井上ひさしのレビュー一覧
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ネタバレ2012年2月27日
子ども用に買ったものだけど、自分でも読んだ。
基本的には純粋な平和のお話だと思う。
が、疑問に思ったところがいくつかあった。
普通の大人ならとーぜん知ってることかもしれないんだけど、私はどーにも、あほすぎる…
疑問その1
(p40「あたらしい憲法のはなし」の引用より)
だから、こんどの戦争をしかけた国には、大きな責任があるといわなければなりません。
→それって、日本じゃないの?真珠湾の奇襲攻撃??
疑問その2
(p41 憲法の前文の話)
「この憲法をつくったのは日本国民である」と書いてある。
→え?GHQじゃないの??
疑問その3
(p46 第九条の話)
日本国家が国としてよその国の人を殺したり、武器をつくってよその国に売ったりはしていません。
→日本のメーカーで武器作ってるところあるよね?「日本国家が国として」じゃないからいいの?それとも、外国に売ってないの?
疑問が出てくると、うまく読み進められない。疑問が頭について、内容がわからなくなる。 -
Posted by ブクログ
中巻に入って、話のテンポが上がり、俄然面白くなってきた。
言葉遊びの散りばめられた、荒唐無稽のストーリー展開の中に、国にまつわる様々な社会問題が提起され、その本質が描かれていく。
民族の独立問題、国家防衛(自衛隊の存在)と日米同盟、憲法9条、経済と性的産業、農政問題、医療や看護の問題と福祉の問題。日本と吉里吉里国を対比し、日本の社会問題を抉り、吉里吉里国での対策が描かれる構成で、社会問題を解決する理想形を紡いで行く。
どれも重たい課題なのに、冗長過ぎる様な馬鹿馬鹿しいストーリーと、吉里吉里語の言い回しで、易しく、所々で吹き出しながら、読み進められる。
エログロナンセンスだけど、実はテーマは重いのかも。
吉里吉里中年百姓合唱団の歌の中で、『百姓は土を耕す。耕すとは文化と同じ語源でカルチャーだから、百姓は文化人だ』と高らかに吉里吉里語で歌うシーンが圧巻。
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Posted by ブクログ
ネタバレあの日本で初めて地図を作った伊能忠敬を小説にした井上ひさし氏の「四千万歩の男は、全部で5巻完結であり、そのボリュームに恐れをなして、似たデザインの兄弟本に「四千万歩の男 忠敬の生き方」という本があるのを知り、少々弱腰でこちらを読むことにした。
ところがこちらは、小説でなく、上記小説についての著者の雑誌や新聞への寄稿文、あるいは講演記録、インタビュー記事などが編集された本であった。であるのでで小説の概要や、伊能忠敬の人物像については、この本で結構知ることはできた。しかし、小説の醍醐味、伊能忠敬になって日本全国を巡る臨場感的なものを期待するなら、小説本体のほうが断然すぐれているはずだ。
小説本体のほうの内容は、西暦1800年(寛政12年)の一年間の歩みについて書かれているようである。これに井上ひさしさんは5年かけて書かれた。そこで、井上さんと編集者は計算したそうだ。
伊能忠敬のの地図作りの旅は約17年間に及んでおり、このペースでいくと生涯を描き上げるには、5×17=85年を要すと。当時40歳だった井上は完結するには125歳まで書き続けねばならないということになり、断念したというエピソードが載っていた。
しかし、それほど井上氏は書きたかったようだし、伊能の一年分を5年かけて書いたその内容は、まさに一歩一歩の歩みについて濃厚に綴っていったようである。
巻末に関連年表が掲載されているが、1800年のところを見ると伊能忠敬の御年55歳。「蝦夷地を測量して実測地図をつくる(第1回測量)、間宮林蔵と会う。」とある。
伊能忠敬が55歳であることと、蝦夷地を測量しているところがポイントである。
それまで忠敬は商家の婿養子で、けっこう稼いだようだ。それが第一の人生。忠敬が測量を開始したのは隠居してからで、これが第二の人生。つまり忠敬は第二の人生において、日本初の地図を作るという偉業を成し遂げたのである。
それも当時は平均寿命が40歳くらいの時だから、もう皆が隠居しておとなしく余生を過ごそうというようなときに、一念発起してこれをやり遂げたわけだから、世の中の壮年世代に勇気と希望を与えてくれる人物であると言える。
これを始めるにあたり忠敬は19歳も年下の暦学家の高橋至時に師事し、西洋天文学を学び始め、自らも天体観測を行った。そして高橋至時の推薦で幕府の命をうけて、蝦夷東部および南部の測量を開始したのだ。この年齢における向学心もまた見習うべきところがある。
また、忠敬の師・高橋至時のその師がまた、麻田剛立という凄い学者だった。西洋でケプラーが惑星運動の法則を発見したのと時を同じくして、日本でも麻田剛立がほぼ同様の法則を解明していたというから、日本の天体観測技術は非常に先進的だったということだ。
この小説の中で井上氏は、同時代に生きた多くの碩学を登場させているようである。ここはフィクションとして。フィクションとはいえ、物語はとても面白くなるだろう。
碩学たちについて、本書では「忠敬と同時代人」という章を設け、志築忠雄、関孝和、林子平、高田屋嘉兵衛、平賀源内、二宮尊徳、他多くの登場人物を紹介している。
併せて当時の測量道具なども特集的に紹介されており、こんな道具をもって測量していたのかと、非常に興味深い。
本書を先に読んで、前知識をもって小説に入るのもよいかもしれないし、小説を楽しんだ後に、「復習とまとめ」の位置づけで本書を読むのもよいかもしれない。
井上ひさし氏が当時もくろんでいたNHK大河ドラマ化が、そろそろ実現してもよいように思うのだが・・・。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ上中下巻に渡る大作。
日本が抱える様々な矛盾や課題を、農業政策と医療政策を切口に皮肉りながら、ドタバタでガタガタでハチャメチャでハラハラに書き進めるコメディ。
ハッとするような指摘を、軽妙なコメディタッチで書き上げているのが面白い。
40年近く前の作品でありながら、今の日本への提言として遜色ないのは、内容が普遍的で不変だからなのか、日本という国が成長していないからなのか…
そして、読んでいるうちに、脳内は“吉里吉里語”に汚染されていく。
それにしても、主人公・古橋健二のダメ人間ぶりがものすごい。フィクションだから、あえて極端に振ってるんだろうけど、それにしてもひどい。それが面白いんだけど。
そのダメっぷりが、最終的には吉里吉里国独立運動を失敗的終焉に導くんだけど、なんだか終わり方がグロテスクで、最後の最後でビックリしてしまった。 -
Posted by ブクログ
先日読んだ『十二人の手紙』が非常に良かったので、別の作品に手を出してみる。
タイトルから想像していたけど、なるほど、筒井康隆の香りもするなぁと思っていたら、まさかの御本人が解説で、笑ってしまった。
「括弧の恋」
ワープロの機能不調。
カギカッコ閉じるを押しても出てこないタイムラグの裏には、記号たちの織りなす世界があった。
このテーマ、ウェブ世界にも応用出来ないかな。
そうすれば、パソコンが重いことの裏には、こんな記号世界があるのかもと笑っていられるのに。
「極刑」
アクバル大帝の言語実験を劇にする話。
赤ん坊に対し、ある者はきちんとした言葉で話し、ある者は文法的には合うが通じないことを話し、ある者は何も意味をなさないことを話す。
人間にとって言葉を与えられないことは「極刑」と同じであり、この実験の酷さに気付いた三人の乳母は、言葉の教育を始めるが、アクバル帝によって舌を抜かれてしまう。
これは劇のあらすじなのだけど、この劇を演じる演者たちへの影響が面白い。
「言い損ない」
後に出てくる「言語生涯」と同じテーマ。
母親を通した異性への恐怖から、女性を前にすると激しい言い間違いをしてしまう男の話。
これも、言葉が伝わらないことへの恐怖があって、そういう意味では吃音とも重なるのでは。
焦るほど、上手くいかなくなってしまう男の心理が辛いなぁと思って読んでいたけれど、最後に、とある希望が見出されて、嬉しかった。