長嶋有のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレもしかして、夕子ちゃんはこの世のいろんなことがもどかしいなあと思っているのかもしれないけど、本当は最初からできているんだよ。君は、この僕が恐れ敬う数少ない人なんだから、どんな時も泣いたりしないでよ。
夕子ちゃんは作中でほとんど主人公と会話をしない。強いて言うなら知り合いの知り合い、という感じ。なのになぜ上記のようなセリフが出てくるのか。そこが正直分からなかった。
けど、勝手に人を尊敬して憧れを持って、だからこそ泣いてほしくない、負けてほしくないという自分勝手な感情をこんなに綺麗にすっきりと表現した文章は見たことがなかったし、
本当は最初からできているんだよ、というところにこめられた優しさがす -
Posted by ブクログ
時系列をぐちゃぐちゃにして、「パラで走る」2人の男の友情物語。
長嶋さんの小説はスルメのようで、だらだらくちゃくちゃいつまでも噛んでいられる。
でも一気に全部食べよう(読もう)とすると、アゴがつかれるし、お腹も痛くなる。
なので、ちょっとずつ、読んだ。
いつでも、どこにいても、本をひらけばスッと世界に入っていけるのは
まちがいなく「世界」のある小説の証だろう。
「世界」を構成するのに重要な登場人物たちのセリフがすごく上手。
いかにも「この人なら言いそう!」って言葉がバシバシきまる。
そのセリフの中に金言になりそうなのもあったりして、油断ならない(笑)
登場人物だれひとり、さほど好きな人間 -
Posted by ブクログ
面白かった!好きだ。
言葉について考え込める人。
人にどう見られるか考え込んじゃう人。
映画も音楽も話せる人。
いかにも下らないどうでもいい話題。
そういうエッセイは好きです。
ほむらさんにも触れてあって、その評がしっくりきて面白かった。
「言葉の打率」のくだりが印象的で、その比喩はつまり、言葉がバッターだということで、安易に考えると作家が投手で読者が打者で言葉はボールになってしまうんだろうけど、言葉自体の能動性にどきりとした。
わたしの方がボールなのかもしれないし、フィールドなのかもしれない。
作家は監督かしら…そんな想像が膨らむ表現。
読み飛ばせるだろう言葉にもきちんと意味を付与でき -
Posted by ブクログ
以前『猛スピードで母は』を読んだが、それ以降、この作家さんの小説は手にしていなかった。
今回、新刊ということでエッセイを手に取った。
なんだ、なんだ、面白い!
(私の笑いの沸点が低いのかもしれないが)
自室で声を上げて笑った本はおそらく初めてだと思う。
そんな自分がはしたないと思えるほどだったので、後半は職場の休み時間に読むことにした。
……噴出してしまった。
私は現在20代後半だが、これまで読んだエッセイ集に出てくるアイコンはリアルタイムでは知らないものばかりであった。
でも、長嶋氏のエッセイではリアルタイムで「知っている」アイコンに出会うことが出来たことも笑いに結びついたのかもし -
Posted by ブクログ
なんなのだろう、この感触。長嶋有のエッセイは「ジュ・ゲーム・モア・ノン・プリュ」以来。彼の書くエッセイは、家のなかに置いてある箪笥と壁の間にいる小さな虫からの視点、という感じ。
最近、お笑いでもなんでも、おもしろいとか、興味深い“ネタ”は、微細なことがら(日頃誰もが感じていながらも、なかなかことばにするまでに至らない思いや出来事)をどう「調理」するか、という技、あるいは視点の角度の良し悪し、センスの有る無し、が判断基準のように思うけれど(ぼくはその姿勢を支持しながらも、さみしい気がする。「やすきよ」的お笑いに憧れる)、長嶋有の“ネタ”も、その枠に入りながらも、大きく逸脱している。
つまり、小手 -
Posted by ブクログ
表紙の絵がどうにも好みでないのと、うーん高校生の部活の話かーとか思ってたのとでちょっと敬遠していたんだけど、読んでみたら、まったく違和感なく、おもしろく読めた。長嶋有が描く高校生だからかなあ。べつに高校生じゃなくてもいいというか、身分にかかわらず、共感できる。主人公の、じっと観察してて、あれこれ考えちゃうところが、だからって実際なにかするわけじゃない、っていうような感じがすごーくよくわかる。だれもが生きにくさをかかえている、っていうのも、なんだかすごくよくわかる。こういうのって、思春期にかぎらず、感じる人はずっと感じつづけることなのかも。なにかが起きてがらっとなにかが変わったりしないところもリ