【感想・ネタバレ】祖国とは国語のレビュー

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「小学校における教科間の重要度は、一に国語、二に国語、三、四がなくて五に算数、あとは十以下」の有名なフレーズが全てを物語っている。国語学者ではない、数学者の言葉であることに説得力がある。この本が世に出て20年近くなる現在においても何ら状況が変わっていないことに強い危機感というか、絶望感に近いものを覚える。
他のエッセイも面白い。他の著書も一通り読もうと思う。

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2022年12月15日

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「祖国とは国語」藤原正彦 (3周目)
以下たそ解釈
・国語教育は現代日本にとって緊急かつ最優先の事項である

・国語以外での他教科での思考・論理もそもそも母国語の言語をもとにしている

・その土台である国語、つまり語彙や情緒といったものが貧弱であるとそもそも全ての思考に影響を及ぼす


・いくら方法論や英語、ゆとり教育などの個性を重要視しても肝心の中味が無い。コンテンツなしのガワだけになる
・詰め込み教育は害悪ではない。子供はそもそも悪い癖のほうが多い。方向づけは大事。
・読書は教養、教養は大局観を与える。一見無駄な教養も切り捨てるべきではない。

・満州国建国から崩壊までの歴史がよくわかる
・当時の列強の価値観を現代の価値観からジャッジして過去の人を非難するのは間違い、振り返り、未来に活かすべき

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2018年10月28日

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数学者にして文筆家、そして新田次郎と藤原ていの息子である藤原正彦の、2000~2003年に朝日新聞、産経新聞等に掲載されたエッセイをまとめたものである。
うち約半分が、持論の「国語教育絶対論」を熱く語ったものであるが、斎藤孝があとがきに書いている「ああ、この人に、文部科学大臣になってもらいたい。これが、私の切なる願いだ。数学者にして、華麗なる文章家。学問、文化、科学を愛すること、並ぶ者なし。そして何よりも、この日本をよりよくしていこうという強い志にあふれている。その志は、火山の溶岩のように、腹の底からやむことなくわき上がってきてしまう。それがこの『祖国とは国語』から、はっきりと伝わってくる」という思いに大いに共感する。
「国家の浮沈は小学校の国語にかかっている」
「言語は思考した結果を表現する道具にととまらない。言語を用いて思考するという面がある。・・・人間はその語彙を大きく超えて考えたり感じたりすることはない、といって過言ではない。母国語の語彙は思考であり情緒なのである」
「『論理』を育てるには、数学より筋道を立てて表現する技術の習得が大切ということになる。これは国語を通して学ぶのがよい」
「脳の九割を利害得失で占められるのはやむを得ないとして、残りの一割の内容でスケールが決まる。・・・ここを美しい情緒で埋めるのである」
「祖国とは国語である。ユダヤ民族は二千年以上も流浪しながら、ユダヤ教とともにヘブライ語やイディッシュ語を失わなかったから、二十世紀になって再び建国することができた」
「小学校における教科間の重要度は、一に国語、二に国語、三、四がなくて五に算数、あとは十以下なのである」等
世界的な数学者である岡潔が『春宵十話』で語った「人の中心は情緒である。・・・数学とはどういうものかというと、自らの情緒を外に表現することによって作り出す学問芸術の一つであって、知性の文字板に、欧米人が数学と呼んでいる形式に表現するものである」に通じる。
世界を知る数学者の国語に対する思いが、強烈に伝わってくる。

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2016年01月11日

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藤原ていの「流れる星は生きている」に影響を受け「満州再訪記」が含まれる本著を購入。
気軽に読めるウイットに富んだエッセイも多いのだが、教育論、生きる上での価値観・考え方について示唆に富む発信が多く自分の中での整理にも役に立つ。
ウイット満載だが、留学していた英国仕込みなのだろうか。「満州再訪記」の最後もそのウイットで終わりその才能に感嘆。

以下引用~
・日本の誇る「もののあわれ」は英国人には難しいと言う。英国にもこの情緒はもちろんあるが、日本人ほど鋭くないので言語化されていないらしい。
古典を読ませ、日本人として必須のこの情緒を育むことは、教育の一大目標と言ってよいほどのものである。

・高次の情緒とは何か。それは生得的にある情緒ではなく、教育により育まれ磨かれる情緒と言ってもよい。たとえば自らの悲しみを悲しむのは原始的であるが、他人の悲しみを悲しむ、というのは高次の情緒である。

・家族愛、郷土愛、祖国愛、人類愛も、ぜひ育てておかねばならない。これらは人間として基本であるばかりか、国際人になるためにも不可欠である。どれか一つでも欠けていては、国際社会で一人前とは見なされない。地球市民などという人間は世界で通用しない。

・読書に得られる情緒の役割は、頼りない論理を補完したり、学問をするうえで需要というばかりでない。これにより人間としてのスケールが大きくなる。
人間としてのスケールは、この本能(利害得失ばかりを考える)からどれほど離れられるかでほぼ決まる。
脳の九割を利害得失で占められるのは止むを得ないとして、残りの一割の内容でスケールが決まる。

・言語を損なわれた民族がいかに傷つくかは、琉球やアイヌを見れば明らかである。祖国とは国語であるのは、国語の中に祖国を祖国たらしめる文化、伝統、情緒などの大部分が包含されているからである。

・祖国愛や郷土愛の涵養は戦争抑止のための有力な手立てでもある。自国の文化や伝統を心から愛し、故郷の山、谷、空、雲、光、そよ風、石ころ、土くれに至るまでを思い涙する人は、他国の人々の同じ思いをもよく理解することができる。

・英語で愛国心にあたるものに、ナショナリズムとパトリオティズムがあるが、二つはまったく異なる。ナショナリズムとは通常、他国を押しのけてでも自国の国益を追求する姿勢である。私はこれを国益主義と表現する。
パトリオティズムの方は、祖国の文化、伝統、歴史、自然などに誇りをもち、またそれらをこよなく愛する精神である。私はこれを祖国愛と表現する。家族愛、郷土愛の延長にあるものである。
わが国では明治の頃から、この二つを愛国心という一つの言葉でくくってきた。これが不幸の始まりだった。愛国心の掛け声で列強と利権争奪に加わり、ついには破滅に至るまで狂奔したのだった。
戦争は一転し、愛国心こそ軍国主義の生みの親とあっさり捨てられた。かくしてその一部分である祖国愛も運命を共にしたのである。心棒をなくした国家が半世紀経つとどうなるか、が今日の日本である。言語がいかに決定的かを示す好例でもある。

・父の価値観の筆頭は「卑怯を憎む」だった。

・我が家では親子は、昨今流行の友達関係でなく、完全な上下関係だった。母が様々な日常の出来事に応じ善悪を示したのに対し、父はそれらを統合する価値観を教えた。それは上からの押しつけであった。私はいま押し付けられてよかったと思っている。押し付けられたものを自らの価値観としてとりこむにせよ、反発して新しいものを探すにせよ、あらかじめ何か価値観を与えない限り、子供は動きようがないからである。

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2014年04月12日

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「祖国とは、血でも、民族でもなく、国語である」
小学校における国語教育についての重要性をといた一冊。科学的根拠とかはなく、首をかしげるような主張もいくつかあったが、それでもこの一冊は最高。
なぜ文学や歴史に触れるのか。哲学をするのか、芸術を愛でるのか、、など深く「教養」について考えさせられた。

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2013年04月19日

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「祖国とは国語」5

著者 藤原正彦
出版 新潮社

p65より引用
“大学の本領は直接の応用を視野にいれない基礎研究にあり、
それこそが国家の科学技術力の基盤なのである。”

 数学者である著者による、国語の大切さをとくとくと説いた一
冊。
 国語教育についてから著者の生地を訪ねる旅についてまで、
ん中に愉しいエッセイを挟んで書かれています。

 上記の引用は、大学の産学協同の進み過ぎに関する一文。
目先の利益ばかり考える学問では、段々先細りしていくというこ
とでしょうか。大学生活4年の内、2年近くを就職活動に使うよう
な今の状況にいる人達は、この事についてどう思われているので
しょうか?
職につかなければ、食べていけないというのが現実なので、難し
い問題だとは思いますが。
 非常に堅い内容の間に、エッセイが挟まれているので、丁度い
い息抜きになっています。

ーーーーー

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2013年01月02日

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前半は日本の教育について少し堅めに力強く書かれていた。幼少期から限られた授業時間のうちの大部分を使ってパソコンや英語を学ぶ必要があるのか。基礎となり、全ての教科や自身のルーツにつながる国語をひたすら学ぶことが大切だという。私は英語は子供の世界を広げるために必要且つ、早めの教育が効果的だと考えるが、なるほど国語力は現在の日本教育であまりにも軽視されてることに気付かされた。ディベート力や要約力、読解力など基礎的かつ非常に重要な科目がないがしろになっている危機感を教わった。後半は正彦さんの息子さん3人の憎たらしくも聡明な日常と会話が面白おかしく書かれていて、飾らない正彦さんの魅力が詰まっていると感じた

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2023年09月22日

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「国語教育絶対論」では染まりきった欧米の思想にはっとさせられる。自由と便利を追求した先に待っていることの恐ろしさを想像させられる。時折それはあまりにも極論すぎやしないかと思う節もあったが。

「いじわるにも程がある」では気楽に読める短いエッセイ集だが時に大切な教訓に目が止まる。

「満州再訪記」では恥ずかしながら歴史にあまりにも無知なことを思い知らされる。各国、各人物がどのような経緯で歴史が紡いでいったのかを学ぶことができる。第二次世界大戦が教科書に載っている出来事の一つとしか認識することが出来なかった世代の人に読んでほしい。

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2021年12月30日

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「一に国語、二に国語、三四がなくて五に算数」の言葉は知っていましてが、それを提唱したのが「品格ブーム」の立役者でもある筆者だとは知りませんでした。「英語は5%ほどのエリートが流暢に操れれば充分」等、かなり強気な持論をお持ちで(本人は米ミシガン、英ケンブリッジで研究)、逆に新鮮だと感じました。

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2021年11月11日

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ところどころ笑いつつ、藤原氏の語彙力に驚いた。
初めて出合った四字熟語も多いので、今度使ってみようかな。

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2021年02月13日

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この本は三部構成でなっており、著者が様々な本で展開している持論がメインである”国語教育絶対論”、ショートエッセイ集の”いじわるにも程がある”、母親でもある藤原ていさんと家族で中国を訪れた際の”満州再訪記”からなる。

どの文章にも時折ユーモアが含まれていて、小気味よく読み進めていくことができる。

””藤原正彦いわく、ユーモアは”理屈一本ではないことを示すため、または進まないための自己抑制のため”に必要なこと””

国語教育絶対論では、期待していた国語の必要性のさらなる理解をまた一歩進めることができたとは思うが、再度頭の中で整理はしていきたい。人に説明できるくらいには。

満州再訪記も読みごたえがある。家族での道中記も楽しいが、なんといっても最初の15ページほどの満州建国に至るまでの歴史の説明がわかりやすくて素晴らしいなと思った。無駄がなく、簡潔明瞭でわかりやすい。

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2019年10月13日

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2018年の読み収めの一冊。

書いてあることは、言葉が悪いけど「オヤジの愚痴」みたいな感じでした。
でもその愚痴は一理ある。だが「愚痴」という少し敵意ある言葉になるのは、「そんな問題、うまく解けねぇよ」言ってしまうような問題に対しての作者の考えがまとめられた本だったからでした。

きっと作者は、取り上げた問題が「難題」であることが分かってたから、愚痴のような攻撃的な言葉を書いていたんだと思います。
後半のエッセイ集で、そういったどうしようもならない世界に、文句(という言葉が適切ではないかもしれないけど)を垂れて立ち向かう、僕たちと何ら変わりのないおじさんの横顔が見えてきました。

2019年も、一を読んで十を感じれる本に出合いたいですね。
出会えるか出会えないかは僕の情緒自身ですけどね。

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2018年12月31日

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2000年から2003年にかけて新聞や文芸誌に書いた
エッセイをまとめた一冊。
毎回思うが、藤原さんは本当に文章がうまい。

本書は「国語教育絶対論」「いじわるにも程がある」
「満州再訪記」の三部構成。

「国語教育絶対論」は、まさにその通り!激しく
同感の内容。

 "小学校における教科間の重要度は、一に国語、
 二に国語、三、四がなくて五に算数、あとは
 十以下なのである。"

この時点で藤原さんが憂慮していて事態は、さらに
悪化している気がする。

「いじわるにも程がある」は、「国語…」からガラッと
変わって家族を登場させたユーモアたっぷりのエッセイ。
それも、解説を書いている齋藤孝さんご指摘のとおり、
知的なユーモア。
家族愛も同時に感じられて、読みながらつい笑顔が出て
しまった。

「満州再訪記」は、藤原さんが自分の出生の地である
満州を、母親、妻、息子達と訪ねた旅行記。
ちょうどいい間隔で史実をはさみながら綴ったこの
旅行記は秀逸。日本が満州で何をしていたのか、戦争
直後の引き揚げがどんなに過酷なものだったのかが
よく分かる。敷居の高い歴史書を読むより、この旅行記
を読んだ方が間違いなくためになる。

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2018年11月18日

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英語教育手日本は再興しない。英語が世界一得意なイギリスの経済が斜陽ナノを見れば、英語が競争力の重要なファクターでないのは明らかだ。という一文が強く残っている

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2018年09月19日

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国家とは教育とは。論理的に思考したり、母国語よりも英語を優先する。土台となる組織に属し、教養や価値観を身に付けることで、初めて、異なる文化や価値観を考えることができる。そして、土台となるのは国語であると。日本人はあまりに平和ボケが過ぎたのかなとも思う。

後半の満州国の話は面白かった。日本の傀儡国家だったかもしれないけど、本当に民族自立や五民平等が確立していたら、今の日本の立ち位置は違ったのかもしれない。

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2017年09月08日

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満州再訪記が圧倒的な存在感があった。
著者の満州で生まれ、1歳の時にソ連が侵攻し、脱出する時を描く。
母親と家族でうまれた満州を訪問する。記憶はたぶんないはずであるが、
1歳の自分を歴史的に、客観的に描き出そうとする。
なぜ ソ連が侵攻したのか?
アメリカとソ連との思惑の中で、満州と朝鮮をどうするのか? 
そのせめぎ合いの中で、関東軍は 日本人をおきざりにして、
自分たちが先に逃げていく という醜態をあばく。
戦争における悲惨さは、さまざまな形で生まれるのである。
著者の原点とルーツが明らかにされる。
日本の品格を訴えた藤原氏の原点は 
軍隊は日本の国民を守る存在ではない。
ということから、始まるのかもしれない。

イジメが起こる原因は 我慢ができなくなっていることと
卑怯 という言葉が なくなったことである。
教育の基礎は 国語力、日本語力にあると言う。
なぜか、〈英語〉至上主義みたいなところがあり、おかしいのである。
どこかで、コンプレックスがひっくり返ってしまっている。
『情緒』や『感情』を大切にすることが 何よりも必要である。
言われていること、ごもっともである。

息子たちとの 天才ごっこ。
愛人をもちたい願望など 私生活が露出しているのも
何となく微笑ましくもある。

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2017年04月19日

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斎藤孝さんのおっしゃる通り、数学者とは思えぬ引き込まれるような文章をお書きになります。本来の日本国のあり方を考えさせられました。

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2015年09月29日

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「流れる星は生きている」を読んで、満州再訪記が収録されている本書を手に取る。
60年近くも経過すると、満州での暗い戦争の影もすっかり消え失せて、悄然としながらもあくまで明るい藤原家の旅行記であった。

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2015年04月21日

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皇国の興廃、まさにこの国語をどうするかによる、といえます。これからなお一層、言葉を大切にしていきたいと考えます。

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2014年06月02日

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 国語が何故大事なのか。ということを数学者が書くからこそより説得力を持つような気がする。
 日本の教育、布いては社会が疎かにしてきた国語、というものを見つめなおす本。

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2013年03月17日

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これまでに読んだ別の著作と内容がかぶるので真新しさは無かったが、
しかし著者の長年にわたる主張である、教育において情緒と祖国愛の涵養を求める姿勢、そのために必要不可欠な国語、読書の大切さなどはブレることがない。
ホントにただただ頷いてしまう。

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2019年01月16日

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店頭でビビビッッときて買った本で、なかなか読み応えがありましたが、かのベストセラー『国家の品格』の著者であることを知ったのは、読み終わったずっとあと・・。先入観を持たずに読めてよかったかもしれません。今みたいに、政治に「美しい」とか「品格」とかいう言葉を持ち出される前で、なお良かった・・・。

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2013年04月16日

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お父さんに勧められて読んだらおもしろかった。
授業で母国語をもたない在日外国人の子が、言語化できない障害をもってしまうというビデオを見たからなおさら興味深い。
「好き」という言葉にも色んな言い方があって、それを知ってるのと知らないのとでは感情の幅にも差が出る、ということが書いてあって、なるほどと思った。
短絡的ではなく、何かをふまえた上での考えをしっかりもつためにも、国語教育って大事なんだなぁ。

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2023年08月05日

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私はもういつ死んでもいいのである。それは覚悟なんてものではない。いっそ自然なのである。その日まで私のすることといえば、一種の暇つぶしである。

私は喜んで生きてきたわけではない。それは絶望というような大袈裟なものではない。むしろ静かなものである。

生きている限り元気なふりをする義理があるのである

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2021年09月04日

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確かに国を成り立たせる要件として言葉は一番大切だと思う。経済より大切なものがあるということだが、世の中そのようには動かないのはなぜか?

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2019年10月22日

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本書は3つのパートで構成されています。第1部は、国語教育の重要性を語ったエッセイ。第2部は、著者の日常を描いた肩の凝らないエッセイ。第3部は、著者の出身地である旧満州の新京(現・長春)を訪れた際の紀行文となっています。

国語教育の重要性の指摘の背後にあるのは、祖国愛という視座を欠いたどのような言説も行為も無意味であるという強い思いといってよいでしょう。著者は、ナショナリズムを「国益主義」、パトリオティズムを「祖国愛」と訳し、前者は必要悪であり、後者はどの国の国民にとっても絶対に不可欠だとする主張を展開しています。

第2部は、『朝日新聞』に連載された科学エッセイを多く収めています。著者が3人の息子たちに「発見」の大切さを教える光景を、ユーモアたっぷりに描いています。

第3部の「満州再訪記」は、旅行の様子と日露戦争以後の日本が歩んだ歴史が、交互に語られます。著者たち3人の子どもを守り抜いた母・藤原ていに対する著者の敬愛が、文章ににじみ出ているように感じられます。

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2018年12月21日

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藤原正彦 著「祖国とは国語」、2006.1発行です。国語教育絶対論、いじわるにも程がある、満州再訪記の3部構成です。国語はすべての知的活動の基礎、国家の浮沈は小学校の国語にかかっているとのことです。そして、読書は教養の土台、教養は大局観の土台だと。また、満州は著者の生地で2年3ヶ月過ごし、その後はソ連軍の怒涛のごとき満州侵攻を受け、母子4人の1年余りにわたる苦難の引揚げが始まったと。このことは、藤原ていの「流れる星は生きている」に詳しく書かれています。

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2017年06月19日

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「1、2に国語、3、4がなくて5に算数、あとは10以下」という表現が何とも言えず良かった。途中の新聞への連載記事のようなものも面白かった。文章がうまい。

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2015年06月07日

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■祖国

A.「個性の尊重」により子供を甘やかした結果、我慢力不足を招いた。我慢力不足は読書離れにつながり、読書離れは国民の知力崩壊を惹起し、国家を衰退させる。個性の尊重などという美辞に酔いしれている限り、この国の将来は覚束ない。

B.日本では英語の「ナショナリズム」(国益主義)、「パトリオティズム」(祖国愛)を、「愛国心」という1 つの言葉でくくってきた。その結果、愛国心の掛け声で戦争に狂奔し、戦後は一転、愛国心は軍国主義の生みの親と捨てられた。今、日本が抱える困難の大半は、祖国愛の欠如による。祖国愛と国益主義を峻別し、子供に祖国愛を育むことが国家再生の急所である。

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2014年02月01日

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 国家の品格は有名ですよね、こちらも前半の国語教育絶対論はとってもうなづける内容だった。「国語の基礎は、文法ではなく漢字である。漢字力が低いと、読書に難渋することになる。自然に本から遠のくことになる」読書は教養を獲得するための唯一の手段である。それはIT時代の現在でも変らない。

 幼少からの英語教育で原文を難なく読みこなせるのであれば問題はないが、それは無理。ならば教養を得るためには、日本語で書かれた本をたくさん読むしかない。本を読むには我慢が必要である、逆をいうと我慢を幼少より覚える手段としての読書というのもありなのかも。

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2014年06月18日

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