長嶋有のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
面白かった!好きだ。
言葉について考え込める人。
人にどう見られるか考え込んじゃう人。
映画も音楽も話せる人。
いかにも下らないどうでもいい話題。
そういうエッセイは好きです。
ほむらさんにも触れてあって、その評がしっくりきて面白かった。
「言葉の打率」のくだりが印象的で、その比喩はつまり、言葉がバッターだということで、安易に考えると作家が投手で読者が打者で言葉はボールになってしまうんだろうけど、言葉自体の能動性にどきりとした。
わたしの方がボールなのかもしれないし、フィールドなのかもしれない。
作家は監督かしら…そんな想像が膨らむ表現。
読み飛ばせるだろう言葉にもきちんと意味を付与でき -
Posted by ブクログ
なんなのだろう、この感触。長嶋有のエッセイは「ジュ・ゲーム・モア・ノン・プリュ」以来。彼の書くエッセイは、家のなかに置いてある箪笥と壁の間にいる小さな虫からの視点、という感じ。
最近、お笑いでもなんでも、おもしろいとか、興味深い“ネタ”は、微細なことがら(日頃誰もが感じていながらも、なかなかことばにするまでに至らない思いや出来事)をどう「調理」するか、という技、あるいは視点の角度の良し悪し、センスの有る無し、が判断基準のように思うけれど(ぼくはその姿勢を支持しながらも、さみしい気がする。「やすきよ」的お笑いに憧れる)、長嶋有の“ネタ”も、その枠に入りながらも、大きく逸脱している。
つまり、小手 -
Posted by ブクログ
表紙の絵がどうにも好みでないのと、うーん高校生の部活の話かーとか思ってたのとでちょっと敬遠していたんだけど、読んでみたら、まったく違和感なく、おもしろく読めた。長嶋有が描く高校生だからかなあ。べつに高校生じゃなくてもいいというか、身分にかかわらず、共感できる。主人公の、じっと観察してて、あれこれ考えちゃうところが、だからって実際なにかするわけじゃない、っていうような感じがすごーくよくわかる。だれもが生きにくさをかかえている、っていうのも、なんだかすごくよくわかる。こういうのって、思春期にかぎらず、感じる人はずっと感じつづけることなのかも。なにかが起きてがらっとなにかが変わったりしないところもリ
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Posted by ブクログ
「皆、誰かに期待なんかしないで、皆、勝手に生きててよ。」
高校の、図書部のおはなし。
タイトルの「ぼくは落ち着きがない」は、むかし図書部にいた先生が書く、次回作のタイトル。
おそらく、図書室につながる両開きのドア(西部劇なんかにあるやつ)を擬人化して「ぼく」としているのではないだろうか。
私は、作中の先生が書いた同タイトルの小説を読みたい、と思ったのだけど、これを読み終わることでその願いはかなってるのか、なんて厨二みたいなこと考えました。
青春小説特有のかる~い会話劇が私はもんのすごく苦手なんだけど
長嶋先生はやはりセンスがあります。
滑り知らずというわけではないけれど薄ら寒くもない、あ