中島義道のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
不幸論に続き読んだ中島義道さんの本の二作目。
今回は、中島義道さんの哲学について、講義に来た生徒との対話(生徒からの質問や反論)を通して議論を深めていくスタイルで本が書かれている。本に出てくる人物は、実際にいた人ではないが、実際にいた人を組み合わせたりすることで作ったらしい。
内容としては、中島さんらしく平易な言葉で、ややもすればネガティブに思われるようなことにぐいぐい切り込んでいく感じで、自分の性に合っていた。
ただ、その内容をそのまま飲みこんでしまってなんとなく都合良いように考えず、考えを深める上で、生徒からの対話があるこの本はとても読み応えがあった。
ここで議論されているようなこと -
Posted by ブクログ
[ 内容 ]
善良な市民たちの欺瞞に満ちた価値観が蔓延する社会が、イヤでたまらない。
その価値観から外れている自分のことも、イヤなのだ。
といって、犯罪に走ることも、自殺することもできない―。
そういう人は、真剣に「ぐれる」しかない。
自分の置かれている理不尽をまっこうから見据えて、それを噛み締めながら生きていくしかないのです。
「ぐれる」ことこそが正しい生き方だということを、初めて、かつ徹底的に説いた書。
[ 目次 ]
序章 ぐれて生きよう!(もうじき死んでしまう;真剣にぐれる)
1章 「ぐれる」とは何か(「ぐれる」とは?;「かぶく」「すねる」「ひがむ」「ふてくされる」 ほか)
2章 ぐれ -
- カート
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試し読み
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観念的な志だけがそびえたち、いつまでも彼らはそれから引き離されている。 解決できないことを確認するために書いているようなものだ。 「二度と生き返らない」 サルトル しゃ‐し【斜視】1 眼筋の異常により、一方の目が物を直視しているとき、他方の目が別方向を向いている状態。斜眼。やぶにらみ。2 横目で見ること。流し目を使うこと。 私は美人に対して、ものすごい嫉妬と同時に、苦しいほどの憧れを感じています。 どうしても絶世の美人を私は許せない。 からだの底から理不尽を感じている人 それをごまかさずに、それを自覚して徹底的に苦しみ抜くほか、豊かに生きる道はない 偏った自己愛 三十歳を過ぎたらどんな人生で
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[ 内容 ]
過去は消え去り、未来は到来する。
過去―現在―未来という時間の常識的理解からは見えてこない「過去と未来の正体」を考究する。
[ 目次 ]
1 夢と人生
2 人生の短さについて
3 時間の速さとは何か
4 過去はどこへ行ったのか
5 過去はどこへも行かない
6 「死ぬ」時としての未来
7 現在という謎
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普 -
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[ 内容 ]
カントは日本でも有名な哲学者だが、同時にその難しさについても広く知られている。
けれどもそれは翻訳のためばかりではなく、カント自身が論じている事柄そのものが難しいのだから、叙述もまた難しくならざるを得ない。
では、どうすれば、日本語でより正確に理解できるようになるのだろうか。
ここでは『純粋理性批判』を例に、これまで統覚、超越・覚知、予料、範疇などと訳されてきたキーワードを分かりやすい言葉に置き換えるなど、さまざまな工夫を試み、長年カントに親しんできた著者が、初心者でも近づける方法を提案する。
[ 目次 ]
プロローグ カントはなぜ難しいのか?
第1章 実体としての魂の批判
第 -
- カート
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試し読み
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Posted by ブクログ
[ 内容 ]
「幸せになろうね」「私はほんとうに幸せ者です」…。
世に蔓延する「幸福でありたい症候群」。
だがその幸福感は、他人の不幸や「死」の存在を「知らないこと」「見ないこと」で支えられている。
著者は、長年の哲学的考察のはてに―どんな人生も不幸である―という結論に辿りつく。
この「真実」を自覚し自分固有の不幸と向きあうほうが、「よく生きる」ことになるのではないか。
古今東西溢れる「幸福論」とその信者たちの自己欺瞞を鋭く指摘した上で、そう提案する。
だれも書かなかった、「不幸論」の誕生。
[ 目次 ]
第1章 幸福のための条件
第2章 さまざまな幸福論
第3章 幸福がもたらす害悪
第4章 -
Posted by ブクログ
この本は1997年に発行されており、確かに、その時代、「やさしさ」「思いやり」というキーワードで
若者が語られていたように思う。大平建が「やさしさの精神病理」をかいたのもこの頃か。
対話、会話、討論、それぞれ異なる意味をもち、使い分けされる必要があるわけだが、
対話を下記のように定義
「対話を遂行するものは一方で、自分の置かれた状況からの独立の「客観的態度」を持って語るのではなく、他方、自分の置かれた状況に縛られて「主観的態度」を持って語るわけではない。<対話>はちょうど両者の中間を行く。自分の固有の状況・体験・感受性をまるごと引きづりながら、客観的心理を求めて語り出すのである。」 -
Posted by ブクログ
彼の著書の中でも、特に読みやすい。
専門用語は使われていないし、語りかける口調だし。
正直内容は、彼の他の本と重なるところが多いなぁ、と感じた(・ω・;)(;・ω・)
ただやっぱり自分の言動で、他人に迷惑かけたかな?って気にしすぎても仕方ないな、とは思った。
他人の気持ちなんて『わかる』んじゃなくて、意味付けしかできない。
あと人間は迷惑をかけずに生きることは不可能っていうのも納得。
親にとって『いい子』であることについての話が興味深かった!いわゆるアダルトチルドレンか?
『いい子』なのかは知らんが、実は私には反抗期っていうのがなくて。喧嘩はするけど(笑)
『反抗期』と呼ばれる