あらすじ
天皇の側近である蔵人頭に抜擢され、一条天皇や東三条院、藤原道長の篤い信任を得て昇進を重ね、権大納言にまで上りつめた藤原行成。彼が書き残した摂関期の日記が『権記』である。宮廷の政治や儀式がこと細かく記録されており、当時の政務運営や権力中枢の深奥、秘事までが把握できる貴重な史料といえる。貴族たちの知られざる日常生活を記した興味深い出来事を厳選し、原文・現代語訳と書き下し文、コラムと解説を収載する。
...続きを読む感情タグBEST3
Posted by ブクログ
倉本一宏先生の「平安貴族とは何か」を読んでから、藤原行成が書いた日記である「権記」も読んでみたいと思い手に取った。面白かった!
三蹟の一人に数えられるほど能筆の藤原行成の日記が綴られている。奈良のお寺にお参りに行って観光したこと、ピクニックに行って藤原公任のかの有名な「滝の音は耐えて久しくなりぬれど名こそ流れてなお聞こえけれ」の和歌が詠まれたその場に立ち会ったことから、一条天皇に一帝二后を迫り、一条天皇の臨終に合わせて「皇后定子が産んだ敦康親王ではなく中宮彰子が産んだ敦成親王を東宮に」と進言するところまで、とても勤勉に記録が残されている。
一条天皇が定子を失った悲しみを理解していても、自分の家を守るために時の権力者藤原道長について行かなければならない忸怩たる思いも少しずつ見えてくる。一条天皇の辞世の句は彰子ではなく定子に捧げられたものであるとすら書く彼一個人のゆれる気持ちが表されていた。
藤原行成といえばその能書ぶりと佐倉にある歴史博物館の展示の「ブラックすぎる務め方」のイメージだったのだが、歳をとって出世していくたびにおやすみももらえるようになったようでそこにほっとした。
また、十代から連れ添った妻をお産で亡くした時の悲しみも身に迫る。大変に有能なんだれけども人間らしいところがある人なんだなと。
平安貴族は喧嘩もする。結構殴り合うし怒るとボコボコにする。行成も燭台で同僚の顔を殴る夢を見ており、喧嘩相手のことを「甚だ愚か」とか書き残しちゃう。夢の中とはいえ結構行成も喧嘩っ早い方なのかもしれない。
人の日記を読むのは面白いし、それが千年以上残っているのもロマンがある。
ビギナーズクラシックスの例に漏れず現代語訳、書き下し文、漢文がそれぞれ収録され、そこに倉本先生が解説を加えるという構成。漢文、古文それぞれの読み方がわかるので勉強にもなる。
倉本先生は「権記」を全て現代語訳しているらしい。そっちも読みたくなってきた。
ここまで自分の子孫のために詳細に日記を残した行成だが、息子たちが問題ばかり起こすので結局その家系は没落してしまったという結末が何とも言えず切ない。しかし倉本先生に「こいつ」呼ばわりされてしまう行成の息子たちは確かに「こいつ」呼ばわりされても仕方がないかな……という不祥事ばかり起こしている。そうした背景について解説されているコラムも面白かった。
Posted by ブクログ
さまざまな小説等で「働き者の平安貴族」というイメージがあったので、読んでみた。想像以上に激務でびっくり。
何より驚いたのは、藤原道長と同日に亡くなっていたこと。
Posted by ブクログ
摂政藤原伊尹を祖父とし、母方を四代さかのぼれば醍醐天皇に至る。
父義孝が早世しなければ…ときっと思っていたに違いない。
それが藤原道長と同時代に生きたばかりに、官吏としては不本意なポジションしか得られなかったのが行成。
とはいえ、能力の高い人である。
早いうちに道長に尽くすことで、自分の生きる道を切り開く。
権記は彼の残した日記であり、日次の記録である。
それほど彼の内面を克明に記すものではない。
歴史家にとっては、一級の史料だが、自分など一般人は、それこそ『蜻蛉日記』のように、彼の内面を読もうとしてしまう。
それは間違っている、とは思うけれど…。
やはり一条天皇に、敦成親王の立太子を決断させたり、妻子の死去を記したりしているところは、つい身を乗り出すように読んでしまう。
編者倉本一宏さんは、学芸文庫から全文訳も出している。
全文訳は、訳とはいえ、読み通す自信がなく、まずこちらを読んでみた。
ビギナーズクラシックの抜粋版を読んでいて、語釈が欲しいなあ、と思う部分もある。
例えば「重日の忌み日」など。
解説文にも、やはり紙数の限りがあるせいか、事細かな語句については触れていない。
全文訳には、こうした部分は手当されているのだろうか?
Posted by ブクログ
苦労人行成のお仕事日記。
『御堂関白記』とまた違ったかたちで、あの時代を記した日記である。自筆が残っている『御堂関白記』がレアとはいえ、あまり詳しく残っていないのは寂しい。なかなか出世が望めない状況で、道長に追従しながら頑張っていたことが感じられる日記だが、妻子の病や死について書いた部分も印象的。