藤原正彦のレビュー一覧
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藤原さんの国語教育重視の考え方に賛同しているワタシ。今回は久しぶりにその流れの一冊を。
藤原さんの小学校の恩師(!)である安野さんとの対談形式で進むこの本のいいところは、「今の若いもんは…」的な嘆き調になっていないこと。だから、読んでいて反発を覚えるどころか、やっぱり日本人としては日本語を誇り、日本語、しかも文語を読まなきゃ、という気にさせてくれる。
内田樹さんも指摘している通り、母語のほかに英語をマスターしないと職につけないなどという状況もなく、日本語さえ使えれば何とかなってしまう。この環境に感謝しつつ、文語にも目を向けることにしよう。 -
Posted by ブクログ
2000年から2003年にかけて新聞や文芸誌に書いた
エッセイをまとめた一冊。
毎回思うが、藤原さんは本当に文章がうまい。
本書は「国語教育絶対論」「いじわるにも程がある」
「満州再訪記」の三部構成。
「国語教育絶対論」は、まさにその通り!激しく
同感の内容。
"小学校における教科間の重要度は、一に国語、
二に国語、三、四がなくて五に算数、あとは
十以下なのである。"
この時点で藤原さんが憂慮していて事態は、さらに
悪化している気がする。
「いじわるにも程がある」は、「国語…」からガラッと
変わって家族を登場させたユーモアたっぷりのエッセイ。
それも、解説を書いている齋藤孝さんご指摘のとおり、
知的なユーモア。
家族愛も同時に感じられて、読みながらつい笑顔が出て
しまった。
「満州再訪記」は、藤原さんが自分の出生の地である
満州を、母親、妻、息子達と訪ねた旅行記。
ちょうどいい間隔で史実をはさみながら綴ったこの
旅行記は秀逸。日本が満州で何をしていたのか、戦争
直後の引き揚げがどんなに過酷なものだったのかが
よく分かる。敷居の高い歴史書を読むより、この旅行記
を読んだ方が間違いなくためになる。 -
Posted by ブクログ
明治から戦後にかけての歴史を振り返りながら、日本の美徳について書かれた本。著者の発言は正しいと思う。真実をわかりやすく述べている。私にとって新しい発見は少なかったが、多くの人が読むべき本だと思った。印象的な箇所を記す。
「国家が謝罪するなどということは、私の知る限り日本だけです。それは自国の立場を弱くし、自国への誇りを傷つけるからです。そしてなにより、もはや弁護できない私たちの父祖を否定し冒涜することになるからです」p54
「(戦後の言論統制について)終戦のずっと以前から練りに練っていたウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP:戦争についての罪の意識を植え付ける宣伝計画)に基づいたものでした。自由と民主主義の旗手を自任するアメリカが、戦争責任の一切を日本とりわけ軍部にかぶせるため、日本人の言論の自由を封殺するという挙に出たのです」p66
「国際法は当時、文明国相互の間にのみ適用されるものであり、この国際法を適用するまでの文明の成熟度を有さない国家には適用されなかった。韓国併合は英米をはじめとする列強に認められている以上、違法とは言えない」p135
「(米国で)黒人に普通選挙権が与えられたのは1965年です。私がアメリカに渡った1972年になっても、長距離バスでは自然に白人が前、黒人が後ろとなっていました」p181
「アメリカでは1830年代にジャクソン大統領が議会で「インディアンは白人と共存し得ない。野蛮人で劣等民族のインディアンはすべて滅ぼされるべきである」と演説しました。40年代には「マニフェスト・デスティニー(明白なる天命)」というスローガンが生まれました。インディアンを虐殺し、黒人を奴隷化しながら白人種が西部開拓を押し進めることを正当化したものです」p187
「(大東亜戦争)開戦の翌日、作家伊藤整は日記にこう書いています「今日は人々みな喜色ありて明るい。昨日とまるで違う」 左翼文芸評論家の青野季吉までが「じつに四海波静かと云ひたい明らけき日。天地もまた、この戦勝の新年を歓呼するが如し。日本は神国なりと云ふ感が強い」と日記に書きました」p208
「(重光葵)コミンテルンの政策は、日本のソ連に対する力を減殺せんがために、日支の衝突を誘起し、日本の北進を転換して南進せしめ、更に日米の戦争に導くことにあった」
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Posted by ブクログ
ネタバレ日本の歴史をもとに、日本人が日本人としてのサムライ魂を失った原因を探る本書。
正直言って、ここまで踏み込んだ歴史解説本は初めて。
GHQが日本を洗脳したとか、南京大虐殺の真実、政府が隠しそうな事実をこれでもかと言うぐらい論じるなんて、作者は勇気があるなぁと思った。
本書の内容が嘘か真にせよ、日本人は自分らの歴史観が正しいと信じている。
だが果たして、僕たちが知る歴史は真実なのだろうか?
歴史の教科書に書かれていることが、本当に事実だと断言できるだろうか?
いずれにしろ、政府が隠蔽するほど歴史は闇が深く、複雑怪奇なものだ。
日本人の認識と思想の過ちを再認識するためにも、本書は一種の革命に足る威力を秘めている。 -
Posted by ブクログ
数学史上最高レベルの栄光を手にしながらも、悲劇的な人生を送った日本人好みの世界三大数学者を、自身も数学者である著者が紹介。
この板の人にとって特に興味をひかれるのが、3人目のラマヌジャン。著者は、数学の天才と言えど、生まれ育った環境、文化の影響はあるはずと考え、3人の一生をそれぞれ現地へ飛んで取材しながらたどるが、3人ともその神への信仰が力の源泉になっていたことに気づく。
独学の天才だったラマヌジャンは、夢占いの専門家でもあった。ヒンズーの戒律を犯して渡英する決断をしたのは夢でまばゆい光を見たためだったし、夜中に起き出しては夢で見た公式をノートに書き留めていた。
ラマヌジャンは、「我々の百倍も頭がいい」という天才ではない。「なぜそんな公式を思いついたのか見当がつかない」という天才だと著者は述べる。特殊相対性理論はアインシュタインがいなくても、2年以内に誰かが発見しただろうと言われる。数学や自然科学の発見のほとんどは、ある種の論理的必然、歴史的必然がある。だから、10年か20年もすれば誰かが発見する。ラマヌジャンの公式群のほとんどは必然性が見えない。ということは、ラマヌジャンがいなかったら百年後も発見されないということである。
ラマヌジャンの独創の秘密を、著者はインドの数学者に聞くと、彼はチャンティング(詠唱)を一因として挙げた。詠唱とは、詩文などをメロディーに乗せて唱えることで、インドでは古代から数学と文学が混淆していた。例えば12世紀の数学書『リーラーヴァティ』には、次のような詩が書かれている。
ミツバチの群れが遊んでいました
その半分の平方根のハチたちは
中略
ミツバチ全部で何匹いるのでしょう
インドでは、伝統的に教科書までが詩文で書かれていた。あらゆる教科で、九九のように丸ごとリズムに乗せて覚える方式が取られてきた。子供の頃から、折に触れて得られた知識や概念をもてあそぶことが、ひらめきにつながる。イギリス支配下で屈辱的な思いをしていたインドで、ラマヌジャンはヒーローになるが、確かに彼のようなタイプこそ、インド人の心をつかむ英雄なのかもしれない。 -
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以前「名著講義」という著者の本を読み、その時に本書の存在を知って積読リストにいれていました。
著者が数学者としてはじめてアメリカの大学に赴任した1年を綴ったエッセイです。
1877年に発売された本ですから、時代を感じさせる箇所があるのは当たり前のはずなのに、古臭いと感じるところはほとんどありません。
日本から離れることによって芽生えた日本人としての気負いや孤独が赤裸々に綴られており、著者の感じたアメリカを私も肌で感じることが出来ました。
特に、その繊細な気持ちを風景で表現する様は真のロマンチストだと感じました。
(その表現力は生物学者の福岡伸一さんがよぎりました。お二人とも本業は物書きじゃないのに・・才能が溢れてる!)
但し、その豊かな感性はロマンチックで繊細なのに、それだけの人ではありません。
時に情熱に突き動かされ無茶で大胆な行動をとり、かと思うと自分を冷静に分析する能力にも優れ・・・本当に一言では表せない度量の大きさを感じました。
その上ユーモアのセンスも抜群で、本自体は読みやすく、とても楽しめました。 -
Posted by ブクログ
藤原正彦は、新田次郎と藤原てい夫妻の子として満州国の新京に生まれた。小学生の頃、長野県諏訪市にある祖母の家に一人で移り住み、そこで自然体験の重要さを実感する。その時期、図工の先生であった安野光雅から絵の面白さや数学の魅力を教わったことが、彼の人格形成に大きな影響を与えた。日本の自然の豊かさが、藤原正彦の個性を育む土壌となったのである。
本書の中でも特に印象的なのは、満州を再訪した記述である。著者は満州で生まれ、1歳のときにソ連の侵攻により祖国を離れた経緯を描いている。彼の記憶はおそらくないはずであるが、その幼少期の出来事を歴史的かつ客観的に描写し、自身のルーツと原点を明らかにしようとしている。
なぜソ連は満州へ侵攻したのかという問いに対して、アメリカとソ連の思惑が絡む中で、満州と朝鮮をどう扱うかが焦点となったという。その中で関東軍は、日本人を見捨て、自分たちが先に逃げるという醜態を曝露した。日本の軍隊は、日本人を守らないのだ。この戦争の悲惨さは、多様な形態で人々に生じる。著者のルーツが明らかにされることで、『日本の品格』についての思索も深まる。
藤原正彦は、日本の品格の根底にあるのは、『軍隊は国民を守る存在である』という観念ではなく、おそらく逆であると示唆する。そして彼の著作『若き数学者のアメリカ』において、日本人がアメリカ大陸の夕陽を見て涙を流すシーンを挙げている。これは、日本人特有の情緒や自然な感情の表れであり、その感受性は大切にすべきものである。このことは、私も理解できる。夕陽は、涙の海に沈む。
イジメの原因についても触れている。それは「我慢できなくなっていること」と、「卑怯さという言葉が失われたこと」にあると指摘する。「お天道様が見ている」「天罰が下る」という自然の摂理に支えられた日本の精神が、今や失われつつあるのである。教育の根幹は、国語力・日本語力にあると著者はいう。私の経験からも、たくさんの文字を書いているが、いまだに『てにをは』の誤りが多い。恥ずかしい限りだ。専属の日本語トレーナーに依存している。本当に基本的な国語力の重要性を痛感している。
藤原正彦は、英語至上主義に対して疑問を抱いており、どこかで日本人のコンプレックスが歪んでしまっていると指摘する。「情緒」や「感情」を大切にすることこそ、何よりも必要なことという。これらの点は、ごもっともであると共感せざるを得ない。なぜか、今は個人的な感情表出さえも、コスパが悪いという時代だ。
藤原正彦の息子たちとの「天才ごっこ」や、私生活の一端を垣間見せるエピソードも紹介されている。例えば、「愛人を持ちたい願望」など、私生活が露わになる部分も、どこか微笑ましく思えるものである。歳をとればとるほど、可愛い存在になりたいのだ。