池田信夫のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
資本主義の中で生きてて市場が本当にいつも正しいか、なんてことはまあ平均的な人はあまり考えません。特に日本で生きていると資本主義だと言いながら、不景気になるとやたら社会主義が流行って困ったことになります。
史上、何人も経済学者なんていましたが、マルクスもケインズも絶対なんてことはなかったわけです。そしてこれからもそうであるように、またハイエクも彼らを否定することで、またハイエク自身が新しく誰かに否定されることで経済云々が進んで行くわけです。
さて、そんな中で労働や賃金というのは一番個人的には気になるところだと思います。本書では同時間で掘るダイヤと鉄の鉱夫を例にとって説明されていますが、なんしかハイエクという人はその当時に主流だった観念みたいのにそぐわないことを言ってたのであまり世間の評価は高くなかったんですけど、今の時代になって注目されようとしているわけです。
中でも、気になった節があります。これは龍馬伝見ながらも思ってたんですけど、主観的価値というものです。まあ詳しいことは読んで確認してもらった方が早いですが、人によって欲しい物につける価値が変わってくるというものです。まあ当然な気もしますがざっくり言うと需要と供給だけでは要素として足りな過ぎとかそんな話ですね。弥太郎は付加価値に目を付けてうまく事業を拡大してました。
従って、かの有名な文句で誰かが言った神の見えざる手とかとても胡散臭くなる次第です。この辺に関しては平行して読んでいた『モーセと一神教』がなにげに理解を助長(?)してくれますね。唯一絶対の神への信仰って部分が日本人のおれにしては温度差を感じずにはいれない箇所でした。なので、同教徒にとっては受け入れやすい理屈だったかもしれません。そうやって本質からズレたところをハイエクみたいな人に突っつかれるのかなあと。
そして、特に読んで欲しいのはp137-138の官と民への言及です。どっちがどういう場合に向いてるか、かつてのロシアと西側を比較しています。これはとてもうなずけました。
内容が詰まってるのでなかなか感想としてまとまりませんが、読んでおく必要がある本だということは思いました。近頃は下手なノウハウ本が多くって何であんなもんが売れんのかと思っていますが、一冊まともな本読んだ方が表面的ではないノウハウとか自ずと気付けるようになる気がしますね。 -
Posted by ブクログ
私はずっと池田信夫という人をリバタリアンだと思い込んでいたが、そうでは無かった。
ハイエクの思想を、リバタリアニズムと表現するにはずっと保守的だし、保守というには自由すぎるということで、自由主義と名付けている。
規制されたケインズ主義への反抗であって、すべてを自由にせよと言っているわけではなく、淘汰という自然摂理が自律的に作用するからこそ、頬っておいても問題はない、だからリフレ派はおかしいというロジックに成っている。
このミッシングリンクを除外してインターネット上で話しが進んでいくため、リバタリアニズム全開なのかと疑ってしまいましたが、実際はそうではなく、自由を求めるというよりは、経済活動は民意に任せた方がより良い方向に進むであろうと言う結論を持っていると思える。
彼は経済学マニアではなく、哲学を一通り取り入れて解説している。事に、ハイエクはドイツ人であるので、カントから続くヘーゲルの理論を用いて論述している。
また、共産主義からの脱却が出来たのは、レーガノミクスやサッチャー時代からであり、ほんの30年程度の出来事であって、資本帝国主義社会の異常発達がなされたと思ってもいいかもしれない。
彼の文章には時折断定的な物言いが見られるが、それは間違いであると言ってもいいかもしれない。その失敗・成功というのは今の段階からの歴史的視点であって、500年後からみたら間違いかもしれない。
そして、知識人からしたら正解かもしれないが、非知識人からしたらどうでもいいことかもしれない。
最後に、ジョブズと会ったことも無いのに否定するのは頂けないなと思いながら、現在の光の道の話しに繋がる、無線帯域の適正分配の件、インターネット万能論が展開されるが、ここを読むと2年前から何も変わっていないことが垣間見える。
最後の最後にこう書いてあるのが、面白かった。
「ここでもインターネットという魔物は地上に呼び出され、またたく間に世界を支配してしまったので、好むと好まざるとにかかわらず、後戻りは不可能である。」
ハイエクの自由秩序という考え方が恣意的にインターネットに取り込まれたことではないだろうが、インターネット=魔物という構図が、それだけ不確かだが、驚異的な成長力を人々は恐怖しているのかもしれない。
過去からSFで語られている通り、いずれ知の集合体であるインターネットは自我を持ち始め、我々に変わる新しい生命体になるかもしれない。つまり、我々が取ってきた自由秩序とは新しい生命を生み出すための行為なのかもしれない。
2度目の積読であったが、この書籍は時間を開けて数回読まないと真意を測ることは出来ない、少なくとも私はそう思った。 -
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アダムスミスから受け継がれる市場経済に立脚したハイエクの思想と、それと対峙した社会主義やケインズ主義を中心に主要な経済学思想との比較を論じている。当初は、異端であると考えられ評価されていなかったハイエクの自由主義的経済は、既に現在の米英的な資本主義経済を中心とした先進国経済の活動の中核的な理論となり主流となっている。また、フリードマンを中心としたシカゴ学派による定量的なアプローチによって経済学の前提は、自己の利益を最大限に追求する個人としての経済人であり、これが経済学を現実の社会から乖離されている。ハイエクはこうした経済人的な個人の前提を否定し、人間は常に合理的な判断をすることができないという立場をとっている。ハイエクのこの考え方は、現在の経済学のフロンティアであるとも言える行動経済学の出発点となっている。中央集権的に特定のプレーヤーによって管理される固定電話が、より自由であり自立的な存在であるインターネットによる脅威にさらされ、競争上の劣位にたたされているのは、ハイエクの唱える中央により管理の度合いの少ない自由経済であり、これこそが全体としての厚生を最大化するのである。
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地球温暖化について冒頭では真っ向から否定している(都市化のヒートアイランド現象によるものだとしている)のにもかかわらず、後半からいきなり地球温暖化が進んでいるという前提のもと解決策等を提示していた。これはつまり地球温暖化を少なからず否定はしていないということになるので、主張の一貫性が不安定な気がした。結局筆者はどちらの立場なのかがよくわからなかった。
筆者は終始さんざん地球温暖化の影響はほぼないと言い続けているが、結果今年2025年は野菜や果物等が暑さによって収穫不足になり、現にスーパーでも高いなと思うことがこの頃よくある。
個々のテーマにおける論は妥当で私も参考にはなった。ただ、p28にあるようにニューヨーク大学教授スティーブンクーニン氏がいうように、気候変動原因も影響もまだ正確にはわからないという主張に私はよっているかなと思う。 -
Posted by ブクログ
・資本主義の根本的矛盾
r>g 資本収益率>国民所得の成長率
資本収益率とは株式や債券や不動産などのすべての資産の平均収益率
つまり、資産家の儲けが国民の所得の伸びより大きく増えるので格差が拡大する
・グローバル資本課税(累進課税)
タックスヘイブンに所得が逃避してる
これをとめないと最上位層の所得が補足できず税制が崩壊する
これが世界の所得の10%を占める
・キリスト教やイスラム教で行われてきたのが金利の禁止。それを徹底したのがマルクスや社会主義者。私的所有権そのものを無くそうとした。
市場経済と所有権とは、資本家が労働者を支配する道具ではなく、無数の人々を命令なしに強調させる優れたシステムであり、それなしに経済は動かない。資本課税は、所有権を守りながら、r>gの生み出す格差を縮めようとするもの
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フリードリヒ・ハイエクは1899年生まれの経済学者で、1974年にノーベル経済学賞を受賞している(1992年に死去)。その主張のユニークさから、主流の経済学者からは無視され、知識人からは嘲笑されたという。
といって、彼の主張は別に奇異でもなんでもない。
その根幹は、いわゆる「新古典派」経済学に見られる理念的で純化された前提からではなく、「人間は不完全な知識のもとで、必ずしも合理的とは言えない慣習に従った行動をする」という、フツーに考えれば当たり前の事実から出発していることにある。
つまり、計画され、規制された社会(たとえば社会主義)はうまく機能しない。野放図では話にならないが、人々の自由を尊重する分散自律型の社会生成を妨げないことがベターな(ベストではないが)解であろうと説く。
著者は、ハイエクの出自やケインズとの対立、主張の骨格や変遷などをひもときながら、インターネット(分散自律)時代である現代、さらに未来へと進むためには、今こそハイエクに学ぶべきだという。
そして、日本の官僚機構のムダ、知的財産権の欺瞞、電波やインターネットを行政や大企業が主導しようとすることの見当外れ、派遣など労働者施策の間違いなどを指摘する(これらはいずれも、既得の権益構造が社会を恣意的に規定しようとするものだ)。氏がいつもブログで主張している中味だ。
こうして見るとこの本、近代経済学の概観、ハイエクを通した現代~未来の捉え方について勉強になるばかりではなく、池田氏の入門書としても好適、ということになるだろう。 -
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前著『戦後リベラルの終焉―なぜ左翼は社会を変えられなかったのか』(PHP新書)でも論じられていた丸山眞男について、思想家としての側面と思想史研究者としての側面の両方に目配りをしながら、その全体像を著者自身の観点からえがき出している本です。
安保闘争への丸山のかかわりを論じた第5章までは、おおむね丸山の思想形成のプロセスをたどりながら、「戦後民主主義」を代表する思想家となった丸山の時代へのコミットを批判的に検証しています。丸山の「夜店」としての仕事にかんする検証は、水谷三公『丸山真男―ある時代の肖像』(ちくま新書)がていねいな考察をおこなっていますが、本書も戦後民主主義という一時代のなかに丸山を位置づける試みとして、興味深く読みました。
第6章以降は、丸山の『講義録』にもとづいて、「本店」の仕事が論じられていますが、おおむね著者の読書ノートの域を出ていません。この方面に対する批判的検証は、多くのアカデミシャンによってなされており、本書の意義はそれほど大きなものではないと考えますが、もうすこし広い意味での「思想」のコンテクストのなかで本書の議論を位置づけると、山本七平の日本論との関係について言及されているところが注意を引きます。 -
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この本での主張は、次の通り。
・アベノミクスに実体はないが、国民に景気はよくなるかもと思わせる「偽薬効果」はあった。でも効果はもうすぐ切れる。
・不景気の結果、デフレになった。だから、デフレ脱却しても景気はよくならない
・日銀の黒田バズーカは無意味。ハイパーインフレの可能性を高めるのみ。
・不況を脱する方法は、雇用環境の自由化
本の中で、難しい経済指数、グラフを多用して、論理的に解説しています。
日本はもう、「焼け跡リセット」つまり、ハイパーインフレを起こして、財政赤字を無くすしかないのでは?と思ってしまいます。勿論、日本経済と国民生活はめちゃくちゃになりますが。 -
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朝日新聞の従軍慰安婦報道問題や、脱原発運動のおかしさのほか、古賀茂明や孫崎享らのメディアでの発言、大江健三郎や内田樹といった文化人の論考などをとりあげて、戦後民主主義の観念論的な立場が日本社会において変えられることのないまま残りつづけていることを、厳しく批判しています。さらに返す刀で、現在の自民党政権に対しても、将来の日本が直面する課題から目を背けている点では、戦後民主主義の陥っている問題からけっして無縁ではないと批判しています。
現代のリベラルな立場に立つ論者たちの迷走ぶりを批判することに終始しており、戦後民主主義を「敗者の戦後史」としてえがき出した本とはいいがたい内容だと思いました。ただ、戦後民主主義のオピニオン・リーダーと目されることもある丸山眞男の洞察にもとづいて戦後民主主義の不甲斐なさを批判するという本書の根幹のコンセプトじたいは、興味深く感じました。