森達也のレビュー一覧
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私のなりの解釈を描きまとめる場所なので乱筆ご容赦願いたい。植松聖はやまゆり園の職員に好意的であった。しかし、異常な人間のお世話をして異常な行為(虐待)をしている職員を見て、こんないい人たちを狂わせてしまう障害者が悪いという解釈に至り数々の障害者を殺害したのではないかと。だが、異常か正常かなんて物に線引きは無い。生産的な活動ができない人間がこの社会に必要かどうか、これは私たちが考え続けなければいけないことである。感情論で死刑判決がてるのであれば気に入らないから人を殺すという動機が正当化されるのではないかと私は考える。司法はもっと多角的にあらゆる可能性を検証した先に判決を得ると思う。とにかくこの作品は読んだ人に対する問いを残していると思う。
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ネタバレ文庫本なら早くて半日か1日で読破できるのに、この本は1週間くらいかかった。昔、胸をときめかせたオカルトという素材が面白いのでちょいちょい調べながら時間をかけたのもあるが、徹底したノンフィクションという著者独自の手法に納得できない点もあったから。
例えば、目の前でスプーンを触らずにねじったり切断した現象を一部始終見て、「自分の目で見たことは確かだが、超能力とはいえないし、信じない」というドキュメンタリー作家としての筆者の中立であろうとする頑なな取材姿勢に少し呆れたのも事実。ダウジングという「技術」の体験を勧められても頑なに拒否し、目の前で起きた事象を、頭の中にある理性や常識というフィルターを通した途端、それは信じられないし、ありえないと結論付ける(本書終盤で「彼らの人格を信じる(P328)」と苦しい弁明をしているが、そのすぐ後に「(ダウジングは)信じていない(P330)」とわざわざ断定している)。もちろんその中には、嘘をつく動機が無い両親が語る息子のテレポーテーションという人間瞬間移動(!)も含まれるが…
また、一流企業のトップがこうした超常現象に興味を持っていたのも事実。京セラの稲盛、ソニーの井深、本田宗一郎や松下幸之助など理路整然と考える理科系頭脳が説明不能な事象を前に抑えきれない好奇心を刺激されたのも頷ける。
日本で初めて透視能力者として話題になったのが、御船千鶴子(服毒自殺)、長尾郁子(病死)、高橋貞子(貞子のモデル)などだが、実験の不手際や社会的圧力、マスコミや一般大衆からの誹謗中傷によって潰される。そうした意味では、現代に至るも客観的かつ科学的アプローチで真相を究明しようという動きはなく、結局最後にはオカルトとして一笑される。
超常現象否定派の大槻義彦氏や元オカルト番組プロデューサーの宇留田俊夫氏とのインタビューや態度を見ると、「常識的な見解」を錦の御旗に思考放棄している気がしてならない。
秋山眞人、堤裕司、清田益章。読後に感じたのは、彼らはやはり本物だと思う。 -
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本書を(ノンフィクション大賞にノミネートされているから間違いないんだろうなあ)という理由で手に取ったことを集団思考の兆候だと責められている気分になった。笑
そもそも新書には扇動する思惑が丸見えなものが多く、それを避けるためにノンフィクション大賞を頼ったというわけなので許してほしい。イデオロギーの対極にいてかつこんな面白い本を紹介してくれる全国の書店員さんに感謝。
冗長さを感じるのと、ネトウヨに対して敵意を剥き出しすぎなことに引いてしまったが、帰結については全くその通りだと思う。虐殺を無くすため知ることを怠ってはならないし、知識を広げていかねばならない。でも、分が悪そう。 -
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ネタバレ【一人称単数】
群集心理について、有名な研究を紹介しつつ、世界や日本の実例に触れながら教えてくれる本。身近な経験にも重ね合わせながら読めると思う。
ギュスターヴ・ル・ボンの『群集心理』が発行されたのは、1895年。
当時の日本は、日清戦争の終わり、そして同年に韓国の王妃の閔妃をその宮廷内で暗殺する。
『群集心理』では、多くの人が群衆の一人になった時、暗示を受けやすく物事を軽々しく信じる性質」を与えられるとする。(本文より)
この本が出された後。逆に権威はこの作用を濫用して多くを成し遂げてきているのかもしれない。逆にそうして利用されてきた個々人は、この作用が示されているにもかかわらず、それに対抗するための思考、教訓からの学び、そして行動がまだまだ不足しているのかもしれない。
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歴史的出来事の例として挙げられていたのは、日本の満州事変、第二次世界大戦を始めたドイツのポーランド侵攻、そしてナチスによるユダヤ人虐殺、21世紀に入ってからのイラク侵攻、ウクライナ侵攻…
人間の傾向として、不安恐怖を抱くと群れる、という。そして、群れは、異質を排除しようとする。
群れることで安心を得ようとする人々の心理。これは、個々人にも経験があると思う。
人は、時代とともにより多くの自由を得る一方で、自由は孤独と隣り合わせ。
エーリッヒ・フロムによると、自由に耐えられないと権威に服従する。他者を排除する傾向にある。
ジャニスが論じる「集団浅慮」では、人が群れたときに考えが浅はかなまま行動することをいう。
ハンナ・アーレントは、そうした思考停止に警鐘を鳴らす。
委縮、忖度、思考停止。有名な研究事例は、ナチスドイツ時代のアイヒマン、ヘス。
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著者は、特に日本は、群れる傾向が強いと考える。
空気、世間という全体の動きに合わせる。
震災で叫ばれた、キズナ。この語源はしがらみなどだという。
群れること、まとまりを作ることで、同じ動きをすることを全体の流れとして決める。
個人的にふと思ったのは、「社会人」になる時に多くの個人が皆に倣って不本意でも同じ動きをすること。自立、責任が求められる中で、多くの不安がある。だから、より周りに合わせようとする傾向が強まるのかもしれない。
メディアはこの本の議論の中でも重要なポイント。市場原理と切り離すべきジャーナリズムはその役割と立場について、市場原理と切り離すべき、という。
ジャーナリズムの自主規制が幻想であるとし、メディアは明確な規制がないことを恐れている点についても述べられていた。
最近では、2022年12月に閣議決定された、敵基地攻撃に関する法案について。この件では、敵基地への攻撃を「反撃」と言い換えていると指摘。
これまで戦争などにおいても、全体の統制を要する際に権威による言い換えが目立つ。
全滅を玉砕、後退を転進、と言っていたのは最近よくいろいろな本でも触れられていた。
そして今日も、この権威による群集心理の濫用が継続されていること。
日本で特有の被疑者の実名報道についても書かれていた。
これも、人間の善悪を分けるカテゴリー付けが強い、事につながりがあるのかもしれない。訂正可能性を許さない傾向。
一方個人的に思ったのは、記者の実名投稿について。この本では触れられていなかったけれど、逆に記者個々人の名前が各記事に記載されないことが日本ではよくあるのではと思ったりしていて、これはどう関係するのかな。報道内容に対する責任の不在、みたいなのが起こりえないのかな、とか思ったり。
SNSでも日本は特出してアノニマスなアカウントが多いという。だから著者は、一人称単数での発信、行動を奨励する。
そして、ネット上でも、声の大きいものに巻かれるエコーチェンバーの作用についても注意を促す。
結論として、
今必要なのは、メカニズムを探る、歴史、教訓を学ぶ、一人称単数の主語を抜かないこと。個人名を出さずに投稿している私も、群れの中での安心感に浸る傾向が強い。 -
購入済み
実名報道についての是非について
せっかく記者との対談もあるのだし
実名報道の是非についても話してほしかった
死んだらプライバシー保護の対象ではなくなるから
死者は実名報道されると言うのは知っているが
遺族のプライバシーはどうなるのか(天涯孤独と言うのもあるだろうが)
身内を殺された事を公表されるというのは遺族のプライバシー侵害に当たるのではと思った
記者らもうすうすそう思っているから今回の事件被害者の姓名公表は一部除いて控えていたのでは?
また実名報道は、誰が被害に遭ったのかという事実核心で。被害に遭った人がわからない匿名社会では、被害者側から事件の教訓を得たり、後世の人が検証したりすることもできなくなる
から実名報道は必要だという主張があることも知っているが
実名しないから教訓を得られないとか検証できなくなると言う論理がわからないし
世の中に伝わらないわけでもないだろうと思う
実名報道の必要性を感じない自分からしたら
実名控えた(了承えている遺族のぞく)今回の事件で実名報道に意味はあるのかどうか
討論してもらいたかった -
Posted by ブクログ
森達也氏の本を立て続けに読んでいる。本書は対談をベースに編まれたものであり、当然ながら対談相手の言葉も収められている。そのため、これまで読んだ本に比べて冗長な印象を受けるし、各テーマへの掘り下げも甘くなっている感じがする。
森達也氏の本は、自分の迷いや逡巡まで書き込んだ文体が、読者に考えることを促すのが特徴であろう。その意味で本書には物足りなさを感じたが、テーマが広いのは良い。また、歯に絹着せない物言いも心地良い。
安倍政権への批判が通奏低音のように流れている。青木理著『安倍三代』に書かれているように、安倍晋三に政治家としての志はない。彼が長く首相であったのは民度の低さを表している。