藤原正彦のレビュー一覧
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・明治大正時代、舶来の教養を無邪気に身につけた世代は、日本という根がなく、借り物の思想であることに気づかず、大正デモクラシーを謳歌しているうちに、ロシア革命がおきるとマルクス主義にかぶれ、昭和ではナチズム・軍国主義に流された。戦後は、左翼思想に流され、今は新自由主義やグローバリズムに流されている。「上滑り」「虚偽」「軽薄」は一貫している。
・基盤となる形をもたない個性は、流行りの新しい思潮に常に圧倒される。ドイツでも、フェルキッシュ運動・ファシズム・贖罪意識に圧倒された。
・現代に至る日本の知識人のひ弱さは、世界に誇る我が国の大衆文化、日本人としての情緒や形を軽侮したことに因がある。
・民主主義という暴走トラックを制御するのは国民の教養である。
・実体験や大衆文化により養われた情緒や形があって、初めて知識に生が吹き込まれる。知識に、情緒や形がまぶされて初めて活性化され、真の教養になる。例えばグローバリズムを考えるとき、経済(=西洋の輸入品)だけを考える人と、日本の国柄とか美しい自然や弱者への惻隠を大事にしたい人はまるっきり異なる見方をする。 -
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【感想】
近代の世界史について、筆者の客観的な視点も相まって、読んでいて非常に勉強になった。
どの国の歴史を見ていても、(当たり前だが)やはり自国の国益を最優先に考えて動いており、その中で社会主義や資本主義が発展しているのが読んでいて分かった。
正直、「教養」というのは一文の得にもならないということを分かった上で、ただ欲望にまみれた本能を抑制する手段として身につけなければならない。
ナチスドイツの発展やソ連の誕生なども、国民の教養不足の合間を縫って発展したのだから、その点は非常に頷ける。
ただ、作中にもある通り、利害損失のみで動いている人間が多い今世において、果たして「教養」という剣が本当に役に立つかどうかについては、甚だ疑問とも思った。
これから必要な教養として、「人文的教養(哲学や古典)」「社会的教養」「科学教養」「大衆文化教養」などが挙げられているが、この世で生き抜くにあたっては、メシのタネになる、あるいは自身を守る盾になる「実学」を身につけなければいけないのではないか。
自身の仕事に直結するための勉強や、収入につながる勉強、誰かに騙されないよう見抜くための勉強など・・・
多少軽薄なのかもしれないが、誰かに欺かれたり競争で勝ち抜くためには、そういった知識も身につけないといけない世の中なんだと個人的には思っている。
「教養が大切だ!」という意見は勿論頷けるが、綺麗事だけではこの世の中で生きていくにあたってハズレを引き続けてしまう気もする・・・
リベラルアーツなど、知識として身に着けておく重要性も感じたが、それと同時に、いやそれ以上に、「VUCA」と称されるこの世の中を生き抜くためにも、別ジャンルで必要な知識やスキルを身に着けていく必要がある。
「性善説」を貫いて生きるのは確かに素晴らしいが、それは疑う事を怠けてしまっているのと同義である。
この世に悪意が潜んでいる限り、「清濁併せ吞む」覚悟で生きていく必要があるなと、最近になってとても感じる。
とても面白い本だったし、勉強にもなったが、結局は筆者の主張とは大きく異なってしまった。
結局、マジメな人間が損をしてしまうリスクが大いにあるこの世の中では、「功利性」や「金銭」の大切さから極端に目を背ける事が今の自分には到底できない。
前記したが、「清濁併せ吞む」スタイル。
また、「性善説」に依存しすぎないスタイル。
「教養」をしっかりと身に着けつつ、決して貧乏くじを引かないためにも、打算的に狡猾に世の中を生きていくダークスキルも併せて今後は身に着けていこうと思った。
【内容まとめ】
1.「教養」とは、世の中に溢れるいくつもの正しい「論理」の中から最適なものを選び出す「直感力」、そして「大局観」を与えてくれる力。
2.アメリカのトランプ大統領も、口ではウォール街を牽制しているが、実際は金融規制緩和などでウォール街を喜ばせ、国益を優先としている。
アメリカに限らずどの国も、弱者や敗者への惻隠などはどうでもよいこと。
世界中の99%の人々は、ほとんど利害得失だけで行動しており、そういった人々から成る国家がそのような浅ましい行動やさもしい行動に向かうのは、残念ながら仕方のないこと。
そんな中で、「教養」は本能を制御する力として大きな意味を持つ。
3.リベラルアーツの起源
アリストテレスは数学中心主義から離れ、広く人文、社会、自然からなる3つの科学が体系的に教えられた。
アリストテレスはリュケイオンで教えながら哲学・論理学・生物学・修辞学・倫理学・政治学をはじめ諸分野で膨大な業績を残し、「万学の祖」と呼ばれるようになった。
4.※補足「リベラルアーツとは?」
リベラル・アーツとは、 ギリシャ・ローマ時代に理念的な源流を持ち、ヨーロッパの大学制度において中世以降、19世紀後半や20世紀まで、「人が持つ必要がある技芸の基本」と見なされた自由七科のことである。
具体的には文法学・修辞学・論理学の3学、および算術・幾何・天文学・音楽の4科のこと。
(Wikipedia引用)
5.これからの教養とは?
書斎的の知識ではなく、現実対応型のものでなくてはならない。
現実対応型の知識とは、屍のごとき知識ではなくて、生を吹き込まれた知識、情緒や形と一体となった知識。
実体験は擬似体験により補完され、健全な知識と情緒と形、バランスのとれた教養を!
【引用】
「教養」とは、世の中に溢れるいくつもの正しい「論理」の中から最適なものを選び出す「直感力」、そして「大局観」を与えてくれる力だ。
では、教養を身につけるためにはどうしたらいいのか?
教養の歴史を概観し、その効用と限界を明らかにしつつ、数学者らしい独創的な視点で「現代に相応しい教養」のあり方を提言する。
p25
誰しも、有限の人生において、無価値の情報に関わっているヒマはありません。
自分にとって価値のある情報だけを選択したい。それらがその人の判断力の基盤となるからです。
ありとあらゆる情報から、どんな物差しにより自分にとって有意義で価値のある情報を選ぶのか?
その嗅覚は何によって培われるのか?
教養とは一体何か?
p28
紀元前三三一年、ギリシア人の国家マケドニアのアレクサンダー大王は、念願のペルシアとの戦争に勝利しました。
その後10年も経たないうちに32歳の若さで病没してしまい、大帝国は将軍達により三分割されました。
そのうちの一つが、アレクサンドリアを首都としてプトレマイオス一世の創立したプトレマイオス朝エジプトです。
アレクサンダー大王は「父から生を受け、アリストテレスから高貴に生きることを学んだ」と言うほどアリストテレスを崇拝し、その下で教養を積んでいましたが、このプトレマイオスも同様に学問や文学を愛好していました。
彼は首都アレクサンドリアに学術研究所「ムセイオン」を作り、文献学を中心に、数学、物理学、天文学など70万巻以上の蔵書数を持ち、大いに隆盛しました。
プトレマイオス朝は300年ほど続きましたが、陰りの見えてきた紀元前30年、絶世の美女クレオパトラが即位し、美貌美声媚声を駆使してローマ帝国の英雄を籠絡したが、乳房をコブラに噛ませて自殺してしまい、その後プトレマイオス朝はローマに滅ぼされました。
p41
・12世紀ルネサンス
バグダッドを拠点としたイスラム国家アッバース朝が地中海沿岸を占領してから3世紀あまり、地中海貿易は停滞し、この海はいわば閉ざされた海となっていました。
アッバース朝の勢いが衰えた12世紀になって、ジェノヴァやヴェネツィアなどの北イタリア都市国家が地中海貿易の主導権を握るようになりました。
ヴェネツィアの貿易商人だったマルコポーロはジェノヴァとの戦争中に捕虜になりましたが、その時に著したものが「東方見聞録」です。
日本をジパングとして初めてヨーロッパに紹介しました。
ギリシア古典は千年間もビザンティン帝国やイスラム国家に保存されましたが、衰退する帝国に見切りをつけた幾多の学者たちがヨーロッパに里帰りしました。これがルネサンスです。
知識人は新たな知識を求め、これら古典をむさぼり読みました。
p49
・リベラルアーツの起源
アリストテレスは数学中心主義から離れ、広く人文、社会、自然からなる3つの科学が体系的に教えられた。
アリストテレスはリュケイオンで教えながら哲学・論理学・生物学・修辞学・倫理学・政治学をはじめ諸分野で膨大な業績を残し、「万学の祖」と呼ばれるようになった。
※補足
リベラルアーツとは?
リベラル・アーツとは、 ギリシャ・ローマ時代に理念的な源流を持ち、ヨーロッパの大学制度において中世以降、19世紀後半や20世紀まで、「人が持つ必要がある技芸の基本」と見なされた自由七科のことである。
具体的には文法学・修辞学・論理学の3学、および算術・幾何・天文学・音楽の4科のこと。
(Wikipedia引用)
p52
現代人は、科学技術や生産手段の進歩を人間性の進歩と勘違いしたまま、自惚れと傲慢に身を置くようになっている。
このような現代人は、生存競争に勝つためにも、生活を豊かにするためにも役立ちそうにない教養などは、遺物であり暇人の時間潰しと見下すようになっている。
功利性、改良や発明、金銭は確かに大切だが、教養が疎かになってしまうのは、、、
p55
アメリカのトランプ大統領も、口ではウォール街を牽制しているが、実際は金融規制緩和などでウォール街を喜ばせ、国益を優先としている。
アメリカに限らずどの国も、弱者や敗者への惻隠などはどうでもよいことなのです。
世界中の99%の人々は、ほとんど利害得失だけで行動しており、そういった人々から成る国家がそのような浅ましい行動やさもしい行動に向かうのは、残念ながら仕方のないことなのです。
そんな中で、「教養」は本能を制御する力として大きな意味を持つのです。
p60
ヨーロッパでは「大戦争」と言えば第二次ではなく、より多くの死者を出した第一次世界大戦のことです。
大戦勃発の引き金は「サラエボ事件」です。
1914年6月に、オーストリア・ハンガリー帝国の皇太子夫妻が、サラエボでセルビア人に暗殺された。
事件の発生とともにオーストリアでは新聞などが国民を煽り始め、それに反応した国民が激昂したため、政府は事件のひと月後にセルビアに対し宣戦布告をした。
p67
・近代ドイツの振り返り
長い中世を抜け出たものの、16世紀にはルターの宗教改革、17世紀には30年戦争と、プロテスタントとカトリックの抗争で人口は激減し、国土はすっかり荒廃していた。
約300もの領邦に分かれ、それぞれが主権や外交権まで持っていたため、国としてのまとまりはなかった。
1807年にナポレオンに国土を蹂躙された挙句に国土の7割あまりを奪われ、巨額の賠償金を課せられた。
ナポレオン失脚後もドイツを弱体化させたままにしておくというコンセンサスがヨーロッパにはあった。
このような数重なる国家存亡の危機に立たされたところでドイツはやっと目を覚まし、国家主義の気運が一気に高まった。
果敢な政治改革、軍制改革、そして教育改革が断行されてゆく。
p81
産業革命を経た19世紀末から、ドイツでは大衆の精神的空隙に、まずマルクス主義が、ついでフェルキッシュ運動(民族運動)、そしてついにナチズムが怒涛のように入り込んだのです。
p114
第一次大戦末期、ロシア革命(1917年)が起きてロマノフ王朝は滅び、1922年にソ連が誕生しました。
その間にレーニンにより、世界革命を目指すコミンテルン(共産主義インターナショナル)が組織化されました。
日本共産党は、その日本支部にあたる組織です。
満州との国境を平穏に保つため、同じコミンテルンの出先である中国共産党を用い、日本軍を挑発し続けて中国と日本の戦争を泥沼化させました。
またドイツ軍に追い詰められたソ連を救うため、アメリカを世界戦争に参加させます。
そのためには日独伊同盟を結んでいる日本に、アメリカに対して最初の一発を撃たせることを行います。
日米通商条約の一方的破棄、在米日本資産の凍結、鉄鉱石や石油の対日禁輸、日本を真っ向から侮辱するハル・ノートなど。
p127
・独ソ不可侵条約の密約
ソ連がバルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)を併合し、独ソでポーランドを分割するというもの。
結果、1937年9月にドイツがポーランドに突如侵攻して第二次世界大戦の引き金を引き、密約通り18日後にソ連が東からポーランドに侵攻、独ソに占領・分割統治されました。
ポーランドは両国に対しいかなる敵対行動をとったわけでもなく、それどころか両国と不可侵条約を結んでいました。
しかもこの密約の存在は独ソが明かさなかったため、ゴルバチョフが1989年に情報公開するまで、50年間も隠蔽されていた。
p148
・これからの教養とは一体なに?
書斎的の知識ではなく、現実対応型のものでなくてはなりません。
現実対応型の知識とは、屍のごとき知識ではなくて、生を吹き込まれた知識、情緒や形と一体となった知識です。
実体験は擬似体験により補完され、健全な知識と情緒と形、バランスのとれた教養を!
p175
・これから必要な教養
何かが突出しているだけでは、いくら論理的であっても間違った方向に行ってしまう。
人文的教養(哲学や古典)
→長い歴史をもつ文学や哲学など
社会的教養
→政治、経済、地政学
科学教養
→自然科学や統計学
大衆文化教養
→漫画やアニメも -
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数学者でエッセイストの藤原正彦と、『博士の愛した数式』の著者である小川洋子が、数学をテーマに語りあった対談を収録しています。
『博士の愛した数式』についても多少は言及されていますが、多くの部分では、小川が聞き手にまわり、数学の美しさと、それに憑かれた数学者という人種について藤原が語るというスタイルで進んでいきます。
おそらくは「数学」と「美」を結びつけることなど思いもよらないというような若い読者に、数学の美しさに目を開かせることを目的としているのかもしれませんが、数学の世界についてのとりとめのない印象がつづられていて、すこし内容が薄いようにも感じてしまいました。 -
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この本は、もしくはこの本の前の?国家の品格は、なんとなく避けていた部分があった。
なぜかというと、なんだか日本とか国とかを熱く語って外国排除を高く掲げていて、思想的な偏りがすごいんだろうな(だから読んだらうんざりするんだろうな)と。そして、今回この本を読んでみると、何が正しいのか分からなくなってしまったという意味で、視点が一つ増えたと思う。
南京事件のこととか、頭から「日本が南京で虐殺を行ったのは歴史上の事実であり、戦時中とはいえ日本はしてはいけないことをしてしまった」と認識していたので、それが捏造の可能性(あえて可能性と書く)があるなんてそうなの!?ってビックリでした。もっと本を読まなくちゃダメだなーと思う。この歳にして世の中のこと歴史のこと、知らないことが多すぎる。
それにしても、「流れる星は生きている」(藤原ていさん)の小さな3歳4歳の「正彦ちゃん」が、日本に帰る時に川の中を引きずられながら、寒さで紫色になって死んでしまいそうになったりした場面を読んだ後なので、あの正彦ちゃんがずいぶんずいぶん立派になったなーーと、ふと映画でもみているような感覚。 -
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本書は3つのパートで構成されています。第1部は、国語教育の重要性を語ったエッセイ。第2部は、著者の日常を描いた肩の凝らないエッセイ。第3部は、著者の出身地である旧満州の新京(現・長春)を訪れた際の紀行文となっています。
国語教育の重要性の指摘の背後にあるのは、祖国愛という視座を欠いたどのような言説も行為も無意味であるという強い思いといってよいでしょう。著者は、ナショナリズムを「国益主義」、パトリオティズムを「祖国愛」と訳し、前者は必要悪であり、後者はどの国の国民にとっても絶対に不可欠だとする主張を展開しています。
第2部は、『朝日新聞』に連載された科学エッセイを多く収めています。著者が3人の息子たちに「発見」の大切さを教える光景を、ユーモアたっぷりに描いています。
第3部の「満州再訪記」は、旅行の様子と日露戦争以後の日本が歩んだ歴史が、交互に語られます。著者たち3人の子どもを守り抜いた母・藤原ていに対する著者の敬愛が、文章ににじみ出ているように感じられます。 -
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ゲーデルの「不完全性定理」…正しいとも正しくないとも判定できない命題が存在する、ということを証明。
アラン・チューリング…ある命題がゲーデルのいう"原理的に真偽を判定できない命題"であるかどうか、を判定する方法が存在しない、ということを証明。
真偽を判定できない命題を「悪魔的な問題」とすると、ゴールドバッハの予想(*)がその悪魔的な問題かどうかすら判定できない。
*ゴールドバッハの予想…「6以上の偶数はすべて二つの素数の和で表せる」
未解決。素数の定義は約数を持たないこと。約数は掛け算の話だけど、ゴールドバッハの予想は足し算の問題だから難しい。
「間違っていても、正しい方向に間違うところが天才」という話は、アインシュタインの宇宙項を思い出す。 -
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課題図書一冊目。
サラサラと読めてしまうが、二人の話のディープな所にはちょっと立ち入りにくい感じ。
特に古典〜明治期の名作を紹介したり、漢文の良さを語っている所は、ちくまプリマーを読むくらいの学生さんには伝わるのだろうか。
全体としては、難易度が高め。
でも、読書や日本語に触れる上での味わい方はしっかりと抑えられているようにも思う。
難しくても読みこなす内に質が上がるとか。
分からなくても暗唱していると、ある時にふと結びつくものがあるとか。
生きていく中での読む意味合いを、二人の掛け合いの中から拾いあげることができた。
もう一つ。
個人的にジーンとしたのが童謡のパート。
歌詞から、ああ、習ったなぁという気持ちが湧いてきて、メロディーに乗せると涙が出そうになった。
私の祖母も歌が好きで、「椰子の実」という歌が学生時代歌った記憶に残っているそうだ。
いつか、祖母が亡くなったとき、私が歌えるようにと密かに音源を入れている。
そういう、歌詞とメロディーと思い出の不思議な結びつきが立ち現れて、グッときた。
さて、どう調理するか。楽しみ。 -
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ネタバレ【156冊目】ケンブリッジにいる間に読んでおかなければと思って読んだ本。期待したとおり、イギリスの文化・歴史に対する豊富な知識と、日米との比較が非常に勉強になった。
>オックスフォードは世界が自分のものであるかのように振る舞うが、ケンブリッジは世界が誰のものであってもかまわないというように振る舞う。
……こういうところ、結構大好きです。ちなみに体感では、ケンブリッジ生はToryよりもLabour支持派の方が多い気がする。
>数学に限らず、イギリスでは一般に、抽象的で論理的な議論はフランス人のもの、と不信感さえ持てれてきた。だから哲学において、形而上学はイギリスでは育たなかった。自ら経験した事実に頼るというのが、ベーコン以来のイギリス哲学の主流だった。(p.232)
……非常によく分かる。おそらくcivil lawとcommon lawの法体系の違いもここから発生しているのだろう。なお、フランシス・ベーコンはTrinity college出身。
>彼らの精神的ふくよかさは、イギリス病とか斜陽といった、経済指標によった名称からは、想像できないものである。日本は、イギリスのいつか歩いた道を歩んでいる。イギリスは日本のいつか歩むであろう道を歩んでいる。(p.261、なお本書は1987〜1988年の留学記である)
……これは僕が常に言っていること。日本はよくも悪くもイギリス(と、韓国)から学ぶべき点が複数あるように思う。