あらすじ
2011年デビュー10周年を迎えた著者の、創作の原点がわかる、第一エッセイ集。じたばたと考え、小説を書き、小説を読み、記憶をさぐり、そして日常を送る……。世界のなにに注目し、それをどう描いていくのか。新鮮な驚きと独特のこだわりに満ちた、長嶋有ワールドは、どんなに短いエッセイでも健在。文庫化にあたり、書き下ろしエッセイを追加。
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作家活動十年ぶんのエッセイ。初出はあちこちだけれど、巻末に「自己鑑賞と補遺」というリストがあるので二度楽しめる。
「声高でなく カウリスマキとキノコ狩り」が心に残る。
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面白く読みました。何度も声が出そうになるくらい笑いがこぼれて来ました。
こんなふうに愉快な文章書ける作家さんが大好きです。
他の作品も気になります。
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長嶋有のリラックスしたエッセイ集.「すみれseptmver love」を一風堂で聞いた世代と,シャズナで聞い世代,その狭間でカブキロックスで聞いた世代がいる事を忘れないでもらいたくない.1980年代後半から90年代前半のバンドブームに多感な十代を過ごした世代をカブキロックスの「すみれseptmver love」で括る辺りが秀逸.私も同世代.
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これはなかなか良いエッセイ本でしたね…! 長嶋さんの小説はいくつか読んでいて「好みだな~」と思っていましたから、エッセイも肌が合うんじゃないかと…読んでみた次第ですけれども、いやぁ…良かったですね!
ヽ(・ω・)/ズコー
色々と趣味の範囲が広いお方のような気がしますねぇ…音楽だったり映画だったりゲームだったり漫画だったり…「ブルボン小林」という名義でレビュー本?みたいなのも出しているみたいですから、そちらも読んでみましょうか…。
氏の書くレビューをもっと読んでみたいなぁ…と思わしてくれる本でしたね。おしまい…。
ヽ(・ω・)/ズコー
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背表紙に惹かれて購入。
以前にタイトル買いして読んだ小説も長嶋有の『猛スピードで母は』。
この人のタイトルのセンスは自分に合うのかもしれない。
映画の話題で茶の味とか、カウリスマキやら、自分の趣味と合う部分もあり面白かった。
エッセイを読んではじめて、自分と波長が合う部分が見えてきた。
こういうものの見方をしているから、こういう文章が書けて、
こういうところに自分が惹かれていたのだと。
小説のアイデアの源泉もちりばめられていて、
末尾の補遺では筆者自ら解説してくれていて、
もっと長嶋作品を読んでいけば、より味わえるエッセイだと思う。
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長嶋有とはこんな人なんだということがよく分かるエッセイ集。
リベラマイルドのCMは、私にも衝撃的で不必要なのに、映像も音楽も記憶に残る。
ちなみに、当時、近鉄の外国人にリベラという選手がいて、活躍した翌日のスポーツ新聞に「リベラ、マイルドな働き」という、よく意味が分からない見出しが載った。これも不必要な記憶だなぁ。
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「ねたあとに」にハマり、どっぷり長嶋有の作品に浸かっていた今日この頃。気が付いたらこの本で既刊のものはすべて読み終わったことになる。
なんというか、妄想が堆く折り重なっているようで、読んでいて楽しい。
本作にも登場している穂村弘さんのエッセイもすごく好きだが、なんとなく、似ている。気がする。
「一日長嶋有」とか、ほんとうにやってくれそうだ。
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面白かった!好きだ。
言葉について考え込める人。
人にどう見られるか考え込んじゃう人。
映画も音楽も話せる人。
いかにも下らないどうでもいい話題。
そういうエッセイは好きです。
ほむらさんにも触れてあって、その評がしっくりきて面白かった。
「言葉の打率」のくだりが印象的で、その比喩はつまり、言葉がバッターだということで、安易に考えると作家が投手で読者が打者で言葉はボールになってしまうんだろうけど、言葉自体の能動性にどきりとした。
わたしの方がボールなのかもしれないし、フィールドなのかもしれない。
作家は監督かしら…そんな想像が膨らむ表現。
読み飛ばせるだろう言葉にもきちんと意味を付与できる、最大限の読みをしたい打たれたい。勝手に共鳴。
次は『タンノイのエジンバラ』を読み始める。
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なんなのだろう、この感触。長嶋有のエッセイは「ジュ・ゲーム・モア・ノン・プリュ」以来。彼の書くエッセイは、家のなかに置いてある箪笥と壁の間にいる小さな虫からの視点、という感じ。
最近、お笑いでもなんでも、おもしろいとか、興味深い“ネタ”は、微細なことがら(日頃誰もが感じていながらも、なかなかことばにするまでに至らない思いや出来事)をどう「調理」するか、という技、あるいは視点の角度の良し悪し、センスの有る無し、が判断基準のように思うけれど(ぼくはその姿勢を支持しながらも、さみしい気がする。「やすきよ」的お笑いに憧れる)、長嶋有の“ネタ”も、その枠に入りながらも、大きく逸脱している。
つまり、小手先のようで、小手先でない。
ぼくは、この作品をすべて、朝夕の通勤電車(地下鉄)の車内で読んだ。とても心地よかった。吹き出しそうにもなった。ちょっとセンチメンタルに行きかけると、本を閉じたりもしながら。そーゆーの、求めてなかったのに、いきなりだったから。
どれも好きなエッセイだけど、「1(章?)」は、原田宗典を彷彿とさせ、懐かしかったし(「片思ってしまう」)、「黒田硫黄の擬音と女」、「うちたそう」が好き。
長嶋有は、Wordとかソフト使った文書ではなく、テキストファイル、「.txt」的だと思う。
この感想も、携帯のテキストファイルで書きました。