岩明均のレビュー一覧
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ストーリーテリングの天才!
既出読破。なので1巻〜10巻の雑感を。
まず出だし。天才。
伝記を描くのに、幼少期でもなく老年期でもなく、中途半端な青年期の、しかも史実に一切ない(よね?史実詳しくないけど)ヘンテコ動力創作エピソードからスタートするあたりやはり岩明サンは物語りの天才なのだと思う。
作者にも編集にも自信がなきゃできない始まり方。打合せが見たい。史実の殆ど残ってない半架空の人物に、「コイツってこんなヤツ」と言い切るヘンテコエピソード。そして物凄く息の長い伏線。ミスリードしたら読者が路頭に迷うのに。
あとは歴史物なのに説明的文章も最小限でセリフも多くないのにストーリーについて行ける不思議。やはり天才。
10巻まで読んで1巻に戻ると、この始まり方、進め方に痺れる。
ホント天才っているんだなぁ。
動力に使われるヘビも象徴的。将来アレクサンドロスの右腕となる事を象徴するヘビ。そしてアレクサンドロスの顔にヘビの痣があったなんて史実は無いよね?架空の象徴への強烈なオマージュ。なんだろこれ。すごいね、ここまで架空の人物像って作り込めるんだね。
冒頭メンバーが濃い。でも有名人のアリストテレスは脇役感がハンパない。単に座標軸なのか。無名なメムノンの方が偉人ぽい(笑)
最初の拷問とか空き家の変人さんとかはなんなのかなぁ、主人公じゃなくてアリストテレス絡みだけど後で追うのかな。10巻の時点では完全に本流てか主人公と接点ないよね哲学者。最終的にはキレイに回収するのかしら。
後々への伏線が二重、三重に毛細血管のように張り巡らされ新刊出るたび発見する快感。仕込み天才。
10巻でメムノンの背景出てきた時には大興奮。コレ何年越し?!
5巻のペルディッカスとの邂逅も胸熱。このイケメンまた絡むのねと。
カロンとの再会は更なり。
岩明サンの絵はなんだろう、書き分け出来てないようで微妙なラインで書き分けられてて、よく見るとそれぞれ違う。イケメンには造作以前の有無を言わさぬ色気と迫力がある。なんだろあれは。イケメン=タレ目の法則も(笑)
エウメネスの時々あるキメ顔がまた大変に格好よろしい。フォーキオンに将棋盤渡して「やるねぇ、俺」にはやられた。そりゃ惚れるよエウリュディケもサテゥラも私も。
唯一の難点は人物名が難解。これ書くのに何度読み返した事か。 -
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カイロネイアに死神降臨。
アレクサンドロスとしては、その場で必要なことをただただ気負いもなく行っただけなんだろうけど、落ちたものを拾うかのような、何気ない様子で人を殺していくというのは、狂気にしか思えない。
武器が壊れたから、新しい武器を手に入れなきゃ。そこに落ちてるから、それ拾えばいいじゃん。
そういうことではない。文化が違う、とかいうレベルでない。
鉄火の戦場ではまだまだ傍観者でいられるエウネメスも、政治という戦場ではそうもいっていられない状況に。個人の感情・思惑を踏みつぶして回る車輪にいつの間にか組み込まれています。抜け出したい。それが困難なことは重々承知だけど、抜け出したい。それは子供のイヤイヤと同じ感覚なのかもしれないけれど。
でも、何気なく左腕選抜とか考えちゃうところが、目に留まっちゃうんだよなぁ、ついつい。才能の発露とか言われてしまう始末。苦労は続きます。 -
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古いマンガだけど面白い
ストーリー展開は十分練っている。わずか4巻だけど,展開が予想できず引き込まれる。
岩明さんの絵は,特に人の顔の表情描写が変だけど,気には無くなる。
面白いマンガだと思う。 -
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昔読んで面白かった
未知の生物がいつ地球に現れるかのは誰にも分らないし、その能力が人よりはるかに強大だっが、その中で主人公らが色々悩みながらも精いっぱい戦う姿が面白い
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名作です。
命とはなにか、人間とはなにか、考えさせられます。寄生とは「寄り添って生きること」人間も地球に寄り添って生きているはずなのに。
グロい表現も多いですが、人間ほど多種多様な生き物で生かされている生物はいない。しみしじみします。 -
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「われわれはか弱い。それのみでは生きてゆけないただの細胞体だ。だからあまりいじめるな」。前巻で「田宮良子」が新一に言った言葉を受けて、本巻では人間がパラサイトに一気に攻撃を仕掛けることとなる。警察は「広川」市長がパラサイトであることを突き止め、自衛隊が市庁舎を包囲して、ひとりひとりパラサイトか確かめて殲滅する作戦を敢行するのである。
だが「広川」の正体がテーマを深化するとともに、「寄生獣」というタイトルが実は人間という「地球を蝕む寄生獣」のことを示していることが明かされる。寄生獣って人間のことだったんだ。
しかし「私が創りあげたか弱い『仲間』の1人ではあるが……無敵だ」と「田宮良子」のいう「後藤」が自衛隊との戦況を一変させる。「後藤」は次なるターゲットとして新一を名指す。それまで人間の中では無敵であり、パラサイトすら楽々倒すことができた新一だったが、無敵の「後藤」の「宣戦布告」には怯えきってしまう。そんな彼に「生きよう」という気持ちを抱かせるのがガールフレンドの里美である。このあたりが見事なプロット。そして物語は「後藤」との絶望的な戦いに突入していく。
人間が寄生獣なら、パラサイトのほうは自然を象徴していることになる。人間に破壊される自然は「か弱い」が、ときに人間に猛威を振るうときの自然は「無敵」というほかない。そんな自然の猛威に立ち向かうときに人間は「生きよう」とでも思うほかないではないか。 -
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圧倒的な「後藤」に対してミギーと新一は頭脳戦を仕掛けるが、間一髪でしくじり、新一は分離したミギーをその場に残して逃げ去るしかない。宿主から分離したパラサイトは早晩死ぬしかない。
パラサイト同士はある程度の距離に近づけば互いに相手の存在を感知する能力を持っており、それゆえに新一とミギーは「後藤」から隠れることができないのだが、ミギーを失った新一を「後藤」は探知できないのが唯一の救い。そこで新一は孤独な老婆に助けられる。
そのあと終盤までどんでん返しの連続といってもいいだろう。ミギーの力を失った新一には到底「後藤」に勝てる力はないのだが……。
前巻で人類こそが寄生獣だという指摘を受けて、「後藤」を大自然の象徴と位置づけることによって、新一の勝機が見えてくるのである。そしてもっとも危険な敵は人間ということになる。それゆえ物語は何気ない日常の中に収束していくのだが。
評者は繰り返し、永井豪『デビルマン』と対照してきたが、『デビルマン』では物語はハルマゲドンにまで膨張し、そして最後に不動明=デビルマンと飛鳥了=サタンとの静謐な対話が大戦とのコントラストの中に絶美を生む。『寄生獣』では日常の回帰の中に生ずる非日常のヒアトゥスが日常のかけがえのなさを浮き立たせる。ネガとポジみたいではあるが、作家の資質を超えて何か通底するものはあるような気がする、読後感の深さ。 -
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自分のよく知っている人が密かに異星人に置き換わっているという話はジャック・フィニィ『盗まれた町』だが、『寄生獣』の寄生生物は宇宙から来たわけではないみたいだし、侵略者と戦う英米SFと違って、日本の作品は単純に敵味方と割り切れないぞ。
第7巻が戦闘のクライマックスなら、第8巻には情緒的なクライマックスがひとつ用意されている。新一の「胸の穴」である。母親に寄生したパラサイトによって穿たれた胸の穴はミギーのおかげで修復され瘢痕が残るだけなのだが、心理的な意味での「胸の穴」が物語の底流として問題となっているのだ。あるとき、手相見が新一を診断して、胸の穴を開けた相手に会わねばならないと占うのだが、それに対して新一は人殺しの顔をして「そいつなら殺した」と言うという場面があったのだが、それが伏線となっている。穴を埋めに来たのは「田宮良子」なのである。
人間側は警察の捜査が進んでパラサイトの存在と「広川」市長グループにより支配されている市の存在もつかんでいる。
警察がパラサイトかどうかを調べる秘密兵器が登場する。猟奇的連続殺人犯である。彼は殺人者としての勘で相手が人間か人間以外のものかわかってしまうのだ。パラサイトが人間を食べているところを目撃したしまったこの殺人犯、なんだ俺と同じことやってるんじゃないかと言うのだが、「寄生生物と人間は1つの家族だ。われわれは人間の『子供』なのだ」という「田宮良子」が新一に告げる「結論」とそれは呼応している。人間もパラサイトも一緒。
永井豪の『デビルマン』では人間のほうこそが悪魔だといって不動明が絶望する場面がある。それに対して寄生生物と人間は1つの家族だという「田宮良子」の言葉はあたかも希望を語っているかのようだ。何の希望だかよくわからないが。 -
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新一は密かにパラサイトを一体一体倒していくことを考えている。しかしそれをミギーにいうことはできない。ミギーは自己の生存にのみ関心があり、降りかかった火の粉なら払うが、こちらから危険を冒してまでパラサイトを殺害に出かけるようなことはしないからである。
「広川」市長らパラサイト集団では、しかしパラサイトに対する殺傷能力を示した新一たちを危険視する意見が出される。興味深いサンプルとして観察継続を示唆する「田宮良子」に反して、新一に刺客を送り込むことになる。
第7巻は最後から2番目の戦闘クライマックスといえるだろう。
新一にとっては最後の戦いの前哨戦である。パラサイトは通常人間の頭部に置き換わっているのだが、送り込まれた刺客とは、さらに四肢それぞれにパラサイトが寄生しているという実験的な個体「三木」である。通常は頭部を武器化して戦うパラサイトだが、「三木」は四肢を武器化して戦うことができるのだ。その圧倒的な力に対して、問題は四肢の制御であり、そこを突いて新一たちは辛うじて勝利を収めるが、もっと完全な個体「後藤」との戦いはあとに持ち越される。
他方、「田宮良子」を危険視した「広川」グループの三個体が「田宮良子」を粛清にかかるというのがもうひとつのクライマックス。「田宮良子」は「三木」や「後藤」とは別の見事な戦いぶりを示すのだ。 -
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一般に寄生生物とは宿主の生物と生活を共にするのだが、『寄生獣』のパラサイトの場合、宿主の脳を喰ってしまうので、精神存在としての人間とは生活をともにしない。ところが新一と生活を共にするミギーは次第に人間のことを学習していく。
他方、人間の子を妊娠している「田宮良子」は人間社会の外から学習しようとする。圧倒的に強力だが、圧倒的に数の少ないパラサイトを人間から守るため。
新一のことに関心を持つ「田宮良子」によって新一を監視すべく彼の高校に送り込まれた「島田秀夫」は前巻で暴走し、1巻のパラサイトAのように学校で虐殺事件を起こしてしまう。おかげでパラサイトの存在が警察には知られるところとなっている。『デビルマン』なら、すわ悪魔狩りなのだが、あまりにも信じがたい話なのと社会不安を煽ることから一般には伏せられている。それでもパラサイトをあぶり出すため警察は噂を流す。化け物を見分けるためには髪の毛を数本抜いてみろと。パラサイトは分割しても死なないが、ある程度細かくなると知性を失ってしまい、髪の毛レベルだと目的もなく動く小生物になってしまうからだ。
事件を起こさずに人間を喰うにはどうしたらいいか。パラサイトたちからも新たな運動が起こる。市長選に打って出るパラサイトが現れるのだ。
地球上の誰かがふと思った「人間の数が半分になったらいくつの森が焼かれずにすむだろうか……」という第1巻冒頭の台詞は、映画では「田宮良子」役の女優がナレーションしているようだが、「地球上の誰か」とはほかならぬ岩明均のことだろう。作者は人間に寄生する生物(そんなのはいくらもいる)を作ろうとしたかったのではなくて、人間に固有の天敵を作ってみようとしたのだと思う。構想の段階である程度のプロットは考えていたと思うが、この天敵が生殖能力を持たないという設定にしたのは計算の上だったのか誤算だったのか。生殖能力を持たぬ天敵などあまりに脆弱なのだ。
もっとも生物界のバランスなんてそんなもので、多産な生物は食糧となり、食物連鎖の頂点にいる生物は何らかの形で繁殖に制限が加わっているものである。人間を例外として。というと話がまたもとに戻って、それでは食物連鎖上、「人間の上」を作ってみようという本作の構想になるわけだが。 -
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不良グループの女王的存在で、新一を含むパラサイトを感知してしまう超能力を示す加奈の存在は随分前のほうから伏線となっているが、その能力のために加奈は危機に陥り、新一は加奈を助けることができない。しかし加奈を襲ったパラサイトを新一とミギーは鮮やかに倒す。
そして「田宮良子」は「島田秀夫」に代わって新一の動向をうかがうために人間の探偵を雇う。人間を探るには人間を,という発想に「田宮良子」の深化が見られるのだが。この探偵がからんで、いよいよ新一の正体が世間にばれるのではないかという危機に陥るとともに、新一にはパラサイトたちを殲滅する戦いを起こさねばならないのではないかという決心が芽生えてくる。
他方、パラサイトたちは市長に当選した「広川」を中心にパラサイトを組織化しようという動きが生じ、「田宮良子」は一定の距離をおきながらそれにからんでいる。
いよいよ個人レベルの問題が社会と否応なく絡みを持ちはじめてくる。連載されていた頃、私は『寄生獣』を『デビルマン』のある種の異版のように思って読んでいた。だが、パラサイトの存在の公表による社会のパニック、闇雲な悪魔狩り、といった『デビルマン』の後半的展開になりそうで実はならないのである。『デビルマン』では魔界からどんどんデーモンが入り込んでくるのだが、『寄生獣』のパラサイトは生殖機能を持たぬゆえ、その数を増やすことがない。するとパラサイトの影響は局所的に留まってしまうのである。恐らくエボラ出血熱の感染拡大のほうがよほどの大事件なのだ。そしてそのエボラ出血熱ですら、マラリアの死者数に及ばないといった議論もあった。
つまりすべてを賭して生存を目指さねばならないのは、実は人類ではなくパラサイトのほうだったのだ。 -
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本能がおかしくなった人間と本能で生きるパラサイト、などと定式化してみたが、嘘である。人間にも本能がある。旧皮質のほうに。それを圧倒的な新皮質で抑圧しているのである。パラサイトも人間を喰えという本能があっても、知性がある以上はそれは様々な形で抑制される。本能の赴くまま腹がすけば人間を喰うだけの奴から、パラサイトとは何かという哲学的思考に深くはまっていく「田宮良子」までパラサイトの個性も多様である。そう言ってしまうとパラサイトも人間も変わらない。
違いは何かというと、当面は感情のようなのである。パラサイトにとって人間の感情は理解不能。それはパラサイトが生物らしい生物だからではない。恐らく、イヌやネコ、あるいは馬が進化して知的生命になっても人間と感情的交流が可能であろう。しかし爬虫類はわからない。パラサイトはいかようにも変形可能で、顔を変えることができるが、こと戦闘となると刃物系の形態にしか変形しない。作者は自覚的か非自覚的かわからないが、哺乳類とは異質な生命をどこかで思い浮かべている。非自覚的かもと思うのは、ミギーの目が目玉親爺のようであっても、あえて爬虫類的に描かれていないからだ。(次巻に「俺たちって鬼太郎とそのオヤジみたいだな」って台詞アリ)
パラサイトたちは等しく無表情に描かれているが、彼らは感情に流されず、極めて論理的だ。映画版でミギーの声は阿部サダヲがやっているが、わたしのイメージとしては『2001年宇宙の旅』や『月に囚われた男』の人工知能の喋り方がいいように思う。論理が感情に優先するという点で、ある種の発達障害の人のようでもある。パラサイトに胸を射貫かれて生還したことでミギーが混じって、精神的面でも合理的になり動じなくなった新一はそのことをガールフレンドの村野里美に指摘されて悩む。「「胸の穴」(のせい)だ」と呟くのだが、それに対して、ミギーが「「背中の穴」ともいえる」と返すという場面が感情と論理のずれを象徴しているのだ。