池田信夫のレビュー一覧
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1.資本主義の根本的矛盾「r>g」
資本蓄積→格差拡大→社会正義否定→民主主義の危機
2.ロバート・ソロー新古典派成長理論
成長率=労働生産性✕労働人口
国民所得=労働所得+資本所得
⇒海外生産の場合 利益は資本所得にしかならない
3.日本の格差問題 正社員と非正規社員の格差問題
非正規社員38% 特に女性は58% 時給は6割
4.格差の二つの原因
① テクノロジーの変化
② Globalな要因
5.資本主義の根本法則 ピケティ
①第一法則 資本分配率=資本収益率✕[K/Y]
②第二法則 K/Y=貯蓄率÷成長率 なぜ?
ex 12%÷2%=600%
12%÷1%=1200% バブル'80年代
6.タックス・ヘイブン対策税制
10%程度の所得 先進国の対外純資産はマイナス -
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ネタバレ今さら聞けない経済教室 単行本 – 2016/4/29
いまの社会保障がゆがんでいるのは、成長しないと維持できないしくみだから
2016年9月17日記述
経済学者、池田信夫氏による著作。
1953年生まれ。
池田信夫氏が主宰する言論サイトアゴラの子供向けの解説記事をまとめ再編集した本である。
以前読んだ池田信夫氏の著作の中では時にわかりにくいものもあった。
(丸山真男について論じていることや思想的な所)
本書はそういった難しい所はなく非常に良い。
またそれぞれの質問への回答と解説。そのまとめもあり頭にすっと入ってくる。
またそのまとめポイントを総まとめとして巻末に載っておりそれも良い。
そして索引がついている本書は紛れもない経済の専門書であると言える。
(野口悠紀雄氏は常々日本の専門書と呼ばれる本に索引がないことを指摘し、索引がない本は本ではないと指摘している。索引をつけるのは面倒な作業であるので、索引があるだけでも高評価に値する)
勉強になった点、参考になった点を列挙してみたい。
円安になると、輸出してる大きな会社は得をする。
しかし普通の人は損をする。
デフレの正体は、中国からの輸入とITの技術革新による相対価格の低下。
中央銀行(日銀)が国民のインフレ予想をコントロールできるというのは幻想。
日本経済が失速した原因は、労働人口が減少した上に、その人口が地方に分散した事。
今、必要なのは人口を都市に集中させ、インフラを集中整備すること。
先進国の雇用の8割以上はL(ローカル)型のサービス業。
(製造業などのG(グローバル)型ではない。
みんなが競争の激しいグローバル人材になる必要はない。
政府主導の成長戦略は、過去一度も成長を実現したことがない。
(成長戦略とは、特定の産業に補助金を出して育成する産業政策のこと)
政府が成長を促進することは出来ない。
しかし邪魔をやめることはいくらでも出来る。
軽減税率の一番良くない点は圧力団体が政治家や役所に押し寄せること。
食品に軽減税率を適用すると負担が減るのはむしろ高所得者。
軽減税率は増税の先送り。こども世代に負担を押し付けること。
税金は国民の多くが負担するので、簡素でわかりやすいことが大切。
商品によって税率が違うと納税事務が複雑になりトラブルが起こる。
OECD(経済協力開発機構)は、軽減税率をやめるように勧告している。
インボイスは消費税の納税に重要な役割をはたす税額証明。
これがないと正しい納税は出来ない。
インボイスがないとますます納税額のごまかしが増える。
回収できないコストをサンクコスト(埋没費用)という
コストを計算する時考えるのは、未来の行動で変えられるコストだけ
(サンクコストは考えても意味がない)
いやなコストを負担せず、非現実的なきれいごとをいう人をフリーライダーという。
リスクは被害×確率。1回の被害は小さくても確率の高い出来事のリスクは大きい。
飛行機よりも自動車の方が事故のリスクは大きい。
1回の事故の危険が大きいからといってリスクが大きいとは限らない。
日銀が国債をたくさん買うのは、政府の借金を政府(日銀)が穴埋めしている危険な状態。
このまま1人あたりの国民負担が増え続けると2050年には国民負担率(税金+社会保険料)は8割になる。
今の社会保障制度はおじいさんが孫のクレジットカードを使って買い物をしているようなもの。
老人と若者で1人1億円もある世代間格差を、景気回復だけで埋めることは出来ない。
日本のような巨額の政府債務を、増税で正常化した国は歴史上ない。
5%程度のインフレを10年続ければ政府債務は半減するが、インフレはコントロールできるとは限らない。
2035年ぐらいまでに年金会計は破綻するといわれている。
このままでは日本経済に未来はない。
保険料とあるので負担感が少ないが、30代の保険料は今の高齢者に払われ自分には半分も返ってこない。
政治家がこの問題を放置するのは投票する人の半分は60歳以上の受益者だから。
日本の人口減少は避けられないが、働く人の数が大きく減ることは避けられる。
保育所を整備し、転勤のない働き方にして、働く女の人を支援する。
今の社会保障のまあ成長がゼロになると、2035年には給料の6割が天引きされる。
大事なのは、成長しなくても維持できるしくみに社会を変えること。
いまの社会保障がゆがんでいるのは、成長しないと維持できないしくみだから。 -
購入済み
「魔法の杖はない」という副題の通り、今が異常な状態(不景気)では無く、日本は既に成長を終え新しいステップに入っていく必要な状態であることがよく分かりました。
ブログも面白いので池田先生の著作はオススメです!! -
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必ずしも負の所得税(BI)が正しいとは言えないと思います。
ただ本書にあるような危機的状況になって外科手術するのか早いうちに内科的処置をするのか。
どちらが正しいのかはわからないですが社会保障費の増大が大きな財政負担になってるのは本書にある通りかなと思います。
1農業補助金の廃止
2関税の撤廃
3最低賃金の廃止
4企業に対する規制の撤廃
5政府による電波の割当の廃止
6公的年金の廃止
7職業免許の廃止
8教育バウチャー
9郵政民営化
10負の所得税
この10項目が本当に実行しないといけない事態が来ない為にできることをやらないといけないと思います。 -
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著者が、「はじめに」に書かれたことが、本書の目的や意図が明確にされています。
それは、日本人の失敗を論じた『失敗の本質』があり、個々の分析は的確だが抽象化が不十分で、原因まで分からない。本書は日本人の失敗から法則を抽象化し、具体的な事例に即して検証する、ということです。
これを8つにパターン化し、仮説としてまとめています。事例も歴史的な事実から、最新のものまで多岐にわたり、同じパターンになっていることが良く分かります。
<この本から得られた気づきとアクション>
・これは何度も読み返すべき。失敗のパターンに陥っていないか、自分にも周りにも目を配る必要がある。
<目次>
プロローグ 優秀な兵士と無能な将軍
第1法則 現場が強いリーダーを許さない
第2法則 部分が全体を決める
第3法則 非効率を残業でカバーする
第4法則 「空気」は法律を超える
第5法則 企業戦略は出世競争で決まる
第6法則 サンクコストを無視できない
第7法則 小さくもうけて大きく損する
第8法則 「軽いみこし」は危機に弱い
エピローグ 勤勉革命の終わり -
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在野の経済学者、池田信夫さんとネット歴史論壇の旗手、与那覇潤さんの知的刺激あふれる対談集。
この本を読んだ後には、司馬史観で「お前も大志を抱いて励め」と諭す上司に一言いいたくてしょうがなくなるかもw
曰く、「明治維新後、西欧化を図り、わが国は世界に類を見ない高度成長を遂げた」という歴史の通説は幻想であり、実は日本がいまだに江戸時代から進歩していないというのが、両者の共通認識。
全国300もの藩が別々に法律や武力を保持し、ムラ社会の掟で問題解決するシステムが、内向きで縦割りの社会構造を生み、全体戦略や強いリーダーが現れない原因を作り出したのだと指摘する。 -
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池田信夫著「ハイエク 知識社会の自由主義」PHP新書(2008)
*通常の金融理論では、すべての市場参加者が完全あn知識に基づいて合理的に行動をすると課程し、市場は効率的なので市場に勝ち続ける事はできないと教える。しかし高い収益をあげ続けるヘッジファンドがあるいっぽうで、ロングタームキャピタルマネジメントのように破綻するファンドもある。このような不確実な世界を正しく予測していたほとんど唯一の経済学者としてフリードリヒ・ハイエクがいる。彼は生涯を通じて、社会主義と新古典派経済学に共通する「合理主義」と「完全な知識」という前提を攻撃し続けた。しかしその結果主流の経済学者からは徹底して無視された。しかし彼の死後15年以上経って、経済学はハイエクを再発見している。合理的な人々の行動を記述する「合理的期待」派のマクロ経済学やゲーム理論が行き詰まり、新古典派理論の根本的前提である「合理的経済人」の仮説が、「行動経済学」の多くの実験で疑問の余地なく反証された。つまり人々の行動には、非合理的なバイアスが伴っている。人々は不完全な知識のもとで慣習に従って(かならずしも合理的ではない)行動するハイエクは考えた。これは彼の一貫した新年であり、社会主義やケインズ的な計画主義が全盛だった1930年代にかれはほとんと1人でその通年に挑戦した。
*歴史を自由の拡大する課程ととらえる彼の進化論的発想は、ヘーゲルやマルクスにチアック、英米の分析的な経済学とは明らかに異質であった。一見、科学的な新古典派経済学ではなく、概念的だが人々の情緒に訴えるマルクスとハイエクの理論であった。
*ルーズベルト大統領が1930年代にとってニューディール政策にもとづく公共事業によって雇用を増やし景気を回復させたようにみえたためケインズ理論は大きな影響をもつことになった。
*ハイエクは政府が市場をかく乱すべきではないと論じたが、ケインズは目の前の問題を解決する手段があるとき、それを使わないのは政策当局の怠慢だと考えた。これは経済問題をどれほど辛抱強くかんがえるか、という社会哲学の違いかもしれない。ハイエクにとっては、市場の問題は長期的には市場が解決するはずだが、ケインズにとっては長期的にはみんなしんでしまうのだ。
*不確実性のもとでの主観的な意思決定を重視するのはオーストリア派の伝統であり、のちに紹介するようにハイエクの中心の思想でもある。また、功利主義のベンサム的計算を否定し、特に将来のリスクを数学的に計算して金利に織り込むと考えるフィッシャー流の経済理論を批判した点でハイエクとケインズの考えは似ていた。しかし、ケインズがその不確実性を政府によって除去しようとしたのに対して、ハイエクは市場によって不確実性は長期的に調整されると考えた。
*すてべの情報を単一のセンター、あるいはセンターとそれを支えるサブセンターに集める事は不可能である。知識は分権化される必要が有る。情報を所有する物が自分のために利用することで、情報の効率的な完全利用が実現する。従って分権化された情報には影響の自由と私的所有が付随していなければならない。つまり、これが計画経済(社会国家)の限界である。
*社会主義を理想とする人々が科学者に多い事も特徴的である。イギリスの科学雑誌「ネイチャー」は社会を科学的に組織する計画を繰り返し特集した。多くの科学者が資本主義の無政府性を批判し、国民を科学的に管理するシステムを提案。こうした科学者にとってダーウィンの進化論をモデルにして不可避な歴史法則を樹立したと自称する、エンゲルスの「科学的社会主義」はきわめてうけいれやすいものだった。
*ハイエクは1945年の論文「社会における知識の利用」で新しい経済学の考えを示した。かれはまず、市場が効率的な資源配分をもたらすという新古典派経済学の結論は、ある条件に依存していると指摘する。その決定的な条件とは、すべての人々が無限の将来にわたる完全な情報をもっているということである。しかし、すべての人々が完全な情報をもっていることはあり得ない。しかし、あたかもそれが満たされているかのように経済が動いているのはなぜか?『合理的な経済秩序の問題に特有の正確は、われわれが利用しなければならないさまざまな上お経についての知識が集中されて統合された形では決して存在せず、ただ、すべての別々の個人が所有する不完全でしばしば互いに矛盾する獅子期の分散された断片としてだけ存在するという事実によって、まさしく決定されているのである。すなわち、どの人にもその全体性においては与えられていない知識を「社会全体として」どう利用するかという問題なのである』
*西欧世界の自由主義には2つの伝統がある。1つは大陸の啓蒙思想に始まり、デカルトからルソー、そしてイギリスではホッブスに至る合理主義の思想である。ここでは痔湯は、合理的な主体の契約によって設立される国家によって保障される権利である。ルソーの思想はフランス革命の理論的支柱となった。このような合理主義は、大陸では一貫して主流であり、その後、カントを経てヘーゲルによって完成された。
*ハイエクは、利己心や自己愛は悪徳だと思われているが、それがなければ人々は金を儲けようとも思わないし、働こうとも思わない。そうした悪徳がビジネスを生み出し、人々を互いに豊かにするのだ。慈善事業の資金を稼いでいるのは、こうした悪徳を重ねている商人たちである。しかし人々が利己的に行動した結果、その利害が一致するのはどういう場合だろうか。おそらく一定のルールが必要であり、まったく自由放任で泥棒も偽金も許すという訳にはいかない。そのルールは誰かが意図的につくった物ではなく、言語のように長い年月をへて形成されてきたものだ。
*ハイエクが構想したのが、進化の概念にもとづく生物学モデルだ。生態系ではいろいろな生物が互いに補食したり寄生したりしながら、全体としてはバランスが保たれている。経済システムでも環境に適応した物が生き残る事に寄って非効率な個体が淘汰されるメカニズムがはたらいていると考えられる。しかし、経済システムが生態系と違うのは経済行動にはルールが必要だと言う事だ。むしろ自由を妨害している最大の要因は煩雑な寄生や政府の裁量的な介入なので、規制を撤廃してルールを明確化する制度設計こそ、自由な社会を実現するために重要なのである。 -
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ブログで有名な池田信夫氏の本。「空気の構造」という題名だが、内容は、いわゆる日本人論、空気で決定する日本人関係、日本人の古来からの気質、戦争における失敗の本質、日本的経営の光と影なども含めた、現在の日本人)についてのダイジェスト、まとめ版であると感じた。
引用は、古典的名著の作者である、山本七平、丸山眞男、ルース=ベネディクト、中根千枝、失敗の本質、日本的経営などの日本人の思考の原型、もしくは平時には多くの成果を上げても、危機に対して弱みをもつことが書かれていると感じた。
多くの読書をしている人には、そのまとめとして、日本人論や空気論をこれから読んでみたい人には全体像をつかむには良い本だと思う。
[目次]
はじめに──日本人は特殊か
序章 「空気」が原発を止めた
第1章 日本人論の系譜
第2章 「空気」の支配
第3章 日本人の「古層」
第4章 武士のエートス
第5章 日本軍の「失敗の本質」
第6章 日本的経営の神話
第7章 平和のテクノロジー
第8章 日本型デモクラシーの終わり -
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日本人の行動様式として「空気」というものに左右されるというのは山本七平さんの本でも読んでいたが、天皇制に象徴されるように実権をもたないトップを戴き、それを輔弼するという形で実権を持つ者がその下にいる、そして結果だれも責任を取らない構造だというのは説得力があった。
内なる組織の中で限られた固定された人間関係の中で長期のかかわり合いを続けなければいけないが故に裏切れない。しかし組織の外に対しては厳しくあたる。そして組織を抜けることは大きな不利益になるから抜けられない。こういうムラ社会、日本企業の構造を囚人のジレンマを使って説明しているの秀逸である。
この様な組織では大きな状況の変化がない時にはボトムアップでうまく機能するが、大きな転換を迫られるときには責任者が明確でなく仲間を切ることもできず動けないというのは今の日本の姿を実によく表わしている。
色々な意味で読むべき本であると思います。 -
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橋下さんは、民主主義者ではなく、徳治主義者。
「専制者が民意を吸い上げて、代わりに執行してあげる」という中国的な民主主義。「決定できる民主主義」は、西洋ではなく、中国的な民主主義。
与那覇氏の「ブロン」(日本と中国の双方の特徴が混じった結果、両者の欠陥を兼ね備えた体制になること)。星新一の掌編が語源で、「ブドウのように小さな実がメロンのように少ししかならない果物」の意。
人間関係の形態的にはネットワーク状になっていて、その点では「中国的」なのだけど、意思決定が全会一致的という意味では、江戸時代の村落コミュニティまんまのエートスが残っている。
科挙官僚というのは皇帝が絶対権力をもって命令する組織で、みんなで仲良く決めるしくみじゃないから、決める人がいないと無限ループしてします。そこに無駄に細かい大陸法を直輸入したものだから、日本の社会の実態と輸入した中国型の官僚機構と西洋型の法律が、最悪の形で結びついているわけです。ブロンどころか、3つの制度の悪いところが組み合わさっている。 -
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以前何となく読んであまり印象に残っていなかったが改めて読むと非常に興味深かった。マンガなので導入としては良いと思われる。なお、原作者の池田氏のブログ等ではいつも納得させられることが多い。
池田氏曰く、「フリードマンの提案すが全て実現する日は、恐らく永遠に来ない」という。また、「それは、彼が正しくないからではなく、あまりにも合理的で、政治的な既得権を破壊するからなのだ」とも。これが、「1962年に書かれた「資本主義と自由」が(残念ながら)永遠に新しい古典である」所以であり、この指摘はかなり正しいだろう。
政治的なスタンスはどうあれ、「経済学上は正しい」これらの事実を心に留めておくこと(、その上で自身のするべきことを判断すること)は重要だろう。
本フィクションで挙げられている提案(政策)は以下の通り。
1.農業補助金の廃止
2.関税の撤廃
3.最低賃金の廃止
4.企業に対する規制の撤廃
5.政府による電波の割当の廃止
6.公的年金の廃止
7.職業免許の廃止
8.教育バウチャー
9.郵政民営化
10.負の所得税 -
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ほとんど全てに同感する。
原発再稼働に関する議論でいまだに正義の味方っぽい口調で「安全は保証されたのでしょうか?」 などとコメントしている連中には、科学的論理的な反論は全く出来ないだろう。
ちょっと心配なのは、あまりにも筆者の論敵にたいする攻撃が容赦なさすぎるので、打ち負かされた人々は、沈黙を守れればいいほうで、多くは論理をすり替えたり言葉尻をとらえたりして何とか一言反論したくなるだろう。建設的な議論にはなりそうにない。
それにしても、物事の本質をシンプルにとらえ巧みな比喩に表現する能力は素晴らしいと感じる。
88ページには、朝日新聞の編集長が脱原発についてのコメントを紹介している。すなわち、①原発をやめるべきか②原発をやめることができるか、という問いに対して、通常は②→①と考えるが、今はまず①について覚悟を決めて、②が突きつける課題に挑むべきだと宣言しているらしい。
これを、①戦争をやるべきか②戦争に勝つことができるか、という日米開戦前夜の設問に置き換え、英米に勝てるかどうかを考える前にまず鬼畜米英を放置しておいてはならぬという覚悟を決めろと迫るレトリックと同一だと指摘する。確かに同じだ。
戦時中に過激に戦意高揚記事を書き、最後まで本土決戦を強硬に主張し、敗戦が決まると一転して「平和国家を確立せん」という社説を掲げ、70年代には原発推進キャンペーンを張り、今回の原発事故が起こると「原発ゼロキャンペーン」を張る朝日新聞。本質的な主義主張ではなく、強者(軍部やGHQや、今は読者=大衆)への迎合と現実離れした理想論。なぜこんな幼稚な新聞が日本で一番売れ続けているのかますます不思議がつのる。
今話題の小沢一郎も、これの同類だろうか。実は本質的な国家観は二の次で、結構変節する。その時々の大衆に迎合しながら大衆をリードしているように見せかける。
更に言えば、こんなのが受けてしまう日本というのは全体主義に陥りやすい国民性だといえるのではないだろうか。実は右翼でも左翼でも同じで、本質的な議論をすっ飛ばしてムードに乗ってしまう。本書でも繰り返し指摘された「空気」というのは恐ろしいものである。
最後に、本書のタイトルにも感心した。原発が危険だ危険だというマスコミや世論は、ほとんど神話の世界に入っている。もっとも神話という表現はまだ麗しさが漂うが、現実は魔女狩りか異端審問がはびこる全体主義に侵されているということを知らせれ暗澹とさせられる本だった。5つ星。 -
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ブログなどで過激な発言で有名な池田信夫氏が原発を含むエネルギー政策についての自説をまとめた本。
今回の事故ではこの程度で済んだけど、「安全神話」が崩れた今となっては次の事故が発生する可能性があることは否めず、そのときにはどういう甚大な影響があるか分からない、というのが反原発の主張だろう。著者は、福島によって原発の「安全神話」が崩壊したことは自明だが、一方メルトダウンを起こすと数多くの人命と健康が失われて取り返しのつかないことになるのだという「危険神話」も同時に崩壊した、と主張する。この「危険神話」が崩壊したという認識の上で改めて原発の是非を考えないといけないと問題提起をしている。もっと端的に言うと、原発廃止なんて言ってるやつは論理的に物事が考えられない馬鹿だと言っている本である(たぶん)。
特に微量放射線の影響を過大視してしまっているのは、原発周辺住民のためにもならず、逆に苦しめる結果になっていると言う。LNT仮説(100ミリシーベルト以下の)に対する評価が分かれ道でもあるのだが、微量放射線が健康に影響があったと証明された研究結果はなく、あっても統計的に有意に検知できないレベルのものであるとされている。微量放射線の影響と一度に多量に浴びる放射線の人体に与える影響の違いを、45℃の湯と熱湯の例にたとえたのは、比喩でありそのまま当てはめて正しいとするのは危険だが分かりやすい例えだ。慎重な判断が求められる件ではあるが、問題は原発や放射能のリスクを喧伝することが、必ずしも福島の現地の人たちのメリットになっていないどころか、不利益になっているのではないかという点だと思われる。
エネルギー政策については、3つのE(Energy、Economy、Environment)のバランスを最適化する連立方程式の解を求めることであり、「絶対の安全」などというありもしないものを求めるべきではないのだとする。原子力だけでなく、火力も水力も太陽光もすべて経済と生命のトレードオフで動いている。火力発電の方が危険度が高いため、原発を止めることによって、却って人命が失われるとの主張は、藤沢数希の『「反原発」の不都合な真実』の内容と同じだ。不経済な自然エネルギーの傾倒とともに日本経済への悪影響を懸念している。原発再開の発電単価を考える場合、サンクコストについて考慮することが必要となる。止めたからといって今まで投資したお金が戻ってくることはないのだ。
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藤沢数希氏は先に挙げた『「反原発」の不都合な真実』の中で原発の問題は「倫理の問題」だと言ったが、池田氏に言わせるとNIMBY症候群(Not In My Back-Yard)の問題なのだという。身も蓋もない。
池田氏は仮想敵を作って論破している点があるのは否めず、反原発にもそれほど極端なものは多数派ではないように思える。政府も極端な反原発から経済環境も考慮した中庸の政策に移行しようとしているように思える。地震大国である日本に原発は向いていないという面もあるが、一方多くの知見と省察を得ることとなったのだから、原発も含めたエネルギーポートフォリオを検討し、将来に向けた原子力利用の研究開発も続けるというのが合理的な態度なのかもしれない。