池田信夫のレビュー一覧
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ネタバレ池田信夫さんの新著。
いわゆる「戦後リベラル」なるものの影響力の低下について論評している。池田さん自身、学生時代は左翼系の団体に所属していた。仲間4人が殺されたとかなり衝撃の事実も書かれている。就職でも朝日新聞から内定をもらっていることからも池田さん自身もある程度は左寄りであったということも言えるだろう。
まず第一章は、慰安婦報道や福島原発の吉田証言報道の問題で地盤沈下も激しい朝日新聞から始める。朝日新聞の主張こそが、戦後リベラルをある意味で代表するものでもあるからだ。慰安婦問題については池田さんもNHK時代に初めに持ち込みネタとして取材を行ったということで曰くつきでもあり、その分相変わらず舌鋒も鋭い。実際に朝日新聞の問題は、構造的な問題であると指摘する。それが多くの社員が分かっている中で変わることができないのは、メインの読者層である六十歳代に合わせて記事を書くとそうなるという。池田さんが非常勤で教えているクラスではここ三年は新聞を読んでいる生徒はゼロだったらしい。その意味でも朝日新聞の行動は営業方針としては正しいという。またメディアはしばしば信念などというものよりも売上げによって記事を作るようになるとのことで、それは戦前のメディアで正しくそうであったという。また逆に信念に基づいていないが故に、ここまで対応が遅れたというのが見立てだ。
第二章は、ニュースステーションで論議を起こした古賀茂明などの「平和主義」について。特に憲法九条について、平和について希求するのであれば、論点が異なるとの見解。憲法などではなく「空気」に支配される日本という国の特色について述べ、「みんながボトムアップの「空気」で決め、少数派を排除する日本は「危険な国」なのだ」と締める。後の章でも、この実質支配をしている空気を変えることは憲法を変えることよりも難しいという。
第三章はやや古く、軍隊ではなくメディアこそが商売のために戦争をあおったということ。これがその後の章にも続く。
第四章は原発について。朝日新聞が日本経済に最大のダメージを与えたのが、原発稼働阻止の雰囲気を作ったことだと批判する。「「原発ゼロ」を打ち出したときも「できるかできないか考えないでゼロにしよう」という主張だった」と半ばあきれ気味に振り返る。元々は地球温暖化などの関連もあり、原発推進派だったのを民主党に迎合したとまで言う。それもまた営業方針としては正しいとするも、記者の方もわかっていないわけではないとも指摘する。
第五章は、派遣社員問題で、章題が「労働者の地獄への道は善意で舗装されている」としている。厚労省と朝日新聞が手を組む正社員の保護がますます格差を拡大しているのだとほぼ正しく指摘している。
第六章は、進歩的文化人について。原発問題への反応について、柄谷行人、中沢新一、内田樹、大江健三郎などが劣化した進歩的文化人として個人攻撃される。
第七章は、政治について。ここで池田さんは、小沢の没落については、残念に思っていることがにじみ出ている。
小沢の『日本改造計画』に書かれた小さな政府と彼の政治力に期待していた。民主党のときにも思い知ったが、政治家が選挙で選ばれる以上、誰がなっても地元利益や特定団体やゼロリスクを志向して痛みのある政策を実行できない。
第八章は「戦後リベラル」について。丸山眞男を援用して、共産党・社会党などの没落について解説している。
第九章は、左翼の敗北について。池田さんはピケティの解説本も書いているが、この章ではピケティの格差問題の指摘について、日本では問題は別のところにあり、それは社会保障問題であり、年金と医療費と政府債務の問題だと指摘する。確かに『21世紀の資本』では、政府債務にも言及しているが、それほど深刻な問題と取られらていないふしもあった。また、年金についても現状のペイゴー方式の問題にも触れられていが解決可能な問題として扱われていた。日本では、問題は認識されながらも解決を後回しにする力学が働くため、崩壊しきってしまうまで解決されないようになっているといつもの主張をここでも繰り返している。
最後に、小さい政府を目指して、普通の国になるべきだという主張で締める。
朝日新聞の件があって、慰安婦、原発、労働問題、などこれまでの「リベラル」批判の総まとめという感じである。池田さんの主張を一通り理解できる本。
個人攻撃に関してはもう少し穏健な表現があろうかとは思うが、それもまた営業方針としては正しいのかもしれない。 -
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かの『21世紀の資本』の要点がこれでつかめたなどとはおよそ思わぬも、あれに挑もうという気力というか能力を持ち合わせていないので、これを選書した。先日読んだ水野和夫著『資本主義の終焉と歴史の危機』なり、現在読んでいる駒村康平著『日本の年金』なり、共通して資本主義社会における格差拡大のメカニズムが説かれている。こと日本に焦点を絞ると、いずれも非正規労働者の増加が所得格差の象徴として問題視されている。端的にまとめるには至らぬが、読み進めるほどにその事はさしたる問題ではないように思えてきた。先進国における貧困の概念をはき違えないようにしなくてはいけない。
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ハイエクは「自生的秩序」を重んじ、起源や根拠がよくわからなくても、大昔から淘汰されずに残ってきた伝統や習慣を尊重すべしと主張した。社会構造を一気に変革できると考えた合理主義には反対の立場だったという。
「自生的秩序」の考え方は、国家が上から押し付けるルールよりも、ローカルな人々に根付く「善」を重視するコミュニタリアニズムとの親和性も高いように思われる。
もともとはハイエクの経済思想について知りたくて本書を読んだわけだけど、経済思想そのものについては、実はそんなに詳しく書かれていない。むしろ、進化生物学やコンピュータ科学、言語哲学など、経済学や法哲学以外の分野とのアナロジーが多く、結局何が論点だったのか煙に巻かれたり。
ハイエクが考えたことの前提となる知識や時代背景などが説明されているという感じだろうか。
著者が格差社会についてさらっと触れた部分はあまりにも乱暴で、知識人として無責任に過ぎると思う(以下に引用)。
“日本の「格差社会論」のほとんどは、実証データにもどづかない情緒的なものだが、かりに格差が大きいとして、格差に反対する人たちは、いったいどうしろというのだろうか。”(p.164)
うーむ。ニヒリズム。 -
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対談に名作なし、は読書家の定評(?)だが、池田信夫ということで手に取ってみた。
対談のもう一方の相手の與那覇潤は、『中国化する日本』という本を書いた気鋭の歴史学者らしい。池田信夫も学者といえば学者なので、学者系の対談にあるようにやたらと文献が出てきて、あの本の中ではこう言われていた。あれはこう解釈することができる、といったような対談にありがちな流れになる。丸山眞男とかドゥルーズ、マックス・ウェーバー、サンデルも出てくるし、『失敗の本質』も出てくる。この辺りはある程度知識はあるので付いていけている気がするが、そもそも『中国化する日本』を読んでおくべきなのかもしれん。
副題に、「変わる世界、変わらない日本」とある。対談が行われた頃は、民主党政権への失望感が溢れ、原発問題やTPPや普天間の対応がぐだぐだになっていた頃。「決められない政治」が今以上に痛烈に批判されてもやむなしな状況であった。
この「決められない政治」は、明治維新や敗戦を生き延びて江戸時代以前から続く日本人の「古層」から来るものであるとする。つまり「空気」によって支配される共同体が、法=ルールベースの政治や経済の実現を阻んでいるとの見立てである。そのことが、グローバル化において、日本が必然的に地盤沈下していく理由の大きなひとつだとする。
もちろん、ある意味それはひとつの解釈だ。
西洋化も歴史上先行したというものでなくひとつの類型であり、中国もひとつの類型、そして日本もそのひとつだと。経済成長はこれまでの産業革命などの説明と違い、資本蓄積が進むと成長し、やがて止まり人口増加以上の成長が望めなくなるというルールに結局したがうのだというのが著者らの視点だ。
フランシス・フクヤマの『歴史の終わり』からタイトルを取ったということだが(歴史=世界史)、「日本史」(そういう意味で教科の日本史とはちょっと違う)はもはや終わるべきだがなかなか終わらない、というのがタイトルが寓意するものではないか。
結局、二人は意見が合っているのかいないか分からんかったな。対談ものは難しい。 -
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福島の事故以降、法律的根拠も科学的根拠もなく原発が止められ、再開もできない状況から本書は書き始められる。著者は、閉塞感といら立ちとともに、その原因が日本人の「空気」によって動くことだと批判する。
先行する研究事例である山本七平(『「空気」の研究』という著作もある)や丸山眞男、『失敗の本質』などを通して、いかに日本が特殊であり、それが日本の現状につながっていると主張している。原発の問題も、農業問題も、環境問題も、雇用問題も、すべからくなかなか前に進まないのは、日本において物事が「空気」によってしか動かないからだと説明する。
丸山の「古層」の概念を時に拡張し、その原因が島国であることを含む歴史的要素にあるという自説を滔々と述べている。
池田信夫氏のブログは欠かさず読んでいるので、その主張は違和感なく頭に入る。全体として正論だが、個々で受け入れられるのかはやはり疑問的だ。「政府が裁量的な介入から撤退して国内的な開放を進めることが日本を再建する道だろう」と結ぶが、状況はどうもそのようには進んではいないし、この本の通りだとすると進みそうもない。『失敗の本質』のころと何も変わっていないように感じる。そうであるとするならば、「空気」の構造はいっこうに変わらない、ということになる。そして、池田信夫はいつまでも同じことを言い続けることになるのだろうか。 -
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アベノミクスに対する徹底的な批判の書。
ブログで書かれていることを背景含めて著者の主張をまとめている。
確かになぜデフレから脱却するとよいのか分からない。実際にはまともに説明もされていない。円安も輸出産業にとってはよいことだが、一般にはよいことだけではない。インフレは、資産の目減りにつながる。
特に日銀の異次元緩和には批判的だ。ノーゲインでテールリスクを取りすぎていると。テールリスクは、実際には確率的にほとんど起りえないということではなく、リーマンショックを始めバブルがはじけるときのことを考えると必然であるように思う。
いずれにせよ、大きなリスクを抱えていると考えるのは正しいのだろうと思う。現時点で直接的な痛みがなく、その政策が原因かどうか不明だが、少しよくなっているようにも見えるから、何となく受け入れているが、危険なんだろう。
「幻想」と言えばそうだろう。ニューヨークで"Buy My Abenomics"と宣言してきたが、振り返ってこの政権の政策が最後の一押しとなったと記されないのだろうか。 -
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池田信夫・與那覇 潤共著。
2人の趣味で書いたでしょって感じの本。
多分1回じゃわからん。
日本史を西洋基準でなく、中国基準で見直しましょう。
それはシステム1(本能的な感情)とシステム2(抑制する機構)の存在で、システム1は全世界が持ってて、システム2は戦争しまくった西洋しかもっていないっていう考え方。
メモ
・約350年間(薬師の変から保元の乱)、「国家の首都で政治的理由による死刑が執行されなかった」期間としては世界最長。
・五十代十国の状態が宋という王朝によって統一されず、中国大陸が分裂したままだったとしたら、ヨーロッパと同じになったかもしれない。
・日本の実際の有罪率は世界平均だけど、検察が有罪・無罪を決めて裁判所はそれを追認するだけというように三権分立になってない。
・日本における反対運動[江戸化](独り占めはさせない)[中国化](法治よりも徳治)
・平和ということはそれ自体に重要な価値がある。
うん、これはもう一回読まんとわかりません。 -
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ネタバレ【ハイエク 知識社会の自由主義】
「はじめに」
●社会主義と新古典派経済学に共通する「合理主義」と「完全な知識」という前提に反対し続け、それらは死後15年以上経ち行動経済学の多くの実験で反証された。
●「不完全な知識にもとづいて生まれ、つねに進化を続ける秩序が、あらゆる合理的な計画をしのぐ」という予言を、インターネットは証明した。社会主義の不可能性を証明し、ケインズ政策や福祉国家も含めて、経済を「計画的」に運営する事は不可能であり有害である事を示した。
●21世紀が「知識社会」になるとすれば、不完全で不合理だということを明らかにしたハイエクの理論は、情報ネットワーク社会の秩序のあり方を考える基礎となるであろう
「第1章」
●人間の行動を認識論的なレベルで把握し、歴史を自由の拡大する過程ととられる進化論的な発想を持つ。メンガーの著書「原理」から影響を受けており、価値が生産費で決まるとする古典派経済学を批判し、それが消費者の「必要」から決まる。これは「限界効用の理論」として一般化。しかしそれは、価値が消費者の心理に依存する相対的なものだという主観主義だった。
「第2章」
●第1次大戦後、市場経済に人々が疑問を持ち始めたとき、自由放任の終焉を宣告したケインズが支持を受けたのは当然。世界は、私的利害と社会的利害がつねに一致するように天上から統治されているわけではない
●ケインズの貨幣論が理論的な矛盾を含むとハイエクは指摘。不況の原因は過少消費なので金利を引き下げれば貯蓄が減り、消費が増えるので不況から脱却できるとしたが、ハイエクは原因は過少消費でもないし、金融政策で是正できるものでもないとした
●金利を引き下げても生活者が過度にリスクを恐れて現金を保有する「流動性選好」があるから、長期金利は下がらないという。したがって、政府が公共事業で有効需要を創出する必要がある。というのが「一般理論」の構成
●ハイエクにとっては「市場の問題は長期的には市場が解決する」が、ケインズにとっては「長期的にはみんな死んでしまう」。
●後にケインズは不確実性を経済分析の中心においた。不確実性のもとでの主観的な意思決定を重視するのは、ハイエクの中心思想。ケインズはこの不確実性を政府の力で除去しようとし、ハイエクはおのずから調整されると考えた
「第3章」
●ある商品の価格を見て、それが自分の主観的な評価より安ければ買う。そうした需要と供給の相互作用によって商品の価値が決まり、企業は利潤を上げる。しかしこれが成り立つには財産権が必要であり、中央当局の計画で資源配分を決めることは不可能。これに対し、オスカー・ランゲは「価格には二つの機能がある。取引における交換比率、その商品の価値(影の価格)を示す機能。後者は企業内の部門間でつけられる「移転価格」のようなもので、実際に貨幣による取引は必要ではなく、あるプロジェクトの価値がコストより高いか低いかをみればよい、と反論
●社会主義失敗の最大の原因は「計算を行う前提となる目的関数を決められなかったこと」だ。経済全体の目的はいったいだれが決めればよいのだろうか。情報を所有するものが自分のために利用する事で、情報の効率的な完全利用が実現する
●理論の正当性を実験的な検証によって裏付けることはできないと主張したポパー。いかに多くの実験で検証しても、次の1回がそれで否定される可能性を排除できない。経験的事実から理論を「帰納」する手続きはありえないのだ、そして科学と非科学をわける基準として「反証可能性」を提唱した。
「第4章」
●理想的な状態が実現するかどうかは、社会の中で知識がどう分布し、どう流通するかという「知識の分業」に依存する。個人は断片的な知識しかもっていない。それが市場での相互作用によってどう伝わり、コーディネートされるかが経済的パフォーマンスを高める。問題は、個々の企業がどういう材料とどういう労働者どう使ってどういう商品をつくっているか、といった個人的知識である。
●人々が誰も経済全体についての知識を持っていないとき、異なる人々の心のなかにある知識の断片を欠どうして、全体を指揮する知識がないと意図的に実現できないような結果をもたらすには、どうすればいいか。誰も計画しなくても、個人の自発的な行動によって、一定の条件の下で、全体があたかも一つの計画で作られたかのように資源を配分することを示す必要がある
●完全な知識を持つという前提は成り立っていないにも関わらず、あたかもそれが成り立っているかのように経済が動いているのはなぜか、という問題。どこかの利用者の個人的知識が、市場の取引によって価格という一般的知識に翻訳されて市場に伝わるだけで、あたかも計画当局が「不足した金属を節約せよ」と命令したかのように、各企業が自発的に行動する
●現代の産業では新古典派が暗黙に想定する個人企業はほとんどなく、少数の大企業により寡占になっていることが多いが、それは規模の経済がある限り「完全競争」より生産の効率性という点では優れている。競争が完全か不完全かではなく、あるかないかが重要。
「第5章」
●もし全知全能の計画当局が永遠の未来を合理的に予想し、世界を正しく導くことができれば、自由は必要ない。
●自由の意味は、無知な人々が最大の選択肢をもち、いろいろな可能性を試すことが出来ることにある。このようにオプションを拡げることによて効率が高まることも多いが、それが目的ではなく、試行錯誤による進化の結果、生き残るのは適応した個体であって、絶対的な基準で「最適」な個体とはかぎらない
●進化によって「客観的知識」に近づくというポパーの理論を、ハイエクは批判した。われわれの社会が最適だという保証もなければ、それに近づいているという保証もない
●自由という言葉には、古来からある「他人の恣意的な意志による強制に服従しない」という消極的な自由(~からの自由)、と積極的な「~への自由」がある。ポジティブリストだと、それから外れた行動が全て禁止となる
●「自然発生的に出来た制度を維持し、起源や根拠のはっきりしないルールを守り、伝統や習慣を尊重せよ」という。いわば歴史の実験によって何度も有効性を検証されてきたのであり、個人の経験をはるかに超える価値があるから。「道徳のルールは、理性による結論ではない」というヒュームの意見にもある。
●習慣や言語は、多くの人々が使っているがゆえに自分も使うトートロジーになっている。
「第7章」
●大きな社会では、人々の利害は一致しないので、各自の行動が合成された結果は、誰も意図しなかった秩序を生み出す。全体主義や社会主義は、こうした意図せざる結果の法則を理解していない
●スミスもニュートン物理学に影響を受け、人間社会の秩序を決める法則を「分業」にした。
●古典力学モデルにかわってハイエクが構想したのが、進化の概念に基づく生物学モデル。経済システムでも、環境に適応した者が生き残ることによって非効率な個体が排除されるメカニズムが働くと考えられる。違いは経済行動にはルールが必要であるということ。
●もし経済システムの進化にはルールが必要とすると、何もしなければ自動的に秩序が成立するという無政府主義とはなりえない。
●自由を妨害している最大の要因は、煩雑な規制や政府の裁量的な介入なので、規制を撤廃してルールを明確化する制度設計こそ、自由な社会を実現するために重要。
●ルールの功利主義。効用を最大化するという目的には意味が無いが、人々の自由度を最大化するルールを設計することが、自由な社会を建設するためには重要。
●社会主義国の停滞がはっきりしたのは、資本蓄積が飽和し、製品が複雑化した1960年代からである。
●ハイエクが依拠したのは「集団淘汰」。集団同士が競争する場合、利他的な個体が多いと集団の効率が上がって競争に勝つという話。個体レベルでは、感染力を弱めて宿主を生かすことは利他的な行動だが、その結果、集団が最大化されて遺伝子の数も最大化。同様の集団レベルの競争は、社会的昆虫のコロニー等にも広く見られる。もちろん個体レベルの競争も機能しているので、淘汰は個体と集団の二つのレベルで行われている、これを「多レベル淘汰」という
「第8章」
●実際には、何のルールもないところには秩序が発生する事はない。経済システムでも社会主義国で国営企業の民営化が失敗した最大の原因は、70年以上も市場経済を知らなかった人々に「約束を守る」「他人のものは盗まない」などの常識が共有されていなかったから
●「実定法主義」においては、法律の正当性は国家主権にあり、国家は民主主義などの手続きによって主権者たる国民から負託された権力をもつと考えられる。法律も最初から意識的につくられた秩序ではなく、長い歴史の中で積み重ねられてきた慣習を条文にしたものだ。市民法の起源とされるローマ法も、最初から立法府が制定したものではなく、ローマ市民の契約についてのルールを文書にし、六世紀にユスティニアヌスによって「ローマ法大全」となったもの。ハイエクはこの主義を批判する
●英米法の伝統では、慣習や判例の積み重ねの上に成文法があると考える。デシスはノモスの上につくられる第二次的な秩序であって、その正当性は歴史的に積み重ねられてきた判例や慣習によって保証される。
●これらの国々では、法律が慣習法のパッチワークとして徐々に形成され、その解釈基準として実定法ができたので、立法と司法が分離し、またアメリカでは行政はもともと各州に分かれていたので、結果的に三権が分立するシステムができた
●利用できる資源の少ない、追いつき型近代化の局面では、大陸法型システムが機能する。乏しい資源を総動員しなければならないため。しかし、行政集権的な「開発主義」システムは、経済が成熟すると集権的な調整機能のオーバーヘッドが負担になり、さらに大きな負のショックが発生すると、コンセンサスによる調整では対応できないため、制御不能になる
●カール・ポラニーの説は、「市場原理主義」を指弾し、「市場と社会の調和」を唱える人々の論拠になっているが、実証的な証拠の無いものだ。
●伝統的には抑制すべき悪徳とされてきた利己心を積極的に認めたことが、近代西欧文明が他の文明圏に比べて飛躍的に大きな富を生み出す重要な原因だったことは間違いない。
●実験とは自然を「拷問にかけて自白させる」というロバート・ボイル
●財産権は産業革命をもたらした「知識の共有」というもうひとつのエンジンと矛盾する要因を含んでいた
●人類史上最大の革命は「定住革命」
「第9章」
●社会主義のような集権的な経済システムでは、必要な知識は官僚に集中するので、変化の激しい社会では、社会の全体像を知る事ができない。
●インターネットは不完全な知識しかないユーザーのもとでもそれなりに機能し、問題があれば後から直すという「進化的な」発想でできている。インターネットのルールはRFCと呼ばれており、ルールはつねに未完成で、多くの人々に修正されて発展するという。
●エリック・シュミット「ビジネスの世界ではインターネットが負ける方に賭けるな」というのが鉄則
●ハイエクが法秩序の原則として掲げたのは「任意のメンバーがそれぞれの目的を達成するチャンスをできるかぎり高めること」である。伝統の中から自然に進化するノモス。ノモスは慣習法のように多くの処理の中から生まれて来るが、ハイエクは伝統を絶対化するのではなく、自由を基準にして制度を評価し、自由を阻害する法は廃止すべきとする
●創造的なビジネスに於いては、、マーケティング・リサーチで市場をいくら分析しても答えはでない。きのうまで見た白鳥が白かったとしても、「全ての白鳥が白い」という法則は帰納できない。新しいデザインは前例の無い「ブラック・スワン」だから価値がある。日本的な「すりあわせ」による改良をいくら積み重ねても、画期的なイノベーションは生み出せない。
●遺伝的アルゴリズムのような突然変異を利用したメカニズム。労働・資本市場の改革で参入・退出を自由にし、局所解を脱却するような創造的破壊によって全体最適解をさがす -
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ネタバレ日本人の特質を、山本七平や丸山真男の論を活用しながら、歴史学・考古学・哲学などの知識を駆使して、解説した著作。
結論を言えば、日本人だけにしかない特質を、中国大陸から適度に離れた日本列島の距離感によって、民族の危機に陥るレベルの戦争を経験しなかったために「空気」に支配される日本人(日本列島に定住している人間という意味での)にしかない独特の特質を持つに至ったということ。「銃・病原菌・鉄」のジャレド・ダイヤモンドの文明論同様、地理的要因が日本人の特質を決定したということでしょう。
確かにこの理屈に則れば、信念・宗教的同一性・中央集権よりも関係性に重点をおく調和型社会などの日本ならではの特徴が説明できるとは、なるほどと思わせる理屈である。 -
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著者は元NHK職員で経済評論家。本書はこれからの日本企業がGoogleやfacebookのようなグローバルレベルのイノベーションを起こすための課題を提起している。アメリカ発の経済学・経営学の本とは違い、本書は日本の経営活動にフォーカスした内容であり納得感がある。「イノベーションとは”技術”よりも”ビジネスモデル”が本質である。日本は技術大国と言われるが、技術は手段に過ぎない。戦略たるすぐれたビジネスモデルがなければ世界的な成功はないよ。」と著者は言う。現在日本の社会人、これから社会にでる学生さんにおすすめ。日本は悲観することはないと思う。保有する高度先端技術、古き良き伝統工芸・文化、誇るべきサブカルチャーやカワイイカルチャーを戦略的に結合しおもてなしの和のこころを持って世界に向かえば、きっといける。こんなことができる国は他にはどこにもないのだから。
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Posted by ブクログ
丸山眞男、山本七平などを紐解き日本人を間を漂う「空気」について鋭く分析し、日本の政治や企業経営にバッサリと切り込む厳しい考察、ほとんどが既知の話ですが、池田氏の手に掛かるとその切れ味は名刀いや妖刀の如しです。
『あなたたちはいつまで下請けをやろうとするんですか。うちの社員があれも作ってくれ、これも作ってくれと言っているかもしれない。でも、なぜ「こちらには標準的なこのマイコンしかないから。このマイコンでお宅の製品を作ってくれ」と言えないんですか。』
これは、発注元の大手機械メーカーのトップがルネサスの経営陣にいったとされる言葉とのことで、池田氏は日本の下請けメーカーは外部との交渉で普遍的なプラットホームを構築するのが苦手と指摘している。某業界の多くの企業も全く同じ、試行錯誤はしているもののなかなか長期的に使用に耐えるものは難しい。。。 -
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ネタバレイノベーションが必要だといわれることが多いが、イノーベーションとは何かを教科書的に解説した良書。
内容は、8側面(+終章)からイノベーションを解説して、その具体例として様々な引用から後から考えると必然だったことが、実は当時はそうではなかったことを感じさせることが多い。技術が必ずしもイノーベーションを引き起こしていないことがよくわかる。
どうしてもIT関係の具体例が多くなるが、著者の博識からも経済学や経済理論、歴史的な事実等の引用も多く、単なる技術論、経営論だけではないと思う。しかし、同じような話が続くために、途中であきる人がいることもわかる。
イノベーションに関しての横断的な書籍は少ないので、難しい本ではないので読んでみてはいかがだろうか。