今年の大河ドラマ『光る君へ』のおかげで紫式部と藤原道長、平安文学や平安時代に注目が集まっていて、今、書店では関連書籍が沢山平積みされています。
源氏物語や平安時代が大好きなのでこのチャンスを逃す手はない!と書店巡りが特に楽しい今日この頃です。
さて、本書はそんなドラマの時代考証を担当されている方が
...続きを読む書かれた研究本です。
いろいろ勉強になって、フセンを貼った箇所が多すぎてこちらには書ききれないほどですが、特に印象に残ったところだけでも書いときます。。
式部の父である為時の話。
10年ぶりに官位を得、淡路守に任命されるも、それを嘆いた為時の詩を読んだ一条天皇が涙を流し、その姿を見た道長が最上国の越前守に変更したという有名な説話に対しての解説が面白かったです。
変更があったのは事実だけど、実際には、前年から宋の国の人が交易を求めていて、漢詩文に堪能な為時を折衝に当たらせるために淡路守から越前守に変更されたものだそう。
こちらは、一条天皇が詩文を好んだこと、文人を出世させるという聖代感から後世に作られた説話だということです。
「この世をば我が世とぞ思う望月の欠けたる事も無しと思へば」
この有名な望月の和歌は、一般的には驕り高ぶった道長の心情をあらわしていると言われているがそうではなく、たんなる座興の歌であって、深い意味はなかったんじゃないかって。
道長みずから栄華の陰り(十六夜の月夜だったから)を予測したという説も却下されていました。
座興の歌だったのに、私でも暗記してるくらい有名になってしまって、そのせいで後世に生きる私たちは、道長をイヤな奴扱いをしてしまって申し訳ない気持ちに(笑)
なんて思ったりもしたけれど、
道長は、相手の意向が自分の意に沿わない場合に、自分の主催する行事を後からダブルブッキングさせ、それぞれの出席者を確認するという政治手法を何度も使っていたそうで、やっぱりイヤな奴でした。
他人を追い落としたり圧力をかけたりしながら最高権力を手に入れたけど、お陰でほとんどの人に不信感を持ち、常に怨霊におびえてる彼は、現代の私の感覚からすると全然楽しそうじゃなさそうでした。
怨霊って結局は後ろめたさに呪われていたってことでしょう。
そんな道長ですが、彼がずっと信用して好きだったのは身内の他は意外にも実資でした(笑)。
小右記(実資の日記)には陰口もあるけど、御堂関白記(道長の日記)には実資への信頼感で溢れていた。。とても意外でした。
あとは、倫子は90歳まで生きたというのにも驚きました!
そして最後に。。
(引退した)無位無官の臣下が退位後も政治に関与しつづけるなんて今まではありえなかったのに、道長‐頼道、道長-彰子、道長-後一条の関係を通じて、それが無理なく世の中に浸透し、この前例がのちの院政につながったというのは、なんだかとても複雑な気持ちになると同時に得心しました。いやー面白かった!
あ。倉本先生、本書では道長と紫式部の恋愛関係は否定していたのに、大河ではそれ前提ですからね。。複雑な心境をお察しします。