あらすじ
今日の近隣諸国との関係は、近現代史を追うだけではわからない!好太王碑が語る対高句麗戦惨敗の衝撃。史上最大の敗戦「白村江」。壬申の乱と北東アジア情勢。藤原仲麻呂独裁政権の新羅征討計画。藤原道長ら平安貴族を襲った「刀伊の入寇」――。話題作『蘇我氏』の著者が帝国日本の源流を探り、日本人の「異国」観がつくられていく過程を辿る、日本古代史の決定版!
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Posted by ブクログ
近代までほとんど対外戦争の経験がなかった日本が、なぜ侵略戦争を引き起こしたのか。白村江の戦いを最大の焦点に、そこに至るまでの経緯、その後の歴史を取りまとめ、倭国が外へと向けていた視点を探り出す。
「内戦の日本古代史」に比べ、絞った題材を深く掘り下げて検討している一冊。天智天皇の策謀説だけ首肯しかねるけれど良著。
Posted by ブクログ
古代日本における対外戦争の歴史、というよりは戦争も含む外交史といった趣き。この時期に形成された対外認識が、近代日本における侵略戦争の思想的淵源となったとする叙述は興味深いものがあった。
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日本古代史において、いかに朝鮮半島と関係があったかをつづった一冊。
現在の日本史では大陸と断絶してるように感じることが多いが、そうでないことがよくわかった。
Posted by ブクログ
7世紀の東アジアでは、地域覇権国唐が、朝鮮半島において新羅を援け、高句麗と百済と対立する展開を見せていました。
ここに、かねてより百済と関係の深い倭国(日本)が、百済の救援要請にこたえる形で半島に出兵し、唐・新羅連合軍と一戦を交えることとなるのが、白村江の戦い(663年)です。
百済・倭連合軍は敗れ、中大兄皇子や藤原鎌足は倭国の中央集権国家としての求心力を強化することに尽力し、唐からの脅威に備えるため、各地に防衛施設を整備します。
この過程で、地方豪族の力が削がれ、中央権力が地方に行き届く律令国家成立の素地が作られたようです。これを最終的に完成させたのが、天武天皇です。
白村江の一戦は、日本が国家としての発展を加速するカタリストの役割を果たしています。島国である日本が大陸の情勢と無縁でなく、東アジアのダイナミズムの影響を受けていたことが良く分かる良書でした。
Posted by ブクログ
白村江の戦いについて理解しないと
奈良時代以降の朝廷の外交が理解できない
裏の歴史にも興味あるが、まず中大兄皇子
非道・変態的な偏愛は捨て置いて、称制な
るイミテーションの意味を理解してみたい
本書ではわからないな・・・