【感想・ネタバレ】原発「危険神話」の崩壊のレビュー

あらすじ

福島第一原子力発電所の事故は、それまでの「安全神話」を打ち砕いただけでなく、炉心溶融が起こると数万人が死ぬといった「危険神話」をも崩壊させた。放射能の健康被害は、予想よりも小さく、チェルノブイリ事故とは明らかに違った。震災後、マスメディアもネットメディアも放射線の危険を誇大に報じ、多くの人が「リスクゼロ」を求めた。しかし、科学的知見によれば、「100ミリシーベルト以下の健康被害は0.35%以下」であることは確実にいえるという。また、発癌リスクを問題視するなら、喫煙や塩分の取りすぎや飲酒も危険であり、さらに携帯電話や日焼けサロンも危ないとの報告もある。同時に、著者はメディアが煽った「脱原発か否か」の議論も愚問だと斬って捨てる。問題は特定の資源の是非ではなく、市場で多様なエネルギーを柔軟に組み替える必要があると説く。メディアと知識人を名指しで批判した、闘う経済学者の勇気ある言論である。

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Posted by ブクログ

ほとんど全てに同感する。
原発再稼働に関する議論でいまだに正義の味方っぽい口調で「安全は保証されたのでしょうか?」 などとコメントしている連中には、科学的論理的な反論は全く出来ないだろう。

ちょっと心配なのは、あまりにも筆者の論敵にたいする攻撃が容赦なさすぎるので、打ち負かされた人々は、沈黙を守れればいいほうで、多くは論理をすり替えたり言葉尻をとらえたりして何とか一言反論したくなるだろう。建設的な議論にはなりそうにない。

それにしても、物事の本質をシンプルにとらえ巧みな比喩に表現する能力は素晴らしいと感じる。
88ページには、朝日新聞の編集長が脱原発についてのコメントを紹介している。すなわち、①原発をやめるべきか②原発をやめることができるか、という問いに対して、通常は②→①と考えるが、今はまず①について覚悟を決めて、②が突きつける課題に挑むべきだと宣言しているらしい。
これを、①戦争をやるべきか②戦争に勝つことができるか、という日米開戦前夜の設問に置き換え、英米に勝てるかどうかを考える前にまず鬼畜米英を放置しておいてはならぬという覚悟を決めろと迫るレトリックと同一だと指摘する。確かに同じだ。
戦時中に過激に戦意高揚記事を書き、最後まで本土決戦を強硬に主張し、敗戦が決まると一転して「平和国家を確立せん」という社説を掲げ、70年代には原発推進キャンペーンを張り、今回の原発事故が起こると「原発ゼロキャンペーン」を張る朝日新聞。本質的な主義主張ではなく、強者(軍部やGHQや、今は読者=大衆)への迎合と現実離れした理想論。なぜこんな幼稚な新聞が日本で一番売れ続けているのかますます不思議がつのる。
今話題の小沢一郎も、これの同類だろうか。実は本質的な国家観は二の次で、結構変節する。その時々の大衆に迎合しながら大衆をリードしているように見せかける。
更に言えば、こんなのが受けてしまう日本というのは全体主義に陥りやすい国民性だといえるのではないだろうか。実は右翼でも左翼でも同じで、本質的な議論をすっ飛ばしてムードに乗ってしまう。本書でも繰り返し指摘された「空気」というのは恐ろしいものである。

最後に、本書のタイトルにも感心した。原発が危険だ危険だというマスコミや世論は、ほとんど神話の世界に入っている。もっとも神話という表現はまだ麗しさが漂うが、現実は魔女狩りか異端審問がはびこる全体主義に侵されているということを知らせれ暗澹とさせられる本だった。5つ星。

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2012年05月27日

Posted by ブクログ

ブログなどで過激な発言で有名な池田信夫氏が原発を含むエネルギー政策についての自説をまとめた本。

今回の事故ではこの程度で済んだけど、「安全神話」が崩れた今となっては次の事故が発生する可能性があることは否めず、そのときにはどういう甚大な影響があるか分からない、というのが反原発の主張だろう。著者は、福島によって原発の「安全神話」が崩壊したことは自明だが、一方メルトダウンを起こすと数多くの人命と健康が失われて取り返しのつかないことになるのだという「危険神話」も同時に崩壊した、と主張する。この「危険神話」が崩壊したという認識の上で改めて原発の是非を考えないといけないと問題提起をしている。もっと端的に言うと、原発廃止なんて言ってるやつは論理的に物事が考えられない馬鹿だと言っている本である(たぶん)。

特に微量放射線の影響を過大視してしまっているのは、原発周辺住民のためにもならず、逆に苦しめる結果になっていると言う。LNT仮説(100ミリシーベルト以下の)に対する評価が分かれ道でもあるのだが、微量放射線が健康に影響があったと証明された研究結果はなく、あっても統計的に有意に検知できないレベルのものであるとされている。微量放射線の影響と一度に多量に浴びる放射線の人体に与える影響の違いを、45℃の湯と熱湯の例にたとえたのは、比喩でありそのまま当てはめて正しいとするのは危険だが分かりやすい例えだ。慎重な判断が求められる件ではあるが、問題は原発や放射能のリスクを喧伝することが、必ずしも福島の現地の人たちのメリットになっていないどころか、不利益になっているのではないかという点だと思われる。

エネルギー政策については、3つのE(Energy、Economy、Environment)のバランスを最適化する連立方程式の解を求めることであり、「絶対の安全」などというありもしないものを求めるべきではないのだとする。原子力だけでなく、火力も水力も太陽光もすべて経済と生命のトレードオフで動いている。火力発電の方が危険度が高いため、原発を止めることによって、却って人命が失われるとの主張は、藤沢数希の『「反原発」の不都合な真実』の内容と同じだ。不経済な自然エネルギーの傾倒とともに日本経済への悪影響を懸念している。原発再開の発電単価を考える場合、サンクコストについて考慮することが必要となる。止めたからといって今まで投資したお金が戻ってくることはないのだ。

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藤沢数希氏は先に挙げた『「反原発」の不都合な真実』の中で原発の問題は「倫理の問題」だと言ったが、池田氏に言わせるとNIMBY症候群(Not In My Back-Yard)の問題なのだという。身も蓋もない。

池田氏は仮想敵を作って論破している点があるのは否めず、反原発にもそれほど極端なものは多数派ではないように思える。政府も極端な反原発から経済環境も考慮した中庸の政策に移行しようとしているように思える。地震大国である日本に原発は向いていないという面もあるが、一方多くの知見と省察を得ることとなったのだから、原発も含めたエネルギーポートフォリオを検討し、将来に向けた原子力利用の研究開発も続けるというのが合理的な態度なのかもしれない。

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2012年04月30日

Posted by ブクログ

ネタバレ

本文より
『科学に限界があるというのは原発事故で初めてわかったことではないが、その代わりに人々の実感や安心などの感情に依拠することは、さらに大きな混乱をもたらす。 科学の限界を自覚しながら、論理と事実にもとづいて考えるしか、現在の危機を収拾する道はない。 われわれは安全神話に安住するのでもなく、危険神話におびえるのでもなく、科学技術という厄介なものと共存してゆくしかないのである。』

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2012年03月02日

Posted by ブクログ

評価:★★★★★(5/5)
著者によれば、今回の福島の事故において、2つの神話が壊れたという。

安全神話:最悪の事態でも炉心溶融は起こらない
危険神話:炉心溶融が起こると数万人が死ぬ

前者についてはなじみ深いだろう。しかしこの本は後者についてもしっかりと触れてある。

盛り上がる反原発運動にたいして冷静に情報を与えてくれる。

反原発や脱原発、そして原発推進・肯定・・・などなど様々な考えの人がいると思う。
また、雰囲気に流されて(山本七平のいうような「空気」に流されて)いる人も多いのではないだろうか?
『原発は危険だからやめておいた方がいい。けどよく知らない』といった具合で。

たしかに今の世で、反原発熱は高まったように思えるけども、この本に書いてあることを、しっかりと読み直して、あらためて何を反対しているのか、何に対して反対しているのかを考え直してみるのも良いと思う。

もちろん、この本の情報を鵜呑みにすると言うのではなくて、他の本と併せて読んで考えてみればよいと思う。

僕にとっては、最近の反原発・脱原発(運動)は、なにやら異様な正義感のようなものが振り回されているような気がしてならなかったので、ちょうど良い本だった。

残念なことに終章の2つ『第7章 電力自由化への道』と『第8章 合理的なエネルギー戦略』については頭がついていかなかったが、それまでの章は楽しめた。

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【目次】
第1章 安全神話と危険神話
第2章 放射能はどこまで怖いのか
第3章 危険神話はなぜ生まれたのか
第4章 「空気」の支配
第5章 「リスクゼロ」を求める人々
第6章 「自然エネルギー」の幻想
第7章 電力自由化への道
第8章 合理的なエネルギー戦略
おわりに
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2012年02月23日

Posted by ブクログ

なんだろう。この本は、「原発の安全神話」が崩壊したことは、周知のことだ。そして、「原発の危険神話」が崩壊したと続けて言う。つまり、放射能を必要以上に怖がるなと言いたいようだ。

池田信夫は1978年にNHKに入局し、15年間報道番組の制作に携わった。この経験から、「メディアは科学的な事実よりも、視聴者の感情や『空気』に流されやすい」という強い批判精神を持っている。原発事故後の報道に対しても、「放射能の恐怖を煽ることで視聴率や注目を集めるメディアの構造」が、科学的な冷静さを失わせていると指摘している。

最大の被害をもたらしたのは、原発ではないと言い切る。なぜ?
福島の原発事故によって、放射能で死んだ人は一人もいないとされている。本当?
国際放射線防護委員会(ICRP)などの基準で見ても、福島の避難区域の多くは、健康被害が出るレベル(100mSv/年など)を大きく下回っている。だから、避難する必要はなかった?それは無駄な費用だった。除染する必要もないのだという。

喫煙や野菜不足などの生活習慣のリスクに比べ、現在の福島での放射線リスクは無視できるほど小さい。つまり、風評被害を作り出したのは、マスコミだ?
果ては、原子力発電所は、「原電」と呼ばれていた。70年代に原子力発電所を「原発」と呼ぶようになり、「原爆」を連想させるからだという。ここまで言うのか?

池田信夫の意図は、「不合理な感情による、巨大な社会的コストの浪費」への警告だという。
原発を止めることで火力発電が増え、燃料費として毎年数兆円が海外に流出していることは、日本の経済的な損失だという。
東日本大震災と原発事故によっての震災関連死は、福島県内では2,000人以上が亡くなっている。
「放射線から逃げるための避難」によって多くの高齢者が命を落とした。事故直後の混乱期には避難は不可避だが、線量が十分に低い地域まで長期にわたって避難を継続させ、帰還を遅らせたことは、公衆衛生上の「失敗」であったと指摘している。

池田信夫の言っている「命に関わりがない=危険でない」と言えるのか?
科学的には「年間100mSv以下の被曝で発がん率が有意に上がる証拠はない」ため、身体的には「危険ではない」ということのようだ。
つまり、故郷を追われ、コミュニティが壊れ、風評被害に晒されることは、住民の人生にとって間違いなく「危険(有害)」な事態であり、そのことで関連『死』が起こった。
池田氏の論調は、身体を守るための行動が、結果として「社会的な命(人生)」を破壊してしまったのではないかという指摘なのだ。

池田信夫が強調するのは、「ゼロリスクという幻想のために、目に見える巨額の損失を許容するのは合理的ではない」という点である。

国際放射線防護委員会(ICRP)などの公的機関が、LNT(Linear No-Threshold )仮説を「放射線防護の基準」として採用している。日本もこれを採用している。これは「リスクを低く見積もって被害を出すよりは、厳しめに管理した方が安全である」という予防的原則に基づいている。
LNT仮説とは、被ばく量が増えれば、リスクも一定の割合で直線的に増える。「ここまでは安全」という境目(しきい値)がなく、理論上は0.1ミリシーベルトでもそれ相応のリスクがあるとみなす。
池田信夫は、日本がLNT仮説をとっていることを批判する。
LNT仮説は「あくまで管理のための仮定」であるはずが、いつの間にか「科学的事実」として扱われている。

LNT仮説は、DNAが損傷を受けたらそのままがん化のリスクになるという単純なモデルである。人間の持つ生物学的な修復メカニズムを無視しているとする。微量な損傷であれば、細胞が自ら修復する。修復不能な細胞を自ら除去する。異常な細胞を排除することから、「微量な放射線ならこれらの修復機能が追いつくため、リスクはゼロか極めて低い(しきい値が存在する)」という。

次に、放射線ホルミシス効果があるという。「少量の毒はむしろ刺激になり、体に良い影響を与える」という考え方(ホルミシス)で、低線量の放射線を浴びることで、むしろ細胞の活性化や免疫力の向上が見られるという。ラドン温泉がそのいい例である。LNT仮説の元データは、主に広島・長崎の被爆者調査。しかし、統計的に有意なリスクの上昇が確認されているのは、およそ 100ミリシーベルト以上 の被ばくからであるとする。それ以下の低線量(例えば10ミリシーベルトなど)では、生活習慣(タバコや食事)によるリスクに埋もれてしまい、実際に放射線でがんが増えたという明確な証拠は見つかっていないとする。

LNT仮説が使われ続けているのは、「安全側に立ってルールを決めるには、これが一番シンプルで管理しやすいから」という行政上の理由からである。「科学的な正確さ」と「行政的な安全管理」のギャップが、LNT仮説をめぐる論争の本質となっている。

さらに、池田信夫は、除染は必要なのか?を問いかける。除染特別措置法では、「事故による追加被曝線量が年間1ミリシーベルト以下となることを目指す」とし、その後20ミリシーベルトに引き上げられた。池田信夫は、年間100ミリシーベルトでも、発がん性の増加はみられない。だから、無意味な除染を行うのは、安心の名による税金の浪費であるという。

池田信夫は、「科学的に低線量被曝に危険性はなくても子供が心配だ」と言って「リスクゼロ」を求める放射能ママと似ていると言う。武田邦彦の「年間1ミリシーベルト以上はすべて危険だから除染しろ」「福島産の農産物は食べるな」と放射能デマを撒き散らしたと批判する。

軽度の放射能という科学的に見て極めて低いリスクを避けるために、年間数兆円を失い、関連死で多くの命を失うのは、経済学者から見れば「最悪の選択」だという。対して、反対派は「命や環境のリスクは金額に換算できない」という立場をとっており、「経済的合理性の損得勘定」と「放射能被曝の安全保障」が平行線をたどっている。

そして、一番重要なことは、原発をやめて、果たして再生可能な自然エネルギーで、電力を賄えるのか?太陽光にしても、風力発電にしても、その経済合理性と効率性は、高い電力になってしまうのではないかという指摘だ。

池田信夫にとって、原発問題は単なるエネルギーの問題ではなく、「日本人は論理(ロゴス)で動くのか、感情(パトス)で動くのか」という文明論的な問いをしている。「感情に流されて国を滅ぼすな」という主張の原動力となっている。

ある意味では、私は、この間原発はゼロにすべきだという本をたくさん読んでいたので、全く違った角度からの提起に対して、意外感を持って読んだ。2012年の時点での本であるので、2026年になって、この本のその後を読んでみたいものだ。

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2026年03月02日

Posted by ブクログ

原発に反対するわけでもなく、推進するわけでもなく、色々あるエネルギーの選択肢を、あくまで冷静に分析してみようとする本。
内容の軸にあるのは、冷静に分析した時のコスト比較では原発が有利、なので再稼働すべき、という論調です。

出されているデータが正しいものだと仮定して、書いてあることは非常によく理解できます。
火力と比べて原子力のほうがトータルリスクは低い、と。
「明確に有害である部分がわかる火力」と「有害か無害かよくわからない(けど害は低いんじゃない?ってデータがかなりある)」を見比べた時に、やはり問題なのは「よくわからない」部分でしょうね。
ここはどうしても感情が入ってしまう部分になります。
なので著者が求める再稼働の方向性には、なかなか政府も世論も導かれないものと推測します。

とはいえ、原子力に限らず、冷静に分析すべし、という姿勢は、この本から多く学ぶことができました。そのため★4つです。

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2012年09月09日

Posted by ブクログ

2012/07/09
Yes. I totally agree with this.
Think competitively risk and return.
This book gave me a lot of knowledge.

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2012年07月11日

Posted by ブクログ

リスク評価について整理して考えることができる。誰が正義で誰が悪と決めることでは解決しない問題だと痛感。

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2012年05月20日

Posted by ブクログ

啓蒙的な合理主義の限界を指摘したのは、『啓蒙の弁証法』でおなじみのアドルノとホルクハイマー。啓蒙は神話とは異なり、テクノロジーによって自然を改造し、大きな富をもたらしたが、それは啓蒙を真っ向から否定するファシズムを生み出した。反原発運動がファシズムと類似しているのは、科学的なデータにもとづいて放射能の被害はないと示す者を「御用学者」として否定し、「正義か悪か」を判断基準にするような呪術的思考なのだ。

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2012年02月22日

Posted by ブクログ

低線量被曝が体にいいのか悪いのか、諸説ありますが、高線量で人が死ぬのは事実。怖いのは、それが目に見えず匂いもしないからで、かつ、本当に明快な知見もないという点で他のリスクとは随分違うと思っています。そこを差し引いて、他のリスクと同様に論じるべきではないと思います。人がそもそも合理的でないのだから、合理的な議論なんてないのだ、なんていうと、著者さん呆れるよね、きっと。いろいろな人がいるのだという本。

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2012年07月09日

Posted by ブクログ

東大出身で,某私立大学教授の人気ブロガーによる原発事故関連本.人気があるのもうなづける内容だと思ったが,個人的に同意できる部分とできない部分がはっきり別れた内容だったので★は3つとした.
例えば,「チェルノブイリ事故の直接の犠牲者として確認されたのは,事故から25年たった現在でも62人」,「プラント事故としては,飛び抜けて大きい規模ではない」と,ものは書きよう,考えようである.その通りという部分と首を傾げる文章が混在していたが,その振れ幅が
大きかった.4章,6章、7章の論旨は賛同できたが,前半の内容を考えると釈然としない感じもした..
児玉龍彦先生のチェルノブイリで膀胱癌が増えたは間違いとのことであるが,不勉強の人間には理由がわからないのでその理由を示して欲しかった.その他にも同様に感じた部分があった.
様々な考えがあることを理解できるが,比較にならないものを比較したり,すり替えがあったり,納得はできないものが多々あったのも事実.
「小児甲状腺癌はありふれた病気」という記載には,小児科医としては釣られたいところ(苦笑).
安冨先生の東大話法と合わせて読むと違った視点で読めるかもしれない.

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2012年06月10日

Posted by ブクログ

 福一事故では,原発の「安全神話」が否定されたと言うよりむしろ「危険神話」が否定されたのだという話。著者はツイッター上では不用意な発言が多く,震災から間がないころはほとんどデマ拡散者だったが,さすがに書籍になるとそういうのは刈り込まれてまともになってる。原発の危険を否定するわけではなく,リスクを他と比較して費用対効果で判断すべきという姿勢は他の論者と同様。ただ前科(?)があるから一応眉に唾をつけながら読んでみた。まあまあいいんじゃない?
 武田教授や自由報道協会など,放射能の危険性を過大視する人々のダメさを批判してる。「宮台真司氏は福島事故のあと、ツイッターで放射能デマを拡散して批判を浴びたが」とか書いてるけど(p.131),自分はどうなの?と思ってしまうな,やはり。
「自由報道協会は記者クラブを批判しているが、新聞記者がこんな(岩上氏の奇形児スクープ発言)報道をしたら懲戒処分だ。組織は情報の品質管理を行なう意味もあるのだ。」(p.111)というのは確かにそうなんだろうと思う。自由報道協会のジャーナリストは自由すぎる。
 まともなことを結構言っているが,気になるとこも。菅さんが事故直後の海水注入を「再臨界の恐れがある」として止めようとしたこと(p.23)は,『メルトダウン』で否定されていたし,WHOの報告に言及して携帯電話の健康被害を強調するとこ(p.67)は,ちょっとダブルスタンダードでは。
 朝日新聞の連載「プロメテウスの罠」,TL上で話題になってたことがあって,実家に行ったときに読んだりもしたんだけど,それで随分と不誠実な記事もあったのは驚いた。町田市で子供が鼻血を出した原因が放射能であるみたいに印象付けたりとか,それはちとひどいなあ。
 これってホントかな?
「原子力発電所はかつては『原電』と呼ばれていたが、70年代に全国各地で運転差し止め訴訟が起こされたころから、反対派が『原発』と略すようになった。これはゲンパツという語感がゲンバクと似ていることから、その危険性を強調するため」p.41
 この本,情報の典拠がほとんど書いてない。新書ではそういうものかもしれないけど,この著者だけにちょっと頭から信用するのは考えものかも。藤原数希『「脱原発」の不都合な真実』ではその点充実してたな。本名かそうでないかの差かもだけど,池田氏の場合逆効果w
 まあそれでもこれまで読んできた信頼できる情報との矛盾はあまり感じられず,すんなりくる内容。「放射能ママが恐怖を抱いて、ガイガーカウンターで計測して回るのも自由だが、行政がそれに迎合して過剰な安全基準を決めると、巨額の賠償や除染が税負担になる。コストを考えないでリスクゼロを求める人々は、多くの納税者にコストを転嫁するフリーライダーなのだ。」(p.114)っていうのはまさにその通り。去年の運動会問題ではほんとに痛感したんだった。今年は屋外でできるかなぁ?
togetter.com/li/161267

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2012年04月01日

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