池田信夫のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
いつもブログを読んで勉強させてもらってる池田信夫氏の新著。
ハイエクといえば、一般的にはケインズに対置される存在の人物として理解されているのではないかと思います。
政府支出による有効需要創出を唱えたケインズに対して、サッチャーやレーガンによる「小さな政府」を志向した新自由主義思想の後ろ盾となったハイエク、というイメージがあるのではないかと。
そういうイメージで捉えると、昨今評判の悪い「市場原理主義者」の教祖みたいに思われてしまいそうですが、ハイエクの思想は決してそんな単純なものではない。
ハイエクの思想のうち、自分が最も共感するのは、人間の不完全性を認めた上で、理論で社会をコントロールしようとするあらゆる計画主義を否定している、という点です。
最適な経済を計画的に実現しようとする社会主義、国家が社会をあるべき姿に導くために個人を統御しようとするパターナリズム、これらは社会には「目指すべき目的」が存在することを前提としているわけですが、複雑な集合体である社会全体の「目的」を一意に決定することはナンセンスである。
それよりも、個人の「自由」な経済活動が最大限に発揮される状況を理想とすべきである、と。
そのことは「市場に委ねればあらゆることがうまくゆく」というような市場原理主義とは一線を画し、「自由」であること自体を重要視し、個人の自由度を最大化するルール作りを目指すもの、なのです。
…というのは自分の浅薄な理解に基づく要約ですが、池田氏の解説の語り口も相俟ってハイエクの思想はとても鮮やかさを感じさせるものなので読んでいて心地いい。
一方で、その深遠さを新書一冊読んだだけで真に理解できるものとも到底思えないのですが、その思想の一端に触れることで現在の社会・経済においてリアルタイムで起こっていることを見定めるためのスコープを持つためのヒントは得られたような気がします。 -
Posted by ブクログ
アダムスミスから受け継がれる市場経済に立脚したハイエクの思想と、それと対峙した社会主義やケインズ主義を中心に主要な経済学思想との比較を論じている。
当初は、異端であると考えられ評価されていなかったハイエクの自由主義的経済は、既に現在の米英的な資本主義経済を中心とした先進国経済の活動の中核的な理論となり主流となっている。
また、フリードマンを中心としたシカゴ学派による定量的なアプローチによって経済学の前提は、自己の利益を最大限に追求する個人としての経済人であり、これが経済学を現実の社会から乖離されている。ハイエクはこうした経済人的な個人の前提を否定し、人間は常に合理的な判断をすることができないという立場をとっている。ハイエクのこの考え方は、現在の経済学のフロンティアであるとも言える行動経済学の出発点となっている。
中央集権的に特定のプレーヤーによって管理される固定電話が、より自由であり自立的な存在であるインターネットによる脅威にさらされ、競争上の劣位にたたされているのは、ハイエクの唱える中央により管理の度合いの少ない自由経済であり、これこそが全体としての厚生を最大化するのである。 -
Posted by ブクログ
経済学の基本も学ぶことができる内容だった。
ハイエクの思想は、ウィーンに生まれたことで大陸の遺産を受け継ぎ、英米に移住することで新しい世界と交わってできた。市場経済を擁護し、歴史の進歩を信じる理論のようでありながら、近代の合理主義を否定し、人間の無知を前提に置く。
ハイエクはオーストリア学派に分類される。その創始者のメンガーは、価値が消費者の必要で決まると考え、その心理に依存する相対的なものと考えた。市場の機能を高く評価する点ではシカゴ学派がその伝統を受け継いでいるが、シカゴ学派が新古典派の均衡理論を取り入れているのに対して、オーストリア学派は人間の非合理的な行動を分析することに注目した。
ケインズの「一般理論」は、大恐慌という特殊な時代の不完全雇用の状態に対応した特殊な政策だった。戦後の経済学者は政府が経済を自由にコントロールできると考え、慢性的なインフレの原因となった。財政政策によって紙幣を増発すると、インフレになって労働者の実質賃金が下がるため、労働需要が増えることで失業は減るが、インフレを折り込んで賃上げを行うと、失業率は元の水準に戻った。1970年頃から、欧米で失業率も物価上昇も高止まりするスタグフレーションが広がったことで、ケインズ政策が見直された。1980年代以降、フリードマンの主張に近い通貨供給を安定させる金融政策をとると、一時的に失業率が急上昇したが、やがてインフレが終息し、ついで景気も回復した。
社会的効用を最大化しようとする新古典派の福祉経済学は、論理的に成り立たない。ハイエクは、自由度を最大化するようなルールが望ましいと考えた(ルールの功利主義)。ベンサムの功利主義も計画主義として批判した。
世界49か国の法体系と経済成長率を比べると、規制が少なく分権的な英米法型の方が、権限が官僚に集中している大陸法型より有意に高い。ただし、大陸法型の日本の戦後の成長率が高かったように、発展段階にも依存する。権限が行政に集中する大陸法型は、遅れて近代化を進める国が国力を総動員するには向いている。明治憲法の骨格を固める際に伊藤博文に大きな影響を与えたのは、日々転変する現実に即応するためには、君主の命令や議会の立法ではなく、官僚の裁量が最も適しているというプロイセンの法学者の国家観だった。
失業率は、雇用規制の強い国ほど統計的に高い相関関係がある。最低賃金の引き上げによって、雇用されている労働者の賃金は上がるが、賃金コストが上がるために労働需要が減り、失業率は上がる。 -
Posted by ブクログ
池田信夫さんの本は久しぶりに読んだ。著作自体も久しぶりなのではないだろうか。SNSやブログでの発言はずっと目にしているので、その主張には違和感はない。本書は、「戦後の政治史を追って、自民党が一貫して多数派に迎合するポピュリズムの党だったことを明らかにする」というものである。「財政や社会保障を考えるうちに、その根幹には日本の政治システムの欠陥があることに気づいた」からだという。その欠陥は結局は日本に蔓延する「無責任の体系」といっていい。
戦後の政治史を追った、ということだがざっくりと書くと、60年安保闘争などの結果による左翼による政治争点の矮小化、田中角栄が利益誘導のばら撒き政治のシステムを確立、小沢一郎の構想はよかったが政治的に挫折して結果として混乱を招いただけだった。小泉純一郎は問題によく切り込んだが、飯島・竹中を含む個人の一発芸でシステム化できなかった。安倍政権は憲法改正という目的は明確で、社会保障や財政再建などの長期的な政治課題には興味がない。アベノミクスは失敗する(した)。小泉進次郎には期待をしている、といったところだろうか。
トランプ氏が大統領戦に勝つ前の出版だが、その直前に行われた英国のEU脱退の国民投票の結果も踏まえて、ポピュリズムが世界に広がっているという。強い自民党もそのポピュリズムの広がりに軌を一にした流れにある。一人一票の多数決による選挙という論理で政治が決まるとき、政治のポピュリズム化と無責任化はその必然の帰結であるとも言えそうな結果が出ている。特に老齢化が進むと、老人に迎合して若者を犠牲にする政治、つまり「老人のための老人による老人のための政治」となる。これが、著者が社会保障を考えることが日本の政治を考えることになるという理由である。著者が問題視しているのは、投票者に占める割合が老人が多いため、老人に不利になる政策を実施しにくいことだ。特に自民党はその政策を体質上も取りえない。また、雇用規制の問題視についても同じような問題を含んでいる。既得権益者である正社員が損をするような政策を打つことができないということに尽きる。診療報酬や薬価の見直しが必要な医療費の問題も同じである。そして、自民党は常に受益者のための政党=ロビイストの集団、だったのだ。
現在最も大きな問題である社会保障は2030年ころには破綻すると予想されるという。2050年まで持たせるためには、支給額の42%カットか、保険料の35%引き上げをする必要があるという。社会保障がこの状態であるにも関わらず、選挙で社会保障が争点とならないのは、自民党も野党も無責任の体系の中にあることと関係がある。社会保障は自民党にとっては経済問題ではなく、政治問題になっていると指摘する。そして野党もここに手を入れず、憲法などの当り障りのない問題を言うに留まっている。この点で、自民党も野党も国家財政にただ乗りする無責任の党であることに変わりない。さらに選挙のときにしか投票を行わない民衆は結果に責任を持たない。したがって、民の声が大きくなると、ものごとがゆがんでくる。政治が劣化してくる。丸山眞男が批判した「無責任の体系」は今も存在し、しかもますますその体系は強固になっているように思われる。
池田氏は、このような状況は野党にとってチャンスでもあるのではないかという。負担の分担をどのように実現するかという政策に思い切って踏み込んで、小さな政府の実現などに向けて集中すれば対抗することはできるのではないかと。著者は、最近は民主党党首の蓮舫氏の国籍問題の追及が異常に手厳しいが、よほど彼女の姿勢が嫌いなのだろう。自民党安倍政権が強くなる中で、彼女では池田さんの危惧を決して抑えることができないという焦りを持っているからなのかもしれない。もちろん本書でも批判する野党的「ポピュリズム」を具現しているのが、蓮舫氏であるとも言えるからであろう。
結局、雇用含めて自由化し、消費税増税含めて財政を健全化するべし、アベノミクスは失敗するので、いつか破綻する。一度、破綻するべきなのではないか。いつもの主張は当然ながら変わらない池田さんだったかと。ただ、自分が生きている可能性が高い間に社会保障制度は破綻すると思って行動した方がいいんだろうなと思う。言いながら何もしないところもまた日本的ではあるのだけれども。 -
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マルクスの『資本論』や『経済学批判要綱』を、現代のグローバル資本主義に対する優れた分析として読みなおし、修正を加えるとともに、マルクスの提出したアソシエーションはグローバル資本主義に対峙するための有効な処方箋とはならないとしてこれを退け、将来の世界経済および日本社会について考察を展開している本です。
著者自身が「はじめに」で「本書の理論的コアになるのは第一章の後半の企業理論(不完備契約理論)だ」と語っています。ここで著者は、労働者が窮乏化するというマルクスの予想が外れたと断じ、オリバー・ハートの指摘に従って、資本家と労働者の間の権力の配分メカニズムに資本主義のもっとも大きな問題が存するという主張を展開します。
第2章以降は、現代の経済史に関する研究を参照しながら、本源的蓄積論を含むマルクスの議論の誤りを明らかにしています。ここでは、ヨーロッパでは労働節約的なイノベーションが起こったのに対して、日本を含むアジアでは労働力が余っているために産業が成長せず「貧困の罠」に陥ったとして、いわゆる日本型経営論で評価されていた「勤勉革命」の否定的側面について考察しています。これは、グローバル経済が進展する中で現在の日本が陥っている問題にもつながっていることが明らかにされます。
その他、ウェーバーの『プロテスタンティズムと資本主義の精神』を批判の俎上に載せながら、キリスト教によって法の支配という普遍主義的な秩序がヨーロッパにもたらされたことが、資本主義の成立に影響を与えたと論じられています。
たいへん興味深く示唆的な内容を含んでいますが、マルクス解釈や経済史についての詳細な議論は省略されています。著者自身も、「まえがき」でそのことを述べており、読者がみずから参考文献に当たって検討することを求めているようなので、本書を足がかりにして勉強を進めてみてもよいかもしれません。 -
Posted by ブクログ
官民問わず意思決定不全による失敗を繰り返してきた日本の歴史を神話や古事記の時代から振り返り、丸山真男や山本七平といった過去の学者や思想家による論考も引用・解釈しつつ、「空気」という概念を軸に問題の本質を明らかにした集大成的な日本人論。
著者は、日本が地政学的な特性によって、歴史的に外部からの侵略をあまり受けることなく技術や文化の吸収に成功した一方、農村共同体に端を発するボトムアップ型利害調整メカニズムも時代を越えて温存されてきたため、国や企業がタコツボ型・部分最適思考に陥り、責任の所在が曖昧な「空気」による意思決定が今日もまだ横行していると主張する。
その解決策として、著者の持論である自由主義経済に基づく労働人口の流動性向上といったマクロ的施策も提案されるが、「空気」の存在自体を否定できないならば、個人として「空気」を変える、或いは新たな「空気」を“つくる”にはどうすべきかといった点も踏み込んで考えてみたいと感じた。組織や社会の「空気」と戦う準備として読む価値がある一冊。