中島義道のレビュー一覧
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・哲学者のエッセー集。本書は、カントの研究者が半生を振り返る前半、自身が主催する哲学塾を通じて若者と触れ合う中で出会った数々の「生きにくい」若者の特徴を紹介する後半で構成されている。
・正直、物凄く為になるとか面白いという訳ではなかった(なので★3つの評価にした)けれども、若者の生きにくさについて真摯に(これはいい意味でも悪い意味でもそうで、同じレベルで喧嘩しているという言い方もできるかもしれない)向き合う著者の姿勢に、やや大人気ないと思う反面、分かったようなことを言って誤魔化したりしない几帳面さを感じた。
・人間関係の悩みは一生続くものだし、誰しも直面する課題。人間関係が上手くいかない「生きにくさ」の解決策として哲学に希望を託して若者が集まるようだけど、著者は「哲学は生きにくさをわかることはできても解決はできない」と言っている。そして、その対処法、社会の掟は叱られ怒られ嫌われて「体験知」を積み重ねるうちに何となくわかっていく、というものらしい。そんな人間関係に悩む人には『嫌われる勇気』を是非薦めたい。 -
Posted by ブクログ
著者の怒りの経験などもコミカルに描かれていて所々笑ってしまう箇所も多かった。
口論になった際、相手に無条件の辛抱強さを求めることまではできないのならばこちらが受け止めればいい。相手の語る内容を承認しなくてもいいけれど、相手が「語ること」それ自体を承認しなければならない。いかに相手の主張が一方的で、偏見に満ちており、傲慢至極であろうと、語ることそのものの対等の権利を尊重すべきである。
自分がいくら正しくて相手が間違ってると思っていても、別の人から見ればその逆、あるいは両方とも間違ってる、両方とも正しいということもあるわけだし、「語ること自体の対等の権利を尊重すべき」という意見には、新しい視点だなと感じた。
”自身が猛烈に不愉快になることも覚悟し、そんなものを飛び越えてコミュニケーションをとことんやり合って破綻し、そこからまた回復すればよい。”
これは私が理想としているコミュニケーション像だと思った。
(とはいえ怒りは余程のことがない限り出さないのがいいですけどね) -
Posted by ブクログ
ニーチェの批判した「蓄群」を、著者が批判し続ける鈍感な「善人」に重ねあわせるとともに、「蓄群」批判をくり返すニーチェその人の心性を、自尊心を肥大させた現代の若者たちのそれと二重写しにしています。
いわばニーチェの人と思想を、現代の状況に引き寄せているわけで、そうした解釈がどの程度妥当なのか、わたくし自身には判断がつきませんが、ニーチェの批判する「善人」について具体的なイメージをもつことができるようになったのは収穫でした。
また、執拗なまでに「蓄群」批判をつづけるニーチェそのひとの「弱さ」を言い当てているところには、著者特有の鋭さが発揮されています。いつものことながら、著者が自分自身と読者の双方に刃を突き立てるようにして考察を展開していくのに、不愉快さを覚えつつも引きつけられてしまいます。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ06~07年にかけて文學界で連載された、氏の日記風思考記録。
死とは、無とは、私/他者とは、時間/今とは…etc
デカルトやカント、サルトルやその周辺の先行研究を踏まえつつ、論が進んでいく。
うーん…基底となる知識・教養や物事を論理的に追っていく力が無いと、難しかったなー
けど面白かった。
絶対なんて絶対ない、という相対は絶対じゃないのか、
「私は嘘つきです」という私は嘘つきなのか嘘つきでないのか、
私が死んだ後も世界は有ることをどうやって証明すれば良いのか、
なぜ常に「今」なのか、過去は有ると言えるのか。
…こういう議題が好きな方には、内容的はオススメです。
そんなの考えて何になるん?とかえー考えるとか意味わからんだるーみたい方には、全力でお勧めしません。
裏表紙の「最終的境地への予感」について予想すると、
死が怖い
←私が居なくなる/世界が無くなる/過去が無くなるから
←最初から、私も世界も過去も無かったんじゃね?
(仮にあったとしても、それらの存在に意味はない)
⇒別に死なんて怖くないじゃーん!
・・ていう話じゃないのかなぁ、と思ったのですが、でもそれってあんまり今更な話でワンダーがないですね
だからたぶん違うんだろう・笑
それにしてもこういう退廃的でNO FUTUREな生き方には憧れます
いや、「死」を見つめるという点では最高にTOWARD FUTUREな生き方なのかもしれません -
Posted by ブクログ
ニーチェのアンチクリスト論に感銘を受けたため、とりあえず手に取った1冊。
一般人の普通感覚における見せかけ上の道徳に秘められたラク・トクを求めているだけの卑劣な本性を暴き出しているため、読後は世の中が曲がって見える。
以下要約
・善人とは自分が弱いことを認めているが、そのことに対して責任も取らず、努力もせず、更には弱いから害を与えていない、弱いから悪くない、弱いからこそ思いやられるべきだと弱者の権利を主張し、ラク・トクを自分以外の強者(才能のある人間、お金のある人間、社会的に立場が上の人間)から与えられることを望み、それが叶えられずに自分のラク・トクが侵害されるど目の色を変えて自分と違う立場の人間(強者、犯罪者、マイノリティなど)を処刑しようとする善良にして醜悪なる小市民のこと
・善人の求めることは(自分と自分の身の回りの人々の)安全であり、それが謙虚で慎ましやかで道徳的なことと洗脳されている。そしてそれが(国家、社会、政治家などの強者によって)守られている(ラクでトクな)範疇であれば善良な振る舞いを演じるが、それが脅かされた途端自分のことは完全に棚上げして国家、社会、政治家などの強者、または安全を脅かす他人(犯罪者)を「嘲笑し、足蹴にし、罵倒し、追放する」
(2ちゃんねるで政治家や有名人を叩いている人々が例にあげられている。「匿名のまま、自分は安全なところにいて、ありとあらゆる有名人を、犯罪被疑者を、定式通り裁くことは、最も頭の悪い人間にもたやすくできることである」「匿名で他人を貶めることに夢中になっている行為を誇っているわけがない。いや、恥じているに違いない。そういう精神の未発達を丸出しにする”きわめて劣悪な中学生”並みの行為をあえてするものは、身体の芯まで恥じて当然なのだ」「彼らは、もっと大らかな仕方で他人を攻撃すればいいのに、「嫉妬と憎悪」の塊であることがすぐにわかる形でしか書き込みができず、それだけの知能と判断力しか持ち合わせていない」各個家庭板で泥ママにDQN返しして我こそは正義と快哉をあげている既婚女性たちもこの部類であろう…)
・善人は自分のラク・トクが確保される範疇において老人にも身体障害者にも優しいが、犯罪者やいじめられっこ、企業や政治家には優しくしない。善人の優しさは時と場合によって使い分けられる嘘でしかない。自分の安全を確保するために人から反感を買うことはいっさい口にしないよう気を配っている。
・善人は弱く、人に立ち向かう勇気も思想もないため群をなし(畜群)、善良な弱者が守られる思いやりのある社会を作るべきだという道徳観で社会を支配しようとする。そしてその群からはみ出たものを「嘲笑し、足蹴にし、罵倒し、追放する」ことで自分たちのラク・トクを守ろうとし、その卑劣な態度からいっさい目を逸らし、自分は善良であると思いこんでいる。 -
Posted by ブクログ
とても刺激的な本である。一言で言うなら、人間はどうやっても不幸なんだってこと。幸福とは、思考停止であり、錯覚であるということだ。そして幸福であることを求めるのではなく、不幸であることを受け入れ、自らを知ることの大切さを説く。僕には、とても説得力のある正論に感じた。
やや自嘲的に感じる作者の文章は、好みが分かれるようにも思う。またぬるま湯のような当たりのいいだけの人生論とはー線を引いているので、反感に近い感情を持つ人もいるだろうなと思う。しかし、「人は自分の見たいものだけを見る」生き物であり、そういうものを選び集めておいて「ほら、みんなそうだ」と納得したがる生き物なのである。こういうガツンと目を覚まさせてくれる薬は必要だ。
そもそも、哲学ってものはこうやって冷酷に真理を追いつめていかなければつまらないもので、僕はこの本の中に、ものすごく力強いものを感じる。強い風に逆らって突き進むようなものを感じる。風を観測するだけの人ではないと感じる。だから、この本に書いてあることは確かにその通りだろうと納得してしまう。表面的に感じる違和感のようなものを越える力があるからだ。
それでもなお僕の中には、人が生きていくには、錯覚や思考停止も必要なんじゃないかって思う部分がある。作者には怒られるかもしれないけど、僕には作者のように、人生の理不尽から目をそらさず、不幸を受けいれ続けるパワーはない。自分もそこそこ幸福だって「錯覚」しつつ、それに甘えそうになった時、はっと気づいて自らを戒めるくらいでいい。
ただちょっと思い通りにいかないくらいで、自分は不幸なんだって周囲にあたっちゃいそうな今の僕に、ぴったりの苦い薬だった。