森達也のレビュー一覧
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ネタバレ数年前に一度読んだのですが、「忖度」という言葉が流行語となった昨年辺りから気になり、教祖の死刑執行を機に再読することにしました。
下巻の最後は以下の言葉で締めくくられていました ── “いずれにせよ麻原は、おそらく数年以内に処刑される。〔中略〕そのときに自分が何を思うのかはわからない。でもこの社会がどのような反応をするかはわかる。それはきっと、圧倒的なまでの無関心だ。”
「数年以内に処刑される」という部分はちょっと外れましたが、「圧倒的なまでの無関心」ということについては本当にそのとおりでした。
著者の主張は概ね次のとおりです。
① 目が見えず側近からの報告以外に情報源を持ち得ない麻原とその意向を過度に忖度し偏った情報を提供する側近とが相互に作用しあって、教団が暴走してしまった。
② 事件に不安を持った大衆は分かりやすい情報を求め、メディアは大衆の求める単純なストーリーに合致した情報のみを報道した。この結果、オウムは絶対悪であるとの世論が形成された。
③ 麻原が訴訟能力を失っていたにもかかわらず、世論に圧された裁判所が拙速に死刑を確定したことで、真相を解明する機会が失われてしまった。
これらの中でも特に②には注意すべきだと思います。情報を求めた大衆と、大衆の意向を忖度して恣意的な情報を与えたメディアとの関係は、ちょうど教祖と側近の間の構図と同じです。我々が自分と異質な何かに対して不安を感じ、ポピュリズムがそれを一押しすれば、その「異質な何か」が「悪であり敵である」と我々は簡単に信じ、攻撃さえします。つまり、我々だって「オウム化」し得るのです。
国民の圧倒的多数がオウムをひたすら憎悪することで思考停止していた時期に、多くの取材に基づいてオウム事件を異なる角度から捉えようとした著者の姿勢は貴重だと思います。事件発生から20年以上が経過し、当時の記憶は人々の間で薄れて行くでしょうが、一方で事件を冷静・客観的に見ることができるようになってきているはずです。そのような中で本書を読み、事件についてもう一度考えてみることは意味があると思います。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ学生向けのメディア論ですが、
僕みたいなアラフォー世代が読んでもおもしろく、
恥ずかしながら、こんないい年してても「ため」になりました。
メディア・リテラシー
(情報の読み書き能力、
意訳として「読解」と「アウトプット能力」とも言えると思う)
から、メディアがどう情報を編集し演出しているかなどを、
平易で読みすい文体で、
しかし、しっかりした質感の深さでもって
読者に説明し、ではメディアとどう付き合うべきかを問いかけてきます。
テレビ、新聞、SNS、などなどから発信される、巷にはびこる情報がどうつくられていて、
どういう性質で、といったことにはあまり注意をむけない人は多いのではないか。
著者は情報の四捨五入という喩えを用いて、
切り上げられる情報と切り下げられる情報とがあるのだ、と説明します。
また、客観的で中立的な情報などないということも、
本書の中で説き明かしてくれる。
さらに、メディアと、メディアの受け手である僕らとの共犯関係についても、
戦前の日本が戦争に向かった例を出すなどして、
腑に落ちる形で教えてくれます。ここがもっとも大事なポイントでした。
また、メディアの怖さについても解説があります。
ナチスドイツのプロパガンダを例に、
人々を思うようにコントロールしてしまうメディアの使い方があると紹介しています。
というか、現代においてだって、ニュースひとつとっても、
情報の発信手の意図によって、
受け手の僕らはコントロールされていることに、気づける人は気づける。
どんなニュースを報道するか、どんな順番で報道するか、
ニュースの中身のどれを伝え、どれを伝えないか、
あるいは、どれを強調し、どれを軽く付け加えるだけの形で済ますか。
本書を読んでいくと、偏向報道ではない正しい報道など、
この世には存在しないのではないか、
というひとつの現実のあり様が見えてきます。
ただそれでも、マスコミを、「マスゴミ」などと言い、遠ざけすぎず、
距離感やリテラシーをもって関係を保つことのほうが大切なのだ、
いうようななことだって本書は述べています。
真実はひとつ、とするから間違うのであり、
物事の真相はいろいろ複合的な要因に拠っていることがほとんどです。
そうしたことを踏まえて、メディアに接し、情報を扱う。
メディアが進化し多様化する中で、
それに振り回されず、欺かれず、真に受けず、
そして間違って情報を咀嚼した結果、自らも過ちを犯してしまうことを防ぐ意味でも、
本書に書いてある内容を、一度、自らに経験させておいたほうがいい、
つまり読んで考えてみた方がいいと思うのでした。 -
Posted by ブクログ
相変わらずどきりとする森達也の著作である。本書もそうだ。「これ、
私のことじゃん」と思う指摘もちらほら。でも、森さん、少々拗ねてる?
ネットで叩かれ過ぎたから?それとも日本の現状に匙投げちゃった?
それでも、きっとこれからも書き続けるんだろうな。「非国民」「売国奴」
「ブサヨ」なんて言葉を投げかけながらも。
某所で私も時にそんな書き込みをされることがあるんだけどさ。なんだ
ろうね、「日本人サイコー」「日本サイコー」って言わない人間はぜ~んぶ
非国民で売国奴でブサヨなのかな。
「飽きた」と言われようと、ウォルター・クロンカイトの言葉をまたまた引く。
「だいたい、愛国主義というのはどうやって定義するのか。政府の行動を
すべて盲目的に支持することが愛国的なのか。それとも、一人一人の
国民が、政府の望むところに賛成しようが反対しようが、祖国のために
正しいと思う原理原則にしたがって発言し行動することが愛国的なのか。
(中略)あの反戦運動をしている人たちも、愛国主義者かも知れない。
少なくとも彼らには、自分たちの祖国愛があなたの愛国心と同じように
真摯なものだと信じる権利はある筈だ。そして、その信ずるところを表明
する憲法上の権利もある。この歴史的な国民的議論にあって、彼らの
言い分をわれわれが報道したからといって、それが愛国主義に反すること
になるとはどういうことだ」
さて、先日、日本とドイツが送って来た戦後の違いを解説した作品を読んだ
のだが、本書でも偶然、森氏がドイツの大学生と交わした会話の一部が
紹介されていた。
東京大空襲の日、沖縄戦の日、広島と長崎への原爆投下の日、そして
終戦の日。日本のメモリアル・デーは被害の記憶だが、ドイツでは加害
の記憶なのだそうだ。
これはまったく知らなかった。そう言えば東京大空襲をテーマにした施設
建設の話があった。そこでは日本国内のみならず、日本軍が中国で行った
空襲に関する展示もされる予定だった。
それに横やりがはって、未だに施設の建設の目途が立っていないそうだ。
「自虐史観だ」ってことなのかな。アメリカでの原爆展が、アメリカの在郷
軍人会の反対で中止になったことがあった。日本はアメリカの原爆展中止
の決定を責められないよね、これじゃ。
なんだか怖いと思うんだ。政府に異を唱えるだけで非国民って言われて
しまう現状が。それが年々、エスカレートしているように思うんだ。薄気味
悪くて、息苦しいと思うんだ。
自分の国がやって来たことを見る目ることが、なんで自虐史観になって
しまうのかな。やったことはやったこととして、直視するべきなんじゃない
かな。例え、それがとても都合の悪いことでもさ。
森達也氏の書く内容は、相変わらず都合が悪い。しかし、これからもきっと
私は読むんだろうな。自分の偏狭さに気づくためにも。
「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目になります」
西ドイツの大統領だった故ヴァイツゼッカー氏の「荒れ野の40年」と題され
た演説の、有名な一節だ。
現在にも、未来にも、盲目になりたくはない。だから、過去をしっかりと
見つめたい。そして、同じ過ちを繰り返そうとしているこの国の将来を
憂いながらも「それは違うんじゃないか」と声を挙げ続けたい。
あ…全然、本の感想になってない。(^^ゞ -
Posted by ブクログ
森達也の書く内容には毎回どきりとさせられる。本書もそうだ。
それは私にとって都合の悪いことが書かれているからだ。
「当事者のことを慮れ」「当事者の身になってみろ」。大きな事件・
事故・災害等があるとこんなことを書き散らしていることがある。
当事者への共鳴が正義であると思ってるからだ。だが、正義には
もれなく危険が付きまとう。正義だと思い込んだものを振りかざす
時、人は違う意見を排除しようとする。
「まったき正義」はないと思っている。それでも自分の意見が、思想が
正義であると思ってしまうことがある。
だから、森達也が書く文章は耳に痛い。自分の思い上がりを指摘
されるからだ。
本書には非常に都合の悪い話が詰まっている。犯罪者に極刑を
求める第三者、領土問題、善意の伝播、既存メディアの在り様、
北朝鮮による拉致問題等々。
本書に書かれている内容すべてに賛同できる訳じゃないが、
凝り固まった思考を動かすことが出来る。
読みながらまた思い出す。アメリカのニュース・キャスター、
クロンカイトの愛国心についての言葉を。国のやることすべて
に賛意を示すことだけが愛国心ではない。国のやることに疑問
を呈することも、また愛国心じゃないのか…と。
過熱するヘイトスピーチ、煽られる危機とそれに伴う不安の拡大、
そして異なる文化や習慣を持つ人々への根拠のない憎悪。
ここ数年の日本を覆う薄気味の悪さ。異を唱えようものなら
「ブサヨ」「非国民」「売国奴」なんて言う言葉を容赦なく浴びせ
られる。
それでもやっぱり「おかしい」と思える感性をなくしたくはない。
「自衛隊を軍隊にして誇りを取り戻そうと言う人がいる。意味が
分からない。他の国と同じで何が誇らしいのだろう。僕は自国の
民族や文化を愛している。でもこれを誇るつもりはない。なぜなら
世界中の国が、独自の民族や文化を持っている。歴史も同様だ。
誇ることはひとつだけ。不安や恐怖に震えながらも、歯を食いし
ばって世界に理念を示し続けたこの国に生まれたことを、僕は
何よりも誇りに思う。」
「九条の国、誇り高き痩せ我慢」と題されたエピローグの一節だ。
そうなのだ。日本が世界に誇る憲法九条。それを変えようをして
いる人たちがいる。
憲法改正反対っ!なんて書くと森達也同様に「頭がお花畑か」
なんて言われちゃうのかな。言われてもいいや。私は九条を
変えて欲しくない。
マイノリティでもいい。でも、声を上げるマイノリティでいたい。 -
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『A』『A2』『A3』でオウム真理教の内部からドキュメンタリを撮った森達也。『神さまってなに?』というタイトルの本を出していたので手に取った。
タイトルから類推できたのかもしれないけれど、中高生に向けて書かれたような文体になっている。キリスト教、仏教、イスラム教の成り立ちがわかりやすく書かれている。それらの事実についてはある程度知っていることだが、中高生が読むとへぇーそうだったんだと思う程度にまとまっている。
自分が初めて宗教に向き合ったのは、シリア人の学生と同じ研究室に入ったときかもしれない。時間が来るとお祈りをしないといけないその人と一緒にいて、少し面倒だなあと軽いカルチャーはありながらも受け入れていた。また、教会で無料で英会話教室を開いていたので参加して、布教されたけれど、それはないなあと思いながら丁寧に牧師さんのいうことを聞いていた。ここに書いてある通り、世界の人の中で、しっかりとした宗教を持っていない人の方が多いと知ったのはアメリカに行ったときのことかもしれない。授業の課題で、宗教観について調べるためにインタビューをしにきた学生に、日本の無宗教について説明するのはとても骨が折れた。2001年以降、その頃以上に宗教というのは不幸ながらより大きな問題を世界で起こして、多くの人の知識や感じ方は変わっているかもしれない。
森達也は、宗教が排他的な感情を生むことに対して宗教の悪い面として指摘はするが、宗教や神様についてその存在を否定することはしない。リチャード・ドーキンスのようにアンチ宗教の方が感覚的には合うのだけれども、森達也としてのスタンスはとても尊重したい。
そして、子どもにはこういうことは知っていてほしいなとは思う。 -
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ドキュメンタリーなの?と思わせるくらいの浮世離れ感。読みやすく、ところどころフィクションの小説かと錯覚してしまった。それくらい、出てくるキャラクターたちの個性も強くて。
でも、これがドキュメンタリーなんだってことにこの作品の面白さ、深さがあるなぁと思います。
「信じるか、信じないか、結局その質問にしかたどり着けない、自分はその程度」という作者の言葉がとても印象的でした。あなたは信じますかという問いを尋ねたい訳でもなく、そこに固執したいのでもないけれど、やっぱり聞かざるをえない。すごく正直な作者だと思った。
そして私もやっぱり「えー嘘だろう」と思い続けてしまった。
途中の作者の葛藤すら、面白かったです。 -
Posted by ブクログ
「完全客観的な事実なんて、ない。事実をうつすだけのドキュメンタリーなんて、存在しない。」というメッセージがひしひしと伝わってきた。ドキュメンタリーやマスコミの世界だけではなくて、すべての事がひとの視点というフィルターを通して屈曲しているのだなぁと、なんだか胸が詰まりそうになった。
でも、途中からは純粋な映画メイキングストーリーとして楽しむ要素もあり、ノンフィクションなのかと錯覚してしまうくらいな部分も。ドラマを見たかのような。
何が正しくて、なにが誤ってるのか、結局それは人次第で、その人のなかで出来上がっている事実が正しいということなのか。深い! -
Posted by ブクログ
<目次>
開演 「でもオレは結局曲げちゃうよ」”超能力者”はふてくされたように言った
第1幕 「よく来てくれた。そしてよく呼んでくれた】恐山のイタコは語り始めた
第2幕 「現状は、誠実な能力者には不幸でしょう」オカルト・ハンターの返信はすぐに来た
第3幕 「僕たちはイロモノですから」”エスパー”は即答した
第4幕 「いつも半信半疑です」心霊研究者は微笑みながらつぶやいた
第5幕 「わからない」超心理学の権威はそう繰り返した
第6幕 「批判されて仕方がないなあ」ジャーナリストは口から漏らした
第7幕 「当てて何の役に立つんだろう」スピリチュアル・ワーカーは躊躇なく言った
第8幕 「毎日、四時四〇分に開くんです」店主はてらいがなかった
第9幕 「解釈はしません。とにかく聞くことです」怪異蒐集家は楽しそうに語った
第⒑幕 「これで取材になりますか」雑誌編集長は問い質した
第⒒幕 「僕はこの力で政治家をつぶした」自称”永田町の陰陽師”は嘯いた
第⒓幕 「匿名の情報は取り合いません」UFO観測会の代表は断言した
第⒔幕 「今日はダウジングの実験です」人類学者は口火を切った
第⒕幕 「今日の実験は理想的な環境でした」ダウザーはきっぱりと言った
第⒖幕 「あるかないかではないんです」超心理学者は首をかしげてから応じた
第⒗幕 「夢の可能性はあります」臨死体験者は認めながら話し出した
第⒘幕 「わからないから研究したい」科学者たちは当然のように答えた
第⒙幕 「僕らは超能力者じゃありませんから」メンタリストはあっさりと言い放った
終幕 パラダイムは決して固着しない。だからこそ、見つめ続けたい
<内容>
超能力・幽霊・予知・ダウジング・UFO・エスパー・イタコなど、”オカルト”とされる様々な事象や人々を取材して回ったノンフィクション。種本は2012年。けっこうな量があるが、意外と淡々と読める。著者の立ち位置が傍観者的なので、是非を語ることもなく、失敗があっても、本当に不思議なことでも著者の観たままに綴られているのが特徴。また科学者たちにも取材をしていて(大槻教授のように全否定ではない)、彼らのスタンスもよくわかる。そういう点で巷の”怪しい”本ではない。これは読んで損はないと思う。 -
Posted by ブクログ
「大きな肉のかたまり(豚角煮とか)を見てテンション上がる人には、超美味しそうじゃん」
と、品川と場を以前見学させていただいたとき思いました。
大きなコンベアー、大きな肉のかたまり、大きな包丁、あちこちから出ている水蒸気…。危険が伴う仕事の最中なのに、見学者にも気を配ってくれる優しい職員の方々が多くて、あたたかい気持ちになったことをよく覚えています。
この本でも解体作業の様子がよくわかりますが、興味を持った方にはぜひ自分で見学に行ってほしいです。自分が良い経験だったと思っているので。
本書の内容としては、食肉、部落差別について、考え方の基本になることが分かりやすく解説されています。子どもに向けた語り口ですが、大人にとっても良い入門書になりそうです。自分達が食べるために殺しているのに、なのに何も知らない、じゃあ知ることから始めよう…というスタンスで、価値観の押し付けにならないようにと配慮を感じる文体でした。
知識的な面でも、農耕の起源、部落の起源など諸説あることについても、基本を抑えつつ1つの説に偏らない説明でした。
ただ実際子どもにこの本への興味を持たせるのは…ちょっと自分では上手くやれる気がしません。説明が丁寧だし、おさえてほしい部分(自分達が食べているのだから…)は何度も繰り返しているので、少しくどい部分もあります。それくらいじゃないと子どもには伝わらない、のかも知れませんが。
大人が読んで、この本のスタンスや語り口で子どもに語っていくしかないのかなぁ。