森達也のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
いまどき”逆襲”しなければいけないような”映画評論家”っているのかなと思ってスルーしかけたが、最後の章の『罪の声』への批判とコメントを読んでなるほどと思って買ってみた。実作者(監督だったり脚本家だったり)ならでの観点はやはり面白い。確かに最近の日本映画には”重み”や”深さ”がなく、もう一度見たくなったり、いろいろ考えさせられたり、ということが少ない印象がある。全面的に賛成できるような意見はそれほど多くないが、日本映画の現状もやもやしたかんじの原因の一端をついているところもあるかな。いずれにせよ、解答を求めて読むのではなく、いろいろ考えてみる材料になる一冊でした。
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Posted by ブクログ
死刑制度、陪審員裁判、メディアのあり方、障害者差別、トランプ安倍首相に代表される過剰な権威主義への傾倒、国民倫理のあり方・・・・一通り網羅されてはいるもののやはり重点が置かれるのは精神鑑定を軸とした司法の問題だ。
だがいくらその異常性を網羅されても、つまり正常な精神状態ではなかったとされても、結局本人の内面性は不可知領域である以上論点にすべきではない。何も前に進まなくなるのだ。
実は本書に抜け落ちている視点が被害者遺族のものだ。遺族は何よりも死刑判決に対して抗うべきではなかったか。名前や写真の公表を控えるのは心情的には理解ができるが、異なるものを排除するという点において死刑制度はまったく植松の心情と合致しているものだからだ。
これに異を唱えなかった遺族にこそ障害者の差別意識と愛情の欠落が見えてとても悲しい。
本作が発行された直後、1月6日にアメリカの議事堂の襲撃が起こった。表面的な事件も国も社会のとらわれ方も違うが、構造は明らかに相似している。
もちろんそれが全ての原因であるとは言えないが、その論考を是非共有したい。
すなわちトランプや安倍政権の権威主義やその権威をまさしく笠に着て盛り上がるネットにおける右派的論考がなかったとして果たしてこの植松の事件は起こったのだろうか。
2016年という右派論壇真っ盛りの時期といい、あまりにもわかりやすいこの想像に警戒しなくてはならないが、植松本人の幼児性を考えるとありえない話ではないように思う。恐ろしいことに。 -
Posted by ブクログ
日本の司法制度、メディア、社会のあり方について考察したもの。相模原の津久井やまゆり園事件を通して丁寧に考察を重ねていく。裁判員裁判制度のためか、あれほどの大事件がおよそ1ヶ月で結審し、結果としてなぜこのような事態が生じたのかは何も明らかにされなかった。「裁判で事実を明らかにする」ってのはもう期待できない。
一方で報道する側のメディアについても、メディアは社会によって規定されるものであり「メディアやマスコミがゴミ」というなら社会がゴミであるというのと同義だという。そしてゴミが選挙で政治家を選んでいるのが、今の日本なんだとする著者の言は、著者がメディア側の人間であることを差し引いても、ちょっと怖い一言だなぁ。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ善と悪の二元論。その間にあるグレーゾーンから目を反らすな。世界はもっと複雑で優しい。そんな森さんの通底するテーマを、相模原の植松聖による障害者襲撃事件を題材に語る一冊。昨今の裁判は、陪審員制度が始まってから極端に描ける時間が短くなっており、極刑を前提に精神鑑定による責任能力の有無のみに終始する。刑の軽重の問題でなく、純粋に事実があいまいなまま終わらせてしまうことへの警鐘を鳴らしている。障害者施設自体に何らかの問題はなかったか。もちろん責任の所在を問う目的ではないので、そこは大きく触れられずあえて問いかけのみに終わらせている。だからこそ、疑い悩むべきはぼくら。早々に結論をくだし、逡巡しない現代社会に冷水を浴びせる一冊でした!
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Posted by ブクログ
だいぶ前に買って読みかけていたのがいつのまにか積ん読の山に紛れ、このたび発掘されたので続きを読んだ。
森達也さんの書くものは常に葛藤にまみれている。揺れている。自分が正しいとは決して思わず迷いながらそれでもご自分が見たもの聞いたこと経験したこと調べたことを真摯に書いている。
ショッキングなタイトルは本書に収録された一コラムのタイトルだけど、この中でも筆者は躊躇なく「自分がその立場に置かれたら」と書きつつ迷う。
疑問を持ち続けること。自明とされている、報道されている、今目の前に見えるもの、それらを(自分を含めて)疑い続けること。その上でバイアスを排して物事をあるがままに認めようともがき続ける著者の姿勢に共感する。 -
Posted by ブクログ
メデイア・リテラシーあるいは批判的思考について学ぶのにちょうどよい本。ただし、強く歪んだメディア観もしくは認知的バイアスをすでにもっている人は、この本を読んでもメディア・リテラシーあるいは批判的思考が身につくことは期待できないだろう。だから著者が中心的に訴えかけたいのは、本書の「あとがき」にもある通り10代後半から20代前半ぐらいまでの若者なのだろうと思う。ちくまプリマー新書だし。
それにしても、この本がこの時期に出版され、出版直後にたまたま手にとって読むことができたというのは幸運だった。というのも、つい最近、次のような出来事があったからだ。
2014年12月14日に行われる衆院選の公示前に自民党は在京テレビキー局の責任者を呼びつけて「選挙時期における報道の公平中立ならびに公正の確保についてのお願い」という名目の下、実質的には報道機関への圧力ともとらえられ得る要請を行っていた。これは11月20日のことである。そして、この本はそれよりも前に書かれ、出版されたのも11月10日なのである。公正中立とは何かを問いながら、上記の問題について直接切り込んでいるのである。しかしそれは自民党による上記の問題が取りざたされたからではなく、問題が取りざたされるようになったのは本書が出版されたあとなのである。
偶然との見方もできるだろうが、起こるべくして起こったと見ることもできるだろう。いずれにせよ、リアルタイムで読むことができたのは本当によかった。
ぜひ周りの人にも一読することを勧めたい一冊である。