者の座へ。
権力の維持と継承、未来を見据えた、子孫たちの記録が熱い。
『権記』の藤原行成は、摂政だった祖父と父を早くに亡くし、
地下人に。蔵人頭に抜擢されたが、天皇の側近として信頼され、
皆に頼られたあげく、思うように出世が出来ず、権大納言まで。
信頼された人々の秘事や内密を書き残したのは子孫のため。
『小右記』の藤原実資は、三代の天皇の蔵人頭。
人に読まれることを想定した貴族の共有財産として、
60年以上書かれた日記は、儀式の権威としての証。
右大臣まで出世し、道長の「この世をば・・・」を書き残した。
著者の『平安京の下級官人』が面白く、
取り上げられていた古記録をもっと知りたいとの読書です。
大河ドラマ「光る君へ」の時代考証も担当してるのですね。
平安貴族と成り、その地位を確立し、維持することの難しさ。
子女が産まれて育ち、跡継ぎになるか。
天皇に嫁いで跡継ぎを産み、育てるか。
子孫繁栄を未来に据えても、それは綱渡りの様。
また、儀式とその標準を作ること、信仰、死穢、夢見等の
職務や日常の様子も日記には表れています。
そして、摂関期と古記録についての知識を得ることが出来、
良かったです。特に道長の金峯山詣の記事には、驚き。 -
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藤原鎌足から藤原頼道まで詳細に記載し、中世以降も要所要所述べており、一冊読むと藤原氏の流れがよくわかります。読んでいて思うのは、藤原氏がどれだけ日本の歴史に影響及ぼしている一族だったかということ。絶頂期には外祖父、摂政として天皇をも凌ぐ影響力を持っていました。ただそれでも天皇の代わりにはなれませんでした。それを物語るのが藤原仲麻呂の乱(恵美押勝の乱)です。天皇に対し反乱を起こすも呆気なく負けます。その当時貴族としては圧倒的な権力を持っていた藤原仲麻呂が、天皇を前にするとどうしようもなく南家が衰退するまで後世に影響を与えた出来事は、その後の藤原氏に多大な影響を与え、天皇に逆らうのではなく外戚関係を築くことで天皇を取り込む方向へ進んでいきます。藤原氏と聞くとやはり平安時代を思い浮かべてしまいますが、中世以降も摂関家として貴族の中心ではあり続け、武士としても足利氏など輩出し歴史の主役であり続けた一族と言えるでしょう。近年ですと昭和初期の総理近衛文麿や平成の総理細川護熙も藤原氏にルーツがあります。また藤原氏族は果てしなく裾野を広げており『藤原氏族一覧』には3452の苗字が記載されてるそうです。私自身、苗字に『藤』が付くのでもしかしたら先祖を辿ると藤原氏に行きつかないかなと思いを馳せてしまいます。
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平安時代の摂関期での、平安京での下級官人について、
古記録から拾い上げ、その仕事や生活等を紐解く。
・初めに
序章 摂関期の平安京
第一章 下級官人の仕事 第二章 生活のあれこれ
第三章 恐怖の対象 第四章 平安京の人びと
・おわりに 平安京の日々
略年譜、関係地図(平安京内)、関係地図(平安京外)、
平安宮大内裏地図、平安宮内裏地図、参考文献有り。
『本朝文粋』『池亭記』『権記』『小右記』等の古記録に、
僅かながら残る摂関期、平安京での下級官人の姿。
五位以上の貴族と、六位以下の下級官位や無位の人々との
大きな格差。更に、下級官人の家に生まれたら、
ほぼ下級官人にしか任じられない現実がある。
上司と人事との駆け引き、先例が重い儀式や儀礼、
それらの中での縁の下の力持ちとしての存在にとっては、
途轍もなくしんどい仕事だと思われます。
だからこその捺印漏れやミス、儀式での失儀はあるし、
やってられないよ~と怠勤したり、ずる休みしたり。
でも、怠状・過状(始末書)を提出して謹慎してれば、
赦免されることが多かったそうな。
学者や相撲人、競馬の騎手や射儀の射手、大工等の悲喜こもごも、
遊興や博奕、男女の関係、信仰などをも紹介しています。
更に、貴族のストレスが下人にも広がり起こる事件有り。
貴族の権力闘争が及ぼす合戦。
下衆、学生、女性、僧の闘乱。うわなり打ちも。
殺人事件、様々な形態の盗賊たち、下人や雑人たちの闖入。
朝廷に寄せられる下級官人や百姓の愁訴。
そして庶民の貧窮と「貴人の義務」。
政府を壊滅状態にした疫病、数々の災害と人命。
平安?と感じるほど大変な平安京ですが、
多分、庶民はしぶとく生き抜いたと思いたいなぁ。
穢を忌み儀式をどうするかに重点を置くことは、
「現代語訳吾妻鏡」を読んでいると、鎌倉時代は平安時代の
延長線なのだなぁとも、しみじみ感じました。 -
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御堂関白記、小右記、権記を基に藤原道長の人物像を炙り出した作品。著者は御堂関白記が世界記憶遺産に推薦されることが決まった際に、推薦に関わる仕事をしていた方。なので御堂関白記や小右記などを丁寧に読み解いてくれているため、その時その時の道長の行動、感情などがよく分かります。道長のような絶対的な権力を持っていたとしても、いや持っているからこそ、その権力を維持できるか、後世に残せるかに不安がり、怯えている様子が伝わってきます。逆に娘が中宮になった時の絶頂感や喜びも伝わってきます。著者も言ってましたが、絶対的な権力を持ち客観的な成功を収めていることと、本人自身の幸福はイコールとは限らないこと。幸福な人生とはいったいどんな人生なのでしょうか。時の権力者の生涯を通じて考えさせられます。
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<目次>
序章 古記録とは何か
第1部 道長は常に未来を見ていた~藤原道長『御堂関白記』を読む
第1章 「自筆本」の価値
第2章 「一帝二后」成立の裏側
第3章 書き方や消し方からわかること
第4章 女の懐妊祈願に決死の参詣
第5章 権力を恐れない者・伊周
第6章 常に未来を見据えて
第2部 子孫繁栄のための苦悩~藤原行成『権記』を読む
第7章 赤裸々な記録の意図
第8章 次期東宮をめぐる苦悩と策謀
第9章 平安貴族は何の夢を見たか
第3部 共有財産としての日記~藤原実資『小右記』を読む
第10章 日記に見る実資の大望
第11章 出世レースに敗れても
第12章 「驕れる道長」という虚像
<内容>
2018年のNHKラジオの音源を基に本にしたもの。来年の大河ドラマが紫式部なので、この手の本が多く出されているが、著者は平安期の研究者として有名。内容も「へえ~」が多く、面白かった。ただ道長をやや持ち上げすぎかな?第12章で、「望月の~」の歌が「驕っていたわけではない」と述べているが、あまり納得できなかった。ただ平安期の日記の価値はよくわかった。 -
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摂政藤原伊尹を祖父とし、母方を四代さかのぼれば醍醐天皇に至る。
父義孝が早世しなければ…ときっと思っていたに違いない。
それが藤原道長と同時代に生きたばかりに、官吏としては不本意なポジションしか得られなかったのが行成。
とはいえ、能力の高い人である。
早いうちに道長に尽くすことで、自分の生きる道を切り開く。
権記は彼の残した日記であり、日次の記録である。
それほど彼の内面を克明に記すものではない。
歴史家にとっては、一級の史料だが、自分など一般人は、それこそ『蜻蛉日記』のように、彼の内面を読もうとしてしまう。
それは間違っている、とは思うけれど…。
やはり一条天皇に、敦成親王の立太子を決断させたり、妻子の死去を記したりしているところは、つい身を乗り出すように読んでしまう。
編者倉本一宏さんは、学芸文庫から全文訳も出している。
全文訳は、訳とはいえ、読み通す自信がなく、まずこちらを読んでみた。
ビギナーズクラシックの抜粋版を読んでいて、語釈が欲しいなあ、と思う部分もある。
例えば「重日の忌み日」など。
解説文にも、やはり紙数の限りがあるせいか、事細かな語句については触れていない。
全文訳には、こうした部分は手当されているのだろうか? -
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副題は「権力中枢の一族」。
藤原家が日本の権力の中枢にいたことは疑いがない。
藤原家の始祖、鎌足と天智天皇の二人三脚から、鎌足の息子 不比等と持統天皇の二人三脚へ。
梅原猛と上山春平が注目するまで、不比等の存在はそれほど大きなものとは思われていなかった。
しかし、二人の業績により、現在、藤原家1300年の礎を築いたのが、素性もあまり明らかではない不比等であることが明らかとなった。
徳川幕府が260年だから、日本史上、天皇家に次ぐ長期繁栄を誇った一族だと言える。
そして、不比等が「日本書紀」と「大宝律令」の主導者だとすると、日本と言う国家の礎を築いたのも不比等だと言うことになる。
そして、日本書紀が天皇制のイデオロギーを確立したことを考えると、天皇制の礎を作ったのも不比等だったと言える。
(不比等は日本書紀を完成させた年に死んでいる)
恐るべき男だ。
不比等が持統天皇に認められたのは、持統天皇が皇位継承を望んだ「息子草壁皇子(皇位継承前に死んでしまう)—>孫 文武天皇」という皇位継承をやり通した事だ。
それを正当化させるイデオロギー確立の企てが「日本書紀」の編集だった。
その難しい皇位継承を、呪術的にサポートしたのが柿本人麻呂だった。
こうして、また読書は止まるところを知らず、白川静の「初期万葉論」の白眉、阿騎野冬猟歌の分析をまたしても読んでしまうことになる。
不比等の四人の息子たちが藤原四家を作るが、その内の北家から道長が出て、全盛を迎える。
藤原氏の絶頂はこの時だが、藤原氏はその後も連綿として権力の中枢に居続けていたことが本書によって分かる。
藤原氏は摂関家として朝廷権力の中枢で政治を担い続けたのだ。
その権力維持の戦略は、ハプスプルク家と同じ「DNA戦略」だ。
天皇家に、一族の女性を送り込み、藤原氏の「DNA」を持った皇子を設けさせ、それを天皇にする。一番力を持つのは、天皇ではなく、天皇の母、でもなく、天皇を産んだ藤原家の娘の父親(外戚)だ。
「ジージ戦略」と言っても良い。
道長の娘彰子は一条天皇に嫁いだときまだ幼かった。
一条天皇にはその時、年上の姉さん女房(中宮)がいた。
道長の兄である道隆の娘 定子だ。
定子のサロンには、才女 清少納言がいて、華やかな雰囲気を作り出していた。
一条天皇の足が、定子のサロンに向かうことはやむを得ない。
道長は、その対抗策として、宮廷の大ベストセラーを執筆中の紫式部をリクルートして、彰子のサロンのセンターに据える。
一条天皇は絶賛連載中の「源氏物語」の話が聞きたくて、彰子のサロンを訪れるようになる。
こうして、次の天皇、後一条天皇が、更にその次の天皇、後朱雀天皇が生まれる。
そのそれぞれに、道長は自分の娘たちを入内させる。
何と用意周到。
しかし、DNA戦略を実行に移すためには、多くの美貌な娘を持つ必要があった。
その点は、光源氏も苦労したが、光のモデルとも言われた道長は軽々とその必要条件をを満たしてみせる。
「DNA戦略」と言ったが、「源氏物語」を読むと、生物学的なDNAには、こだわっていないことが分かる。その意味では、「幻想のDNA戦略」と言うべきかもしれない。
藤原氏の作り上げた幻想の「DNA戦略」を、レヴィ•ストロースの婚姻理論を使って、構造学的に分析したのが社会学者の上野千鶴子だ。
「日本王権論」と言う対談で上野が述べた「不婚の皇女」論は、日本史では理解できなかった斎宮存在の謎をみごとに解き明かして驚かしてくれる。
こうして、読書は次々と増植して行く。
その後、時代は武家の時代に移行する。
小室直樹モデルによると、天皇が無謬な神として君臨した「予定説」の時代が終焉し、正しい政治を行う者が日本を統治すべきだとする「因果律」の時代に入ったと言うことだ。
この時代の大転換にも、藤原氏は生き残り、天皇家の政治の中枢を担い続ける。
あまり、藤原の名を聞かなくなるのは、姓の藤原を名乗らなくなり、近衛、一条、九条、鷹司、二条(5摂家)を名乗るようになるからだ。
これらは皆、藤原氏だ。
そして、江戸時代も生き残るのだ。
明治維新で、藤原氏は家族となる。
首相を務めた近衛文麿は五摂家筆頭の近衛家出身だが、元は藤原氏なのだ。
著者とは大学の教養時代同じクラスだった。
「愛読書は?」と問われて「群書類従」と答えて、クラスメートを唖然とさせていた。
塙保己一の編集した「群書類従」は、正編530巻、続編1150巻、全1680巻にも及ぶ巨大文書群なのだから。
18歳にして、将来の姿を明確に見据えていたのだろう。
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