森達也のレビュー一覧
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ドキュメンタリーなの?と思わせるくらいの浮世離れ感。読みやすく、ところどころフィクションの小説かと錯覚してしまった。それくらい、出てくるキャラクターたちの個性も強くて。
でも、これがドキュメンタリーなんだってことにこの作品の面白さ、深さがあるなぁと思います。
「信じるか、信じないか、結局その質問にしかたどり着けない、自分はその程度」という作者の言葉がとても印象的でした。あなたは信じますかという問いを尋ねたい訳でもなく、そこに固執したいのでもないけれど、やっぱり聞かざるをえない。すごく正直な作者だと思った。
そして私もやっぱり「えー嘘だろう」と思い続けてしまった。
途中の作者の葛藤すら、面 -
Posted by ブクログ
「完全客観的な事実なんて、ない。事実をうつすだけのドキュメンタリーなんて、存在しない。」というメッセージがひしひしと伝わってきた。ドキュメンタリーやマスコミの世界だけではなくて、すべての事がひとの視点というフィルターを通して屈曲しているのだなぁと、なんだか胸が詰まりそうになった。
でも、途中からは純粋な映画メイキングストーリーとして楽しむ要素もあり、ノンフィクションなのかと錯覚してしまうくらいな部分も。ドラマを見たかのような。
何が正しくて、なにが誤ってるのか、結局それは人次第で、その人のなかで出来上がっている事実が正しいということなのか。深い! -
Posted by ブクログ
<目次>
開演 「でもオレは結局曲げちゃうよ」”超能力者”はふてくされたように言った
第1幕 「よく来てくれた。そしてよく呼んでくれた】恐山のイタコは語り始めた
第2幕 「現状は、誠実な能力者には不幸でしょう」オカルト・ハンターの返信はすぐに来た
第3幕 「僕たちはイロモノですから」”エスパー”は即答した
第4幕 「いつも半信半疑です」心霊研究者は微笑みながらつぶやいた
第5幕 「わからない」超心理学の権威はそう繰り返した
第6幕 「批判されて仕方がないなあ」ジャーナリストは口から漏らした
第7幕 「当てて何の役に立つんだろう」スピリチュアル・ワーカーは躊躇なく言った
第8幕 -
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「大きな肉のかたまり(豚角煮とか)を見てテンション上がる人には、超美味しそうじゃん」
と、品川と場を以前見学させていただいたとき思いました。
大きなコンベアー、大きな肉のかたまり、大きな包丁、あちこちから出ている水蒸気…。危険が伴う仕事の最中なのに、見学者にも気を配ってくれる優しい職員の方々が多くて、あたたかい気持ちになったことをよく覚えています。
この本でも解体作業の様子がよくわかりますが、興味を持った方にはぜひ自分で見学に行ってほしいです。自分が良い経験だったと思っているので。
本書の内容としては、食肉、部落差別について、考え方の基本になることが分かりやすく解説されています。子どもに向け -
Posted by ブクログ
論点が明確だからか、対談本にしては筋ははっきりしている。ただし、というかだからこそ二人の主張は交わらない。
藤井は、自ら行った多くの被害者遺族とのインタビューの後に、死刑存置に自らの意見を傾けることになったという。それは非常にアクチュアルな判断なのだと思う。しかしながら、死刑の存続の主張を、被害者遺族の応報によって立つ限り、被害者遺族がいなかった場合に死刑は必要なのかという根本的な問いに答えることができない。この点については森からも強く指摘されながらも藤井は答えを返すことができていないでいる(と少なくとも私には見える)。
死刑が統計的に犯罪抑止に貢献していない以上(これについては両者とも同意 -
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最近気に入ってときどき読んでいる
森達也氏の本。
簡単なすぐに読める本ですが、タイトルがいい。
『たったひとつの「真実」なんてない』
平易な文書ですが、奥が深い文書だと思います。
まったくそのとおり。
またメディアの見方、リテラシーについて著者の
考え方が分かり易く書かれてあります。確かに
メディアはどんどん力を持っているように思えますし
(昔もそうだとおもうのですが)高尚ではなく低俗
になっていると思えます。
メディアは絶対に必要なもの。でも高尚なものや
中立的なものではない。低俗だなあと思えるのは
それは、マス側がそういうニーズをもっているから
鏡であること。
だからこそその扱い方、見方、 -
Posted by ブクログ
一応、メディアの端くれの端っこの方で落っこちそうになっている者として、実感としてもよく分かる本でした。
「たったひとつの『真実』なんてない」
その通りと思います。
メディアは最も良い場合でも、真実の一断面しか伝えることしかできません。
それを「ウソ」だと云われても困ります。
捏造は論外ですが、メディアは不完全な存在です。
でも、なくなっては困ります。
「ならば上手に使おう」という著者の呼び掛けに同意します。
もし上手に使えないとしたら、それは最悪の事態を招くことさえあります。
なぜなら、「国の形はその国のメディアによって変わる」からです。
第2次世界大戦後、ニュルンベルク裁判で裁かれたナチスの -
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自らKY、ずれている、という森達也氏。その資質が、オウム真理教を内側に入って追った『A』や、放送禁止歌やエスパーなどの一風変わった対象のドキュメンタリの作成につながってきたのではと解説する。その森さんのエッセイ集。
エッセイ集なので、対象を絞った、その中で悩み抜く森さん特有の魅力はこの本にはない。もしくは薄い。
この本の中でも死刑制度や、天皇制に対するメディアの自粛(に代表されるメディアの変質)などへの言及は、すでにどこかで聞いた既視感があるが、きれがある。きれとは、ずれだ。
メディア批判も相変わらず。ここが著者の設定するプロブレマティックの中心にあるからだ。メディアが持つ力に対して、権