森達也のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
村上春樹の『アンダーグラウンド』を再読
→某雑誌の最新号で森達也のインタビュー記事を読む
→「そいえばこの人は『A』っていうオウムの映画撮っていたなぁ」
→某お気に入りの古本屋で本書の発見
というつながりで読んでみました。
自分はこの『A』という映画見ていないし、オウム事件の際のマスコミとかはまだそんなに気にするほどの年齢ではなかったので何とも言えないけ
ど、最近新聞を読んだり時々テレビを見る中で感じていた「マスコミに対する不信感」がこの本を読んで少し「理解できた」気がした。
そして、初めて村上春樹が『アンダーグラウンド』の「出口のない悪夢」で
述べていた怖さとかが「理解できた」気がした。
「分かる」というわけではないし、あくまで「気がする」だけだけれど…。
「誰がそう言っているんですか?」「メディアがそう言ってます」
「完全に客観的なドキュメンタリーなんて存在しない」
「テレビを見ている人はそんな情報をほしがっちゃいないんだよ」
・・・…本を読んでいて線を引きたくなる箇所がいくつもあった。
作品のすごさとか、森達也という人のスタンスをこれだけで判断することは
できないけれど、今、この時期に読んでよかったと思える本でした。
時間が出来たら映画も見てみたい。
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Posted by ブクログ
頁を捲る手が止まらず一気読みしてしまった。スプーン曲げの清田益章、UFOの秋山眞人、ダウジングの堤裕司という超能力者3者3様の在り方が非常に興味深い。そして森達也の著作に何度も出てくるメディアへの懐疑、ドキュメンタリーに対する姿勢、なにより物事へのアプローチの仕方というものが、地下鉄サリン事件をはさみ8年間にわたるこの取材過程(もちろんその間には『A』もある)の中で方向付けられたことがわかる。毎度ながらこの人の視点には共感できる。取材対象を撮りながら、自ら煩悶し続けるといういつものアレだが、ただ今回に関しては少し無理矢理拒否している部分が見えるようにも思える。文庫版あとがきの最後の最後の一言が結局は全てだったんじゃないかと思う。なのに「信じてませんよ」の一言が痛々しい。後々の著作を読めば、拒否反応の理由は今や森さん自身も分かってるんじゃないだろうか。
超能力やUFO、超常現象や奇跡とかスピリチュアルとかなんでもいいんだけど、こういう話って「有る無し論」になってしまう。要は信じるか信じないかという事なんだけれども。森さんはずっとその間を反芻しているわけだ。でもこの「有る無し論」自体が非常に演出的というかテレビ的というか、不毛な論議だよなと思う。特に否定する側の反応がとかく感情的になりすぎる。森さんが指摘する大槻教授のように、過剰にヒステリックで頑な拒否反応(大槻教授の場合はテレビ的な演出が多分に含まれているにせよ)が多いと思う。一言で言うと「騙されないぞ!」ということに尽きる。わたしは騙されないからね、みんなも騙されないように、と。
さて、ここで僕は思う。そもそも「騙される」ってどういうことなんだろうか。たとえばスプーン曲げの超能力がトリックだったとして、誰かが不幸になるだろうか。森さんの言うように、年端もいかない少年に対して目くじらを立てて怒るほどのことだろうか。「騙された」「騙されない」なんてのは本人の気持ち次第でしかない。全ての人に対応する絶対的な物差しなんて存在しないのだから。もっと言うと、例えばどっかの宗教団体で高価な壷を買ったとして本人がそれで幸せな気持ちになれるのならそれはそれでアリじゃないかと思う。その人の心はその人のものなのだから。外から他人が物差しで測る事は出来ない。
だから僕は、誰かに騙されることを恐れて窮屈に生きるぐらいなら、たとえ騙されていたとしても楽しく生きるほうを選ぶ。 -
Posted by ブクログ
あっという間に読めた。ふりがな付き、小学生向きの本で、これほど真正面から部落差別のことを書いている本は最近の本では本当に珍しいと思う。
以前勤務した職場が、被差別部落を校区に含む学校で、地域の歴史を勉強したが、この本にある事例より年代がもっと後になっても公然と差別が続いていたそうだ。
私はそうした事実を全く知らなかったことので、当時はとても驚いた。そのことをこの本を読んで思い出した。
食肉加工のことだけを知りたいなら他にもいい本があるが、著者の【人の本質に対するの考え、現代の問題とリンクさせた視点】が児童書としては新しい。また読み返してみたい本です。
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Posted by ブクログ
ハンガンの「少年がくる」からの派生本として読んでみた。
この本を読んでの気づきだが、少年がくるは意図的にかわからないが、加害者側、自国の本来なら守るべき市民を虐殺した軍人側の視点が無かったことに気づいた。
この時の韓国軍の軍人もおそらく徴兵された一般市民だったんだよなと…。本来なら1人を殺すことにも躊躇する、良き市民のはずの人々が、集団になると途端に加害性に鈍感になって、残虐な殺戮者になってしまう、人間の生まれ持った本性が悪い方向に加速することが歴史上何度もあった。
そして、とりわけ日本人は自分たちの過失に目を背けがちだ。虐殺があったことも認められない、自分たちの本性から目を背け続けた先には、また新たな虐殺が生みだしてしまうのではという恐れがある。
集団になると、個々はとても優秀な人々が途端に馬鹿げた判断を下すという事例は本当にあるある。というか、身の回り(特に仕事まわり)でも良く感じる。集団的浅慮についても今学ぶべきトピックスかもしれない。